エピローグ
帰国してからの俺は多忙を極めた。
英国国営放送のサイトにイラストが掲載されたことで、世界中から取材のオファーが殺到し、一躍“時の人”になってしまったのだ。イラストに添えられた英文での注釈は「編集部注」と付記されており、記者及び編集者としての「マーティン・キャンベル」の名前はどこにも見当たらなかった。
「プレイボーイズ」に掲載したルポルタージュは、当初は旅ルポマンガだったのに、大幅にページ数が増加し、あのクーデターの顛末を描くことになった。もっとも、黒幕に関する俺とスレイマンの“推理”は省き、あくまで俺が見聞きしたことと、事実関係だけを整理した内容になったが。
このルポマンガは「プレイボーイズ」の誌面だけでなくWEBサイトにも掲載された。しかもフキダシ内のネームとオノマトペ(描き文字)をすべてレイヤーにしたので、WEB版は表示言語を日本語と英語とヤニベク語に切り替えられるトライリンガル仕様だ。これが反響を呼び、俺は英国と日本とヤニベクスタン共和国の各国の報道協会賞を受賞し、「ルポマンガ家」の肩書で紹介される機会がめっぽう増えた。俺は売り上げの一部で、あの騒動で犠牲になった市民のための慰霊碑をメナバト市内に建てるようにお願いしている。
その陰にひっそりと隠れるかたちで、日本文学社「漫画ゴロウ」に連載の作品は終了を迎えたので、すべてが順調というわけではない。
クーデター終結後、スレイマンは母国で残務処理に当たっていたので、俺はひとりで帰国した。しかし、さほど時間を置くことなくスレイマンは再来日し、そのときにはすでに大使の職を辞していた。前大統領の息子という立場上、母国にいては、どうしても政治に翻弄されてしまうので、それを避けたかったようだ。此度のクーデターで、政治にかかわることにはほとほと嫌気がさしたらしい。
いま彼は会社を立ち上げて『ヴィスカウント』の英語版とヤニベク語版の翻訳を手掛けている。
あのクーデターで市民たちがシンボルにしたイラストはなんだ?
世界中からのリクエストに応えるかたちで、俺の作品の翻訳化がはじまった。『ヴィスカウント』翻訳版は電子書籍での配本となったが、英国国営放送のサイトが大々的に俺のインタビューとともに紹介してくれたので、“話題作”として盛大にバズられ、第1巻は大きなセールスを記録したのだ。
版元のライツ事業部を説得するにあたっては、堀田君の口利きが大きかった。最初は渋っていたライツ事業部も、いまではスレイマンの事務所にご機嫌を伺いに来るほどになっている。おかげで2巻以降も刊行予定が決まった。
スレイマンはヤニベクから若いスタッフを呼び寄せ、自分の仕事を手伝わせながら、俺のアシスタントもやらせている。本格的にヤニベク人作家を育てるつもりのようだ。若いヤニベク人たちを間瀬ちゃんのアパートに住まわせており、スレイマンはそこを「ヤニベクのトキワ荘」と呼んでいる。
堀田君は人事異動の際にヤング誌の副編集長に抜擢された。そして彼は俺の担当編集になり、ついに『ヴィスカウント』の続編を始めることになった。
堀田君は“新連載”ではなく、10年ぶりの“連載再開”であることを強調していた。その“連載再開”を祝して、俺とスレイマンは都内の料理屋での食事会に招待された。
「『ヴィスカウント』が再開したばかりだけど、別のネタも聞きたい?」
「マジっすか、先生。ノリノリじゃないッスか!」
「舞台は中央アジアの小国だ。そこに湖がある。ある年に歴史的な干ばつが起きて湖水が干上がると、湖底から古代の遺跡が出てくるんだ。そこに巨大な棺があり、ふたを開けると中には3メートルの巨人のミイラが安置されている。この巨人は体中に縞模様がある謎の民族で、体の一部がまるでQRコードのようになっている。それをスマホで読み込んでアクセスすると……どう? 先の展開が気になる?」
「いや、ちょっとそれだけじゃよくわかんねッスよ。なんすか、その巨人って」
「連載できるんなら、実物を作らせるんだけどなぁ。なぁ、スレイマン」
「できますヨ」
「一段落したら、またヤニベクに行くかぁ」
「それより先生、『ヴィスカウント』の次の展開なんですけど……」
「おう」
俺は、やり残していた物語を、いま再び始める。
終。