ヴィスカウント
ここで『ヴィスカウント viscount』について説明しておきたい。
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この作品は、パラレルワールドに召喚された主人公が、並行世界を救うために戦う冒険活劇だ。
舞台となる並行世界は、基本的には、主人公が元いた世界となんら変わりがない。
唯一の点をのぞいて。
それは、この並行世界には、主人公だけが存在しないのだ。
この世界には存在しないはずの人間は<不在の騎士>と呼ばれ、世界をつかさどる王(もしくは王女)から召喚され、王(もしくは王女)と主従の契約を結ぶ。
主従の契りを結んだ<不在の騎士>は「子爵」と呼ばれ、子爵は「マナ」と呼ばれる天然の魔法資源を消費することで魔法を使うことができる。
<不在の騎士>は、本来であれば、その世界には存在しない人間だ。
だから「元の世界から来た自分の使用量」と、この世界で余っている「存在しない自分用の使用量」をあわせて、合計ふたり分の魔法資源を扱える。だから「王(王女)」やほかの戦士たちに比べて、より強力な魔法が使えるのだ。
だからこそ、何の変哲もない生活を送っていた14歳の主人公が、この世界に召喚されたのである。
そして主人公だけは、一度だけ死ぬことが許されている。
並行世界で死んでも、元の世界に戻るだけだ。
しかし、パラレルへと再召喚はできないので、そこで戦いからドロップアウトすることになる。
この戦いは、あらゆる並行世界で行われているのだ。
パラレルワールドの「王女」は、主人公より1歳年上のヒロイン。
15歳になった誕生日に「王女」として覚醒し、戦いに身を投じるようになる。
「王女」と「子爵」は、魔法資源「マナ」を奪いにくる敵と戦う。
主人公は元の世界に平穏無事に帰るために、王女は世界を救うために、協力して戦うのだ。
この世界には居場所のない主人公は、ヒロインと同居することになる。
ラッキースケベの展開が中学生に喜ばれたのは、言うまでもない。
魔法資源「マナ」は湧き水のようなもので、使ってもじょじょに湧き出てくる。
主人公たちが戦うために消費する分くらいなら問題ないが、もし「マナ」の噴出口を奪われ、悪用され、枯渇すると、地球はみずからを活性化させるエネルギーを失い、世界は滅亡してしまう。
主人公と冒険をともにするパーティは「王女」以外にもいる。
戦闘能力に長けているが、他人の感情がわからない、冷徹なロボットのような戦士マキノ。
素直で純朴だが、人から騙されやすい回復術師カーシィ。
そして世界とマナの仕組みなどを説明する、マスコット的な存在のしゃべる犬ラン。
これらのキャラは『オズの魔法使い』を参考に作り上げた。
……初代担当編集の西川さんの入れ知恵だが。
ドロシー(ヒロイン)、臆病なライオン(主人公)、ブリキのきこり(マキノ)、脳のないかかし(カーシィ)、ドロシーの飼い犬のトト(ラン)、というわけだ。
はじめは現実を受け入れられず臆病だった主人公が、獅子のように雄々しく成長する。
そして、ともに幾度となく死線を乗り越えることで、ヒロインも次第に主人公に惹かれていく。
物語が進むと、やがて本当の敵の姿が見えてくる。
世界を滅ぼそうとする敵は<神>であった。
悪ではなく、神。
きまぐれな神が、無数に存在するパラレルワールドをひとつずつ潰して回っているのだ。
そうして各世界から大量の「マナ」を搾取し、自分好みの「あたらしいせかい」を作ろうと企んでいる。
神とのラストバトルは熾烈を極めた。
逆転につぐ逆転で、ついに神を追いつめ、いよいよ勝利が目の前に迫ったその時。
神の放った一撃が「王女」に降りかかる。
そして主人公は「王女」をかばい、絶命してしまうのであった。
薄れゆく意識の中で、主人公は世界の崩壊を予感する。
主人公の戦闘力を失った彼らには、おそらく勝ち目はないだろう。
主人公が並行世界で死亡し、元の世界に戻ってから1年が経過した。
並行世界がどうなったのか、知るすべはない。
だが、主人公が15歳の誕生日を迎えたその時、主人公はこの世界の「王」として覚醒した。
そして召喚されたのは、かつてともに戦ったヒロインだった。
主人公が並行世界で死亡し、並行世界が崩壊する寸前、彼女は何者かに召喚され、気が付いたらこの世界の片隅にたどり着いていたのだ。
時間的な誤差が生じているが、ランが言うには
「それくらいの誤差はパラレル世界を跳躍する際にはよくあることヨ」。
かくして主人公とヒロインは、最初とは立場を入れ替えて、再び神に立ち向かう。
「私には帰る場所がないんだから、ちゃんと責任とってよね!」
ヒロインの告白とともに「本当の戦いはこれからだ!」の打ち切りエンド、である。
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いまから思い返すと、中二病テイスト全開なストーリーだ。
だからこそ『ヴィスカウント』は、小中学生にウケた。
しかし、主人公が並行世界で死亡して、元の世界に戻るタイミングで、アニメは原作に追いついてしまった。原作とはまた別の並行世界での戦いをオリジナル・ストーリーでやっているうちに、アニメ人気は低迷し、本編にも悪影響を及ぼすようになった。
そのため主人公にとっての本来の世界での戦いは満足に描けず、打ち切りの憂き目にあったわけだ。
もっとも、「王女」以外のパーティメンバーをどうやって元世界で登場させようか、さんざん悩んだ末に明確な回答を出せなかったので、打ち切りもやむなし、であった。
いまにして思えば「さっさと出しちまえ」だ。
読者が望むなら、どんどん出せばよかったのだ。
だけど当時の俺は、どこかで読者をアッと言わせたい功名心にとりつかれ、「予想される展開」だけは避けたがっていた。理屈なんて、いくらでも後付けできたのに。
とはいえ、少年マンガの読者はおよそ3年で入れ替わる、ともいわれている。
並行世界での戦いが間延びしたせいもあるが、消長の激しい少年マンガ誌の世界で7年半も連載が続いたのは、我ながらよくやったと思う。
20代は『ヴィスカウント』ばかり描いていた思い出しかない。
ヤニベクスタン大使のスレイマン・ロジコフによると、現地の子供には主人公が大人気だが、子供と一緒に見ていた親世代からは「マキノ」が支持されていたらしい。ソビエトの共産党政権下で、まるで機械のように工場労働を強いられていた自分たちと、機械のように黙々と戦うマキノの姿が、どこか重なって見えたようだ。
一匹狼だったマキノが主人公たちと協力して戦い、次第に心を開き、打ち解けていくさまは、民主化によって自由を謳歌する自分たちの姿そのものだ、と熱く語っていた。
日本国内では、「主人公×マキノ」のマキノ総ウケ本がちょっとしたブームになったが、まあ、そのことはヤニベク人には言わないでおこう。
ともあれ俺は、つい先週までは名前すら忘れていたヤニベクスタン共和国の人々に、思いを馳せるようになっていた。
マキノが好きだというヤニベクの大人たちは、どういう人たちなんだろう。
どんな子供たちが、主人公と一緒に冒険をしてくれたのだろう。
そのことを考えると目頭が熱くなっていた。
いくつになっても俺の根っこは「少年マンガ家」なのかもしれない。
ヤニベクの人々に、会ってみたい。
あの熱いミルクティーを飲みながら、彼らの思いに耳を傾けてみたい。
そんな気持ちになっていた。
「センセイ、よかったら今度、ヤニベクスタンに行きませんか?」
スレイマンの言葉が、何度も俺の脳裏にこだましていた。