第二話
田中くんがメイドさんっぽい人に案内された部屋は、広かった。田中くんが済んでいた月に六万五千円の家賃の1LDKより広い。王城だから当たり前だ。だが、田中くんはイラッとした。田中くんは自分より金持ちな人は嫌いだ。
だだっ広い部屋に、でかい窓にバルコニー。でかいベットが二人分。田中くんは、あのベットは絶対にクイーンサイズを超えてるな、と思った。これはヤれってことか?と一瞬思った田中くんはやっぱりゲスい。だが、すぐに同室者である男に目を向けて思った。ねーな。って。田中くんにそういう趣味はない。
同室者はアレだった。あの……アレ、あの人……。
田中くんは同室者の名前が思い出せなかった。別に田中くんが痴呆症な訳ではない。田中くんが興味のないものに対してとことん理解を示さないだけだ。
出会った瞬間に、こいつD●だろ?という印象を与える田中くんだが実はいろいろひどかったりする。ちなみに田中くんは●Tではない。勝手に田中くんを非リア同盟の盟友と認識していた鈴木くんと佐藤くんが知ったら、滂沱の涙を流して呪詛を送るだろう。それを田中くんは、鼻であしらうに違いない。
とにかく、名前だ。
田中くんは必死に思い出そうとした。なんとなく、こいつは目立つやつだった気がする。ここでこいつの名前を知らない、などと田中くんが言ったら、空気に溶け込み、長いものには巻かれ、クラスの人気者を知ってはいるけど僕には関係ないんだろうなー、と思ってる感じの田中くんのイメージを崩してしまう。
確か……か、かが付く名前だった。か、か、か……かみ! かみ…………紙? 神? えっと……神田? 紙田? ……いや、川上か!?
田中くんがそろそろ名前を思い出すのを諦めそうになったとき、向こうから声をかけてきた。
「えっと、知ってるかもしれないけど、俺は神崎颯真。よろしくな、田中くん。」
そうだ! そんな名前だった! よくやった。神崎。
田中くんの心の中はどこまでも上から目線だったが、表面上はにこやかに握手した。
「僕の名前は覚えやすいから知ってると思うけど、田中太郎だよ。よろしく、神崎くん。」
あっさりと挨拶を終えた田中くんだが、部屋の中に金品がないか探していた。
結果、ほとんどが金目の物だった。ベット脇のナイトテーブルに乗った燭台、扉の蝶番などの金具、よく見れば、ベットの木材もそれなり以上の物を使っているようだ。
田中くんはこれらを見て確信した。ここは異世界だと。
現代社会ならば、いくら中世風に取り繕ったところで文明機器のひとつや二つはあるはずだ。
それにもしも怪しい宗教団体ならば、ただの金目的の詐欺師集団ならともかく、高校生を誘拐するような狂信的な過激派ならもっとほかのことに資金をまわすはずだ。武器や薬物などに。わざわざ誘拐してきた高校生に金を使いはしない。
田中くんの判断基準は、金だった。
まず、田中くんは窓から外を見てみた。二階ほどの高さに部屋があることがわかった。下では兵士たちが訓練を行っていた。三十人ほどしかいないから、多分精鋭なんだろう。
部屋の中に出入り口とは違う扉がもうひとつあったので開けてみたが、浴室だった。トイレや洗面所も一緒になっている。蛇口はなかったが、浴槽と洗面台には青と赤の、トイレには青の宝石が付いていた。おそらくこれでお湯や水を出すのだろう。地球での知識と照らし合わせるかぎり、赤がお湯で青が水だが、よくわからないので触らないでおいた。
最後に部屋の外へ出てみた。うろうろしているところを見咎められたくないし、どうせ迷うのですぐ部屋へ戻る。知りたかったのは、外に出たらばれるかどうかだ。この世界には魔法なんていうものがあるのだし、確かめたかったのだ。
案の定というべきか、すぐに先ほどのメイドがきた。
「どうかなさいましたか?」
「えと、はい。あの、聞きたいことがあったから外に出たんですが、どうしてわかったんですか?」
「部屋には、室内にいる者が外に出たらわかる魔法がかかっております。夜になるまでは勇者様方はお互いの部屋を行き来できますが、それ以外の場所へは出歩いてはなりません。夜を過ぎたら部屋から出てはいけません。何がお聞きしたいのですか?」
純粋な興味を感じている純朴な少年を装っていながら、田中くんは舌打ちしそうになった。けれど、すぐにこう考える。
もしも、魔法がかかっていても人がこなくて、部屋を出てもばれないと高をくくった自分が部屋を出ていたら? この魔法がただの察知ではなくて、部屋から出ない従順な勇者を選ぶための“選別”だったとしたら?
田中くんは、たとえ人がこなかったとしても部屋から出なかっただろうが、それでも改めてこう思った。
こっえぇ~。魔法超怖い。もしかしたら今も盗み聞きとかされまくってんじゃね?
「あの、浴室の使い方を教えてもらいたかったんですけど……。」
あらかじめ用意しておいた言葉を口にしながら、魔法について思いを馳せる。
確かに魔法は怖いが、使えるようになったら強い利点だろう。勇者の魔力量とは天と地ほどの差があるが、平均より多少多いから、使い勝手のいい魔法を覚えればどこかに雇ってもらえるだろう。
勇者とはいえ、訓練もなしに放り出されて魔王倒してこい、とはならないだろうし、勇者を育てるとなればそれぞれの分野の一流の教師が駆り出されるに違いない。せいぜい自分は勇者の情けでそのおこぼれにあずかり、邪魔にならない程度に技術を盗んでいこう。
幸い田中くんは勇者ではなかったから、勇者の責務からは逃れられない、なんて魔法がかけられることもないだろうし、この世界でのある程度の常識と当座の金額をもらえばさっさとトンヅラきめるつもりだ。
精一杯国に媚びへつらって、召喚に巻き込まれた件については、王族やら貴族やらの不利益にならないよう文書に起こして保管してもらうか、なんなら魔法で誓ってやってもいい。どうするかは知らないが、そこは超優秀な国ご用達の魔法使いがなんとかしてくれるだろう。
浴室の扱い方についてはほとんど聞き流していたが、要約すると、宝石に手を触れて念じればいいらしい。やはり赤い宝石がお湯で、青い宝石が水だった。
そんなふわっとした説明で本当にできるか疑問だったが、目の前で実践されて、実際にやってみると簡単にできた。なんかこう、ばっとして、ぐっと入れるって感じだった。説明のとおりにふわっとしたやり方だった。
「あの、夜までは部屋から出てもいいって聞きましたけど、 “夜” っていつですか?」
「日が暮れたら夜、という認識でよろしいでしょう。」
「わかりました。ありがとうございました。」
田中くんは、デジタル時計が普及しまくってる現代を生きる男なので日暮れ時なんてわからなかったが、田中くんは数日過ごせば体感でわかるようになるだろうと考えていたので、特に気にしていなかった。田中くんの順応性はマジパネェのだ。多分地図上にない島に乗っていた飛行機が墜落したら、真っ先にターザン化するタイプだろう。
「ねえ、田中くん。さっきあのメイドさん……? に外出時間についてたずねていたけど、友達の部屋にでも行くのか?」
神崎くんがたずねた。きっと神崎くんは、田中くんのような忍者系プロぼっちに部屋へ行き合う知り合いがいることを疑問に思ったのだろう。
ああ、お前いたのか……。と田中くんは思った。
田中くんは神崎くんのことを忘れていた。
だが、それも仕方がないのだ。田中くんは、神崎くんがベットの上で黄昏ていたので、いろいろ考えることもあるだろうとそっとしておいたらうっかりしちゃっただけなのだ。けして面倒だから放置していただけではない。ないったらない。
「うん。実は彼女がいるんだ……。」
さすがは田中くん。神崎くんの存在を認識していなかったことなど毛ほども感じさせないそぶりで、しかもはにかみ笑顔のオプション付きでそう言ってのけた。
ちなみに彼女がいるのは本当だったりする。裏切られた鈴木くんと佐藤くんは、いよいよ血涙を流すだろう。
「えっ? 本当!? 誰? どんな子?」
神崎くんもやっぱり男の子。食い付きが違った。
「うーんと……秘密。」
田中くんは教えなかった。ていうか誰にも教えない。絶対教えない。聞くな見るな触るな減る。むしろ減らす。彼女に近付いたら削る。
田中くんはヤンデレさんだった。
「え、そうか……。」
田中くんのただならぬ気配を感じたのか、プロぼっちな田中くんが嘘を付いていると思って憐れんだのかはわからないが、神崎くんは質問をやめた。賢明な判断だ。これ以上は神崎くんが東京湾に沈められる未来しか見えない。きっと勇者である神崎くんは、退き際を見極めることができたのだろう。異世界に東京湾があるかどうかはわからないが。
「神崎くんこそ、誰かの部屋へ遊びに行かないの?」
「えっと……葵と聖のところに行きたいけど、二人とも女の子だから行っちゃだめかなって…………。」
「そんなこと言っちゃだめだよ! 神崎くん! 二人とも友だちなんでしょ?こんな不安なときは、お互いに顔を見せないと!」
「そう……だな。俺が、二人とも勇気付けてあげないと……!」
「そうだよ神崎くん!」
ぶっちゃけ葵と聖なんて知らないし、部屋に行こうが行くまいが勝手にしろって感じだったが、田中くんは神崎くんが邪魔だったので追い出そうとしていた。
もしかしたら部屋に妙な魔法がかかっているかもしれないから、それを探そうと思っていたのだ。元の世界での盗聴器などを仕掛ける場所はだいたいわかっているから、同じように探せばいい。魔法の盗聴器なんてものが田中くんに探し出せるかはわからないが、やらないよりはマシだろう。
だが、いきなり田中くんが、明らかに素人ではない手つきで部屋のなかを探り始めたら神崎くんは怪しむだろう。怪しまない方がおかしい。
だが、田中くんは問いたい。どうしてこうなった、と。
すごく省略してことの顛末を説明すると、
神崎:友だちんとこに行きたい→田中:行けば?→神崎:お前も一緒に行こうぜ!→田中:は?→イマココ
神崎くんいわく、
「不安なときはお互いの顔を見せないといけないって田中くんが言ってたのを聞いて、そのとおりだと思った。だから、田中くんと田中くんの彼女も顔を会わせた方がいいだろ? そのついでに、俺の友だちにも会っておかないか?」
らしい。
そして、今の状況。
田中くんは、神崎くんの友人その1とその2に詰問されている。
「ちょっと! あたしたちに近付いて何をしようっていうの! 同室なのはしょうがないと思うけど、どうして颯真がわたしの部屋にきたときに付いてきたわけ!?」
「はぁ。」
「そうですぅ! わたしも葵ちゃんもぉ、あなたなんて、どうでもいいんですからぁ!」
「はぁ。」
「そうよ! 勇者でもないくせに、聖勇者である颯真に必要以上に近付いて、あたしたちにも接触しようとするなんて、何か企んでいるに違いないでしょ!」
「そっすか。」
ようするに、この脳内お花畑女の想像力の逞しさによって、田中くんが神崎くんに無理矢理付いてきたと捏造されている訳だ。
できるだけはやく治療を開始した方がいいレベルだということは確実にわかるが、田中くんには到底解決できない案件なので、彼女たち自主的に神経内科に診断を受けに行った方がいい。
だが、そういう人に限って自覚症状はないものだし、そもそも異世界に神経内科はない。
もっとも田中くんは彼女の治療に協力するような良心は持ち合わせていないので、さっさと退散することにした。
ていうか聖勇者って何だろ。
そして、田中くんは心に決めた。
絶対、こいつらには関わらないと。
有言実行も無言実行も地で行う理不尽の塊、田中くんなので、彼ならきっとやり遂げることだろう。もしも彼女らが田中くんの邪魔をしてしまったら、不憫なことだがその日のうちに東京湾に沈むに違いない。
かくなる上は、きたる日のために異世界で第二の東京湾を見付けるしかない。きっといつかは必要になるだろうから。
だが、彼女たちにとって幸いなことに、田中くんはまだキレていなかった。
「神崎くん、よくわからないけど、僕はもう行くね。」
「あ、ああ。ごめんな、止められなくて。」
そのとおり。神崎くんは、おろおろしているだけでまったく止めなかったのだ。本当使えねえ。
だが、田中くんは、そんな内心を一切表に出すつもりはない。今はまだ。
舌打ちもしない。ガンもとばさない。田中くんの自制心は鉄壁だ。田中くんはいつの日か、Mr.スーパーいい人と呼ばれるようになるだろう。
…………お前らいつか覚えとけよ。
「いいよ。気にしてないから。」
田中くんは花畑女の部屋をあとにした。
やっぱり、 “彼女” のところへ行こう。最初は行くつもりなかったけど。
田中くんには癒やしが必要だった。
もうお気付きかもしれませんが、神崎くんこそがハーレム主人公(笑)です。