2.小説で遊ぼう①
" 世の中はそんなに甘くない。そう須藤啓二は常々思っていた。
それは高校生活に対しても同じだった。共学に入ったところでできる友人は男ばかり。やれハーレムだ幼馴染み女子だ、なんてのは所詮ゲーム内の存在でしかありえない。
と、啓二は思っていた。――そう、過去形だ。
当時の彼からすれば、そんな都市伝説じみた状況が現実になるなど到底想像できるものではなかっただろう。
ましてや、一匹の猫によってもたらされるだなんて。"
"「おおっ、なんだかそれっぽい出だしだな! ここから俺のハーレム生活が始まるのか……くふふ」"
"「ちょっとお兄ちゃん! 途中で勝手に口挟まないでよ!」"
順調に書きだした矢先、お兄ちゃんによる横槍で執筆が中断されてしまった。
どうやらこのアプリ、物語を書いている最中でも使用者(取り込まれた魂)の意思は独立している仕様らしい。おそらく作者側を楽しませるための工夫なのだろうけど……こんな風に、メタ発言に繋がりかねないのが欠点だったりする。
"「あ、そっか。主人公の俺がしゃべると物語に影響するのか……。わりぃわりぃ」"
"「ちゃんとお兄ちゃんの台詞の所はそれとなく誘導するから、それまで受身で楽しんでてよ」"
"「うっ……てことは俺の台詞はアドリブかぁ。……でもまあ、その方がリアリティあるし、頑張ってみるよ」"
……まったく。あたしはため息をつくとお兄ちゃんと自分の会話部分だけを画面からデリートし、続きから執筆を再開した。
" それは高校二年のとある放課後。
下校しようと昇降口で靴に履きかえたとき、その猫は突然現れた。
いつどこから迷い込んだのだろうか。飼い主はいるのだろうか。この場で保護すべきだろうか。
……なんて考えは啓二の頭に浮かばなかった。
何故ならこの猫は、ここにいるはずがないのだ。
この特徴的な額のクセ毛、見間違えるはずがない。それは啓二がこの街へ引っ越す前、幼稚園から小学校まで毎日のように遊んだ近所の野良猫、ミーちゃんだったのだ。"
"「み、ミーちゃん!? なんでこんなところに?」"
"『みぃ?』
小首をかしげたミーちゃんは身体を反転させ、昇降口の階段を駆け下りていった。
すぐさま追いかけようと、啓二も外へと飛び出す。"
"「待ってよミーちゃん!」"
" ミーちゃんが啓二の高校まで訪れた理由は分からない。仮に彼を捕まえても、やはり答えは得られないだろう。
だが啓二にとってそんなことはどうでもよかった。昔の親友と巡りあえた。また一緒に遊びたい。彼を動かすにはそれだけの動機で十分だった。
だからミーちゃんが体育館横の小さな建物に入ったとき、啓二も迷わずに飛び込んだ。そこが男子禁制の場所――『女子空手部』の部室だと知っていながら。"
"「え……女子空手部? ちょ、ちょっと彩香、タンマタンマ!」"
と、そこで突然慌てたような口調で、作者に直接話しかけてくる主人公。
"「……何、お兄ちゃん? メタ発言はやめてって、さっき言わなかった?」"
"「いやそうなんだけどさ……多分流れ的にこの部室でハーレム作るんだよな? えと、なんつーかさ……俺、体育会系の女子って割と苦手で……」"
……。
"「だからその……潜り込むなら出来れば文化系の、ほのぼのした部活がいいなー、なんて」"
……なるほど、ね。
確かに昔からお兄ちゃんはインドア派の人間だ。女の子の友達がいるとは思えないけど、少なくとも体育会系女子とは間違いなく馬が合わないだろう。
それに考えてみれば、ただ猫を捕まえるためだけに女子空手部の部室に潜入だなんて、彼の性格上あり得ない。ストーリー的にも不自然だ。となると小説の構成変更は必須。改めてプロットを練り直さなければならないだろう。
ならば……仕方ない。あたしは少し黙考したのち、こんな切り口から物語を再開してみた。
" 突如猛烈な突風が吹き荒び、啓二は部室の中に吹き飛ばされてしまった。"
"「え、えぇぇええええっ!?」"
" そして奥の壁に激突すると同時、さらなる強風で部室の扉が閉じられ、まるで人の手のように複雑に絡み合う乱気流により鍵までかけられてしまった。これで当分啓二は外へ出られないだろう。恐るべき自然の力である。"
"「ぃってぇええ! って、なんだこのゴリ押し展開は! つーか今の風の動き、絶対に物理法則無視してたよなぁ!?」"
" あえてここでもう一度強調しておく。すべては自然の因果律に基づく至極当然な結果であり、決して作者のご都合展開ではない、と。全くなんと恐ろしき風の力だろうか。
と、啓二が頭を押さえて悶絶しているところへ、複数の人の気配が歩み寄ってきた。"
"「ゲッ、やば……。なんか部員っぽい人達来た……」"
" 啓二が顔を上げると、すでに周りは見知らぬ女子生徒達に取り囲まれていた。
その数はざっと見回しただけでも十人以上。服装は全員道着ではなく制服。それもリボンの色からほとんどが上級生だとわかる。だが仁王立ちでこちらを睨むその姿は、女子高生というより熟練の武闘家を思わせる凛々しさがあった。
啓二は彼女達の威圧感に思わず尻込みをしてしまう。"
"「え、えーと……この雰囲気はハーレム、って感じじゃない、よね……?」"
"『は?』"
"「ですよねいやごめんなさいこちらの話ですはい」"
" 全員から一斉に凄まれ、思わず正座して頭を垂れる啓二。引き下がろうにも後ろは壁で、全く逃げ場がない。尋常じゃない量の汗が啓二の背中を伝う。
険悪な雰囲気の中、一人の女子生徒が代表して口を開いた。
「で、あんた何しに来たの? ここが男子禁制だって分かってる?」"
"「……風に聞いてくださいよ、そんなこと」"
"「……そう。ケンカを売りに来たのね」"
"「ちっ、違いますよ! えー、だからその……そ、そう猫! 友達の猫を追っかけていたら、この建物の中に入ってしまって……」"
"「猫って、ああ、もしかしてこのコ?」
集団の後列からそんな声が上がった。すぐさま前列が左右に割れ、その間から一人の女子生徒が前に出る。彼女の胸元にはクセ毛の猫、ミーちゃんが優しく抱かれていた。"
"「ミーちゃん! よかったぁ、見つかって」"
"「ふーん。あんた、このコの知り合いなんだ」"
"「そうなんスそうなんス。そいつ、俺の連れなんスよ。勝手にこんなところ潜り込んで、参っちゃいますよね、ハハ」"
" 瞬間、和みかけていた場の空気が急速に凍りついた。
「……あ? てめぇ、今なんつった?」"
"「っ!?」"
"「マロンちゃんの連れだぁ? ふざけたこと抜かしてんじゃねえぞ、おい」"
"「な、何で唐突にヤンキー口調なんスか……? それにマロンちゃんって……え?」"
" 急変する部員達の態度に狼狽える啓二。
だがそんな彼にもお構いなく、隣にいた女子生徒が啓二の胸ぐらをつかむ。
「マロン様はなぁ、うちの部では王にも匹敵するお方なのだぞ! なのに"そいつ"呼ばわりするなど、貴様ただで済むと思うな!」
また別の女子生徒が叫ぶ。
「マロン様を見つけてくれたことには感謝するわ。でもそれはそれ。部室への無断侵入、マロン様への愚弄、その制裁は受けてもらうわよ」"
"「……おいちょっと待て。『部活』、『幼馴染み』、『猫』、そして『ハーレムもの』って、まさか……」"
" 殺気もピークに達したのか、女子生徒達はいよいよ殴りかかろうとこぶしを振り上げた。
そして部長と思しき生徒が、最後に告げる。
「さあ、たっぷり味わってもらおうか。我が『女子空手部』――通称『女子集団リンチ部』にケンカを売ることの愚かさをなぁあっ!」"
"「な、なんじゃそりゃああああああああああ!」"
"「おまえら、やっちまえ!」
『おっしゃぁあっ!』
悲鳴を上げる啓二を女子達が一斉に殴る、蹴る。その暴力的な仕打ちには一切の手加減がなく、全神経を叩き潰されていくような激痛が啓二を"
"「いだだだだだだだだだだだだだだ! ち、ちょ、ちょ、マジで! マジで痛いマジで痛いマジで痛い! ホント! 無理! ギブギブもう無理ごめんなさい許してください勘弁してくださいマジでホントお願い!」"
"「お兄ちゃん、うるさい。台詞長い」"
物語の途中だったのに、あたしは思わずコメントを投下してしまった。
すると即座にお兄ちゃんから怒りのこもったメッセージが返ってくる。
"「彩香がヘンなストーリーに仕立てるからだろ! てかいつまで殴られ続けなきゃいけないのこれ!? ホントに痛いんですケド!」"
"「あーもう、わかったわよ」"
しぶしぶ"女子生徒達は暴行を止めた。"という一文を書き加えると、お兄ちゃんの悲鳴コメントはぴたりと止まった。代わりに"「……はぁ、はぁ」"と気持ち悪い吐息が表示される。
"「……おい綾香」"
"「ん? どうしたのお兄ちゃん?」"
"「いやぁ、なーんか俺、随分と酷い目にあわされた気がするんだけど、これはどういうつもりなのかなぁ?」"
やわらかい口調のくせして至るところに棘があるコメントだった。
……えーと、これはあれだね。漫画で言ったら、笑顔で青筋ビキビキ浮かべるタイプの反応。返答間違えたら雷が直撃するやつだ。
でも、まいっか。どうせ画面越しだし。適当にとぼけておこう。
"「何かおかしなところ、あった?」"
"「大ありだわ! 何だよ「女子集団リンチ部」って! 一体どこのヤンキー高校行けばそんなふざけた部活に巡りあえるんだよ! しかも幼馴染みが猫って! せめて小説の世界ではボッチ設定やめろ! つーかそもそも!」"
"「『幼馴染みの猫が女子空手部でハーレムを形成する』物語って、俺主人公ですらねえのかよ!」"
"「え? そうだけど、何か?」"
"「なんで当然のごとく開き直ってんだよ! 俺がアプリ使ってんだから俺の周りにハーレム作れよ!」"
"「そこはほら、逆転の発想ってやつ?」"
"「いらなかったなぁその発想! 逆転させるならせめて別の場所がよかったなぁ!」"
"「別の場所? 性別とか?」"
"「……ごめん、俺が悪かった」"
なんか謝られてしまった。まあ確かに性別逆転させたハーレムって、要するに「お兄ちゃん(♂)の周りを男たちが囲む」ってことだもんね。
……うん、これ以上の想像はやめよう。うっかり新しい趣味の扉を開いてしまいそうだし。
"「というか、今のやりとりで物語途切れちゃったじゃん。あーあ」"
"「俺のせいじゃないだろあれは……。大体あんなひでぇ話、もう見たくねえよ」"
"「えー何でよ。続きとか気にならないの?」"
"「それ以上に痛い目見るのが嫌なんです」"
"「でも伏線とか回収してないし。ほら、ミーちゃんが高校に来た理由とか」"
"「どうでもいいわ。大方あの暴力的な風にでもブッ飛ばされてきたんじゃねえの?」"
"「……なんでわかったの?」"
"「図星かよ! つくづく万能だなぁ、あの風!」"
うぐぐ……まさかあたしの切り札「困ったときの風任せ」をここまで見透かされていたとは……。仕方ない。次から風は封印して、それでも詰まったときは時空のゆがみでも発生させるとしよう。
"「まあでも、不満があるなら別の物語に変えよっか? 途中だったけど、あたしは別にかまわないし」"
"「あー、それなら新しいやつお願いすっかなぁ。……さっきの話続けても碌な目に合わなそうだし」"
"「オッケー。んじゃ心機一転。せっかくだからお題も一新しようか。また三つ挙げてみて」"
"「いや、ちょっと待て彩香。お題もいいけど、その前に、だ」"
意気込んだところで、お兄ちゃんから待ったがかかった。とりあえず"「?」"と打ち込んで、話を促す。
"「……こいつらさっさと消してくんね? 今俺の周りにいる女子空手部員達。さっきからずっと俺のこと見つめてて、すげぇ居心地悪いんだけど」"
"「……あー」"
そうだ、すっかり忘れてた。
向こうの世界の情景はパソコンに書かれた文章に従う。逆に言えば、あたしが文章を消すか書き足さない限り、向こうはずっと時が止まっているということだ。
あたしは書いた文字をすべてデリートし、画面を真っ白にした。
"「はい、文章全部消したよ。これでいい?」"
"「ああ、OKだ。……ホント、次の話はまともなので頼むぞ」"
"「それはお題次第かなぁ。どうする?」"
"「そうだなぁ、それじゃあ……」"
しばし画面内に沈黙が訪れる。
もちろん、その間あたしにできることは何もないし、向こうの世界の様子だって分からない。文字が表示されない以上、お兄ちゃんの考えを推察することも不可能だ。
でも……なぜだろう。そのとき背すじにゾクリとした悪寒が走ったのだ。
画面の向こうで、お兄ちゃんがにやりと笑った。そんな気がした。
そして長い間を経て、提示された題材は、
"「お題は『美少女』、『おっぱい』、『いけない夜遊び』! ジャンルは官能・エロコメでどうだぁっ!」"
「うわぁ……完全に見境なくなったわね」
ドン引きだった。これ以上ないってくらい。リアルでパソコンから距離を置く程、あたしは嫌悪を感じていた。
こちらの様子などまるで気に留めていないかのようなお兄ちゃんの発言。もはや絡み方が酔ったセクハラオヤジ同然だ。……こういうとき、無性に兄妹の縁を切りたくなる。
かといって、ここで嫌悪感を露わにして彼の機嫌を損ねるわけにはいかない。何故なら今のあたしは娯楽提供者。どれだけ不本意な要求でも、相手を楽しませるためなら全力を尽くさねばならない存在だ。
ここはげんなりする気持ちを抑えつつ、あえて"「ち、ちょっと……やめてよお兄ちゃんっ……!」"なんてオタク受けしそうな台詞で応対する。
"「どうした彩香~? まさか俺の要求が呑めないって言うのかよ~」"
"「だって、は、恥ずかしいよぅ! 官能小説なんて……」"
"「そいつは残念だな~。じゃあ例のショートケーキの件も無しかぁ? ゲヘヘヘ!」"
"「うぅ……分かったわよ…………お兄ちゃんのばか」"
うわぁ……なんだか書いてて背中がムズムズしてきた。別に萌えキャラを批判するつもりは全然ないけど、現実でこんな口調の人がいたらちょっと、ねぇ……。男の人って、声と容姿さえよければ何でもありなのかなぁ? ……ってさすがにそれはないか。うちのバカ兄貴が変態なだけですね、はい。
ま、それはともかく。無事お兄ちゃんの機嫌も取れたってことで。
「『美少女』と『おっぱい』はともかく、『いけない夜遊び』ねぇ……。…………よし」
あたしは簡単にプロットを練ったのち、新たな小説を書き始めた。