一頁 不時着した紙飛行機
机にプリントが広がっている。
端が折れてしまっているものや、端どころか全体がグシャグシャになっているのもある。
それらは全て無回答のテストだ。
名前さえも書かれなかった可哀想な紙たちだ。
それを広げて丁寧に折っていく。
形が歪な紙飛行機が出来上がった。
窓を開けて飛ばしてみた。…が当然上手く飛ぶはずもなく、歪な形の紙飛行機は、彼の心を表現するかのようにフラフラ、ヨロヨロと駐車場のコンクリートの上に不時着した。
ふと時計を見ると、今から行っても朝の授業には間に合わないであろう時間だったことに彼、佐成京弥は気付いた。
「…めんどいな」
仕方なく制服に着替えた。その辺に脱ぎ捨てていたから少しシワが出来ていた。
気にしない。
朝食も食べずに出ていった。
日差しが尖いこの季節。
「…太陽なんて消えてしまえばいいのに…」
なんて考えたところで、夏の太陽は引っ込んではくれない。
教室が遠く感じた。
後ろのドアを思い切り開ければ、クラス中の視線が集まる。
この軽蔑するような目には慣れてしまった。
「今日も遅かってんなぁ」
幼馴染である廿六木鼬は関西出身で、金髪に赤いTシャツという出で立ちの所謂不良だ。
「…別に誰が困る訳でもないだろ」
微妙に言い訳じみてしまった。
「せや、今日転入生来てんねんで。はよ席座りや」
「転入生?何処にそんなのい…」
言われてふと見回して、学校に来たことを後悔した。
見た先にいたのは一人の少女。そう、ただの少女だったのだ。
だが、佐成にとってはただの少女ではなかった。
「………ぞみ…」
「へ?なんやて?」
聞き取れなかったのか廿六木は訊き返した…が佐成はそんなことを気にしていられなかった。
佐成はくるりと向きを変えるとそのまま教室を出ていった。
屋上まで早足で歩いて行った。
あの立ち去り方は確実に不自然だった。
だがそれも仕方ないのだ。
あそこにいたのは、
「…望…だったよな…」
篠原望。
佐成の幼馴染の彼女。
だが、いるはずがないのだ。
何故なら彼女は―
「何サボってんのさ」
気づいたらいつの間にやら後ろに人がいた。
「棗…」
「もう一時限目終わっちゃってるけど?」
笑いを含んだ声でそう言った生徒は、覡棗。
覡は佐成が中学時代にお世話になったクラスメイト、今では親友である。
「何かあったわけ?」
「…いや…」
何もない、とは言えなかった。実際佐成の中では事件があったのだから。
「あったんなら言ってよ。」
覡は佐成が立っている横に座って見上げてきた。
佐成も座って、うずくまった。
「…幽霊がいた…」
「なるほど、ゆうれ………は!?」
「…幽霊」
言ってから屋上の入り口を見つめていた佐成の頭を覡はぶっ叩いた。
「いっ………て…。お前信じてないだろ」
「信じられるわけあるか!!何でそうなったんだよ!!」
「なんでって…」
叩かれた頭を擦りながら佐成は続けた。
「…俺の…目の前で死んだはずの…」
それは忘れもしない、悲劇だった。
篠原望。
それは佐成の幼馴染であり、初恋の相手である。
彼女は明るい気さくな少女だった。
その太陽のような彼女の明るさに、佐成は惹かれていた。
篠原と佐成は毎日一緒に中学校へ登校していた。
毎日、その明るい太陽と一緒にいた。
だがある夏の日。
その日は歩きながら単語帳を開いていた。
十分に気をつけているつもりだったのだが、佐成は気づかぬ内に赤信号で渡ろうとしていた。
赤信号ならば車がくるのは当然、クラクションの音で振り向いた頃には目の前に車が迫っていた。
何色の車かは覚えていない。
ただ次の瞬間、何かに押されて道路の脇に転がった。
痛くて起き上がると人だかりが出来ていた。佐成の周りではなく、別のものの周りに。
痛みを堪えて見に行った。
大勢の人の隙間から見えたのは、真っ赤に染まったアスファルトと、
真っ青になった幼馴染だった。
即死だったらしい。
らしい、と言うのは人づてに聞いたからではない。
ちゃんと医者から聞いたはずなのだが。
医者の太い声は全て、耳から外へとすり抜けていった。
それ以来、誰かと話す気力も外へと出る気力さえも無くなってしまった佐成は、自室へと引き篭もるようになった。
それが、佐成に起きた悲劇だった。
「篠原…ねぇ…。確かに…あいつが大人になった感じなのか…
覡は事情を知っているただ一人であった。
覡は別のクラスのため、佐成が見たあの存在を知らないようだ。だが…
「朝会とかで紹介されなかったのか?」
佐成はそれを疑問に思っていた。
「なんか転入生が来るって話は聞いたんだけど
さ」
本当に知らないらしい。
「これから説明とか…
覡が言葉を繋げようとした時だった。
全生徒は速やかに体育館へ移動してください。繰り返します。全生徒は―
女性教員の校内アナウンスが流れた。
「なんだぁ?いきなり」
「集合しろってんだから行けばいいんだろ。行くぞ」
首を傾げている覡にそう告げて佐成は体育館へ向かった。
そう広くはない体育館に大勢の人が集まると実に窮屈だと佐成は思った。
「これから集会を始める」
まだざわついている生徒達に向かって教頭は言った。
「今日は君たちに紹介せねばならない人がいる」
その声と同時に舞台の上に立ったのは、白衣姿の男と、
篠原望だった。
「それでは薪谷さん、お願いします」
薪谷と呼ばれた白衣の男はにっこりと笑って話をし始めた。
「はじめまして、薪谷孝造ともうします。私は遺伝子について研究をしております。数々の…」
説明が長くなりそうだったので、佐成は立ったまま寝そうになっていた。だが
「そこで私が注目したのがクローン技術と言うものです。」
薪谷がそう言った瞬間に佐成の目は冴えた。
舞台の方に目をやり、そして篠原の形をした何かに目を向けた。
まさかとは思う。
そうだとしても、何故、幼馴染なのか。
聞きたくなかった言葉を、薪谷は自信満々に告げた。
「この娘はそのクローン技術によって生まれた少女です!」
篠原の形をした何かの肩に手を置き、説明を続けた。
「この娘は篠原望さんといいます。中学生になったばかりの時に不運な事故で亡くなりました。ですが」
薪谷は両手を広げ、声を張って言った。
「私が研究し、発展させたクローン技術によって蘇ったのです!」
これ以上聞きたくなかった。
佐成が耳を塞ごうとした時に薪谷は言った。
「ですから、この娘は正真正銘の篠原望さんなのです!!」
その言葉を聞いた瞬間、
「…くっ……あは…あははははははははは!!」
佐成の笑い声が体育館中に響いた。
「何がおかしいと言うんです」
薪谷は怪訝そうにしていた。
「何がって…そりゃあおかしいだろ」
笑いを堪えながら佐成は続けた。
「望は死んだんだぞ?ここにいるわけがない」
「だから蘇って…」
「蘇った?死人が?俺の目の前で、俺を庇って死んだ人間が?」
反論しようとした薪谷を佐成は遮って言った。
「いいか、おっさん。望は死んだんだよ。もういないんだよ。偽物に望の記憶があろうがな、人工の偽物は望じゃあない。望の記憶をインプットされたただのロボットだ。もっかい言う。望はいない。いないんだよ!!」
最後、佐成は声を荒げて言うと俯き、黙った。
その後、先生が何とか集会を閉じた。
空気は重く、誰も佐成の方を見ようとはしなかった。