第一章 夢の大地・現実の世界
今日は私、湯桶桃にとって最悪な一日になりそうな気がした。
朝起きて一番にカーテンを開けるとベランダにカラスが群れを成していたし、テレビ番組の占いは見事に最下位……それも、星座占いだけではなく、血液型、干支と全てダメだった。
幸い今日は日曜で中学も休みなので、気分転換に外に出かければ多少は運勢もよくなるかなと思ったら、お気に入りの靴の靴紐が左右同時に切れた。
占いとか、迷信とか、あまり信じてはいないけれど、ここまでされると流石にへこむ。
仕方がないので靴屋に行って靴紐を買った帰り道、
「あ~あ、ひどい日だなぁ」
ついつい視線が下向きになってしまう。
もっとも、実害があったのはこの靴紐だけで、それ以外は特にひどい事が起きているわけでもないのだけども……
途中で寄ったコンビニで買った五個入り三〇円の大粒フルーツグミの袋を破って一つほお張り、視線をやや下に向けながら人通りのない小さな十字路を左に曲がる。
がんっ。
「あたっ!」
「んぐぅ!?」
左から何かが額にぶつかり、私はすっ転んだ……不意な衝撃に噛んでいた大粒なグミを飲み込んでしまい、一瞬息が詰まった。
人とぶつかったのかな……その割にはぶつかり方が変だったような気がするけど……
「す、すまん」
ぶつかった相手が謝る。声からすると、どうやら男の人とぶつかったらしい。
「い、いえ、私こそ前見てなくて――」
私も謝ろうと慌てて身を起こすと、そいつと目があった。
「………………」
……………………
しばし、呆然と見つめ合う。
やがて、我に返って、
「小っさ!」
「デカっ!」
私とそいつは同時に叫んだ。
顔からすると私と変わらないくらいの年齢、ツンツンに立った青い髪とつり上がり気味の目がいたずらっ子的なイメージを与えてくる。と、そこまではいいのだけれども、問題は彼の身長だった。
いや、なんと言うか……背が低いとか、そういう次元の相手じゃなかったのだ。
――そう、まるで女の子が抱いているフランス人形のようなサイズだったのだ。
「きゃあああっ!」
続いて、女の子の悲鳴が男の子の後方、少しはなれたところから聞こえてきた。
そっちに視線を移すと、癖のない赤い長髪のやや童顔な女の子が尻餅をついていた。
その大きさは、またしても人形サイズ。
「ねぇ、ルー君。何なのぉ、この巨人は!?」
「俺が知るかよ、こんなジャンボ女」
……巨人……ジャンボ女……
身長一五二センチのどちらかといえば小柄な私に、今まで言われたことのない言葉を口にする二人。
そりゃあ、私だって大きく見られたくてヒールの高い靴を履いたことだってある訳だし……転びまくって二日でやめたけど……牛乳を一日に一リットルも飲んだこともあった。
だけど、この言われ方はうれしくないなぁ。
「私がでかいんじゃなくて、そっちが小さいんだって。何者なのよ、あんたらは?」
尋ねると、二人は困った顔で見詰め合う。
常識的に考えれば、どこかのサイエンティストが発明した最先端のロボットとか、遺伝子操作された人とか……って、どっちも常識の範囲外かな?
「お、俺たちは……ち、ちじょ……地上人だ」
噛みまくりで言われても説得力ないんですけど?
それに、それ以上に、
「何?その地上人って言い方は?」
「え?」
どうやら彼らは、地上人という表現の違和感に気付いていないようだ。
こういう場合、普通なら「通りすがりのただの人」とか「日本人だよ」とか言うと思うんだけど。
「地上人って言うということは、ひょっとして地底人とか?」
二人の表情が一転した。
適当に連想してみただけが、なんとビンゴだったらしい。
そう言えば、数日前に読んだファンタジー小説に地底人――ドワーフって呼ばれる背の低いのがいたっけ。それにしても小さすぎる気がするけど。
「な、なぜ分かった!?」
うろたえる男の子の肩を女の子が揺すった。
「ちょっと、ルー君。だめだよぅ、白をきらなきゃ」
「そ、そうだったな」
「……いや、いまさら白をきられたところで遅いんだけどね」
冷静に私がツッコミを入れると、二人は潤んだ目で見てきた。
「そこを何とか――」
「聞かなかったということで――」
「だめ?」
最後のは二人の声が重なった。
結構可愛かったけど、流石に……私は首を横に振った。
「ぐああああああ!もう終わりだぁ!」
「最悪ですぅ」
頭を抱える二人。
「捕まってあんな事やこんな事をされるんだぁ!」
「そして最後にはそんな事までされちゃうかもしれないよぉ!」
喚きだす二人――どんなことを想像しているんだろう?
いい加減うるさいし、誰かに見られても何かヤだから、私は優しい声でなだめた。
「なにも酷い事なんかしなから、落ち着きなよ」
しかし、彼らは信じてくれなかった。
「そんな事を言って油断させるつもりだろう!?カリュ、こうなったらトロッキーで強行突破だ!」
「うん、分かったぁ。おいでトロッキー!」
女の子の方が、手を上げて叫んだ。すると、
「きゅをぉぉぉぉおぉ」
奇妙な叫び声が私の足元から聞こえてきた。
視線を移すと、そこにいたのは鉛色のムカデのような物体……
「ぎえっ!なにこれ!?」
ごつっ。
死角に現れた、いや、ずっといたそいつに驚き、私は反射的に蹴り飛ばした
「きゅをおおおお!?」
そいつは悲鳴?を上げながら直線的に小人たちに向かって飛んで行き、
「なっ!?」
「ええええ!?」
二人は逃げようとしたが間に合わず、ごぉん、という鈍い音が響いた。
そして、ムカデのような物体の下敷きになるような形で目を回している地底人。
えっとぉ…………
こ、これは不慮の事故ってヤツだよね……きっと……
って、自己弁護している場合じゃなくて!
「……放っておくわけにもいかないよね……どうしよう、これ」
一分ほど悩んだ後に、私は家に持って……もとい、連れて行くことに決めた。
自分の部屋に戻ると、私は小人たちを机の上に寝かせて椅子に座った。
う~ん、こう見るとホントにただの人形に見えるなー。
人形遊びをしていた頃を思い出して、何か懐かしい気持ちで二人と一体を見ていたら男の子の方が目を覚ました。
「……ここは……どこだ?」
「目、覚めた?」
「お、お前はっ、ジャンボ女!」
私が声を掛けると男の子は臨戦態勢をとった。
「ルー君、どうした――あ!」
男の子の声で女の子も目を覚ました。
当然だけど、こっちもやっぱり警戒している。
「ここはどこだ、ジャンボ女!」
「ん?私ん家だけど?」
私が答えると、二人の顔が何故か真っ青になった。
「ここはお前の住処だというのか?」
「あ、あたし達を食べるつもりなのですかぁ?」
「食べるかぁ!」
地底人は私たち人間をどういう風に思っているのだろうか?
私が思いっきり否定すると、安心したのか少しだけ静かになった。
「た、食べるつもりがない……と、言うことは」
「生贄だよぅ、生贄にするつもりだよぅ」
またしても騒がしくなった。
う~ん、困ったな。これじゃあ、話を聞いてくれそうもないし、聞けそうにもない。
今日はお父さんもお母さんも家にいないので、多少は騒がれてもかまわないって事は幸いだったけど。
「あ、そうだ」
私は二人を静かにさせる方法を思いついた。
私はあるものをポケットから取り出して、彼らに手を伸ばした。
「な、何するつもりだ!」
「はい、これあげる」
警戒しながらも、一応受け取ってくれた。
「な、何だよ、これ?」
「グミ、おいしいよ」
コンビニで買ったフルーツグミ。
これで少しは気を許してくれないかなぁ、という、簡単に言うと餌付け作戦なのだが、流石にこんな幼稚な作戦じゃあダメかなぁ。
二人は、グミを見たことがないのか、それとも私があげたものだからか、最初少し戸惑っていたが、思い切ってかぶりついた。
「うまっ!」
「何これ、おいしぃ~」
目を輝かせ、夢中になって全部食べきった。私から見れば小さな物が、ミニチュアな彼らからすると特大のハンバーガーくらいの大きさがあるグミを。
「ごちそうさまでした」
「え、あ、いや」
異口同音に礼を言われるとは思ってもいなくて焦ってしまった……意外と礼儀が正しいのかもしれない、地底人って……
「ねぇ、ルー君。この人なら信頼してもいいと思うんだけど?」
「そうだな、俺もそう思っていたところだ」
突然、二人の態度が変わった。
……このグミは五個入り三〇円、って事は一個六円で私は信頼を得たのか……こいつら一体、どんだけ安いのよ?
まぁ、一応作戦通りなんだから気にしないでおこう。
なんて事を考えていた私と男の子の目が合った。
「――ルーク・アイソトープだ」
「……は?」
彼の口から聞いたことのない単語が出て、私は馬鹿みたいに口を開けた顔をしてしまった。
自分の胸を親指で指しながら、彼はもう一度繰り返した。
「ルーク・アイソトープ。ルークでいい」
「あ」
リピートされて、彼は自分の名前を名乗っていたのだということを、ようやく私は理解した。
「カリュキュール・レイトです。カリュって呼んでください」
続いて女の子も名乗り、「あなたは?」と目で訊いてきた。
「私は湯桶桃……って何なの、その顔は?」
「い、いや、想像していた名前と違ったというか――」
「――なんか、変だよねー?」
人の名前にケチをつけないでよ……確かに「桃」って名前ほど私は可愛くないかもしれないけど。
「……ちなみに、どんな名前を想像していたの?」
好奇心から尋ねると、二人とも少し考えてから答えた。
「――ギガ・サイズとか」
「――ウンデカ・ドデカとか」
「そっちの方が変じゃない!」
明らかに「大」をイメージした名前に、私は頭の血管が千切れそうなほどの声で怒鳴った。
「地上じゃこれが普通の大きさ――むしろ私は小さい方なの!ここじゃあ、あんたらの方がミニマムでおかしいのよ!」
「冗談だって」
「そんなに怒らないでくださいよぉ」
二人してケラケラと笑う。
悔しいことに、明らかにからかわれている。
「でも、ゆとー・もも、って言いにくい名前だな。ユトゥって呼んでいいか?」
「やめて……だったら、桃って呼んでよ」
「もも、ね。ところで、ももに一つ頼みたいことがあるんだけど」」「
打って変わって真剣な表情をするルーク。
「頼みたいこと?」
「ああ、聞いてくれるなら何でも礼はする」
真っ直ぐに私を見つめるルークとカリュ。その四つの瞳の向こうには決意と覚悟が仁王立ちしているような気がした。
あっという間に部屋中がピンと張り詰めた空気になり、私は無意識に唾を飲み込んだ。
ルークはゆっくりと話し始めた。
「ももがさっき言った通り、俺たちは地底人だ。少し前までここからずっと下、地上人たちが造った地下街よりも遥かに下にある地底王国『トランスエッジ』に住んでいたんだ。かなり発展した都市でさ、そこでは特に不自由なこともなく生活ができるんだ」
いまいちイメージが掴めないけど、東京とかニューヨークとかそんな感じのところかな?
「でもさ、あるとき思ったんだ。『トランスエッジ』は便利だし、皆いいヤツばかり……でも、全て偽者の街なんじゃないかって」
「偽者?」
私の質問に答えたのはカリュだった。
「地底には太陽の光を始めとして、地上にあるほとんどの『自然』がありません。目に届く明かりも、肌を撫でる風も、鼻をくすぐる匂いも、全部が人によって造られた物なんです」
「それは……寂しい気がするね」
「だから俺とカリュは地上に行くって決めた。本物の光、本物の風、本物の自然を体験するために」
「……あんたら……」
何か、ちょっと見直した。
不自由のない生活を捨ててまでここに来たなんて、かっこいいじゃない。
「でも、問題があるんだ。地底では『地上に行ってはならない』っていう法律があって、破ると最高刑で罰せられるんだ」
「最高刑って、まさか」
「ああ」
ルークは眉間を指で押さえながら言った。
「顔に恥ずかしい落書き&一生トイレ掃除だ!」
どだん。
私は座っていた椅子ごと派手に転んだ。
「いやですぅー!あんなの耐えられません!」
「ああ、なんとしてでも避けねばならん!」
耳を塞いで首を横に振るカリュと、悲痛な顔でグッと拳を握るルーク。
「ちょ、待っ、最高刑ってそんなものなの!?」
「そんなものとはなんだ!鼻毛とか描かれた顔の落書きは消えないし、『便所虫』とか『糞転がし』とか呼ばれるようになるんだぞ!これ以上の屈辱があるか!?」
いや、まぁ、確かにヤだけどさ……
地底人の感覚ってどこかズレてない?
ただ、何となくルークの『頼みたいこと』というのも察しがついてきた。
「それで、警察か何かが追いかけてくるから、私にかくまってもらいたい。そういうこと?」
私が訊くと、ルークは目をパチクリさせた――正解ってことだろう。
「――いいよ」
私は即答した。
ここまであっさりOKが出るとは思っていなかったのか、驚きと困惑の混じった重石労表情を見せるルークとカリュ。
「いいのか?」
「困ってる人は助けるのは当然だし、そこまで事情を聞かされたら断れないよ」
考えなしとか思われそうだけど、どれだけ考えたって答えは同じになると思う。
「ありがとう、もも!」
「ももさん、助かります」
「う……あ……えっと……」
目に星まで浮かべて感謝されると、悪い気はしないけど流石に恥ずかしくなる。
「やったね、これでなんとか逃げ切れそうじゃない。ルーク」
「ああ、ヤツらもまさか邪悪な地上人にかくまってもらうなどとは――」
「ちょっと待った!」
喜びを分かち合っている二人に私は横から待ったをかけた。
「盛り上がってるとこ悪いけど『邪悪な地上人』って何?」
「何ってそのままの意味だが?」
何を当たり前なことを、って感じで言うルークに、カリュが説明を付け加えた。
「地底では地上人は邪悪な存在として教えられるんです。火を吐くとか、地震を起こすとかそんな感じで」
「…………どんな怪物よ」
カリュたちが悪いわけではないのだが、微妙に腹が立つ。
――って、文化とか宗教とか、そういうものだろうから怒っても仕方がないけどさ。
「とにかく、良かった――ね、トロッキー」
後ろを振り向き、同意を求めるカリュ。
しかし、求められた方の鉛色の長い物体は未だにピクリとも動かない状態。
「ト、トロッキー」
「おい、どうしたんだよ」
心配そうにそれに駆け寄る二人。
多分そんな風にした張本人である私が言うのもなんだけど……気づくの遅くない?
「ねぇ、それって何なの?」
「竜型自立性飛行機『トロッキー』です」
そいつを調べているのか、ぺたぺたと触りながらカリュが答える……竜だったんだ、ムカデじゃなくて。
「機械なの?」
「ええ。でも、人口知能を搭載した極めて生物に近い機械です。それに――」
「それに?」
「あたしたちにとっては長年苦楽を共にした友達でもあります」
「地上まで来れたのもこいつのおかげだしな」
そこまで大切なら、もっと早く異変に気づいてやれ。
思ったがそれは口にはしなかった。
「ああ!」
トロッキーを調べていたカリュが突然大きな声を出した。
「どうした?」
「エメラルドボールが無くなってる!」
「エメラルドボール?」
単語の意味を知らない私の方に向き直り、カリュは説明を始めてくれた。
「トロッキーは三つの知性制御ユニットを持っているんです。本能や運動神経を司るルビーボール、記憶を司るサファイアボール、そして理性と感情を司るエメラルドボール。その中のエメラルドボールが無くなってるんです」
「理性と感情……それ、無いとどうなるの?」
「飛行機として考えればなんとも無いのですか、トロッキーがトロッキーであるための一番重要なユニットです」
今にも泣き出しそうな声に胸が痛んだ。
私とぶつかったときか、もしくは私が蹴り飛ばしたときに、その弾みで無くなったのだろう。故意ではないけど……責任が無いわけじゃないよね、やっぱ。
「エメラルドボールが無いと、命令に不満を覚えて噛み付くことも、女の子の体をべたべたといやらしく触ることも無くなっちゃうよぉ」
「……それ……ホントは要らないんじゃ……?」
急に罪悪感が激減したんだけど……
「何を言うんですか!トロッキーがトロッキーであるために絶対必要なものなんです!」
興奮して顔を赤くするカリュ。
この状況に対して、彼女が私に何を期待しているのか、私はどうすべきなのか。その二つの答えは同じで、推測するのはそれほど難しい事ではなかった。
「分かった。じゃあ探しに行ってくるよ」
何やら追っ手に追われている二人は、できるだけ外出したくないのだと思う。
でも、そのエメラルドボールは絶対に必要らしいし、だったら私が探しに行くしかない。
幸い無くした場所の見当はついているし、それほど時間も経っていないので見つける自信はある。
「ちょっと待て!」
私が自分の部屋を出ようとした時、後ろからルークが叫んだ。
「俺も行く」
「ちょっと、ルー君!それは危ないよ!」
「止めるな、カリュ!」
ルークは拳を握り締めて言い放った。
「俺は行かなきゃならない。そう心が――いや、魂が叫んでいるんだ!」
ルークが何を言いたいのか、私にはよく分からなかったが……カリュは何故かげんなりとしていた。
「ルー君……そんな事言って『ここにいても暇だから外に行きたい』って、ただそれだけでしょ?」
こくっ、と頷くルーク。
……そういう事なんだ。
「多少の危険じゃ俺の本能は止められな……って、おいおい!無視して行くなよ、もも!」
なんだかどうでも良くなり、さっさとエメラルドボールってのを探してこよう、と私は思った。
「待てって、おい!」
少し早めに路地を歩きながら、ふと、エメラルドボールってどんな形をしているのか知らないことに気がついた。
まぁ、名前の通り緑色の球体なのだろうけど……ビー球みたいな感じでいいのかな?
「おい、もも」
それにしても、地底人かぁ。信じられないなんて言ってられない状態だけど、もしかしたら長い夢の中にいるなんてことは――
突然、パチンと耳元でいやな音がした。
「いたぁ!」
少し遅れて、鋭い痛みがこめかみのあたりを襲った。
あまりの痛さに、私は痛部に手を当ててしゃがみ込んだ。
「……ルーク!何すんの!」
涙目になりながら、私は自分の肩に乗っている痛みの原因だろう男を睨み付けた。
ルークが手に持っていたのはY字型の細長い棒にゴムがついている――通称パチンコという武器。
こいつ、この至近距離でパチンコを撃ったのか?
「だって、ももが無視するから」
「無視されたくらいでパチンコ打つなぁ!……まぁ、おかげで夢じゃないって事が良く分かったけど」
「良かったじゃないか」
「良くないっての!」
報復として、ルークの頬を指で摘まんで引っ張る。
「ひぃぃぃててててて!」
パッと放したときにはルークの両頬は真っ赤になっていた。
「何すんだよ!」
「これであいこよ」
ルークはまだ恨めしげな目をしていたが、それ以上は何も言わなかった。
「ところで、カリュは?家に置いてきたの?」
「まぁな。トロッキーは修理が必要かもしれないし、元々あいつはインドア派だからな」
「ふ~ん」
私はふと気になったことを口にした。
「あんた達って恋人同士なの?」
「なあっ!?」
動揺してバランスを崩し、私の肩の上から落ちそうになるルーク。
なんとか体勢立て直すと、ルークはぶんぶんと思いっきり首を横に振った。
「そんなんじゃねぇよ!あいつはただのパートナーだよ!」
「ふ~ん、『ただのパートナー』ねぇ」
そんなにムキになって否定されると、余計に疑いたくなるよ。
「なんだよ、その目は!」
「別にぃ~」
「…………ふぅ、ホントにそんなんじゃないんだよ」
もっと乗ってくるかと思ったら、ルークは意外にも声のトーンを落として語り始めた。
「地底にはメタリックウイングってレースがあってさ――簡単に説明するとトロッキーみたいなのに乗って決められたコースをどれだけ早く駆け抜けるか競い合うものなんだけど。それはパイロットとメカニックの二人一組で出場するものなんだ」
「つまり、あんたがパイロットでカリュがメカニック?」
ルークは首を縦に振った。
「自分で言うのも何だが、俺たちは不敗記録まで打ち立てた最高のコンビだった。特にカリュのメカニックの腕は右に出る者がいないほどだった」
淡々と語るルークの言葉は懺悔の様に聞こえた。
「俺が地上に行きたいなんて夢を見なければ、カリュは地位と名誉、財産とどれも捨てる必要はなかったんだ」
「それならルーク一人で地上にこれば良かったんじゃない?カリュを連れてくる必要は無かったんじゃないの?」
ルークは今度は首を横に振った。
「俺だってそうするつもりだった。でも、トロッキーの様な自立性飛行機はパイロットとメカニックの二人一組でなければ動かすことが出来ないように作られているんだ。だから俺にはカリュの協力が必要不可欠だったんだ」
横目で見る彼の顔には後悔の念が浮かんでいた。
失礼なことな事ばかり言うし、我が儘っぽいし、ものすごく安っぽいヤツだけど……優しいんだ、と私は少し見直した――が、
「――でもまぁ、カリュは自分であんたに付いていくことを決めたんでしょ?だったら、あんたが気にする事なんて無いと思うけどね」
「いや、でも……」
ルークが反論する間も与えず、私は自分の見解を述べた。
「これは私のお母さんが言ってた事なんだけど『誰かが自分で決断し、行った事に他人が責任を取ろうとするべきではない。それは双方にとって不幸の材料になってしまうから』……それに、カリュがあんたに望むのは謝罪じゃなくて感謝だと思うけど?」
ルークは肯定も否定もせず、目を閉じた。
そして顎に手を当てしばらく沈黙した後、
「ももはいいヤツだな」
「そ、そんなことないって。私はただ……」
そこで私は我に返った。
何を私は柄にもない説教をしているのだろう?そう思うと一気に恥ずかしさが生まれてきた。
何か馬鹿げた事でも言ってこの恥ずかしさを紛らわそうと考えたが、こういう時に限って何も思い浮かばない。
結局、目的の場所に着くまで私とルークは何も言わず黙って歩くことになった。
「ここね」
ルーク達と出会った曲がり角にたどり着き、エメラルドボールの捜索に入ろうとした時、黒い何かが私たちの目の前を横切った。
「うわっ、何だ!?」
「わっ……ってカラスか?」
横切られた瞬間は識別できなかったが、飛んでいった方向に目をやればそれは確かにカラスだった。
そう言えば、カラスを見ると不吉だってよく言うけど……今日はそんなのばかりだなぁ。
「お、おい……」
右肩の上で、ルークは右手でカラスを指さしつつ、左手で私の頬を叩いた。
「今のって……」
「ん?……ああ、カラスだよ。地底にはいなかった?」
「そうじゃなくて!」
激しく首を左右に振るルーク。
「今のヤツ、エメラルドボールをくわえていた!」
「ええっ!?見間違いじゃないの?」
ルークは再度、首を左右に振った。
「間違いない!確かにエメラルドボールだった!」
「じゃあ、追いかけないと」
「ああ、急げ!」
ルークに命じられるまま、私はカラスを追って走り出した。
それにしても、一瞬横切っただけでくわえている物まで見分けるなんて……ルークってすごい動体視力の持ち主なんだ。
などと感心していたら、ぺしっと側頭部を叩かれた。
「おい、もも!もっと気合い入れて走れ!離されてるぞ!」
叱咤するルーク。
ちょっとむっとしたが、確かにこのままでは見失いかねない。私はペースを上げた。
カラスと同じくらいのスピードになり、なんとか距離は一定に保てるようになった……
しかし、
「まだ遅い!倍速で走らないと追いつかないぞ!」
無茶言うなぁ!飛んでいる鳥に追いつけるかぁ!それならお前がやってみろぉ!
文句の一つも言ってやりたかったが、すでに全力疾走で言葉を言う余裕が無かった。
二〇〇メートルほど追いかけたところで、カラスが電線の上に止まった。
「はぁ、はぁ、はぁ、や、やっと止まった」
「よし、チャンスだ。今の内にあいつを捕まえるぞ」
「簡単に言わないでよ。どうやって捕まえるつもり?」
「うっ…………」
言葉に詰まるルーク。
「何も考えずに無責任な事を言わないでよ
「む。じゃあ、どうするんだ?」
「カラスって巣を作って、そこに宝物をため込む習性があるってどこかで聞いたことがあるから、エメラルドボールも巣に持っていくと思うの。だから、カラスが巣に置いた後で取り返せばいいのよ」
多分、これしかないと思う作戦だが、ルークは不満顔をした。
「それってつまり、このままあの鳥を追いかけ続けるって事だろ?」
「まぁ、そうなるね」
「もう飽きたし、疲れた。さっさと終わらせようぜ」
「我が侭言うな!だいたい私の肩に乗ってただけなんだから疲れてないでしょ、あんたは!」
「あ、そうだ」
私を無視して、ルークは手をポンと叩いた……このやろう。
「もも、俺をあいつに向かって投げつけろ!」
「は?」
突然、意図の読めない提案をしてきた。
頭でも打ったかな?
そんな事を考えていたら、私の視線からそれを読みとったらしくルークは怒鳴った。
「俺があいつにしがみついてエメラルドボールを奪い返してくるって言ってるんだよ!」
「……あんたね……失敗したらどうするのよ。あの高さから落ちたら怪我じゃ済まないわよ」
「うっ…………」
再び言葉に詰まるルーク。
らしいと言えばらしいが、こいつは全く後先を考えないんだな。
失敗した時のことが頭をよぎったのかルークは青い顔をしていたが、ぶんぶんと首を横に振って、
「だ、大丈夫だ。俺は不死身だから。とにかく投げてくれ」
不死身ねぇ……まるで根拠の分からないんですけど。
でも、ルークの作戦は考えてみるといがいとおもしろいかもしれない。要は正確にカラスに当たればいいわけだし、外れてもルークが地面に落下する前にキャッチしてあげれば問題はないのだ。
こう見えてもソフトボール部のエースである私は、コントロールとキャッチの技術には自信がある。
つまり、まるで現実味のない無謀な作戦だというわけではないと言う事……まぁ、ルーク自信はそんな事は知らずに提案しているのだから、無謀なヤツに違いないんだけど。
以上を踏まえて、私は決断した。
「そうね、やるだけやってみる?」
ルークは満面の笑みで拳を突き上げた。
「おう!流石は俺の見込んだ男だ」
「ちょっと……男じゃないんですけど」
とことん失礼なヤツだ。
「とにかく、そうと決まればすぐさまゴーだ!」
私はルークの胴体部分を握り、三歩下がってカラスを見据えた。
大きく息を吸い込み、ゆっくりとはき出す。
一呼吸ごとに集中力が増していく。
「…………行くよ!」
小さく助走を取り、その勢いに体の捻りを加えて遠投をするように腕を振った。
ルークはカラスに向かって一直線に飛んで行き、
「はっ!」
気合いと共にカラスの足首に手を伸ばし――掴んだ!
「クワァー!?」
不意な出来事に驚いたカラス大声を上げて暴れ出した。
その声を出した時にクチバシから煌めく物が落ちた。
「もも!それだ!」
「了解」
落下地点に入り両手で包むように丁寧にキャッチした。
掌を開き中身を確認する。深い緑色の小さな球状の物体が出てきた。
「これがエメラルドボールかぁ」
「ナイス、ももぉひゃあ!」
「ぉひゃあ?」
喜ぶルークの声が途中で奇声に変わり、私は上を見上げた。
暴れているカラス。その足の爪がズボンのお尻の辺りに引っかかって、ルークは上下逆さまにつり下げられている。
「何をしてんのよ?」
質問ではなく、呆れて呟く。
ズボンを抑えながら慌てているルークをみて、状況は大体察する事が出来た。
私がエメラルドボールをキャッチしたのを見て、ルークはカラスを掴んでいた手を離し落ちようとしたのだろう――エメラルドボールと同じように私が受け止める事を期待して。
ところが、手を離した瞬間に暴れていたカラスの爪がズボンに刺さった……と、まぁ、こんなところかな。
「くそっ、放せよ!」
ルークは必死にズボンから爪を外そうとするが、パニックになっているカラスの動きは激しく思うようにいかない。
しばらくバタバタした後、ルークは力を抜いてくたっとなって私を見つめてきた。
ルークは恨めしそうに、
「ももぉ……じっと見てないで、助けてくれよ」
「ああ、ごめんごめん」
頭を掻いて謝る。確かに、カラス対ルークが面白くていつの間にか観客気分になってたよ。
しかし、謝りはしたものの、カラスが電線の上なんて高いところにいる限り手の出しようがないんだけどね。
「とりあえず、何とかして落ちてきなさいよ。ちゃんと受け止めてあげるから」
「それが出来たら苦労はねえんだよ!」
ルークが喚く。
このままではパニックになったカラスのクチバシやら爪やらで、ルークは怪我をするかもしれないから不安になる気持ちも分かるが喚かれてもなぁ。
石とか投げて、カラスを墜とすって手もあるにはあるけど……もしも、石がルークに辺りでもしたら目も当てられないし。
やっぱり手の出しようはない。もう少しルークには耐えてもらい、カラスの体力が底をついて飛べなくなるのを待とう――と、決心したその時、
「くそっ、こいつ――うわっ!」
ズボンに引っかかっていた爪が外れたのか、暴れるカラスが足を振ったと同時にルークはあさっての方向に投げ飛ばされた。
爪が外れて落ちると言う事は期待していたが、投げ飛ばされるという事態は予想していなかった私は慌ててルークを追いかける。
しかし、まずい事にこのままでは微妙に届かないかもしれない。
ソフトボールの経験からそう判断した私は、姿勢を前のめりにして思いっきり地面を蹴って跳んだ――すなわち、ダイビングキャッチをするつもりなのだ。
「届けっ!」
ほとんど眼は頼りにせず、直感だけで手を伸ばす。
がっ、と何かが腕に乗り、反射的にそれを胸元に持ってきて抱きしめる。
そして体を丸めて、肩から地面に触れて前転を一回。
私のスーパーファインプレーは見事に決まった。
「た、助かった」
腕の中でルークの声がする。
ルークの無事を確認しようと私は腕を開いた。
「ルーク、怪我はな――っ!」
腕の中のそれを見て、一瞬私の脳細胞のすべてがニューロン一つ残さずフリーズした。
「ああ、どこも怪我などしていないが……どうした?」
固まる私の前をある物がひらひらを舞い落ちていく。
私は思い違いをしていたようだ。
ルークが飛ばされた時、爪が彼のズボンから外れたのではなく、彼からズボンが脱げたのだ。
そして彼が追いかけている時はとにかく緊急事態だったため、そんなところまで私の目には入らなかったわけで……
……つまり……つまり……
「もも?」
私の目にはルークが男である最大の証拠品が映っていたのだ。
「いやああああああああああああああああっ!」
「あ、お帰りなさい」
私たちが部屋に戻ると、カリュはなにやら工具らしき物を手にトロッキーと向かい合っていた。
「結構時間がかかったね~…………って、ルー君!どうしたのぉ!?」
ルークの顔を見たカリュが悲鳴を上げた。
「ふぐふうふぐぐぐぐ」
「いや、これは不慮の事故って言うか、精神的テロに対する正当なる報復攻撃というか……」
顔面がボコボコに腫れ上がり何も喋れそうに無いルークの代わりに私が答えた。
「ふ~ん?なんだかよく分からないけど大変だったんだね?」
まあ、つまり私があの後プッツンしちゃって、気が付いたらこうなってたんだけどね。
「それで、エメラルドボールは見つかったんですか?」
「はい、これでいいんでしょ?」
私はエメラルドボールをカリュに渡した。
受け取ったカリュは早速それをトロッキーのあごの下辺りにあったくぼみにはめ込んだ。
すると、トロッキーの眼に光が点り、その体が宙に浮いた。
「きゅお」
「トロッキー!」
鳴き声を聞いてカリュはトロッキーに抱きついた。
目に涙まで浮かべて、ホントにカリュにとってトロッキーは大切な存在なんだね。
「ももさん。ありがとうございました」
私の方を向いて深々と頭を下げるカリュ。
「う、ううん。もともと私の所為でこんな事になったわけだし、むしろ私が謝らないと……ごめんね」
「何を言ってるんですかぁ!こんな優しい方に出会う事が出来て、私たちは幸せ者ですよ」
カリュが「優しい」と口にした瞬間、反論するように私の肩の上でルークがピクッと動いた。
だが、そんなルークの動きはカリュの眼には入らず、彼女はもう一度深々と頭を下げ、
「ももさん、これからどうぞよろしくお願いします」
「うん、こちらこそ」
今度は「これから」という言葉にルークはビクビクと震えだした。
う~ん、私そんなに酷い事をしたのかな?
まぁ、何はともあれ、こうして私と二人の地底人との生活が始まった。