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花火

 大統領府の迎賓館に着くと、すでに大勢の列席者が集まっていた。

 俺はヤニベクスタン共和国の政財界人を前にして、スピーチをする羽目になっていた。


 出席を予定していたマラト大統領は火急の予定が入ってキャンセルになり、かわりに首相と経済相が出席することになった。

 また、在ヤニベクスタン共和国の日本大使・加藤夫妻も急きょ列席することになったという。

 加藤大使の笑顔からは、人の好さがにじみ出ている。

 ……もっとも、俺に“人を見る目”があるかどうかは怪しいところだが。

 加藤大使は、日本人がこの国に来てくれてうれしい、あなたの作品はこの国で本当に愛されていますと、丁寧な挨拶をしてくれた。少なくともその言葉に、社交辞令らしさは感じなかった。言葉に温かみを載せられる人だ。

 いよいよ俺がスピーチをする時間が迫ってきた。

 俺は自分の言葉に何かを乗せることができるのだろうか。


「センセのスピーチはできるだけ正確に翻訳します。ワタシが嘘の翻訳をしないように、日本語とヤニベク語が分かる方、カトーサンに同席してもらいました」


 スレイマンはそう説明してきた。

 まったく、俺はいい歳をして、どれだけ周りに気を使わせるのやら。


「別に疑ってはいないさ。

 ただ、お前の期待に沿える内容になるかどうかは、わからないぞ。

 できるだけ簡単な言葉を使う。頼むぜ」


 俺はスレイマンの肩を軽くポンと叩くと、壇上に上がり、マイクを手に取った。

 壇上からスレイマンのほうに視線を送る。スレイマンが、軽くうなづく。


「みなさん、はじめまして。

 私は日本から来たマンガ家の中嶋隆則です。

 『ヴィスカウント』の作者です。

 まずはみなさんにお礼を申し上げます。

 『ヴィスカウント』を愛してくれて、ありがとう。心から礼を言います」


 会場内には割れんばかりの拍手が鳴り響いた。


「私は友人のスレイマン・ロジコフ氏から、みなさんがビジネスとしてのアニメに興味があると聞きました。みなさんのお力添えになるかどうかはわかりませんが……、私なりに思っていることを伝えさせていただければ、と思っています」


 俺が「友人」と言ったところで、スレイマンは目を丸くして俺の方を凝視したが、すぐさま同時通訳の役割に戻った。彼が一呼吸置くのを待ち、俺は話を再開した。

 話を分かりやすくするために、いささか乱暴な論旨であるとは、自覚している。


「まずみなさんに知っておいてもらいたいのは、日本のマンガ事情です。

 私が描いていた『ヴィスカウント』は、7年間に渡り、マンガ雑誌に掲載されていました。

 この雑誌は、毎週400万部を発行しています。

 想像してください。

 この国の国民の4倍もの人数が、毎週マンガ雑誌を買っているんです。

 しかもマンガ誌は、その一誌だけではありません。

 週刊、月刊、隔月など、さまざまな形態で日々出版されています。

 当然、書き手は優勝劣敗の世界です。

 人気のない作家は、すぐにクビになります。

 この厳しい生存競争を勝ち抜いた作品だけが、アニメになるわけですね。

 マンガを原作としないアニメのオリジナル作品もありますが、数は多くありません。

 そして、アニメの中でも人気になった一部の作品だけが海外に輸出されます。

 ですから日本のアニメが外国でウケるのは、ある程度は当然と言えます。

 日本から輸出される時点で、すでに一定以上の品質が保証されているようなものなのです」


 全員の視線が俺に集まる。さすがに緊張する。

 落ち着け、みんな俺のことが好きなんだ。俺のファンなんだ。

 彼らに対して感情的になったり、露悪的になる必要はない。


「同じことはハリウッドにも言えます。

 彼らは世界中にあるシナリオの映画化権を買います。

 映画化されていないシナリオは無数にあります。

 ここでもやはり、過当競争が行われているわけです。

 みなさんがハリウッドの映画を楽しいと感じるのは、それは当然です。

 なぜなら過当競争を勝ち抜いてきた、“勝ち組”だけを見ているからです。

 つまりハリウッドも日本も多産多死型の構造ですが、それは市場が大きいから可能なのです。

 一部の“勝ち組”だけでビジネスが回っているわけではありません。

 その下には、何千、何万もの“敗者”が存在することを忘れてはいけません」


 俺はそこまで話すと、ペットボトルのミネラルウォーターを口に含み、緊張でひりついた喉を潤した。


「では、みなさんがコンテンツ産業を興したとします。

 その場合、国内需要ではなく、国外へ輸出することを考えるはずです。

 では、すでにマーケットが成熟している国に、新興国のコンテンツは売れるでしょうか?

 日本もアメリカも、客の目はシビアですが、であればこそ客の目が良質な作品を育てています。

 これらの国には、良質で多様な作品が、すでに存在します。

 表面的に日本のマンガやハリウッド映画を模倣したような作品を作ったとして、品質の劣る二番煎じ……そんなものに買い手がつくのでしょうか?」


 場内の列席者の表情が曇る。ことここに到り、自分たちが聞きたかった、耳障りのいい未来展望は聞かせてもらえないことを、彼らはすっかりと悟ってしまっている。

 いかん。意気消沈させすぎたか?

 少し場を和ませる必要があるのだが……そうだ。


「マンガ雑誌を出版し、作家を競わせ、そしてアニメスタジオを建て、アニメーターを養成し……気が遠くなるような過程です。それに比べれば『ヴィスカウント』は、日本の市場での実績はあるし、話数は多いし、さらに安い。すでに日本で放映が終了していたので、いわば“型落ち”だから安かったんですね。つまり『ヴィスカウント』はディスカウントだったのです」


 場内は水を打ったようにシーンとしている。

 おい、このギャグは鉄板ネタだったんじゃないのか?

 スレイマンのほうを見ると、声を出さないように必死にこらえながら、腹を抱えて笑い転げている。

 あの野郎、あとで首絞めてやる。


「いや、その……コホン。

 私はこの国について、まだあまり深く知っているわけではありません。

 しかし、この国の文化にも、人にも、私はとても興味を抱きました。

 この国独自の文化や思想を反映したもの……。

 それは世界の市場から見れば、とても奇異なものに映るでしょう。

 しかし、奇異だからこそ、そこに価値が生まれるはずです」


 場内の人々が身を乗り出してきている。


「そしてコンテンツ・ビジネスの場合、なによりも忘れてはならないことがあります。

 それは、“楽しむ”ということです。

 作り手も、受けても、作品を楽しむことが大事です。

 私はマンガの背景を凝って描き込んでしまいます。

 なぜそんな手間のかかることをするんですか?

 よく他人から聞かれます。

 その答えは簡単です。

 楽しいからに決まっているじゃないですか。

 私は描くことが好きなんです」


 あらためて口に出して言うことで、自分自身がハッとした。

 そうだ。俺は描くことが好きなんだ。

 そんな当たり前のことを、どうして忘れていたんだろう。


「私たちマンガ家は、ビジネスとして考えると、とても非効率的で、非能率的な存在です。理不尽ともいえます。

 しかし、好きだから描いてしまう。

 そういう作り手の情熱を、余すことなく受け手に伝えてほしい。

 自分たちの好きなこと、嫌いなこと、大切にしていること、不愉快に感じること。それらを、まずは楽しんでください。

 私はあくまでひとりのマンガ家です。

 ビジネスマンではないし、コンテンツ産業についての知識も、自分の立場からしかわかりません。

 ですから、ビジネス的な判断を優先するのではなく、マンガ家の立場が尊重されるような仕組みを作ってもらいたいと、せつに願います。

 この人は面白い、この作品は素晴らしい。できるだけ多くの人に知ってもらいたい。この人と一緒に仕事をしたい。

 そういうみなさんの思いを、形にしてください。

 ありがとうございました」


 俺がマイクを置いて壇上から離れると、会場全体に、ほおっとした安堵のため息に満ち、温かい拍手が俺を出迎えてくれた。

 経済懇親会のスピーチとしては、失敗だ。

 ビジネスについて何かを語ろうとして、何も語っていない。

 ただひとつ明言したのは、俺はマンガが好きだ、ということだけ。

 それでも、列席者は暖かく出迎えてくれている。

 俺はスレイマンの横に戻ってきて、イスに深々と身を沈めた。


「ずいぶん内容的にとっちらかったけど……まあ、俺に言えることは全部言ったぞ」

「いいスピーチでした」

「そうかい。……それよりお前、あのギャグ、ウケなかったじゃねぇか」

「あれはセンセが悪い。あのタイミングでギャグを言う人、ワタシ初めて見ました」

「この野郎、言うじゃねぇか」


 

 俺のあとに数人のスピーチがあり、それから立食形式でのパーティになった。

 俺は加藤大使から幾人かを紹介されたが、まるで頭の中に入ってこない。


 この国での俺の役割は終わった。

 その感慨だけが、俺の身を包んでいた。

 ヤニベクの夜は更け、日付が変わるころに、遠くで花火の音を聞いた。

 今日この国は、なにかの記念日だろうか。

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