一発屋
「じゃあ俺は、まんまとお前らの策にハマって、
こんな遠く離れた国までのこのこやってきた、というわけか」
俺の言葉尻に怒気が含まれていたのを、スレイマンは感づいた。
俺はいったい、何にこれほどイラついているのだろうか。
「センセ……、怒ってます?」
「怒ってねぇよ!」
怒っている人間の常套句だ。
頭ではわかっている。
「ちょっと声かけただけで、ホイホイ外国までやってくるような奴だ。
おだててほめそやせば、その気になって、あわよくばマンガを描いてくれるかもしれない。
それを国策に役立てよう、って魂胆なんだろ」
「……否定はしませんが、国民の大半がセンセの作品を好きなのも本当です」
「でもいいさ、ぶっちゃけ俺は世間から忘れられた作家だ。
売れているときはチヤホヤされるが、打ち切りになった途端、みんな俺の周りから離れていった。
編集者も、プロデューサーも、ファンも、友人も、恋人も。
しょせん俺は“一発屋”だ。
そんな作家にも再利用の価値があるとお情けをかけてくれたんだ。
ありがたくて泣けてくるじゃあねぇか」
「そんな! ヤニベクの人たちはセンセの作品、忘れたことはありません!」
「だからさ! だから、ちょうどおあつらえむきだったんだろ!
国民に人気がある、でもいま日本では売れてない!
落ち目の作家が“渡りに船”とばかりに、低コストで仕事をやってくれるだろう、と!
どうだスレイマン、おれはディスカウントだろ!」
スレイマンは押し黙っている。
その表情は、悲しそうに見える。
あるいは哀れみか。
「いつもそうなんだ。みんな俺の都合は考えない。
俺にやさしいフリをする奴らは、みんなおためごかしだ!
なにも事前に説明しない! すべて後付けだ!
だいたい『ヴィスカウント』ってナンだよっ!?
ちゃんと調べたら『ヴィスクゥーント』が正しい発音じゃねぇか!
編集者を問いただしたら、日本の読者には耳なじみがないから英語読みにした、だと!?
そういうことは早く言えよ!
散々ネットで無学だとあざ笑われたさ!
挙句の果てに、編集者のアドバイスどおりにストーリーを進めたら、人気低迷で打ち切りだ!
どうせ俺にゃわからねぇと思って、みんな俺に説明をしない!
何が『先生のためを思って』だッ!!
お前もだ、スレイマン!
俺に仕事を押しつけたきゃ、最初にそう言えばいいんだッ!
みんな俺を操作しようとする! みんな俺に説明をしない!
俺はいったい何なんだっ!!」
怒鳴りながら俺は泣きそうになっていた。
俺は、これが、すべて八つ当たりだとわかっている。
わかっていながら、止められない。
忙しい時期に、アシスタントや家族や友人に怒鳴り散らした記憶がよみがえる。
俺の周りからみんなが去っていったのは、売れなくなったからじゃない。
自分の情けない部分を承知していながら、変えられない。
自分が情けなくて、泣きそうになる。
ひとしきり怒鳴り散らしたあと、俺の呼吸が落ち着くのを、お互いが待っているようだった。
「……懇親会は出るよ。スピーチもする。
だけど、そこまでだ。
とてもじゃないが、その先までは付き合いきれない。
これは怒っているとか、いないとか、そういう話じゃない。
一国の未来を左右するような産業づくりなんて、俺には責任が重すぎる」
しゃべっているうちに、感情が整理できるようになっていた。
俺が恐れているもの。
それは、打ち切りの恐怖だ。
周りの期待に応えられなかった、あの恐怖だ。
身を切られるような思いがする。
それを乗り越えられずにきている自分の情けなさを、直視したくない。
安いプライドだ。
散々、少年マンガでキャラクターの“成長”を描いてきていながら、俺自身はまるで成長していない。
あの打ち切りから、俺の時間は止まったままだ。
人間は、容易には変われない。
帰りの車内は、気まずい沈黙が続いた。
カーステレオのラジオから流れる異国の歌が、かろうじて間を持たせてくれている。
ホテルに戻った俺は、疲れが出たのか、夕方まで寝入ってしまった。
うたた寝から目を覚ますと、窓の外はもう暗くなっていた。
俺は何をしているんだろう。
今日ほど自分を情けないと感じた日はない。
いっそ泣いてしまった方が楽なのに、そんな気力も湧いてこない。
PCを立ち上げると、自動的にスカイプが起動する。
と、同時に、堀田君から連絡が来る。
「お疲れ様です! 先生、今日は早い時間ッスね」
「ああ、うん。またこれから出かけるんだ」
「例の懇親会ってヤツですか! ……なんか元気ないッスね?」
「……ちょっと疲れててな」
「大丈夫っすか? ああ、そうだ。
例のスマホ向けのサイトの再録が『懐かしい』ってんで、人気になってるんスよ。
それで書店から文庫版の受注が来てます。ひさしぶりに重版かかりそうッスよ!」
「ありがてぇけど……“一発屋”が思い出で食ってるようでカッコ悪ぃな」
堀田君は、少しムッとした表情で、憮然として反論してきた。
「なにがカッコ悪いんスか?」
「……え?」
「あのね先生、“一発屋”って言いますけどね、その“一発”を当てたくて、みんな死ぬほど苦労してるんじゃないッスか。さっきも若い奴が持ち込みに来ましたよ。みんな死に物狂いなんです。
先生はそれをやり遂げたんじゃないッスか。
それを飯の種にして、何が悪いってんですか?
“一発屋”とか“続編商売”とか、言いたい奴らには言わせとけばいいんスよ。
それに俺はまだ終わったと思ってないスからね、『ヴィスカウント』は。
ハッキリ言って、あれは当時の担当が悪い。
見る目がない。
センスが悪い。
俺が担当だったら、あんな風にはさせなかったッス。
先生だって、あんな終わり方は納得してないでしょ?」
「……ああ」
「絶対にウチで描いてもらいますからね、続編。日本文学社なんかにやらせねぇッスよ」
俺は気づく。
彼は“一言多い”フリをしていたんだ、と。
そうやって、作家を奮い立たせている。
抱えている若い作家を一本立ちさせるために、彼が身に着けた振る舞い方なんだ。
むかしの担当も、堀田君も、それからスレイマンも、みんな優しいフリをしている。
だけどそれは、相手をごまかそうとか、偽ろうとか、そういう意図があってのことじゃない。
優しくあろう、強くあろうと、自分に言い聞かせて戦っているのだ。
俺はそういう努力を、積んできただろうか。
期待に応えるとは、結果を出すこととイコールではない……はずだ。
彼らのそういう思いに、報いてきただろうか。
望まれたことに、きちんと向き合ってきただろうか。
「……堀田君」
「なんスか?」
「さっきキミが罵った当時の担当な。あれ、いまキミんところの編集長だぞ」
「え、ちょ、いや……ええっ!」
堀田君はしどろもどろになりながら、周囲を見まわしている。
「……ありがとな」
「えっ、あ、いや、え!? なにか言いました!?」
堀田君は、まだあわあわとしている。
「なんでもねぇよ。じゃあそろそろ出るからな。また明日連絡するぜ」
「あっ! わかりました! またスケッチとか写真、頼みますね!」
「おう」
俺の役割……、か。