深海の魔女と人魚の姫
学校に提出した課題です。人魚姫と深海の魔女の話。
泡になって消えた少女のことを、深海の魔女は思い出していた。
始まりは、かの少女が「人間になりたい、足が欲しい」と魔女に頼みに来たことだ。魔女はその願いを叶えてやることにした。少女の、美しい声と引き換えに。
少女の声は美しかった。ちょうどこの青い海のように澄んでいた、と魔女は大海原を眺めて思う。その美しい声も、今では魔女のものだった。
足を手に入れた少女は、喜んで陸へと上がっていった。しかし、喜んだのは少女ばかりではない。魔女の方でも、美しい声が手に入って浮き足立っていた。少女が陸の王子に恋していることを知りながら、魔女はその王子に取り入ろうと決めた。
一度だけでもいい。自分を何も知らないような他人に愛されてみたかった。醜い容姿や魔女としての恐れなどを知らない他人から、心ゆくまで愛されてみたかったのだ。
王子自身、自分を救った少女のことを歌声でしか記憶していなかった。それをいいことに魔女は、姫に成り代わったのだ。
美しい姿となった魔女のことを、王子はもちろん人魚の姫も正体に気づくことはなかった。
足を手に入れた人魚の姫は、その愛らしさゆえなのか、声がなくとも王子に愛された。しかしそれは妹のようなものとしてである。魔女は王子の恋人として過ごし、やがてプロポーズを受けた。
そのような状況を、人魚の姫はもちろん悲しんでいた。そうして涙する姫を、無神経を装いなぐさめることが、魔女にとって楽しみでもあった。
『あなたのこと、好きよ。やさしいもの』
ある時、人魚の姫は泣きながらそう言っていた。もちろん声は出ないため、正確には文字でそう伝えていた。覚えたての子供のように下手な字を見ながら、魔女は優しく「ありがとう」と微笑む。
『でも、一番は王子様なの。ごめんなさい。あなたは二番目に好き』
いいのよ、と魔女は言った。目を細めて、「だけど」と続ける。
「一番好きなのが自分じゃないと、幸せになれないものなのよ」
そう――――ちょうど今の若い姫が不幸せなように。
結婚式の前の日、魔女は姫の姉たちをけしかけて姫に短剣を握らせた。姉たちはこう言ったはずである。『王子か、その結婚相手の女を殺しなさい。そうすれば人魚に戻って今までどおり暮らすことができる』と。それはそのまま、魔女が姉たちに伝えた言葉であった。
なぜそうして姉たちをけしかけ姫に短剣を握らせたのか、魔女自身にもわからない。
結局、人魚の末の姫は自死を選んで泡となって消えた。愛する人はもちろん、恋敵でさえ殺せなかった弱い姫だ。
魔女は暗い海を見ている。姫が泡となって消えた海だ。あの輝く笑顔の少女に、この深い海は似合わないような気がした。なるほど、だからあの娘は陸に上がりたかったのかもしれない。
魔女は海に向かって手を伸ばした。自分が、泣いていることに気づく。
もう一つ気づいたことがあった。
グズで泣き虫で考えなしで愛らしいあの人魚の姫のことを、深海の魔女は案外好きだったのだ。自分の事よりもずっと。
いつのまにか、足は陸から離れていた。魔女と呼ばれた一人の女は、深く深く海の底に沈んでいくのだった。
王子様が空気。




