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ヤニベクの男

 ヤニベクスタン共和国。


 中央アジアに位置する、小さな国だ。国土は兵庫県くらいの大きさで、人口は約100万人。首都はメナバト。おもな産業は天然資源。かつてはソビエト連邦に所属していたが、ソ連崩壊後、国家として独立した。


 スマホのブラウザで検索したが、その程度の情報しかヒットしない。個人ブログに旅行記でもあるかと思ったが、そもそもこの国を訪れる日本人はほとんどいないようだ。

 試しに「ニュース」で検索したら、半年ほど前に大統領が亡くなり、国民投票であたらしく大統領が選ばれている。


 俺に話しかけてきた男から受け取った名刺には、次のように書かれていた。


   スレイマン・ロジコフ

    ヤニベクスタン大使


   ヤニベクスタン大使館

   郵便番号△△△-△△△△ 東京都港区虎ノ門□□-□□□□

   電話03-○○○○-○○○○


 俺は名刺を信じない。

 なにしろ自分自身が、名刺を作ったことがないからだ。


「作家は作品が名刺代わりだ。だから中嶋君は名刺なんか作らなくていい」


 俺にそう言ったのは、初代担当の西川さんだった。それももっともなことだと思い、俺はこれまで名刺を持ったことがない。実際、マンガ家で名刺を持っている人は少ない。

 もちろん、マンガ家といっても、個人事業主もいれば、事務所を法人化している人もいる。法人化している場合は、事務所に出版社から原稿料が振り込まれて、そこから自分の“給料”やアシスタントのギャラを支払う。銀行や税理士と付き合う場合には、名刺があったほうが楽だ。

 だけど俺は、いままで名刺を持たずにやってきた。

 こうした席では、名刺交換……といっても、一方的に俺が手渡されるだけで、俺はなんだか手持ち無沙汰になって、申し訳ないような心持ちになる。


「すいません、名刺ないんです」


 俺がそう言うと、掘りの深い男……スレイマン・ロジコフはニカッと笑った。


「ダイジョブです。センセイのことは存じてマス」

「どうして俺のことを知ってるんですか?」


スレイマンはおどけたように目を丸くして、肩をすくめた。


「だって先生は今日、授賞式デス。それに……、

 ワタシの国では、センセイの作品、『ヴィスカウント』はすごく人気デス。

 アニメはすごく人気です。『ヴィスカウント』、視聴率70パーセントね」


 俺のアニメ作品が空前のヒット作になった「どこか遠くの異国」とは、どうやらヤニベクスタン共和国のことらしい。


「センセイ、今度大使館に遊びに来てください。ワタシの国の人、みんなアナタのファンね。だからとっても喜ぶマス。きっと遊びに来てください」

「ええ、そのうちに」


 俺の右手をむりやり奪い取るようにして握手してくると、がっしりと両手で力強く握りしめ、うんうん、と二度三度と頷いてから、スレイマンは足早に立ち去って行った。


 俺は名刺を信じない。

 スマホの地図アプリで大使館の住所を検索すると、どうやらそこには確かにヤニベクスタン大使館が存在するようだ。

 だけど俺は、彼のことを信じたわけではない。まだ半分以上は、詐欺の可能性を疑っている。

 そうこうするうちに、やっと堀田君が戻ってきた。


「もう、センセイ。どこ行ってたんスか。探しちゃったじゃないっスか」


 そういう彼の手には、大ヒット中のアイドル系アニメのクリアファイルが握られていた。

 ははぁん。さてはキミ、アニオタだな。

 自社コンテンツじゃないアニメのグッズをもらいに行って、迷子になっていたのはキミのほうじゃないか。


「どうしたんスか?」

「いや、なんでもない」


 俺はヤニベクスタンの男の名刺を、スーツの内ポケットにしまいこんだ。わざわざ堀田君に、いま起きた出来事をイチから説明するのも面倒くさい。


 授賞式では、俺は登壇して賞状を受け取ることになった。プレゼンターは、日本マンガ界のレジェンド・しばあきたろう先生だった。昔、出版社のパーティーでご挨拶をしたことがある。


「元気にしとるか?」


 しば先生から優しい声をかけてもらって、俺は恐縮するばかりだ。

 壇上からは、客席が遠くまで見渡せた。後列のはじっこに、先ほどの男、スレイマンの姿が確認できた。チャコールグレイのジャケットに、薄黄色のシャツ。ノーネクタイだが、ラフな印象は受けない。スレイマンはニコニコしながら、ことさら大げさにバチバチと大きく拍手をしてくれていた。


 その日は式典のあとに打ち上げがあり、それ以来、堀田君はちょくちょく連絡をくれるようになっていた。


「いま『少年ステップ』でもう一度やるのは難しいと思うんスけど、ウチの青年誌の『ヤングステップ』とか『ビジネスステップ』だったら、まだまだセンセイの需要あると思うんスよね!」


 本当にコイツは悪気なく人をイラつかせる。

 けれど「子供のころファンでした!」という気持ちには嘘偽りがないようで、いまの俺にチャンスをくれようとしている。ありがたい話だ。


 そんな日々が続いたせいで、俺はヤニベクスタン共和国のことは、すっかりと忘れていた。クリーニングに出していたスーツを受け取りに行ったときに、店主から告げられるまでは。


「お客さん、スーツの内ポケットに名刺が入っていたので、保管しておきましたよ」


 名刺?

 はてな、と思って受け取ると、そこに忘れかけていた「ヤニベクスタン共和国」の文字と、大使を自称した「スレイマン・ロジコフ」の名前を確認した。


 マンガ家というものは、元来、猜疑心より好奇心が勝るタイプだ。

 俺はこの未知の国へと関心を抱くようになった。

 詐欺師だとして。

 仮に詐欺師として、なぜ彼はわざわざこんな聞いたこともないような異国の大使を騙るのか。あのスレイマンと名乗った男は、俺が授賞式で名前を呼ばれて登壇するより前に、俺の顔を知っていた。俺の顔と名前が一致していた。つまり、俺のことをあらかじめ調べていて、それで声をかけてきたのだ。

 俺はあの男をすっかり詐欺師だと決めつけいる。けれど未知の国の名前の響きにすっかり惹きつけられてしまっている。

 自宅に戻ってきた俺は、名刺の電話番号に電話をかけた。


「ハイ。ヤニベクスタン共和国大使館でござマス」

「もしもし。以前、そちらのスレイマン・ロジコフさんという方から名刺を頂戴した者ですが」

「ハイ。ロジコフはたしかにウチの大使でござマス」


 いた。

 スレイマン・ロジコフは、実在した。

 いや、待て。住所だけは本物で、名前と電話番号だけ偽物の可能性もある。

 名刺を偽造するなんて簡単だ。


「お電話かわりマシタ。ワタシがスレイマン・ロジコフです」

「以前、アニメ芸術祭でお目にかかりました。中嶋隆則と申します」

「オー! 中嶋センセイですか!? オー、信じられナイ!」


 わざとらしい、ように俺には感じられる。

 この茶番がいつまで続くのか、見極めてやろうという気になっていた。


「センセイ、ぜひ大使館に遊びに来てクダサイ。ワタシたち、とても待ってマス」

「そうですねぇ。じゃあ来週の水曜日はどうでしょうか?」

「オー、水曜日ですネ。ではワタクシ、その日待ってます。何時でもかまいません。ぜひいらしてください」


 いまでは売れなくなった作家だ。まさか身柄をさらわれたりはしないだろう。

 念のため俺は、友人の間瀬ちゃんに協力してもらうことにした。彼は専門学校時代の友人で、いまでもときどきアシスタントに入ってくれている。彼は遺産相続で親からアパートを受け継いで、大家をやっているから、時間の融通が利く。大家といっても1階に3部屋、2階に3部屋あるだけの小さなアパートの管理人だ。しかし、少子化で学生の数が減り、借り手を探すのに苦労しているらしい。最近は留学生を引き受けることも多く、外国人がらみのトラブルにも慣れている。

 俺が大使館に行く約束の時間から1時間後に、間瀬ちゃんは俺の携帯に電話をする手はずになっていた。その電話に俺が出ることがなければ、間瀬ちゃんは警察に連絡をする。あらかじめ名刺のスキャンデータを、間瀬ちゃんにメールで送っておいた。


「ただの潜入取材だよ。もしもの場合に備えて、な」

「おもしれえよ。ナカジ、そのまま誘拐されちゃえよ」


 12月第1週。

 俺は「ヤニベクスタン共和国の大使」と名乗る男と接触を図ることになった。

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