27回目のクリスマス
今、僕は辛い恋をしている。
「ねぇ、聞いてる?」
目の前で不満をもらす、幼なじみに。
「聞いてるよ」
聞きたくないけど。
「じゃあ、ちゃんと返事してよ」
「はいはい」
「はい、は一回で充分……って、言われたことない?」
「はい」
彼女は『よろしい』と言いたげな表情を浮かべ、話しを再開する。
彼女は優香。同い年の二十七歳。違うのは、恋する相手。──彼女には、付き合って五年の彼氏がいる。
誰が聞きたいだろうか。
長年片想いをしている相手の、幸せそうなクリスマスイブの予定なんて。
「明日、楽しみでよかったね」
そう言い、席を立つ。
「帰るの?」
「うん。明日も仕事だから」
時計は二十三時。
「明日のデートに響かないように、優香も帰ったら?」
僕の声に『そうね』と彼女も席を立つ。
「じゃあな」
「じゃあね」
家の前に着くと、どちらともなく『おやすみ』と手を振る。──昔から、自然なこと。
優香が結婚したら、実家暮らし故のお隣さんは終わる。優香が、結婚したら。
ドアが開く音がして、優香の姿は消えていく。カチャリと閉まる音が虚しい。
──この虚しさは、告白を逃したときの虚しさに似ている。
高校生のときだ。
大学が違うと焦り、卒業式に告白を決意した。けれど、友人に囲まれる優香を見て、声をかけられなかった。
その夜、家の前で偶然会えた彼女は先に口を開いた。
「告白されたの」
『付き合おうかな』と続く言葉に、僕は強がりしか言えなかった。
チャンスもう一度巡ってきた。二年後、彼女がその彼氏に振られたときだ。
彼女の痛みに寄り添えなくて、嫌味が口から突いた。
『高志にまで、そんなこと言われたくない』
喧嘩。
──ならまだよかった。これを期に彼女とは、何年も話せなくなった。
それからまた話せたのは、お隣さんパワーとしか言えない。やっと告白できるかも、幼なじみを卒業できるかもと思った矢先、
「彼氏がね……」
彼女の口から、親密な他人を示す言葉が出てきた。
三回もチャンスを逃した僕が願うのは、ひとつ──優香の幸せ。
明日はクリスマスイブ。
『付き合って五年経つのに、プロポーズしてくれない』と愚痴る優香に、幸せなプレゼントがありますように。
今年はそれを、サンタに願おう。
サービス業は、残酷だ。
傷口が生々しい心に、恋人たちの幸せそうな光景という劇薬を塗りたくる。
優香の幸せを願いながら、反する気持ちが──ある。それが事実ということか。
スマホの点滅──着信だ。
優香
画面に表示された文字を見て、スルーを決める。
「ごめん」
休憩時間に幸せな報告を聞いて、テンションを落としたくない。
十二月はすぐに日がおちていく。
暗さだけではなく、シンとした寒さも帰宅の足を急がせる。
──帰ったら、幸せ報告を聞いてあげようかな。
ふと浮かんだ思考に、声を聞きたいだけだと、自分の気持ちを思い知らされる。
「もしもし」
「仕事中は出られないよ」
「ごめん」
優香の声は暗い。
「驚かそうと思ってる?」
「え?」
「ドッキリかって聞いてんの。暗い声して……ただ、のろけたいんだろ?」
ひやかした──だけだった。突如、優香は泣き出した。
「え、どうした?」
驚き聞いても、しゃっくりを繰り返す言葉は聞き取れない。
「どーした?」
聞き返すと、泣きじゃくる彼女は一言だけ、はっきりと発した。
──それを、僕は。一瞬でもよかったと思ったか?
いや、なぜだか僕は、痛烈な悲しみに襲われていた。同時に沸いたのは、会ったことのない彼氏に対する憎しみ。
どうして、彼女をこんなに深く悲しませたのかと。
「明日、仕事帰りに電話する」
優香はまだ泣いている。
「だから、それまでに出かけられる用意をしておいて」
「え?」
「いいね、絶対だよ」
僕は返事を待たずに通話を切った。
「もしもし?」
「ん」
「もしかして、目が腫れたりしてる?」
「してる。だから、できれば外には出たくないかも」
「玄関でも?」
優香のちいさな声が消えて、部屋のカーテンが開いた。通話は切れたが、多分、彼女はこのドアを力いっぱい開ける。
「出かけられる……ようにはしてた、よ?」
ほら、思った通り。
「散歩しよっか」
僕が手を出すと、コクリとうなずいて彼女も手を伸ばす。──何年振りに手、繋いだかな。
「どこ行くの?」
「んーとね、食事に行こうと思っていたけど……」
振り向くと、視線を逸らす。返事をしにくいんだろう。だから、
「公園まで散歩」
でいい。優香がいるから。
「ブランコなんて、久しぶり」
「だね」
にやっと笑ったら、やっと優香も笑った。
──やっぱり笑っている顔が一番いい。
「あのさ」
僕の声に優香が『なに?』と言う。
「結婚しよう、僕ら」
元気に漕いでいたブランコが勢いを無くす。優香は、僕を見たまま。
「付き合っても……ないのに?」
ふふふと笑う優香に僕は言う。
「付き合うって、必要な関係かな?」
優香は夜空を見上げ、ゆっくりとブランコを降りた。そして、
「そうね」
と笑った瞳には、キラリと光るものが浮かんでいた。