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 この先をあまり書きたくなくて、しばらくの間筆が進みませんでした。

 それで、少しこの手紙を読み直してみたのですが……ひどい文章ですね。支離滅裂だし、いらないことばかりつらつらと書いているし、いつの間にか一人称も変わっているし。

 ……まあ、いいか。体裁を気にしていると余計に筆が進まないから、もう日記か何かのつもりで書くことにする。正直、もう早く書き上げてしまいたいし。

 そういうわけで、僕はミヅモと爛れた夏休みを過ごし続けた。

 そんなある日、また一哉が来た。ちょうど今から行為をしようかといういい雰囲気のときだった。母はもう仕事に出ていたから、一哉は勝手に入ってきた。そういう奴だ。それで、あちこち探し回っても僕がいなくて、最終的にこの地下室のことを思い出したらしい。

 階段を下りる音がして、僕は慌てて格子の外に出た。分かり切っていたけど、一応「誰、一哉?」と声をかけると、「おう」と返事が来た。その声からは、この前ほど強い緊張は感じない。吹っ切れてくれたのか、それなら僕も気まずい思いをしなくて済む、と安堵したのもつかの間だった。降りてきた彼は、僕の顔を見るなりぎょっと怯んだ表情を見せた。

 どうしたんだよ、と聞くと、カンテラの光に照らされて、僕の顔が幽霊みたいに見えたのだと言う。

「お前、だいぶ痩せたな。大丈夫か?」

 僕は、そんな感じはしなかったので驚いた。でも、身体に異常があるわけでもないし、大丈夫だと告げた。「それならいいんだけど」とどこか腑に落ちないように一哉は呟いた。そして気を取り直すように、僕に顔を向けた。

「まあ、この前は悪かったよ。いきなり帰って。ただ、今日はお前に言いたいことがあって――」

 言葉の途中で、彼は息を呑んだ。今度は視線の先から、ミヅモを見て驚いたのだと分かった。

「お、おい、あれ、あいつは何だ、誰だ」

「あの子は、この前見せたミヅモだよ」

「はあ? だってあのときは、虫みたいな姿だったろ」

「うん。この子、人間に変身できるみたいなんだ」

「はあ?」

 一哉の反応は至極真っ当だったけど、僕は少し苛ついた。

「……カズ ヤ。 久、 しぶ り?」

 そんな僕と一哉の様子を見てか、彼女は極力友好的な態度で彼と接しようとしているようだった。ただ、だいぶ緊張しているようで、話し方が初めて言葉を発したときのように戻ってしまっていた。

 ただ、一哉はそんなミヅモを無視して話を進めた。

「なあ、お前、本当に大丈夫か。あいつに取り憑かれてるんじゃないのか。だっておかしいだろ、こんな短期間でそんなに痩せて」

「何言ってんだよ。この子がそんな悪霊みたいな見かけしてるか?」

「してるだろ」

 即答されて、僕はミヅモの姿を再認識し、閉口した。

「四本腕に……目が三つだぞ。まんま悪魔じゃないか。やっぱりお前、絶対におかしいって。冷静に考えてみろよ」

 確かに僕の感覚が麻痺しているところはあった。ミヅモに出会う前の日常生活で、ミヅモのような少女を道端で見かけたとしたら、僕は腰を抜かして逃げ出したことだろう。それに、取り憑かれているのもほぼ事実だ。彼の言うことは正しい。

 でもそれ以上に、彼がミヅモの気持ちを踏みにじったこと、ミヅモの目の前で彼女を罵ったこと、それによって今ミヅモが明らかに傷ついた表情をしていることに対する、彼への怒りが強く湧き上がった。

「お前こそ冷静になれよ。ミヅモを見ろ。悲しんでるじゃないか」

「見ろってお前、あんな三つ目の顔から表情なんて読み取れるわけないだろ!」

「人より目が一つ多いからなんだよ! 関係ないだろそんなの!」





「……やっぱり 私の姿 人とは 違うんだね」

 ミヅモがぽそりと呟いた。僕は顔がカッと熱くなるのを感じた。せっかくこれまで隠していられたのに。このまま隠していられたら、ミヅモはこんな悲しい顔をすることなんてなかったのに。

「お前いい加減にしろよ! ミヅモに謝れ!」

「はあ!? なんでだよ! 謝るならこいつだろうが、俺の親友に取り憑きやがって!」

「だからっ、無根拠にミヅモを責めるのはやめろ!」


「ごめんなさい」

 謝ったのはミヅモだった。

「カズ ヤの、いう とおり、 シュウを こん なふうにしたの 私 だから、 ごめんなさい」

 

 こんなに責められて、それでもなお、彼女は深々と頭を下げ、謝った。

 それなのに一哉は、鬼の首を取ったように叫んだ。

「ほ、ほらっ! 聞いたか! 本人が認めてるじゃないか!」

 僕は、何もかも思ったようにならない現状に、苛立ちが爆発した。

「うるさい! もう帰れよお前! 何しに来たんだ! ミヅモをいじめに来たのか!? なあ!」

「だから、お前に言いたいことがあってきたんだって――」

 僕はもう声を聞くのも嫌になって、一哉の肩を突き飛ばして階段へと追いやった。そこで手を出したのがまずかった。それが、彼の頭に血を上らせてしまった。

「お前ふざけるなよ!」

 次の瞬間、僕は彼に殴り飛ばされた。殴り合いの喧嘩となると僕は滅法弱い。それに彼はこうなるとしばらく止まらない。しまった、まずいなと思っていたが、追撃は来なかった。代わりに「ずぐっ」と聞いたこともない音が聞こえた。

 起き上がると、どういうわけか一哉の両足が格子の目にすっぽりとはまっていた。急に重力の方向が変わったのかとばかげたことを考えてしまうくらい、その状況は不可思議だった。しかし数秒後、僕も一哉もその原因を理解する。

 格子の中には、一哉に向かって手を突き出し、凄まじい形相で彼を睨むミヅモがいた。

 その手からは、細い触手が出ていて、それが一哉の両足に絡みついていた。僕らは喧嘩の熱も一気に冷め、これから起きるであろう不可避の惨劇に対し必死に抵抗した。

「ミヅモ……違う、それは違うよ。ねえ、その触手を解いて」

「お前っ、頼むからこれを解いてくれ! 悪かった、言い過ぎた、謝るからっ!」

 ミヅモは、何も言わなかった。

 ごちゅっ、ぶしゃっ、と音を立て、ミヅモの姿は瞬く間に変わっていった。一哉に絡みついていた触手は解けるどころか、その数を何百倍にも増やした。

 そして、また「ずぐっ」と音が鳴った。それは、触手が一哉を引っ張る音だった。格子の内側に無理やり引き込もうと。確かに格子の目は、ミヅモの蜘蛛の姿を基準にしているのか、かなり粗い。小柄な女性くらいならなんとか通れるだろう。だが、どう考えたって一哉みたいに体格のいい男が通れるようにはできていない。ミシミシと彼の身体が嫌な音を立てた。彼は、血が上り、破裂するのではないかというくらい真っ赤になった顔で、声にならない悲鳴を上げた。

 やがて、触手は彼の身体をこちら側に戻した。息も絶え絶えな一哉が、僕のすぐ側に力なく横たわった。そうだ、どう考えたって通るわけがない。通りさえしなければ最悪の事態は防げる。その間にミヅモの怒りを鎮められれば。数秒間、僕はそんな楽観的なことを考えていた。だけど、彼女は邪神なんだ。僕はそのことを失念していた。

 何でもいいからミヅモに呼びかけよう、と口を開いた時だった。一哉の姿が消えた。その瞬間、何かが潰れる音がした。見ると、再び一哉が格子にはまっていた。今度は全身から血を噴き出して。

 彼女には、諦める気なんて毛頭なかった。彼を一瞬格子から外したのは、ただ「今度は勢いをつけてみよう」と、それだけのことでしかなかった。一哉はもはや声を上げられる状況になく、声を出せるのは僕だけだった。僕は必死にミヅモに訴えた。

「ねえ、仕返しのつもりならもう十分すぎるよ! 彼を離してあげて!」

 しかし、潰れる音は無慈悲に繰り返された。

 たぶん4度目か5度目で、先ほどまでと違う音がして、一哉は完全に格子の内側に入ってしまった。腕は変な方向に捻じれに捻じれ、顔は見る影もなく血だらけになっていた。でも、これで終わらないことは、一哉を捉えて離さないミヅモの目を見れば分かった。

 不意に、ずるぅとミヅモの頭部から何かが飛び出た。それは、人間の姿のミヅモだった。上半身だけが蜘蛛の頭部から突き出ていて、一哉を睨んでいた。

「あやまって」

 恐ろしく冷たい声で、一哉に言った。一哉はもうほとんど力が入らないであろうボロボロの口で、必死に「ごめんなさい」と叫んだ。しかしその返答は、ベッと蜘蛛の口から飛んできた紫の粘液だった。僕が触れたときはなんともなかったはずなのに、彼はおぞましい声を上げてのたうち回った。傷口に沁みたのか、と思ったけど、見れば粘液からは煙が立ち上っている。

「私に じゃない シュウに」

 そうして、捻じれた腕で必死に僕の方を向き、また叫んだ。もうごめんなさいと発音しているかどうかも判別つかない状態だったが、それを聞いたミヅモはやっと満足気な表情になった。

「シュウは どう?」

 いきなり僕に振られて一瞬固まってしまったけど、すぐに「許す! 許すよ!」と叫んだ。すると、ミヅモは穏やかに笑った。僕はようやく安堵した。これで命だけは取り留めた。今度こそ、二度と一哉は家には来ないだろうけど、それでも生きてさえいてくれればいい。






 しかし、それすら叶わなかった。

「よかったね カズヤ」

 ミヅモはそう言うと、蜘蛛の口で彼を頭から喰った。

 まるでスナック菓子を食べるかのように、いとも簡単に、ものの数秒で、一哉の身体は跡形もなくなった。



「なんで……僕、許したのに」

「うん。だから、頭から 食べたよ」

 それだけのことだった。

 僕が許せば、楽に殺してやる――それだけのことだった。

 一哉が今日、僕に何を言いに来たのか分からないまま、彼は死んだ。喧嘩の途中だった。彼の最期の顔は、自分が結局喰われるのだと気づいたときの顔。まだ理解に恐怖が追い付いていない、ともすれば呆けているようにも見える顔だった。そんな顔だった。

 僕は、自分がどれだけ楽観的に考えていたか、ようやく思い知った。

 本を読み聞かせることで、正しい倫理観を育むなんていうのは、あまりに稚拙な絵空事だった。彼女は記憶を失っているけれど、時には子どものような振る舞いを見せるけれど、彼女という人格の大部分は、数千年生きてきた神としてのものだ。それを今さら、僕がどうあがいたところで、変えられるわけがない。


 神を怒らせてはならない。

 何千年もの間、世界中で散々言われてきた常識さえ、僕は忘れていた。


 それならば僕は、本来、ここでミヅモに感謝すべきだったのだろう。それが僕のためには一切なっていないとはいえ、神が僕のために行動してくれたのだから。常識に照らし合わせるなら、それが正しい行動といえる。

 だけど僕は、やっぱり駄目だった。学ぶことができなかった。神としてのミヅモを、今さら受け入れられなかった。

 再び人の姿になり、笑顔でこちらに歩み寄ってくるミヅモに対し、僕は言った。

「酷いよ、ミヅモ」

「え」

 笑顔のまま、ミヅモが固まった。

「酷い、よ」

 僕は泣いた。泣いてミヅモに抱きついた。僕もわけが分からなかった。

 ミヅモは混乱してしまったようで、「あ、う、」と母音を口から漏らすばかりだった。やがて、そっと僕の頭を撫で、「だ、だいじょうぶ だいじょうぶ」と僕をなだめるように言った。彼女のきっとわけが分からなかっただろうに。

 それから何時間経っただろう。ミヅモはずっと僕に付き合ってくれた。母の僕を呼ぶ声で我に返った僕は、階段を上った。そして、夕食の準備を始めようとしていた母に、今日のことを伝えた。さすがの母も顔を青くして押し黙った。

 しかし結局、今日のことは誰が来ても黙っておくように、ということになった。当然のことだ。ミヅモがやったのだと警察に突き出したところで何になるという話だ。警察が壊滅するだけだ。

 僕はそれからしばらくの間、地下室に入らないようにした。普通の感覚なら、親友を喰った怪物を許しはしないし、まして会いたいなどとは思わないはずだと、思っていた。笑えるだろう。僕はまだ、自分が普通の感覚を持っていると信じていたんだ。でも、一週間も経たないうちにまたミヅモが抱きたくなってきて、僕はやっと自分を信じるのをやめた。

 数日ぶりに僕の姿を見たミヅモは、満面の笑みで僕を迎えた。たぶん僕も同じ顔をしていたと思う。扉を開けると、キスもそこそこにすぐ行為に及んだ。皮肉なことだけど、こうしてミヅモを抱いている間だけは、ミヅモが親友を喰った怪物であるということを忘れていられた。

 そう、僕は忘れたかった。僕に残された唯一の心の支えを憎んでみせる勇気は、僕にはなかったから。行為を激しくすれば、頭を空っぽにできる。行為に夢中になると、彼女はいつも僕の背中をギリリと引っ掻いて傷つける。それで僕の心は安らぐ。

 行為が終わってしまうと、傷つけられることで一哉と痛みを共有してるって錯覚に浸っている自分に気づいて死にたくなる。だから、思い出す前に忘れる。行為後にキスしたときのミヅモの笑顔で、全部塗り替える。






 ――そんな生活が、しばらく続いた。

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