大統領との会見
「国賓!?」
自分の声が上ずるのを、俺はハッキリと自覚した。
「そですよ、今回の旅は急デシタ。普通なら渡航手続き、大変デス。だから国賓扱いにしました」
「それにしても大統領って、お前……。俺は葛飾の区長にだって会ったことねぇんだぞ」
「オー。センセ、江戸っ子デスか?」
「いや、そんなことよりな……」
「大統領も『ヴィスカウント』の大ファンです」
「マジかよ」
「マジです。マジ、マジ」
なんだかとんでもないことになってきたな。
俺が深くため息をつくと、再びドライバーが俺たちの会話から単語だけ拾い聞きして、大きな声を上げた。
「イエー、『ヴィスカウント』!」
ドライバーがやおらタクシーの天井を指さす。
近すぎて気づかなかったが、そこにはステッカーが貼ってあった。『ヴィスカウント』のコミックス1巻のカバーイラストのステッカーだった。粗悪なコピー品で発色がうまくいっていないうえに、タバコのヤニで黄ばんでいる。
しかし、まぎれもなく俺の『ヴィスカウント』の絵だった。年季の入ったステッカーが、むしろ「国民的人気」の証拠物件であるかのような気がした。
大統領府はあたらしい建物だった。
イスラム建築の影響なのか、中央には仰々しいほどのドームと尖塔が立っていて、ドームの天井部分はスカイブルーに輝いている。しかし、その部分をのぞけば、インテリジェントビルのように全面ガラス張りになっており、モダンアートの美術館といっても通じるような外観だ。
「大統領はお忙しいので、会見の時間は10分程度デス」
おう。
もう腹をくくるしかない。
俺たちが通された部屋は、小ぶりの会議室といった趣だった。国連とヤニベクスタン共和国の旗が飾られており、その前に大きめのソファが2脚用意されていた。ソファは互いが正面から向き合わないように、横並びで配置されている。そしてソファの向く先には、数多くの記者団が詰めかけていた。
俺が入室したとたん、いっせいにフラッシュが焚かれる。
そして手にカメラを持っていないプレスは、みんなにこやかな笑顔と拍手で俺を出迎えてくれた。
取材陣は、カメラマンを含めて20人くらいだろうか。テレビカメラも来ている。
みんな口々にナカジマ、ヴィスカウント、ナカジーマとささやく。
こりゃあ、本当に国賓扱いだな。
スレイマンが何やらヤニベク語でまくしたてたあと、
「センセ、こちらどぞ」
と、俺にソファをうながした。
俺が座る姿を、一挙手一投足を、取材陣はかたずを飲んで見守っている。
まるで動物園のパンダだ。
さすがに気まずくなって、飛行機内でスレイマンに教わった言葉を発してみた。
「あー、《こ、こんにちは》」
おおおおおおおおおぅ
一斉に重低音のどよめきが起こり、再びフラッシュがバシャバシャと焚かれる。
スレイマンは俺の横でニヤニヤしながらこちらを見ている。
「センセ」
「おう」
「100点です」
「うるせえよ」
スレイマンは通訳係として、俺のそばに待機してくれている。
10分ほど待っただろうか。
取材陣の最前列にいる男がチラと腕時計を見たあたりで、再びカメラマンたちが入口の方にカメラを向け、一斉にフラッシュを焚き始めた。俺のときとは違い、室内にはピリッとした緊張感が走る。
来た。
ついに大統領との対面だ。
室内に入ってきた男は、政治家というよりは、それこそ東京の下町で工場でもやっていそうな風貌であった。背はさほど高くないが、よく日焼けしており、上質なスーツをキッチリと着こなしている。もし少年マンガに彼が出てきたら、読者全員が問答無用で彼を悪役だと決めつけるに違いない。
眉間に険しくしわを寄せていて、スレイマンのように愛想がいいタイプではないな、と思った。
「マラト大統領デス」
スレイマンが耳打ちする。
俺はソファから立ち上がり、まず大統領におじぎをした。この日本式の挨拶に大統領は出鼻をくじかれたのか、少し肩をすくませてから報道陣のほうにニヤッと笑ってみせ、そして見よう見まねで茶目っ気たっぷりにおじぎをして、俺の右手をつかんで握手をしてきた。
笑顔……だが、目は笑っていない。眼光が鋭く、俺を値踏みするような目つきだ。
以下、大統領との会話は、スレイマンの通訳を交えている。
「はじめまして、中嶋センセイ。ワタシが大統領のマラトです。お会いできて光栄です」
「こちらこそお招きいただき感謝しています。マンガ家の中嶋隆則です」
「ワタシは先生の『ヴィスカウント』の大ファンです。なかでもマキノが大好きでした」
「こちらの国ではマキノが人気だとお聞きしました。マキノ本人も喜んでいると思います」
ここで報道陣から再び、おおおおおおおおおぅ、と地鳴りのような重低音のどよめきが起きた。
「あれはセンセイが何歳のときの作品ですか?」
「20歳のときに描き始めました」
「20! 20歳! 天才だ、天才だ」
「いや、はぁ、ありがとうございます」
「我が国の国民は、みんな、続きを待ち望んでいるんだ。いつになるんだね?」
「いや、はぁ、ええ。いずれ……」
需要がないと俺たちマンガ家は作品を描けない。
だが、この場で説明しきれるわけではなく、言葉を濁すしかない。
ほかにもいくつかの無難な会話が何往復かしたあと、大統領とスレイマンは報道陣には届かないレベルの小声で、なにやらお互いに早口でまくしたてていた。
揉めている?
言葉がわからないなりにも、決して穏便な口調ではないように思えた。
しばらくスレイマンとのやり取りがあったあと、大統領は俺の方に向き直り、顎でスレイマンをうながした。
「せっかくお会いできたのに、今日は時間が取れません。ここで失礼します。またお会いできる日を楽しみにしています」
ああ、そう、うん。
俺は愛想笑いをしながら、大統領に促されてソファから立ち上がった。
大統領は両手でがっしりと俺の両手を取り、俺の両目をまっすぐ見て、何か念押しをするか、あるいは言い含めるかのように、一言だけ語りかけ、そのまま部屋から出て行ってしまった。
報道陣は部屋から出ていく大統領に向かって、再びフラッシュを焚く。
「最後、なんて言ったんだ?」
俺は大統領が出ていく姿を愛想笑いで見送りながら、スレイマンに小声で話しかけた。
「頼みますよ、と」
スレイマンも愛想笑いを浮かべて大統領を見送りながら、俺にだけ聞こえる声で応じた。
「お前、まだ俺に何か隠しているな?」
スレイマンはニヤリ、と笑うだけだった。
まあいい。あとで聞きだしてやる。
スレイマンは報道陣に向かって、大声でまくしたてた。
すると報道陣は、あっさりと全員が身支度を済ませて、そそくさと出て行った。
「記者が忙しいのは、どの国でも同じだな」
「彼らは明日の晩の懇親会にも招待していマス。そこでセンセにスピーチをお願いしたいのデスが」
「いいよ、やるよ。ここまで来たら、俺に選択権はねぇだろ。それより腹が減った。飯を食いたい。ああ、静かな場所でな。話もある。あるんだろ?」
スレイマンはうなづいた。
俺たちはホテルのレストランへと移動し、遅めの昼食とも、早めの夕食ともいえる食事を取ることにした。ゆでた羊肉、ギョウザのように具を皮で包んだもの、担々麺のような汁物、それから以前大使館で食べた牛肉の串焼きも出てきた。現地のほうが使用している香辛料の種類が多く、重層的な味わいだ。
「今日の会見は彼が望んだことなのに、あまり時間を取れませんでした」
食事中、俺から聞き出すまでもなく、スレイマンのほうから話し始めた。
彼の口ぶりは、「本題に入れなかった」ことを残念がっているようだ。
「大統領には敵が多いのデス」
「敵……? 彼は国民投票で大統領に選ばれたんだろ?」
「そう、国民の支持率は高いデス」
「じゃあ敵ってのはなんだ?」
「国民評議会デス」
「国民評議会……?」
「ハイ。日本でいえば、昔の貴族院デス」
「お前、本当に日本に詳しいな!」
「勉強しましたからネ。
国民評議会は有力な族長やその子孫たちで構成される集団デスね。ソビエト時代は彼らが共和国の議会を取り仕切っていました。国が独立して民主化したあとは、民主選挙で議員が選ばれるようになりましたが、国民評議会は上院として残りました。ですが、時代とともに国民評議会の議員定数は減らされていきます」
「大統領は議席を減らす側、国民評議会は減らされる側か。そりゃあ対立するわな」
「国民評議会はまだ存在していますし、影響力もあります」
「そういう経緯なら、その対立はいまに始まったことじゃないだろ?」
「前のムフタル大統領は、民主化直後に、当時の国民評議会から指名されました。
にもかかわらず、ムフタルは国民評議会の議席を減らし続けたので、議会と評議会は対立するようになりました。そしてマラト大統領は、ムフタルの後継者デス。ムフタル政権では首相を務めていました」
「なるほどな」
「マラトは、大統領になってからこの半年のうちに、憲法を改正して国民評議会の解散を決めました。ですから国民評議会からは敵視されています」
「ずいぶんと急進的だな」
「いずれ誰かがやらなければならないことデス」
ここでスレイマンはガス入りのミネラルウォーターを一口飲み、ひと呼吸置いた。
「それに……マラトは国民の人気は高いですが、しかし前任者のムフタルほどではありません」
「支持があるうちに着手しよう、ってことか。……焦っているな」
コクン、とスレイマンはうなづいた。
俺はマラト大統領に、あまりいい印象を受けなかった。
ああいう押し出しの強い性格は、ハッキリ言って苦手だ。
いや、マンガ家にとっては、いちばん縁遠いタイプじゃないだろうか。
「それで……大統領は俺になにを頼もうってんだ?」
「オー」
スレイマンは肩をすくませてから、口を開き始めた。
これは心構えが必要なパターンだぞ。
「大統領は、センセに、このヤニベクスタンでアニメを作ってほしいんデスよ」
「はあ? アニメ!?」
食後のミルクティーは、口をつける前に、すっかり冷めてしまっていた。