出会い
日本アニメ芸術祭。
なんとも大仰な名前じゃないか。
それというのも、このイベントを主催しているのは文部科学省である。
だから、どうしたって“お堅い”名前にならざるを得ない。
毎年11月に東京ビッグサイトで開催される、今年で10回目を迎えた日本最大のアニメの祭典だ。
一応、国の「クールジャパン」施策に則ったイベントだから、文科省が選定したアニメ作品が部門別に表彰されたりする。しかし、出展企業が各ブースで最新アニメのプロモーション映像を初披露したり、声優やアイドルがアニソンのライブをしたり、会場限定のアニメグッズが売られたり、会場内のいたるところにコスプレイヤーがいたり……。
要するに“お堅い”芸術祭というよりは、アニメの“フェス”といったほうが実態に近い。
海外からバイヤーが市場調査に来ているので、会場内には外国人の姿もよく見られる。欧米人だけでなく、日本語以外で会話しているアジア系や、民族衣装を着た中東系の外国人も目立つ。日本のアニメが「クール」かどうかはさておき、世界的に注目されているのは確かなようだ。
俺がこのイベントに呼ばれたのは、「特別功労賞」とやらを受賞したから、らしい。
事前に連絡をくれたのは、マンガ雑誌「週刊少年ステップ」の編集部だった。
俺はかつてこの雑誌に『ヴィスカウント viscount』という少年マンガを連載していた。
もともとはマンガの専門学校に通っているときに、卒業制作のつもりで描いた読み切り作品だった。それがたまたま編集者の目に留まったのだ。……もっとも、その読み切り作品はくそみそにけなされたが。
ただ、編集者いわく「どこかに光るセンスを感じた」らしい。編集者と二人三脚でブラッシュアップし、新人賞の準入選あたりをお情けでもらい、どうにか連載にこぎつけた。それが俺のデビュー作だ。
タイトルは仏文卒のインテリな担当編集者がつけてくれたもので、フランス語で「子爵」というらしい。
幸運なことにも『ヴィスカウント』はヒットした。
当時の「少年ステップ」は週刊400万部を発行するモンスター雑誌だったが、国民的な大ヒット作『ドラゴンパーク』が終了したばかり。読者離れが著しく、編集部はなんとしても新しいヒット作を出さなければならない状況だった。そのどさくさに紛れて、新連載陣の中に潜り込ませてもらったわけだ。
編集部としても「ものは試しだ」とか「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」くらいにしか思っていなかったんじゃないかと、今にして思う。
しかし、あまりウマくなかった俺の絵柄が、かえって子供には親しみやすかったのかもしれない。最初は地味な異世界ファンタジーだと思われていたけれど、しかしバトルシーンがメインになってくると徐々に人気が上がり、連載は7年半も続いた。
アニメにもなったし、劇場用アニメ映画も作られたし、キャラクターグッズもたくさん販売された。編集者から伝え聞いたところによると、どこか遠くの異国では、俺のアニメが空前の視聴率を叩き出したらしい。まるで『UFOロボ グレンダイザー』みたいじゃないか!
毎週の連載原稿にくわえ、コミックス作業、アニメのシナリオやグッズのチェックなどなど、俺の仕事量は増える一方だった。そのため連載は『ヴィスカウント』一本だけだったにも拘わらず、いちばん忙しい時期にはアシスタントを5人も雇っていたほどだ。
まさに“売れっ子”作家だった。
だが、流行はいずれ廃れる。
アニメ放映分のストーリーが原作に追いついてしまったので、アニメでは脚本家が創作したオリジナルストーリーを展開したが、それがイマイチ振るわなかった。すると『ヴィスカウント』は世間では“オワコン”扱いされるようになり、次第に読者アンケートでの人気順位も下がり、編集者のアドバイスをあれこれ聞いたけれど、結局は物語を終わらせることになったのである。
それが10年前だ。
昔流行ったアニメにも賞をあげれば、昔のアニメファンにもこの芸術祭が注目されるかもしれない。そんな思惑が絡んだうえでの「特別功労賞」受賞……というのが本当の理由だろう。しかし、アニメの制作会社はすでに倒産していたので、原作者の俺にお呼びがかかったというわけだ。
そのことを俺に連絡してきたのは「少年ステップ」の若手編集者だった。『ヴィスカウント』が終了してからも、俺は「少年ステップ」で何度か連載を持ったが、ヒット作を生み出すことはできず、ここ数年は「少年ステップ」から声がかからなくなっていた。すでに俺の歴代担当者は別部署に異動していたり、退職していたので、見知らぬ若手が俺に電話してきたのだ。
いま俺は、別の出版社の青年誌――日本文学社の「漫画ゴロウ」――で、日本のプロバスケットボールリーグを題材にしたマンガを描いている。リストラ間近のベテラン選手が主人公で、クラブ経営におけるカネと契約の問題を扱っており、青年誌に合ったテーマだと自分では思っているが、正直あまり売れていない。
その編集部は、ぶっちゃけて言えば、『ヴィスカウント』の続編かスピンオフをやらせたいようだ。それは俺の手元に残された最後のカードだから、まだ切るわけにはいかない。
いまアシスタントは、専門学校時代の友人がひとり、締め切り前にときどきヘルプで入ってくれるくらいだ。これはこれで悠々自適……と言いたいところだけど、やっぱり一度は“売れた”状態を経験しているだけに、「夢よもう一度」と思わないことはない。
「少年ステップ」の若手編集者は電話口で、
「子供のころファンでした!」
と持ち上げてくれたが、続けざまに
「最近はどこで何を描いているんですか?」
と、悪気なく俺のプライドを傷つけてくれた。
ちくしょう、あの野郎。
芸術祭の会場で初めて対面したその若手編集者は、ガッチリした体格に、髪は短く刈り込んでいて、ハキハキとしゃべる20代半ばくらいの男だった。
「あっ! アナタが中嶋隆則センセイですかっ! お会いできて光栄っス!」
上背は180センチくらいあるのだろうか、少し威圧感がある。手渡された名刺には「堀田正彦」と印字されている。俺を発掘してくれた初代担当編集の西川さんは、いかにも元・文学青年といった風情だったが、そもそも堀田君のような体育会系のほうが「少年ステップ」の本流といえた。『ヴィスカウント』連載中の7年半のあいだ、西川さんを含めて合計5人の編集者が入れ替わり立ち替わりに俺の担当になったが、西川さん以外は堀田君と同様に体育会系だった。
「それでですね! 今回の受賞を記念して! いまウチのスマホ向けのサイトがあるんスけど、そこで『ヴィスカウント』を無料で第1話から載せようって話になってるんスよ!」
語尾に!マークの多い男だ。
「それでですね! センセイの作品がまた注目されるようになったらイイっスよね!」
ははぁん。さてはキミ、「一言多い」タイプだな。
俺は堀田君の言葉に、うん、とか、そうだね、とか曖昧な生返事をしながら、会場の中を見渡した。コンパニオンやアイドルが華やかな雰囲気を盛り上げているのは事実だが、彼女たちに支払うギャラがあるなら、アニメ用の翻訳家を育てたり、アニメーターに満足なお金を払うほうが先じゃないだろうか。最近描いているマンガの影響で、どうもカネの動きばかり気になってしまう。
そんなことをぼんやりと考えていたら、堀田君とはぐれてしまった。
まったく、しょうのない奴だ。
式典までにはまだ時間があるから、俺はしばらく会場の中を見て回ることにした。すると、中央アジア系の男が急に話しかけてきた。
「あのぉ、スイマセン。中嶋センセイでいらっしゃいマスか?」
不意をつかれたので、俺は警戒心が表情に出てしまっていたようだ。俺の緊張を解くために、男はことさら丁寧な言葉使いで、作り笑顔を浮かべた。掘りの深い顔立ちに陰影がくっきりと出て、おおげさな表情に見える。
「ワタクシ、ヤニベクスタン共和国の大使館の者デスが、チョットお話よろしいデスか?」
えっと、ヤニ……なんだって?
どこだ、それ?