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フェイク

 軍人たちは、見張りの兵士も残さずに、全員が部屋から去っていった。

 去り際に若い兵士が手錠の鍵を投げてよこしたので、俺はスレイマンに駆け寄って手錠を外してやり、ペットボトルのミネラルウォーターを手渡した。


「痛そうだな」

「ダイジョブです」


 スレイマンは腫れた右頬にペットボトルを押し当てたが、沁みたのか、顔を歪ませた。俺たちはそのまま部屋にとどまり、テレビのスイッチを入れてニュースを見続けた。みんな体から力が抜けて、放心状態になっている。ニュースの映像は、大統領の顔がアップになったスマホ動画を繰り返し放映している。


「大統領は何を言ってるんだ?」

「エト……この騒動はクーデターではない、反乱である。親愛なる国民の皆さんに告げる、アナタたちの主権が侵害されているのだ。市民は立ち上がれ、ともに軍部の蛮行を止めよう、デスね」

「それにしてもマラトはよく無事だったな。どこに隠れていたんだろう」

「たぶん、湖の遺跡デス」

「遺跡? なんだってそんなところに?」

「あの遺跡は作り物、フェイクです」

「は?」

「観光資源を作るためにマラトがデッチ上げたんですよ。それを小出しにSNSに匿名でアップロードして、“真偽不明の”遺跡として話題作りを企んでいたんです」

「……やるなぁ、アイツ」

「でもフェイクだと知っているのはごく一部です。だから遺跡を戦場にしてはいけないと誰もが思うので、隠れ場所としては最高です。いまマラトは、遺跡でクーデター鎮圧の指揮を執っていると思います」


 窓の外に装甲車が走り去っていく姿が見えた。軍部は大統領府を放棄したらしい。

 やがてニュースキャスターの口調が、ずいぶんと熱っぽいものに変わった。


「センセ、大統領の演説以上に、いまSNSで急速に拡散されている動画があるそうです。手元にスマホがないから確認できないんですけど、これからその動画を流すみたいで……あっ!」


 画面が切り替わると、俺はギョッとした。

 この部屋だ。

 さきほどの、俺と参謀長のやり取りが動画で撮影され、英国国営放送のチャンネルにアップロードされているという。おそらくマーティンの仕業に違いない。全員の視線が俺と参謀長に向いていたその隙に、動画を撮影し、アップロードしていたのだ。俺は部屋の中を見回すが、マーティンの姿が見えない。トイレにでも行っているのだろうか。

 《描く……、描く!》

 画面の中の俺が叫ぶ。客観的に見ると、ものすごく恥ずかしい。


「……センセ」

「なんだよ」

「100点デス」

「うるせぇよ」


 ニュースキャスターは、興奮した様子でさらにまくし立てる。

 画面は市内の映像に切り替わった。

 市民が横一列に広がり、お互いに腕を組み、“人間の鎖”を作って軍隊の行く手をふさいでいる。若者も、老人も、女性も、みんなが口々に叫んでいる。

 《描く! 描く!》

 また別の映像では、人々が《描く、描く!》とシュプレヒコールをあげながら行進をしていた。あるいは別の動画では、戦車に飛び乗った若者が、必死になって装甲に何かを描いている。カメラがズームして若者の手元をとらえると、それは『ヴィスカウント』のキャラクターであった。市民たちは街中のいたるところに『ヴィスカウント』のキャラクターを描いている。

 ニュースキャスターが叫ぶ。


「『ヴィスカウント』は平和の象徴です。私たちは銃ではなく、《描く》ことで応じましょう!」


 やがて窓の外からも、《描く! 描く!》の大合唱が聞こえてきた。軍とは入れ違いになったが、この大統領府を解放するために、大勢の市民が駆けつけてくれたのだ。俺とスレイマンがバルコニーに出ると、市民は盛大な歓声と拍手で出迎えてくれた。全員が口々に叫ぶ。

 《描く、描く!》

 俺はこの国で、本当にカリスマになってしまったようだ。



「軍隊の後ろ盾な……あれ、国民評議会だろ?」


 俺が尋ねると、スレイマンはぎょっとした表情を見せた。


「センセ、テレビで言っていたこと、聞いてたんデスか?」

「俺がヤニベク語を理解できるわけないだろ。利害関係から“推理”しただけだよ、ワトスン君」

「オー。センセはシャーロックでしたか」


 スレイマンは少しおどけた後、咳払いをして説明をし始めた。


「マラトは動画で『事件の黒幕は国民評議会のカイラト議長だ』と名指しで批判していました。国民評議会は伝統を重んじる保守勢力デス。以前から『草原への回帰』をスローガンに、遊牧民としての誇りを失うな、と訴えていました。陸軍の一部はそれに賛同したんでしょうね」

「憲法改正が実施されて解散させられる前に、最後の抵抗をしたわけだ」

「そうなんデスが……」

「お前、まだ俺に隠してることあるか?」

「いいえ。ですが、ワタシの“推理”はお聞きになりますか?」

「いいぜ、シャーロック・“スレイマン”・ホームズ」

「今回の本当の首謀者はマラトだと思います」

「なんだって?」


 俺はしばらく考えたのち、スレイマンの顔を覗き見た。

 ありえる。


「たしかに、結果的にいちばん得をしたのはマラトだな。国民評議会の解散は既定路線だったけれど、反対する者もいたはずだ。だけど彼らが反乱を起こしたことで、評議会を擁護する声は封殺される。反乱に加担した軍部の反乱分子を追放することもできる。それに、騒動を鎮圧した“強いリーダー”として支持率もアップするだろう。遺跡の捏造を考えるようなヤリ手だったら、それくらいのことは思いつきそうだ」

「ですがマラトにとって誤算だったのは……センセです」

「俺?」

「そうです。マラトはあの経済懇親会が狙われるように、以前から敵を焚きつけていたんだと思います。敵がクーデターを起こすように、わざとスキを作ったんですネ。経済懇親会の開催は、夏には決まっていました。相手がそれに食いついてきたのを事前にリーク情報で知っていたから、彼は欠席した。そこまでは彼の計算のうちだったハズです」


 考えられるセンだ。


「あの経済懇親会は、大統領、経済相、ヤニベク財界人、ヤニベク取材陣だけの参加予定だったんです。まさに絶好の撒き餌だと思いませんか? ところがワタシが急にセンセとカトーサン、海外メディアまで招待しました。あそこで計算が狂ったのは、軍だけでなく、大統領も一緒だったんでしょうネ」

「軍部には誤算だけど、大統領はむしろ俺たちが巻き込まれたおかげで、世論を味方につけやすくなったんじゃないのか?」

「かもしれません。一昨日の大統領は、そこまで考えて『頼みますよ』とセンセに言ったのだとしたら、なるほど彼はかなりの悪人ですネ。しかし、センセがあの《描く》のスピーチをしたおかげで、今回の反乱鎮圧の主役はマラトではなく、センセと国民にすり替わりました。強力なリーダー・マラトのおかげ……ではなく、それまでこの国に存在しなかった<不在の騎士>が市民を鼓舞し、軍部の暴走を止めたのです。だからマラトとしては、せいぜい70点くらいじゃないですか?」


 俺のヤニベク語の発音が100点とするなら、70点はかなり手厳しい評価だ。


「ワタシはマラトとは古い友人デス。しかし彼の強引なやり方は好きではありません。マラトの中央集権化と独裁化を防げたのは、センセのおかげデス。センセはこの国の英雄ですよ」

「……まさか、そこまで考えて俺をこの国に?」

「とんでもない! ワタシ、そこまで政治に関与したくありません。それに、こんなに早くセンセをワタシの国にお連れできるとは思っていませんでした。今回のことは、ほとほと疲れました。だいぶ殴られましたしネ」


 俺とスレイマンは、お互いに苦笑いをするしかなかった。結果論でいえば、俺とスレイマンがずいぶんと今回の騒動を引っ搔き回したことになる。そして、この幕引きが、ヤニベクスタンにとって望ましい形であったかどうか。それは後世が決めることだ。

 俺はバルコニーの下の群衆に向かって手を振った。

 とたんに大歓声が上がる。

 なるほど、こりゃあ英雄の待遇だ。


「そういえば、センセの動画を撮影したのは誰です?」

「ああ、イギリスの記者だよ。そういえば、さっきから姿が見えないな」


 俺は懐からマーティンの名刺を取り出し、スレイマンに手渡した。

 スレイマンの顔が、とたんに険しくなる。


「センセ、先ほどの首謀者の話ですが……。もしかしたら別の可能性があるかもしれません」

「なんだって?」

「この名刺、気づきませんか?」

「……なにが?」

「『カジノ・ロワイヤル』」

「…………あっ!」


 スレイマンは俺に、名前が見えるように名刺を差し出してきた。

 Martin Campbell。マーティン・キャンベル。

 俺の脳裏に、カザフスタンのアルマトイ国際空港でスレイマンと交わした会話がよみがえる。


  ワタシはショーン・コネリーが好きデスね

  ダニエル・クレイグも、俺は結構好きだけどな


 マーティン・キャンベル。

 映画『007 カジノ・ロワイヤル』の映画監督の名前だ。『カジノ・ロワイヤル』はダニエル・クレイグが初めて『007』シリーズでジェームズ・ボンド役を演じたタイトルであり、ダニエル・クレイグはシリーズ初となる“金髪”のジェームズ・ボンドでもある。

 俺とスレイマンは、しばらく見つめあっていた。


「センセ、どうします? この電話番号、かけてみますか?」

「…………いや、よそう」


 俺は名刺を信じない。


「クーデターは終わった。俺たちは無事だ。それでいいじゃねぇか」


 この国での俺の役割は、本当に終わったのだ。

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