本編
この話には女性同士の恋愛とキス描写があります。
苦手な方はご遠慮ください。
本日はレヴィナス魔法学園卒業式。そして、現在は卒業式も無事終わり、卒業パーティの真っただ中。普段は節度を持って23時には終了するパーティも、この日だけは翌朝まで続く。
レヴィナス学園は平民から貴族まで、あらゆる魔力持ちが無料で学べる学び舎。学園内では身分差に関係なく、成績のみでクラスわけが行われるが、学園がいくら身分差のないカリキュラムを組もうとも、生徒間ではそういった事が出来るわけもなく、はっきりとした差別がある。しかし、無料で学べる機会というものは、平民には奇跡にも等しく、必死にかじりついて学ぶ。それが現状だった。
卒業パーティも、貴族たちは華やかに着飾り、平民出身者は一様に制服で出席する。出席しなくても良いのだが、平民の生活ではけして食べることのできない料理、デザートの数々に、出席しない、という考えはない。人生で最初で最後になるかもしれない贅沢を前に、何もせず逃げるなど、そんな軟弱な思考を持った者がこの学園で3年間も勉学に励むことなどできるわけがない。心無い貴族子息、令嬢達の陰口など何のその。もりもり食べて、朝まで飲んで、翌日二日酔いと戦いながら地元に帰っていく。それが伝統だった。
磨き上げられた大理石の床。同じく大理石でできた太い柱。天井から垂れ下がる重厚で、豪華なシャンデリア。跳ね返る光がそこここに光の玉を浮かび上がらせ、一種の幻想世界を織りなしている。
例年ならば騒がしいパーティ会場は、現在、水を打ったように静まり返っていた。会場中の視線を集める中心部には、5人の青年、2人の女性がたっている。構図で言えば、4人の男性の中心に、1組の男女。そして、その対面に1人の女性。6対1の構図。
静まり返った理由は、本日も残りわずか、という時間になったところで、突然、6人が1人を取り囲むように中央へと強制的にいざない、そこで声高らかに婚約破棄を宣言したのだった。そして、得意満面に、1人がいかに非道な行いをしてきたのかを口々に語る。その全てが伝聞だったことに気づいた者は周囲と1人だけ。
周囲を取り囲む生徒たちは、ある者は顔をしかめ、ある者は嫌悪感を隠しもせずに6人を睨み、またある者は気づかわし気に1人を見つめた。
6人のうち、中央に立つ男の名はアレクサンダー・レヴィナス。この国の第一王子。その左に立つ青年は宰相の子息メリウス・フォルマン。アレクサンダーの後ろに立つのは教会の枢機卿の子息ウィリアム・ステファン。女性の後ろに立つのはレヴィナス学園の教師の1人マッシュ・クリストファ。女性の右隣に立つのは王国騎士団長子息エドウィン・モンテギュー。アレクサンダーの隣に立つ女性はユリア。このメンバー唯一の庶民。対するはロザリア・エレクトア。エレクトア公爵家ご令嬢。
淑女らしく口元を扇子で隠したロザリアは、長々と紡がれる口上を黙って聞き終え、そこで初めて扇子をパチンと閉じた。
「何とか言ってみたらどうだ、この性悪女め!!」
口を挟む暇も与えず、ただ延々と、自分に酔っていたアレクサンダーが、鼻の穴を大きく膨らませ、得意満面の笑みを浮かべて怒鳴り散らす。
せっかく顔だけは良いのに、残念な表情だ、とロザリアは内心では笑いながらも、それは一切顔には見せず、淑女らしい緩やかな笑みを崩すことなく一度閉じた扇子で手を叩いた。すると生徒たちの間から即座に1人のメイドが現れ、恭しくロザリアに紙を差し出す。
「結婚破棄は構いませんが、一つお願いがありますの」
「はん? 何だ? 温情願いか? 残念だったな! お前はすぐに投獄し、処刑だ!」
「いいえ、わたくしの願いは、この書類へのサインですわ」
ふふふ、と悠然と笑うロザリアに、アレクサンダーは眉根を寄せる。もっと泣き喚き、縋り付くことを想像していただけに、ロザリアの態度がどうにも気持ち悪い。
「なんの書類だ?」
「大したものではありませんわ。この婚約破棄がアレクサンダー殿下からのもので、尚且つ婚約破棄は何があっても覆さないという誓約をしていただくための書類です」
「はっ! そんなもので良ければいくらでもしてやるわ! ふん! この第一王子である俺からの婚約破棄を受け、ついに頭でもおかしくなったか?」
第一王子。つまり、いずれ王太子となり、この国の王となる。その可能性が最も高い者。そんな自分からの婚約破棄だ。年齢も18と、結婚するには行き遅れとなる。この後ロザリアには結婚は舞いこまない。だから混乱し、妙な事を言い出したのだろうと結論付け、深くは考えなかった。
ロザリアは再びメイドに書類を渡し、メイドがインクとペン、下敷きと共にアレクサンダーへと持っていく。受け取ったアレクサンダーは、内容を確認し、さっと署名した。それを今度はロザリアへ。書類にある署名がフルネームで、スペルミスもないのを確認したロザリアが、とても満足げに笑った。
まるで聖母の慈愛に満ち溢れたような笑みに、思わず周り中からほぅ、と感嘆のため息が零され、アレクサンダーはイライラしたように声を上げた。
「俺はこのユリアと婚約する! 将来国母となるユリアへした数々の嫌がらせ! ロザリア、お前は牢で悔いるのだな!! 衛兵! 反逆者を捕らえよ!!」
高らかな宣言。
雪崩れ込んでくる兵士達に、予め待機させていたことが窺い知れた。
あっという間に取り囲まれても、ロザリアは気にしない。それどころか、とても楽し気な笑い声を零したのだ。
「ついに気でも触れたか!」
「まさか。気が触れたのは貴方の方ですよ、アレクサンダー殿下……いいえ、もう貴方は平民ですから殿下、などではありませんわね。アレクサンダー。衛兵、何をしているの? 愚かにも、この公爵家令嬢に逆らった愚物共を早々に捕らえなさい」
ほほほ、と高らかに笑うロザリアに、衛兵は戸惑うようにアレクサンダーと見比べた。アレクサンダーは確かに王子のはずなのに、その婚約者であるロザリアはまるで意に介さず、アレクサンダーを平民とのたまい、あまつさえ愚物とまで言うのだから。
ロザリアのすぐ後ろに立つメイドが、新しい書類をロザリアに差し出す。それを受け取ったロザリアは、代わりに扇子をメイドへと渡し、二枚の書類を左右の手に持ち、提示した。
「ここに二枚の書類がありますわ。一枚は先程アレクサンダーが署名したもの。わたくしとの婚約破棄がアレクサンダーからのものであり、けして覆されるものではないという内容のもの、もう一枚は国王陛下の宣誓書です」
さぁ、と見せられた衛兵は驚きに目を見開き、それからロザリアに一度頭を下げると、あっと言う間にアレクサンダー達を取り囲み、取り押さえた。
何が起こったのか理解できないまま、後ろ手に縛りあげられ、這いつくばらされる6人。
「くっ!! 何をする!! 俺を誰だと思っている!! アレクサンダー・レヴィナス!! この国の第一王子だぞ!!」
「いいえ、違います。貴方はただの平民ですわ」
そうロザリアが言うと同時に、アレクサンダーの足元に魔法陣が浮かび上がった。それは光を放ち、アレクサンダーの中へと吸い込まれていく。
「残念でしたわね、アレク。貴方が余計な事をしなければ、今の呪いは発動しなかったのに……」
「貴様!! この俺に呪いをかけたのか!!」
「わたくしではありませんわ。あれは王室魔術師様と、その部下全員でかけたものです」
「嘘をつくな!! 王室魔術師が俺に呪いをかけるわけがないだろうが!!」
「事実ですわ。この、国王陛下の宣誓書を読み上げて差し上げますわ。貴方のような頭の出来が残念な方にもわかるように」
うふふ、と笑い、ロザリアは宣誓書の内容を読み上げる。
その内容に周囲は当然、と頷き、アレクサンダー達は目を見開いた。
一、アレクサンダー・レヴィナス(以下アレクサンダー)が王太子となるには、ロザリア・エレクトア(以下ロザリア)と婚約したまま20歳の誕生日を迎えること。
一、アレクサンダーから婚約破棄があった場合、いかなる場合を除いてもアレクサンダーは廃嫡となり、更に王家からも除名されること。
一、アレクサンダーが王家から除名された場合、将来余計な火種とならぬよう、アレクサンダーには子が成せぬ呪いが降りかかる。これを解呪する方法は、ロザリアがアレクサンダーを許し、その全てを受け入れ、アレクサンダーが王太子に戻る以外術はない。
一、アレクサンダーから婚約破棄があった場合、王家は今後ロザリアを誰の婚約者としても迎えないこと。自由を約束すること。
一、ロザリアの方から婚約破棄があった場合、アレクサンダーはこれを受け入れること。その場合、アレクサンダーは王子の身分を剥奪されず、ロザリアは生涯この国に尽くすこと。
以上の内容を、国王、ルドルフ・レヴィナスは宣誓する。
読み上げられた内容。そこに書かれた署名と、王家の家紋。まごうことなき国王による宣誓書。
「これはわたくしが5歳の時に、貴方の婚約者となってすぐ、陛下と交わした宣誓ですのよ」
「どういう……ことだ……」
「まったく……。愚かだとは思っておりましたが、これほどまでとは思いませんでした」
呆然自失状態のアレクサンダーへと深々と溜息を零すロザリア。いつの間にか、メイドが準備した椅子に座り、紅茶を飲んでいる。
「貴方の地位も身分も、わたくしがあって初めて保証されたもの。そんなこと、貴方ご自慢のお友達達以外は皆知っていた事ですわ」
呆れたように幾度も溜息が零される。まるで、大人が子供へと注意をするような調子で紡がれる言葉。
「アレク、貴方、この学園が良識ある貴族たちの中でなんと呼ばれているのかご存知?」
「い、いや……」
「更生学園です」
「更生、学園……?」
「ええ。ここに入れられる貴族は、頭の出来に難がある者。そしてその婚約者です。この学園できちんと学業を学べば、この国の常識が学べるカリキュラムになっております。まぁ、貴方は学業そっちのけでそちらの恋多きお嬢様を追いかけまわしていて、成績も下から数えた方が早かったので、常識が身につかなかったようですね。因みに、婚約者は別名監視者ともいいますの。常識のない、お頭の弱い婚約者が、この学園でどれほど育つか……それを両家の両親へ報告する義務がございます」
そう。この学園が存在する裏事情。表向きは魔力を有した者へ、適切な魔力の使い方を教えるため、となっているが、本当の理由は愚かな貴族子息、令嬢の更生施設なのだ。
貴族とは愚かではやっていけない。相手に付け入る隙を与えず、いかに己が領地を発展させるかが義務として存在するのだ。となれば、当然次代の領主候補である子供たちが愚か者では困る。困る多くはその領地に住む平民。平民が居なければ貴族も国も立ち行かないのだから、当然しっかりと学んでもらわねば困る。だが、この学園で学んでもなお、愚かな立ち振る舞いをするのなら、廃嫡となったり、婚約破棄をされた挙句、田舎の片隅に、病気の療養という名目で押し込められても文句は言えないのだ。それほど当たり前のことをこの学園ではさりげなく授業で学ばされるのだから。
「まぁ、その愚か者の中に、この学園の教師が混じっているとは思いもしませんでしたが……。今後学園は一度、教師も見直さなければなりませんね」
呆れたような視線が、マッシュにそそがれる。穏やかな顔立ちからさぁっと血の気が引き、真っ青になる。自分がどれほど愚かな行為をしていたのか、ようやく理解した、というより、思い出したのだ。
「わたくしがそこのユリア嬢をいじめていたですって? 愚かにもほどがありますわ」
素早くメイドが沢山の書類をロザリアへと差し出す。そのいくつかを手にとり、ばさりと投げ捨てた。
「わたくしがユリア嬢をいじめていたとされる件についての報告書です。その同時刻、わたくし、孤児院の慰問に訪れていましてよ? どうやってこの学園に来、ユリア嬢を階段から突き落としたり、上方より鉢植えを落としたりするのか……意味がわかりませんわ。それに、脅迫文に至っては……便箋は最低でも量販物を使うべきですわ。そういった物を購入するのも、わざわざ女子学生が多い場所で一点ものを買うなんて……愚かにも程がありましてよ?」
写真付きの報告書に、ユリアの顔がさっと青ざめる。小さな体はカタカタと小刻みに震えていた。
「メリウス様、これらの確認、作業は本来、貴方様のお役目でしてよ? 貴方様は将来、御父上の後を継いで宰相になるご予定だというのでしたら、先ず、殿下の下へ上がってきた内容の取捨選択、その為の情報の収集。その程度、できなくてどうするのですか? 何を以てして宰相となるご予定でしたの? と、いいますか、フォルマン伯爵子息。貴方、たかだか伯爵子息程度の身分で、この公爵令嬢であるわたくしを一方的に詰ったとか……貴族としての上下関係も解らない、その程度ですの? それでよく宰相になれると思いましたわね? 所詮アレク同様下から数えた方が早い方ですわね。
因みにわたくし、学年主席ですが、この学園に通っていない貴方の弟君同様、諸外国へ外交へと赴き、幾つもの功績をあげておりますのよ? 内政外交と多岐に渡る仕事を取り組みつつ、更には王妃となる可能性がある以上、王妃としての立ち振る舞いを学び、現王妃様、側妃様達との関係を良好に保ちつつ、各方面の方々とも顔を繋ぎ、更には学年主席をこの3年間、一度たりとも誰かに譲ったこと、ありませんわ」
つらつらと語られる内容に、最早信じられないと小さく呟くメリウス。確かにロザリアは時折突然休学していた。その理由が、まさか学生の身でありながら、政に携わっていたからだなんて、誰が想像できるというのか。――周知の事実であったので、この場合はメリウスがただただ愚かだったとしか言いようはない。
そもそもそんな過密スケジュールなら、彼女はいったいいつ眠り、いつ勉強していたというのか。しかし、そんなものは愚問。ロザリアは本来この学園に入る必要はなかった。既に学園で習うようなことは全て習得していたのに、アレクサンダーのせいで入らざるをえなくなってしまっただけなのだ。授業に出て居なくとも、テストの内容が解けないわけがない。本来なら、メリウスもそうでなくてはいけなかったのに、それが出来ていないから、ロザリアを、まるで化け物を見るような目で見てしまう。
「エドウィン様。貴方様は将来、王国騎士団に入隊し、御父上の後を継ぎ、王国騎士団長となる、そう豪語なさっておいででしたわね? そのような方が、今の一方的な言い分をきき、淑女をこのような場所で晒し者にして辱める? 貴方の騎士道精神とやらはいったいどのようになっていらっしゃるのですか? これがご立派な騎士のなさること? 貴方は今、御父上の前で胸を張っていられますか? そうそう。それと、曲がりなりにも主君と仰ぐ方が恋焦がれるご令嬢と、褥を共にされるのもいかがなものかと思いますわ」
びくんっと大きく跳ねる肩。エドウィンは真っ青になって顔を伏せる。対してアレクサンダーは友人であり、近衛にしようと思っていた信頼する部下と、愛しいユリアの不貞という裏切りに驚愕の眼差しを向けていた。
「あら、そうでしたわ! うっかり言い忘れておりましたわ、ユリア様? ご懐妊おめでとうございます。時期的に、エドウィン様の御子でしょうか? それともメリウス様? マッシュ先生とは時期が違いますものね。月のものが来なくなったからといって、慌てて医者に駆け込むのは淑女としていただけませんわね。自ら公言されているようなものですよ? 淑女たるもの、常に余裕を忘れず、優雅にいなくては。痛い腹を簡単に晒し、探ってくださいなど、愚の骨頂でしてよ?」
築き上げたハーレムの男たちからの視線に、最早ユリアの顔色は白いを通り越し、土気色にまでなっていた。
「ところでウィリアム様。貴方の神というのは随分と寛容で、俗物に塗れていらっしゃるのですね? このように沢山の殿方と褥を共にし、子を成しつつも誰にも言わず、挙句、自分は綺麗なままだと偽り、貴方ではない他の誰かに嫁ごうといしている女性を愛してもいいなんて……。その上、その女性からの言葉なら、疑うことなく全てを信じ、他者を断罪して良い、と教えるなんて……驚きですわ」
「わ、我が神は……そのような……ゆ、ユリア嬢……嘘だと言ってください……わ、私と共に教会の発展に尽力くださると……我が神の前にて将来を誓うと……あの約束は……」
「ウィリアム様。貴方のその素直で人を信じるところは美徳でもあり、欠点でもありますわ。だからこそ、貴方様は多くの人と触れ合うこの学園に入れられたというのに……そのことを最後まで理解できていらっしゃらなかったのですね……」
驚愕に目を見開き、震えるウィリアムに、憐みの眼差しを向け、深々と溜息を零す。
「ご存知かと思いますが、教会、王家、共に清き乙女でなくては嫁ぐことはできません。ユリア様。この時点で貴女はウィリアム様が信仰をお捨てにならない限り、ウィリアム様だけは絶対にありえなくなりましたが……結局どなたと結ばれたいのですか? まぁ、当然あれだけアレクサンダー様との仲を公言して回っていらっしゃったのですから、今後、庶民の生活を全く知らないアレクサンダー様を支えていかれるのですよね?」
「なんなのよ!!!!」
怒声。
恐ろしいほどに吹き上がる怒気。
衛兵に取り押さえられたユリアが顔を歪め、激しく身をゆすり、その拘束から逃れようとしながらロザリアを睨みつける。
「なんなのよアンタは!!! ありえない!! こんなこと、許されると思っているの?! ここはどき学でしょう?! 私はそのヒロインなのよ?! なんで私がこんな目にあっているの?! アンタは他のライバルみたいにすっこんでなさいよ!!」
口汚くわめく姿を初めて見た男たちは驚きに固まる。
ユリアはいつだって健気で明るく優しい女性。他人の為に涙を流し、他人の為に怒る。そんな清らかな乙女。その幻想が音をたてて崩れていく。
「庶民に落ちたアレクサンダー様?! ハッ! ありえないでしょ!! 王子だから、将来この国の王様だからアンタから奪い取ったのに!! どういうことなのよ!! これで私は卒業後お城に行って、私を愛してくれる男たちに囲まれてめでたしめでたしでしょう?! そうじゃなきゃおかしいじゃない! 私がヒロインで、ココは私の為の物語なんだから!!!!」
「ゆ、ユリア……? 俺の事が好きだと……どんな時も俺と共にと……あれは、嘘だったのか……?」
豹変したユリアに、それでも僅かながら希望を持ち、信じていたアレクサンダーが呆然と呟く。それに返ったのは刺々しい視線。ユリアの本性を初めて知ったアレクサンダーは、己の愚かさにがくりと頭をさげた。最早何も残っていないのだ、とその時ようやく理解したのだ。
どれだけ苦境に立とうとも、愛する、愛してくれる、大切な存在がいれば何とか乗り越えられる。そう思っていたのに。
「大体こんな傲慢で偉そうな男! 顔が良くて地位があってお金持ってなきゃただのゴミじゃない!! なんで顔だけ男になった後に私が面倒見ないといけないの?! 意味わかんないわよ!! てか!! アンタもアンタよ!! ライバルなら他のライバル同様、指定の日に、指定の場所にいなさいよ!! なんで他のところに行ってるわけ?! 意味わかんないじゃない!! おかげでこっちはアンタの悪評振りまくの苦労したのよ!? アンタのせいで、本当はない脅迫文とか作らないといけなかったのよ!! アンタも転生者なわけ?! そうでしょう?! そうじゃなきゃありえないわよ!! こんなにあれこれ手を打ってるなんて!! アンタも日本人で、どき学やったんでしょ?! この卑怯者!!」
「転生? ニホンジン? ドキガク? 何を言っていらっしゃるのかしら? 可哀そうに……空想と現実の違いもわかっていらっしゃらなかったのね?」
眉根を寄せ、首を傾げるロザリアに、え、と小さな声を上げるユリア。
「な、何を……言っているの? ここは……ゲーム、ドキドキ魔法学園 ~恋の始まりは魔法のきらめき~ の中でしょう……?」
「何を言っていらっしゃるの? ここはバレンティーヌ王国、レヴィナス学園ですよ?」
何か可哀そうなものを見つめる視線に、ユリアは口の中が乾いていく気がした。自分が信じるものが音をたてて崩れていくような気がする。
気丈にも、それでも何か言おうと口を開きかけたところで、ホールの外が騒がしくなった。騒ぎはあっという間に近づき、会場に、慌てたように転がり込んでくる大人達の姿。現れた人物に、ロザリアはさっと立ち上がる。
「レヴィナス国王陛下!!」
誰かが、いや、驚きのあまり誰もが、先頭に立ってやってきた人物の名を呼ぶ。
慌てることなく、恭しく、優雅に首を垂れるロザリアに倣い、一斉に首を垂れた。
「ロザリア嬢!! アレクサンダーがやらかしたという報告を受け、急ぎ参った!!」
真っ青な国王は、取り押さえられているアレクサンダー達に、ああ、と嘆きの声を上げた。
「ロザリア嬢、挨拶は構わぬ、説明をしてくれ……」
「かしこまりました」
淑女然とした笑みを浮かべ、これまでの経緯を第三者の目線から語るロザリア。その内容に誤りはなく、誰からも不満の声は上がらない。ただ一人、喚き散らすユリアは、衛兵により、口を押さえられていた。
全てを聞き終えた国王はよろりとよろめき、後ろからついてきていたメリウスの父である宰相のユリウスが慌てて支える。
「なんと言う事だ……バカだバカだとは思っていたが……これほどまでにバカだったのか……アレクよ……お前は、この国を滅ぼしたいのか……?」
「ち、父上……私はそのような……」
「黙れ!!! 私はあれほど、あれほど言ったぞ!! けしてロザリア嬢を怒らせてはならない、ロザリア嬢を大切にせよ、ロザリア嬢の寵愛を求めよ、何があってもロザリア嬢と婚約を破棄してはならぬ! そう口を酸っぱくしてきた!! お前は王命を何だと思っているのだ!!! たかが王子という身分でありながら、王命に逆らうという事がどれほど愚かな反逆行為か考えなかったのか?!」
「わ、私は反逆行為など……」
「なかったと言えるのか?! ロザリア嬢との婚約は王命であるぞ?! それを王子のお前が一方的に破棄?! 王命を王子が無視してなにが反逆していないだと?!」
「あっ……!」
ただでさえ、蒼白だったアレクサンダーの血の気が、更に引いていく。初めて、己がどれほど恐ろしい行為をしたのか理解したのだ。
ロザリアとの婚姻を決めたのは父であり、国王陛下。国王が王命を以てしてとりつけた婚約だった。自分にとって国王は父であるが、その前に王なのだ。この国の。そして、父が国王である以上、親子関係よりも先に国王と王子という役職が先に立つ。そんな当たり前の事実を今、たった今、理解したのだ。
最早言葉のないアレクサンダー。がっくりと力なく項垂れるだけ。そんなアレクサンダーへ憐みの視線どころか、侮蔑の視線を投げつけ、国王はロザリアを見た。
「ロザリア嬢……この度はまことに申し訳ない……」
「お気になさらずに。わたくしには陛下のこの誓約がありますので」
ロザリアの手の中にある誓約書に、国王は顔を歪める。
「その……どうかアレクサンダーを許してはくれないだろうか……?」
「許すのは問題ありませんが……王子はこちらの誓約書を書かれています。許したところで婚約破棄は消えませんが……宜しいのですか?」
別な紙が提示され、その内容に、国王は再びよろめいた。
アレクサンダーがロザリアに交わした誓約書。
アレクサンダーからの婚約破棄であり、この婚約破棄をけして覆さないというアレクサンダー自身の署名入りの誓約書。
なんということだ、と国王は体中から力が抜けていくのを感じた。おそらくユリウスが支えていなければ、情けなくも膝をついていただろう。
「なんと言う事だ……本当に、何と言う事をしてくれたのだ……アレクよ……。これでこの国は加護を失ってしまう……」
ざわり、と周囲がどよめいた。
悲壮な悲鳴の吐息が零れ落ちた事に、アレクサンダーはのろのろと顔を上げる。
「アレクよ……この国の加護は、聖女と呼ばれる乙女が担っているのは知っておるだろう……?」
「はい……母上が、そう、なのですよね?」
「そうだ。そしてお前は、王家の王妃になれるものは、聖女のみ、ということも知っておったはずだ……」
「!!!!!」
慌ててロザリアを見る。
そう。ロザリアこそ、次なる聖女。そんな当たり前の事が解らない程ぼんくらだったのだ。バカだ、愚かだ、愚物だ、そう言われても仕方がないだろう。
「もうすぐ王妃の力はなくなる……そうすればこの国を守る加護は消え、他国からの侵略、魔物からの侵略がはじまるだろう……お前はその責、どうやってとる?」
「し、しかし、ならば、ロザリアを第二、第三王子の婚約者に……」
「できぬ。お主との婚約を了承してもらう代わりに、お前との婚約がお前により破棄された場合、ロザリア嬢は自由の身となるという約束だからな……約束を違えてしまえば、この国へ聖女を与えてくれる神の寵愛さえもなくなるだろう……」
「そ、そんな……」
「お前には極刑ではなく、奴隷となり、市井に身をやつしてもらおう。新たな聖女が産まれるまで、この国の加護がなくなった元凶として、お前の周りにいるもの共々歴史に名を刻むがよい……」
疲れ、くたびれ果てた老人のような声を絞り出し、国王は再びロザリアを見た。
「ロザリア嬢……まことに申し訳なかった……どうか……どうか、貴女に加護を与える神に、この土地を見限らぬよう、お願い申し上げる……」
「申し訳ありません、陛下。私はあくまでも神の力を受ける器。神と語り合う事はできません。この騒ぎを見、神がどのような判断を下すかは、神のみぞ知りうることです」
優雅に下げられた頭。けして申し訳ないなどと思ってもいない姿。それでも国王にそれを咎めることはできない。神の不興など買いたくないのだから。
衛兵達に手で合図をし、反逆者達を一掃する。
引きずられ、連れて行かれた者達を見送り、国王はロザリアを見た。そして、驚きに目を見張る。
ロザリアの手の中には、いつの間にか小さなナイフ。何を、と問う前に、ロザリアは己の髪を一房手に取り、何の感慨もなくナイフで斬り落とした。周囲から悲痛な声が上がる。この国の貴族令嬢達において、美しい髪は宝の一つ。罪人や市井の者以外では、髪の伸びきらぬ幼児のみが短い髪をしている。その髪を、次々短く切り落とすロザリア。
控えていたメイドは手にした小型のナイフで、ロザリアが動きを止めると同時に、ざんばらに切り落とされた髪を整えていく。あっという間にショートカットになってしまった。
「ろ、ロザリア嬢……いったい何を……」
「髪を切りましたわ。わたくし、これからこの国を出ていきますので」
「出ていく?!」
「ええ、ずっとこの国を出ていくのが夢でした。聖女などという身分も、公爵令嬢などという身分も不要でした。ようやく自由になれたので、どこへでも行こうと思います」
「……そうか……そう、か……ああ、自由に、望むまま、自由に生きるが良かろう……」
この国を去る聖女を引き留める術など最早ない。そして、聖女が立ち去るという事が、どういうことなのか理解している国王は、これからの苦難の時を思い、嘆く。
「すまぬ、ロザリア嬢……私は、今後の事を大臣達と話し合わねばならん……そなたの旅立ちを見送れぬ、私を許してくれ」
「勿論です、陛下。どうか、陛下に神の加護があらんことを」
「ああ、聖女の祈りだ。感謝しよう」
深々と下げられた頭に、国王はただただ苦笑を浮かべ、その慈悲があるのならば、この国を憂いてくれ、と頼みそうになる自身を叱咤した。力の抜けていた身体に気合いを入れ直し、自らの足でしっかりと立つと、信頼するユリウスを伴い、会場を後にする。
ロザリアは無言で自身の手足となり続けたメイドを振り返った。
「準備はよろしくて?」
「はい、お嬢様」
「では参りましょうか」
「はい、お嬢様」
呆れるほど用意周到なメイドは、ロザリアが切り落とした髪を全てかき集め、紙袋へとしまい込んでいた。その紙袋を手に、立ち去るロザリアの二歩後ろに付き従う。
影のようにぴったりと寄り添い、軽く手を鳴らせばそれだけで己の望むものを理解し、即座に用意する、ロザリアにとっていなければならない存在。彼女との付き合いは10年以上になる。今は完璧な主従関係にあるメイドのようにしているが、その実は大切な親友。
学園を抜け、彼女の用意した質素な馬車に乗る。この馬車でそのまま国境を越える予定だ。馬車の扉が閉まり、走り出すと、突然メイドが噴き出した。
「上手くいきましたね、ロザリア様!」
「もう、様、と呼ばないで。いつものようにリア、と呼んでちょうだい」
「うふふ! そうでしたね、リア! ああ、それにしても清々した! 私の大好きなリアに、あんな馬鹿な真似をした者達に相応しい末路! ほんっと! 見る目のない事! リアよりいい女がこの世に存在するわけないのに! あんな下半身の節操がないような女の何が良かったんだか!」
今までの無表情無言が何だったのかと問いたくなるほど饒舌に語りだした。しかし、これが本来の彼女であることを知っているロザリアは、くすくすと楽しそうに笑い声を零す。
「全て貴方のおかげよ、リリー。わたくしが貴女に返せることって何かしら?」
「あら、リア。私はいつだって貴女に与えられているから気にしないで。それよりも今後の事よ。先ず、このまま国境を越える。そして、身分証を作るために冒険者ギルド、商業ギルド、魔術師ギルド、錬金術師ギルドのいずれかに登録をする」
「わたくし達なら魔術師か冒険者になるのかしら?」
「ええそうね。冒険者ギルドは死と隣り合わせ、魔術師ギルドは規律でがんじがらめ……自由なのは冒険者ギルドだけれども、私達では死のリスクが高すぎるかしら?」
「でも、世界中を旅するなら自由な方が良いのではないの?」
「そうなのよねー……魔術師ギルドは指定の街のいずれかに住み、半年に一度成果の報告が厳守だし……」
「なら悩む必要はないのではなくて?」
「リアはそれでいいの?」
「良いのよ。わたくしは大好きな貴女と自由に世界を旅したいの」
そっと握られる手。
間近に寄った美の女神さえも霞そうな美しい顔に、リリーの頬が染まる。困ったように眉尻が下がり、僅かに目を伏せた。
「わ、私も……大好きなリアと自由に旅したんっ」
言葉途中で重なる唇。
角度を変え、堪能するように触れ合う。
ちゅ、ちゅ、と軽くついばむように繰り返され、リリーの身体から力が抜けていく。それを繊細な手がしっかりと支えた。
5分以上もの時間、好き放題されたリリーの身体からはすっかり力が抜け、頬どころか、首まで朱に染まっている。
「……はぅ……リア……」
「可愛いわ、リリー。これからはずっと一緒よ?」
「はい……」
つつ、と唇を撫でられ、うっとりと頷くリリーをしっかりと抱きしめる。今すぐどうにかしてしまいたい衝動を必死に抑え込み、小さな頭を撫でた。
「愛しているわ、リリー」
「わ、私も……リア……」
ねぇもう一回、と愛しい少女に可愛らしくねだられ、ロザリアは実に満足げに微笑み、その願いを叶えた。
こういうかんじの婚約破棄が読みたかったんです。
カッとなって書いた。正直自分のアホさにがっかりした。