ムフタルの息子
日付が変わるころに遠くで花火の打ち上がる音がした。
正確に言うならば、“俺には”花火の音のように聞こえた。
俺と加藤大使夫妻は和やかに会話を続けていたが、その場に居合わせた他の列席者たちは、身近な者同士で顔を見合わせ、とたんに会場内に緊張が走る。
なんだ?
途端に場内がざわめきだし、幾人かの若いヤニベク人がせわしなく駆け回る。
何人かは窓のそばに移動して真っ暗な外の様子をうかがっていた。
またある者は、あわただしく部屋を出て行った。
パンッ。
乾いた発砲音が響き、迎賓館の玄関口の方から思い門扉がバタンッと乱暴に開けられる音がして、それからドドドドドっと足音がこの部屋に向かって近づいてきた。
低く重い響きから、それが複数人の足音であることが察知できる。それもかなりの人数だ。
俺はようやく尋常ならざる事態が起きていることを察知した。
スレイマンが血相を変えて、俺たちの元に走り寄ってきた。
「センセ、カトーサン、部屋の奥に。早く!」
俺たちは言われるがままに部屋の隅に追いやられた。
大使館員、記者、女性が一団になり、その前にスレイマンをはじめ、わりと年配のヤニベク人男性が壁を作る。若いヤニベクの男性たちは、部屋のドア付近に集まっていた。
なかにはスーツの懐に手を入れて、銃を取り出している者もいる。
「なにが……何が起きてるんですか?」
加藤大使夫人がおそるおそるスレイマンに尋ねた。
「ワカリマセン。何者かが襲撃してきたようデス。
ヤニベクの男性は徴兵で軍隊に行きます。ここはワタシたちの言うとおりにしてください」
と、空気を切り裂くような音が、シュッと短く聞こえたかと思うと、轟音とともに地鳴りが響いた。
地震のような激しい揺れが、迎賓館を襲う。
地震に慣れた日本人の感覚からすると、震度は4程度でさほど強くない。
横揺れではなく直下型に似た、強く感じるタイプの揺れ方だ。
だがその揺れは、地震によってもたらされたものではない。
窓の外に、火の手が上がった。
迎賓館からは、さほど離れていない位置だ。
「国会議事堂が燃えてます」
加藤大使はおののきながらも、俺に情報を提供してくれる。
同じような揺れと衝撃が、二度、三度と続いた。
バタンッ。
大きな音を立てて部屋のドアが開くと、迷彩服に身を包み、武装した男たちが侵入してきた。ドア付近で抵抗するヤニベク人に銃を向け、何事かを大声で怒鳴っている。
スレイマンは声を潜めて、俺と加藤大使に両手を挙げるようにうながしてきた。
そして自身もホールドアップの姿勢を取りながら、声を潜めて、俺と加藤大使に状況を説明する。
「彼らはヤニベク軍の制服を着ています。ヤニベク軍の地上部隊……軍人です」
「軍人だって?」
「そうデス。だからテロではありません。おそらくクーデターです」
クーデター?
いったい何のことだ?
スレイマンは俺たちを落ち着かせるためか、つとめて冷静な態度を装っている。
「安心してください。クーデターなら、みなさんは人質として扱われます。テロのように、無差別に人を殺すことはありえません」
「なぜ?」
「外国人やプレス(記者)に被害あれば、彼らは国際的に非難されます。だから手を出さない。大丈夫デス」
俺と加藤大使は、思わず顔を見合わせていた。
たしかに理にかなっている。
「できるだけ刺激しないように、彼らの命令に従ってください。抵抗しなければ大丈夫デス」
「なぜ軍が……」
「おそらく目標は大統領の身柄デス。彼らは反大統領派だと思います。マラト大統領をはじめ、国内の要人がきょうここに集まること、ニュースでも報道されてました。そこを狙われたと思います」
昨夜観たニュース映像――俺が国営放送のニュース番組に映っていた映像――が、俺の脳裏に瞬時にフラッシュバックする。
「あいにくとマラト大統領は、この会をキャンセルしましたが……」
侵入してきた軍人は、合計すると20人くらいだろうか。
外にはまだ大勢いるはずだ。
室内にいた若いヤニベク人は、抵抗することなく、銃を置いて彼らに拘束された。
ドア付近、窓付近を数名の軍人が固め、部屋の隅にいる俺たちの集団に対し、遠巻きに5名ほどが肩から下げた自動小銃の銃口を向けている。
あの銃、なんて言ったっけ?
作画の資料用に買った銃器類の本で見たような気がする。
部屋の中央に立った男がこのグループのリーダー格のようで、年齢は40代くらいだろうか。
俺はまだヤニベク人の年齢が、外見からはよくわからない。
リーダー格の男は印刷された紙のリストを見ながら、室内にいる人物をひとりずつ確認している。
そして確認し終えた人間を、2グループに分けるように指示している。
そのグループ分けは、俺が見る限り、政治家とその他、といった区分のようだ。政治家たちは部屋の左手側に、取材記者や財界人たちは右手側に仕分けられていく。
政治家の中でも首相や経済相のような要人は、うしろ手に手錠がかけられて拘束されている。
また、ひとりずつ仕分ける際には、別の若い軍人が入念なボディチェックを行い、携帯電話やスマートホンなどの通信機器はすべて取り上げられていた。
金髪の英国人記者は、俺と同様にヤニベク語がわからないのか、なにかを英語でまくしたて、少し揉めながら、やがて部屋の右側へと誘導されていった。この英国人男性は、足に怪我を負っているのか、少し左足を引きづるような歩き方をしていた。
やがて俺と加藤大使が、部屋の中央にまで連れていかれ、名前を確認がされた。
軍人のリーダーと思しき男が手に持っているリストは、どうやらこの懇親会の出席名簿のようだ。
加藤大使は軍人に向かって、俺のことを指さしながら、何か説明しているようだった。俺がヤニベク語を理解できないことを、伝えてくれているらしかった。
オー。ナカジマ、ヴィスカウント、ナカジーマ。
静かなざわめきが起き、軍人たちが一斉に俺のほうに視線を投げかけてくる。
軍人のリーダーは、シッ、と唇を鳴らして、若い軍人たちをたしなめる。
俺の脇に立っていた若い軍人は、弱弱しい愛想笑いを浮かべて、会釈をし、それからボディチェックを開始した。まず、ズボンの右後ろのポケットから、スマホが取り上げられた。
上着の上から胸部分を軽く触れたとたん、怪訝そうな顔をして、上着の内ポケットに手を入れてきた。若い軍人は、内ポケットから油性マーカーを取り出す。
ああ、湖で観光客にサインをするときに借りたペンだ。
そういえばスレイマンに返していなかったな。
若い軍人はやや安堵した表情で、油性マーカーを元あった内ポケットへと戻す。
銃か何かと勘違いしたのだろうか。
ズボンの左後ろのポケットからメモ帳を抜き取られた。
俺は物事を考えるときには、落書きをするクセがある。若い軍人はメモの中をパラパラとめくっていたが、日本語の走り書きと、簡単なイラストしか描いていないので、問題なしと判断したのか、俺に返してよこした。
俺と加藤大使夫妻は、部屋の右側へと誘導された。
壁掛け時計を見ると、時刻は1時になろうとしていた。
俺は遠い異国の地で軟禁されたのである。
次にスレイマンが部屋の中央に引き立てられていく。
当然、彼は俺と同じ、部屋の右側に移動させられるものと思っていた。
しかし、軍人のリーダー格の男は、スレイマンに一言、二言、言葉をかけると、スレイマンに手錠をかけて部屋の左側へと連行した。
全員を確認し終えると、軍人のリーダー格の男は大きな声を張り上げた。
それに対し、首相と経済相が何か返答する。
リーダー格の男は苦々しい表情をして、イライラした様子で無線機に向かって手短に叫ぶ。
そして若い軍人たちに向かって、手のジェスチャーで何やら指示を送った。
すると、部屋の左側に仕分けられた人々に銃口が向けられ、部屋の外へひとり、またひとりと順番に連行され始めたのだ。
スレイマンが立ち上がって、移動しようとしている。
部屋の右側にいる俺は、その場で立ち上がり、スレイマンに向かって話しかけた。
若い軍人たちは、俺に銃口を向けることはなかったが、俺の前に手を広げて、暗黙の裡に「それ以上は前に出るな」と制御してきた。
「お、おい! スレイマン! どうなってるんだ!?」
「ゴメンナサイ、センセ。ここでお別れデス」
「なんだって!? どうして!」
「ワタシ、前の大統領、ムフタルの息子デス」
「お前っ……、そういう大事なことは先に言っておけよ!」
「ゴメンナサイ、次からはそうしますね」
スレイマンは力なく微笑むと、部屋の外へと連行されていった。