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英国人記者

 軍人のリーダー格の男が俺たちに近づいてきて、手ぶりで立つように促してきた。

 俺たちもどこか別の場所に移動させられるようだ。

 軍人たちは高圧的な態度ではないし、手錠で拘束してくるわけでもない。

 それでも迎賓館内部の廊下を歩いていく際には、最後尾の軍人が銃を構えており、いやがおうにも自分が人質になった事実を突きつけられる。軍人のブーツの音が、重い。

 まるで現実感がない。

 ヒザからスネを支える骨が一本なくなったかのように、気を抜くと足元から崩れ落ちそうになる。


 俺の目の前を行く金髪の英国人記者は、左足をひきずりながら、よろよろと歩く。

 怪我でもしているのか、左足に体重をかけられないような歩き方だ。

 彼が床につまづいて倒れると、前方にいた若い軍人がこちらに寄ってきた。

 俺は左手を軽くあげて若い軍人を制止すると、英国人記者に肩を貸し、立ち上がらせた。

 そのまま俺は英国人記者の肩を抱いて、俺たちだけは2列のまま行進していく。

 

 英国人記者は俺より若く、30代前半くらいのように見える。

 体重を支えていてもさほど重いとは感じなかったが、ずいぶん筋肉質でゴツゴツした体格だった。

 道中、その男はしきりにサンキュー、サンキューと繰り返しつぶやいていた。

 俺が肩を貸した、というよりも、俺も誰かに支えてもらいたかったのが本心だ。

 体を動かしたほうが、むしろ鼓動が少しずつ落ち着いてきた。


 俺たちが連れていかれた先は迎賓館の宿泊施設だった。

 なかなか瀟洒な部屋だが、ここに10人を押し込めて監禁するようだ。

 おそらく先に連れ出されたふたつのグループは、また別の部屋に閉じ込められたのだろう。

 しかし、順番に外に出されたため、彼らがどの部屋にいるのかはわからない。

 人質同士が連絡を取らないようにするための措置にちがいない。


 室内の調度品はすべて脇によけられ、俺たちは床に座るように指示された。

 部屋の中には銃を携えた軍人がひとり残され、ドアの前で俺たちを見張っている。

 ドアが開いたときに、かすかな隙間から廊下にも軍人の姿が見えたので、とてもではないが脱走はできなそうだ。

 もっとも俺の場合は、迎賓館を脱出したところで、行先などない。

 通常ならば大使館に逃げ込むところだろうが……日本大使自体が捕まっているのだ。

 やはり対日外交を考えた場合、加藤大使夫妻まで監禁したのは、クーデター派の明らかな失点といえる。


 ややあって、別の軍人が人数分の毛布とペットボトルのミネラルウォーターを用意してきた。

 年配のヤニベク人男性が、テレビを指さしながら、軍人に何かかけあっている。

 テレビを見せろ、という要求だろうか。

 軍人は無表情のまま首を横に振るだけで、取りつく島がなかった。

 しかし、この部屋にいる限りは、さほど行動が制約されるわけではないようだ。

 室内の人質同士が会話することは禁じていないようで、ヤニベク人同士はボソボソと会話を始めた。

 俺は、まったく蚊帳の外だ。

 こんなに不安な状況はない。


 部屋の中で誰とも会話をせずにいたら、さきほど廊下で肩を貸した英国人男性が、俺のそばに寄ってきた。


「ハイ、ミスター。アー……、ミスター・ヴィスカウント?」

「ナカジマ。タカノリ・ナカジマ」

「オー、ナカジマ・センセイ。スピーク・イングリッシュ?」

「ア・リトル」

「オーケー」


 もちろん嘘だ。

 英語なんか話せない。高校時代から俺はマンガばかり描いていて、勉強に熱心だったわけではない。せいぜい高校までに英語の教科書で習った程度の単語しか知らない。それでも、身振り手振りを交えて意思疎通を図るほかはない。いま俺がコミュニケーションを取れる相手は、この英国人記者しかいないのだ。


「アイム、マーティン」

「マーティン」

「イエス」


 彼は懐からネームカード(名刺)を取り出し、俺に手渡してきた。

 その名刺には「Martin Campbell」とスペルがつづられており――もちろん書かれている内容を信じるなら――マーティンと名乗るこの男は、英国国営放送の記者らしい。

 マーティンは軍人に背を向け、俺と正対してあぐらをかいて座った。

 彼の肩越しには、ドアの前に立つ軍人の姿が見える。

 マーティンは後ろを一瞥した後、俺の方に向き直り、左足を俺の前に投げ出した。そこを指さしながら、なにごとかを英語で説明し始めた。

 当然、俺にはわからない。

 マーティンもそれは承知しているようで、神妙な目つきで、俺の目を凝視している。

 何か別の思惑があるようだ。

 マーティンは俺から視線を外さないまま、左足の革靴を少しだけズラして、靴の中を俺にだけ見えるようにチラリとのぞかせた。

 そこにはスマートホンが隠されていた。


 あっ。


 彼が左足に体重をかけないように歩いていたのは、靴底にスマホを隠していたからだった。

 俺は声が出そうになるのをこらえ、マーティンに視線を送り、顎だけで軽くうなづいて見せた。 

 マーティンも、俺にうなづき返す。

 そしてマーティンは、すぐに俺のそばを離れ、そのまま毛布にくるまって体を横たえた。


  俺には通信手段がある

  ほかのヤニベク人とは交流しない(もしくは言葉の問題でできない)

  いまは監視の目もきついから行動を起こせない


 彼は一連の行動を通じ、その3つを俺に伝えてきた。

 おそらくマーティンは、この人質グループの中に内通者がいる可能性を警戒している。

 だからヤニベク社会のいずれのコミュニティともコネクションを持たない俺に接触してきたわけだ。

 もしかしたら懇親会での俺のスピーチが、ヤニベク財界におもねった内容ではなかったからこそ、マーティンはそう考えたのかもしれない。

 マーティンは暗黙のうちに、俺に協力を求めてきた。

 俺にいったい何ができるのか。

 いくら軍人たちが理性的であっても、いまはまだ緊張感が高く、興奮状態にあるといっていい。

 ここからの行動は、ひとつ間違うと、自分の生命がおびやかされる危険性が伴う。

 少し落ち着く時間が必要だ。

 俺たちだけでなく、軍人たちがクールダウンするための時間が。


 部屋の置き時計は午前3時を回っていた。

 時間の進みが、遅い。  

 秒針の音だけが、無限にも思える時間を支配していた。

 まんじりともしないまま、朝が近づいてくる。

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