私は彗星を埋める
彗星を私は埋めている。
燃えるように真っ赤なそれに土をかぶせるとビクン、と動いた。
夜空には、太陽よりもずっとずっと大きな木星が、私達を吸い込むかのように広がっていた。ここは土星のタイタン。私達は生きながらえる為に彗星を埋め続けている。
『助けてくれ……。ヴィヴィ、私だ。……分からないのか……』
彗星が私にそう語りかけてくる。私の目から涙が零れ落ちた。
「ごめんね」
私はそう言って彗星にシャベルを突き立てた。彗星は悲鳴を上げて大人しくなった。
土を被せて完了――私はその場に崩れ落ちた。
死んだ人間の魂がどこへ行くのだろうか? それは永らく人間達の間で疑問として語られていた。
ある人は天国の存在を唱え、ある人は、あの空に輝く星になるのよと告げた。
でも私は、死んだ人がどこへ行くのか知っている。
一仕事を終えた私は、疲れからその場に倒れ伏した。
◆
変な夢を見た。
トントンと言う包丁の音と、スープの美味しそうな匂いが私の体内に飛び込んできた。パチッと目を開けると、木造の天井がそこにはあった。
「おはよう。今日はキノコのクリームシチューとくるみパンよ」
そんな声が響く。そちらへ視線を向けると、そこには笑顔のママが居た。私が上半身を起こすと同時にママが心配そうな声をあげた。
「どうしたの!?」
そう言って私の頬から止め処無く流れる涙を指先で掬い上げる。
「……夢を」
私は、言った。
「とても悲しい夢を、見たの」
「……どんな夢?」
ママがそう問い掛けてくる。私は今見た光景を、拙い言葉ながらに伝えた。
「私、土星に居たの。土星の……タイタンって所。そこで、彗星を集めていた」
「……彗星を?」
「うん……」
私はそう頷いた。
「彗星を、埋めていた」
「どうして?」
「そうしないと、死んじゃうから……」
私は視線を伏せた。
「……とても、寒い所なの。でもね、彗星を埋めるとなぜか地面が温まる……。だから、彗星を埋めていたの」
私のしどろもどろな要領を得ない話を、ママは真剣な表情で聞いてくれていた。私は贖罪の気持ちで、今見た夢を吐露していた。
「そしてね、私が埋めていたのは、パパだったの。死んでから、彗星として夜空を流れるパパだったの。私はそれを埋めたの」
「……」
私の心が酷く傷んだ。
「私は、……自分が助ける為に、パパの魂を埋めたの……」
ママがそっと、私を抱きしめた。
「夢よ、ヴィヴィ。気にしちゃダメよ……?」
「でも……。でも……」
私は涙を止めることができなかった。
ママにも、誰にも言っていないことなの。
私はパパを殺したんだ。
そして、その魂も殺したんだ。
◆
少し前の話。
管に繋がれていたパパが居た。頭髪はなくなって、生きているのか死んでいるのかさえ分からないような状態で。
病気だってママは言っていた。治る見込みも無いんだって。
でも、死んでいないし、何年かして目覚めることが無いって訳でもないんだって。だから希望は捨てちゃダメよ――ママはそう言っていた。
でもね、ママ。
パパの入院費を、うちは出すことできないよね? だってうちには貯金なんて全くないはずだもの。毎日の生活費で精一杯だったはずだもの。
私だってパパに死んで欲しくない。
パパのことが好きだった。
でも、ママのことも同じくらい好きなの。
パパの入院費を出す為に、ママが一晩中どこかに行ってるの。化粧をして綺麗になって――。
私、状況を理解できないほど、もう子供じゃないよ……?
だから。
私は、パパのお見舞いに行った時。
パパに繋がれている管の一つを、抜いちゃったんだ。
パパは暴れなかった。苦しそうな声さえもあげなかった。
私が、パパを殺したんだ。
起きたくない。
全てから目を背けたい。
「……もうちょっと、寝てたいな」
私がそう言うと、ママが柔らかい笑みを零して頷いた。
「そうね……。もうちょっとだけ、寝てなさい」
ママが優しくそう言ってくれる。
私は布団をかぶり直して、目をつぶった。
◆
私はパチッと目を開けた。
夜空には巨大な木星があった。シマシマ模様の中にとても大きな赤斑がある。それに飲まれそうな気がして私は視線を伏せた。
大気はものすごく寒い。でも、地面は温かい。だから私は生きることができている。
死んだ人の魂は、彗星に乗ってこの広大な宇宙を永遠に旅する。
時々ここへ落ちる彗星を、私は埋めるの。
人の魂を乗せた彗星は苦しさからか地中で暴れまわって、そして、熱を放つ。
苦しさの暖かさ。
辛さの暖かさ。
私は、何でここで生きているの……? 生きたいから生きているの? 死ねないから生きているの? 他の人をたくさん犠牲にして、何で生きているの?
私は何? 私はそれほどに偉いの? 人の魂を踏みにじってまで生きていて良い存在なの?
そこで、私は気付いた。
私だけじゃない。
誰もが、多かれ少なかれ、人の魂や尊厳を踏みにじって生きているんだ。
◆
南へ行けば温かいけれど、行き過ぎると寒くなる。
豊かな生活の裏側には、その数倍の貧困がある。
綺麗な夜景とワイングラスの乾杯の下では人が死んでいるの。
「そろそろ起きなくちゃ。ご飯にしましょう」
ママがそう言って立ち上がった。虚ろに目を開けて私もベッドから足をおろす。エプロンを羽織ったお母さんの後ろ姿を見て私は目を眇めた。
ごめんね、ママ。
ここに居る私は間違いなくママが大好きな私だよ。パパを殺した時に生まれた私は、置いてきたから……。私の中に確かに生まれた黒い私は、確かに私の中から消したから……。
だから、嫌いにならないで欲しい。
自分勝手かな? わがままかな?
こんな私のことを知ったら、ママは軽蔑するかな?
ママ……大好きだよ。
◆
……。
何十年経ったのかな?
空にはいつものように木星が広がっていた。
寒い。
寒いよ、ものすごく寒い。
私は両肩を抱いて白い息を零した。
地面に埋まってたお父さんの魂の彗星が、動かなくなってきたのかな。
次の彗星が来ないと、私は凍えて死んでしまう。
ううん。死んじゃった方が良いのかもしれない。でも……。
そんなことを思って、今日は来るか明日は来るかと彗星を待ち望む。
不意に、キラリと輝く彗星が私の視界に映った。そして、それが遥か遠くの方へと落下するのが見えた。と同時に巨大な振動が地を揺らす。
「来た……っ!」
私は彗星が落下したと思われる方へと駆け出した。彗星が落ちたのは南の方。急げ、急げ、と私の足が勝手に動き出す。心なしか足取りも軽やかだった。
私は彗星が落下した地点へとやってきた。どんな彗星かと私は確認をする為に顔を覗かせた。そしてその瞬間、私は思わず膝から崩れ落ちた。
「……私」
そう。そう言うことなの……。
私はその彗星を見下ろした。
「貴方も、生を終えたの……」
そこにあったのは、私自身だった。
彗星の表面に浮かんでいる顔――あの日分かれた、私自身。私を捨ててどんな人生を歩んできたのだろう?
私がおもむろにスコップを取り出す、と。
「待って……!」
彗星が私に話しかけてきた。
「嫌……嫌よ……! こんな終わりは嫌……!」
「人は」
私は彗星に話しかけた。
「誰かを犠牲にしなければ生きていけない」
私は、スコップを振り上げた。
「貴方は、あの日あの病室で生まれて、パパへと手を下した私を切り捨てた。だから今度は、私が」
「待っ――」
「貴方を犠牲にしようと思う」
そして、それを。
躊躇いなく振り下ろした。
数十年ぶりの暖かさに私は人心地をついていた。確かに暖かくなった。これで明日も生き延びることができるだろう。それなのに、それなのに。
どうして、私の心はこんなにも寒いのだろう……?
空には巨大な木星が広がっていた。