理由
維月は、実は人でありながら月の命をもらったため、一度も月に帰った事はなく、まだその命とこの体の調整がうまく行っていなかった。時々ズレが生じて体に変調を感じ、そのたびに、側に居る月と波長を合わせて自分なりに調整し続けていた。
しかし、ある日、どうしてもズレが直せない時があった。維月は、龍神のことを思い出し、必死に念を送った。
《龍神様!どうか助けてください!》
維心は、ハッとして自分の居間で顔を上げた。今の声…これは、あの月の妃の維月ではなかったか。我の結界を物ともせずに飛んで来るとは、一体どんな力であるのだ。しかし、維心はためらいがちに答えた。
《維月か…?どうした?何があったのだ。》
維月は、念が返って来たことにホッとしたようだった。しかし、切羽詰ったような声は変わらない。
《私の月の命が、身から離れてしまいそうなのです。今まで、月に合わせて調節しておりましたが、今日はそれがうまくいかず、まるで自分の体ではないようで…。》
維心は、聞いた。
《月は?何と言っておるのだ。》
維月は首を振ったようだった。
《月はとても心配するのです。とても、こんなことは言えません…。どうか、お助け下さいませ。》
維心は驚いた。そんな、命に関わるようなことで、元は人で分からないことも多いだろうに、月の心配をするのか。
《ならば、我が教えようぞ。しかし、直に己で調節できなくなって来よう。その時は、我が直接主を手助けするためにそちらへ参ろうほどに。己でどうしようもなく具合が悪くなることがあるということ、念頭に置いておくのだぞ。》
維月はホッとしたように答えた。
《はい。感謝致しまする。》
維心は、そうやって維月と念を飛ばしあうようになった。いつも、突然に振って来るようにその念は届いたが、いつも緊急を要しているような時ばかりだった。一週間に二度ほどだったそれが、そのうちに二日に一回になり、ついに毎日になった頃、維心は維月が気がかりで毎日朝目が覚めたら維月の気を探るようになっていた。そしてふと、思った…なぜに、たかが女一人に、我がこのように気に掛けておるのだ。
しかし、とても放って置けなかった。それがなぜかなど考えることもなく、維心は維月の気を探り、見守り続けた。
そうして、三か月が過ぎたある朝、維心は朝から毎朝するように維月の気を探って、それを知った…まるで二重になっているかのような、気。命が、完全にずれてしまっている。このままでは、維月の体から月の命が離れてしまう!
維心は焦った。そして、供は要らぬとだけ言い残し、龍の宮を飛び立って美月の里へと向かった。
その頃、維月は急に目覚めた瞬間から体が動かないのを感じた。呼吸も荒くなり、人の体は熱を出していた。言葉もうまく発しられないほど、体は別の場所にあるかのようだった。維月はなんとか念で月に伝えた。
《大丈夫よ、龍神様が治して下さるから。》
「どうしたんだ、維月?龍神に何が出来るんだよ?」
月は心配そうに問うた。
《私の月の命がこの体ときっちり合っていないの。ずっと龍神様に教えてもらって調整していたけど、限界みたい…。》
「なぜ、それをオレに言わなかった?」
「主は病人相手に何を問うておるのだ」振り返ると、人型になった龍神が立っていた。「主に心配掛けまいと、維月は己れで調整しておったのよ。だが、もうそれも限界であるな。」
龍神は維月の側に膝間付いた。
《維心様…。》
月は確かに維月の念がその名を呼ぶのを聞いた。
「維月よ、よく頑張ったな。だが主の力ではこれが限界だ。我に任せよ。」そして月を振り向き、「おそらく主は良い気はせぬであろう。だが、我と維月の意識をつなぐのが一番早いのだ。個の感情は捨てよ。」
月は龍神を鋭い目で見据えた。
「…何をする気だ?」
「主もよくしている事よ。」龍神、維心は維月の顔の横に手をついた。「維月、すぐ楽にしてやる。」
そう言うと維心は、維月に口付けた。維心は光輝き、その光は維月をも包み、しばらくのち、維心は口唇を離した。維月の呼吸が元に戻る。維月は目を開けた。
「ああ」維月は声を出すことが出来た。「体が動くわ。ありがとうございます。」
維心は穏やかに微笑んで頷いた。
「なんと維月よ、主はまこと我慢強いヤツよ。主が人であったとは我は信じられぬ。」そして、月を振り返り、立ち上がった。「維月の命、安定させるために、我はしばらくここへ参る。主の怒りは我にも分かるが、これは命を司る我でなければ出来ぬこと。どうしても我慢ならぬなら、主は天上へ戻っているがよい。我も、この維月という命、失いとおないのでな。」
蒼は、事の次第を蒼は母に勧められて風呂に入り、ここでいつも使っている部屋に布団を敷き、横になった。窓から月が見える。十六夜は今、どんな気持ちで居るんだろう?
なんとかまた二人で、せめて話せないかと、蒼は考え続けた。
次の日、蒼は家の中に別の気を感じ取った。これは昨日も感じた…龍神の気だ。
慌てて居間へ行くと、そこには龍神の気をまとう、精悍な武者が立っていた。
「当主よ。久しく会わなかったな。」
「龍神様」蒼は頭を下げた。「この度はまた、母がお世話になっております。今から調整をされるのですか?」
蒼はキョロキョロと回りを見た。母はまだ居ない。龍神は笑った。
「おお、維月まだ休んでおるのだろう。朝は苦手なようだからの。よい、我は待っておるよ。」
蒼は頭を下げて、その部屋を出た。龍神様は良い人なんだけど、いや良い神なんだけど。やっぱりオレは十六夜が好きだなあ…。
ふと、蒼は思い直して龍神の居る部屋へ急いで戻った。
「龍神様、少しお話よろしいですか?」
龍神は少し驚いたような顔をした。
「良いぞ。まだ時間はあるようなのでな。何用か?」
蒼は龍神を戸の方へ促した。
「外で話しませんか?」
龍神は何か察して、蒼の言う通り共に外へ歩き出た。
龍神は、背も高く体格も良く、男の蒼から見ても堂々とした惚れ惚れするような人型であった。刀は差しているが、甲冑は身につけておらず、服装は至ってシンプルで、特にここでは戦闘モードではないらしい。
神社の近くまで歩いた時、龍神は立ち止まって蒼を見た。
「ここなら良いであろう。当主、我に何用か?」
蒼は頷いた。
「十六夜…月の事です。」
龍神はそうであろうな、という風に頷いた。
「あれは何か申しておったか?」
「何も。」蒼はかぶりを振った。「だから私はここへ来たのです。」
龍神は微笑した。
「意外であるかもしれぬが、我には月の気持ちがわかるのよ。しかし、これは我にもどうしようもないこと。維月を失いとうないのは、月ばかりではないゆえな。」
蒼にはよくわからなかった。
「それは…龍神様も母を、ということでしょうか?」
龍神は一瞬びっくりしたような顔をしたが、すぐに笑った。
「当主よ、確かに我は維月を気に入ってはおるがな、そうではない。我も、月と同じような立場になったことがあるのだ。ゆえにわかると申したのよ」そして少し意地悪く笑うと、「最も、月がもうここへ降りぬと申すなら、その限りではないがな。維月は思ってもいなかったほど、我の好みであったのでな。我のような神であれば、さらってでも我が物としようとするであろうよ。あれはそれほどまでに、神好みの性質であるのよ。主にはわかるまい。」
蒼には言われた通りわからなかった。確かに母は母なのだから好きだが、彼女とか妻とかなるとかなり大変な人だと思う。蒼は素直に答えた。
「…わかりません。」
龍神は豪快に笑った。
「主は素直だな。嫁取りはさぞ大変であろうが?何でも白蛇が主に談判したとかで、神の間は騒然となっておったぞ。維月も心配しておったわ。」
母さん、知ってたんだ…。蒼は龍神にまで知られているとは、ますます面倒に感じた。
「私はまだそのようなこと考えておりません。母にも自分のことは自分で決めろと言われておりますし、正直、結婚というもの自体、やめておこうかと思っているぐらいです。」
反対されるかと思ったが、龍神は頷いた。
「それは主の決めることぞ。我も我が民のことは気に掛けておらぬ。人のことは人が決めるがよい。限りある命であるゆえにな。」
龍神にそう言われて、なんだか蒼はホッとした。やっぱりこんな神様も居るんだ。龍神はふと、家の方を向いた。
「維月が起きて来たようだ。当主よ、月のことは我に任せよ。今日調整が終わってから、我が直に話すほどに。まずは、維月よ。」
龍神は家に足を向けると、歩き去って行った。
龍神は母と意識をつないでいたが、蒼はそれを見てびっくりした。まるで恋人同士が共に過ごしているような感じを受けたからだ。
赤面してその場を離れた蒼は、これを目の前にした十六夜の気持ちを思いやった。いくらそれが命に関わる事でも、十六夜にとってはきっと耐え難いことであっただろう。
意識をつなぐのと心をつなぐのは同じなのだろうか?蒼はそんなことを考えた。
沙依のことは好きだけれども、自分は十六夜のような激しい気持ちは持っていない。誰かにとられるとか、そんなことを考えて怖くなったり、苦しんだり、そんな気持ちも起こらない。
嫁取り合戦のただ中に立たされて、蒼はやっと考えることが出来た。他の普通の人ならいいが、自分は簡単に誰かと付き合うとか、そんなことを考えてはいけないのかもしれない。
龍神が家の中から出て来た。
「当主よ。維月が食事を用意したと言っておるぞ。」
蒼は立ち上がって礼をした。
「わざわざありがとうございます、龍神様。」
龍神は手を振ってそれを制した。
「そのように堅苦しくせずともよい。我は元々、そこまでうるさい神ではないのよ。我のことは、維心と呼ぶが良い。」
蒼は家の中へ入りながら、龍神に言った。
「維心様は、召し上がらないんですが?」
「我の糧は主達とは違うゆえな。命の気があればそれでよい。」
龍神は入れ替わりに外へ出た。村人が通り掛かったが、維心のことは見えていないようだ。母も月になる前は見えなかったのだから、おそらくやはり神は人には見えないものなのだろう。
それを別段気にする風もなく、維心は神社の方へ歩いて行った。
それを見送って、蒼は家の戸を閉めた。
維心は神社の境内で、空を見上げた。昼間であっても関係ない。神同士は門も何も関係ないからだ。維心は月に話し掛けた。
《月よ、聞いておるな?》
月からの応答はない。しかし聞いているのは波動でわかった。
《維月はもう、心配いらぬ。あと少しで気は安定し、おそらく若月と同じように過ごすことが出来るであろう。一度月に戻すことも考えたのだが、それはあの「人」の器が耐えられんようなのでな。しかし普通の「人」であったのなら、とうに根を上げておったであろうに。維月とは、まこと強い奴よの。》
月は黙っている。維心は苦笑した。
《主も頑固よの。もうここへは降りて来ぬのか?》
月がムッとしたように感じる。それでも声はない。維心はフンと鼻を鳴らした。
《それならそれでも良いわ。我がここへ通うゆえな。知っておるか?人の世では、何かを失った女であるほど情にほだされやすいと申すのだそうだ。主が我に機会を与えてくれるのであるから、そこでこの先見ておれば良いわ。》
維心が家の方へ足を向けると、やっと月の声がした。
《…お前なんかに何がわかる。》
維心は足を止めた。
《なんと言った?》
《お前なんぞに、オレの心などわかるかと言ったんだ。お前は維月を助けることが出来る。オレには何も出来ねぇ。お前がこの先アイツを守ってやれるんなら、オレに文句を言う資格はねぇ。》
維心は苦笑した。
《主は、真実維月を想っているのだな。そうでなければ、そのようなことは言えまい。》
月は何も答えない。維心はため息をついて、境内にあるベンチに腰掛けた。
《我の話をしよう、月よ。》維心は空を見つめた。《我も主と同じく、「人」の女に想いを持った時があった。想いと申しても、娘を思う親の気持ちのようなものであったがの。思えば維月のように心の強い、大変に頑固な女であったな。我の宮に仕え、我が見え、小さき時より我と共にあった。名を貴子と申した。》
月がためらったような気がした。維心は続けた。
《しかし、「人」とは愚かなものよ。我と話すその血筋を残さんが為、貴子に縁付けようとしたのよ。それでも我は仕方がないと思っておった。我は「人」との間に子は成さぬ。貴子は前日の夜、我に会いに参った。我に、その命を身から切り離す事を頼みにな。》
月は黙って聞いている。その気が、今までのような張り詰めたものでなくなっているのを、維心は感じた。
《我は迷った。貴子は迫ったのだ。我が貴子を娶るか、それともその命切り離すか。》維心は下を向いた。《…人には我が子は産めぬ。なぜなら産み落とせばすぐその子に気を食われて命を落とすからだ。神と人は相容れないものであるのよ。》
月の気は、まるでその出来事を自分のことのように感じているのを伝えて来た。維心は肩を落とした。
《…我には、選べなかった。どちらにしても貴子の命を奪うことになることを、我に選ぶことなど出来ようか…娘のような女を望んでもおらぬ男へ嫁がせるなど考えたくもなかったが、貴子が命を落とすぐらいなら、我はそれでもよかったのよ。貴子が泣きながら宮を出て行く姿は、今でも忘れることが出来ぬ。》
維心のつらい心は、月にも届いていた。
《月よ、その次の日の夜、夫となる男に触れられる前に、貴子は自ら命を絶った。我に出来たのは、自ら命を絶ったものの常である、道に迷うということがないよう、あの世への道を開いてやることだけだった。貴子は我だけを想っていたと言い残し、去った。》
維心がハッと気がつくと、目の前に光の玉が浮いていた。月なのだとすぐにわかった。
《オレは蒼の力でないと人型を作れねぇんだよ。だが、あいつにここに来ているのを知られたくねぇ。》月は穏やかな口調でそう言った。《龍神、お前とオレは似ているのかもしれねぇな。だが、オレはまだ恵まれている。お前に助けられて、維月を失わずに済んだ。》
龍神はフッと笑った。
《しかし主は勘違いしておるぞ。我はもう、今は貴子に執着しておらぬゆえな。「人」はもう、例えに肉親を思っておるような情でも愛さぬと決めたのだ。だがそれが、もし元「人」であっても、今は「月」となれば話は違うぞ。》
月のイラっとした気が伝わって来た。
《おい、維月はもうオレのものだ。》
維心は意地悪く笑った。
《我はそのようなこと気にはせぬ。ほとんどの神がそうであろうが。主はな、おっとりしすぎであるのよ。維月は神の仲間入りをしたようなもの。我でなくとも他の神がやって来る可能性は、いくらでもあるのだからな。今は我が居るから良いが、放って置くと、何が訪ねて来るかわかったもんではないぞ。悠長に天上で惚けている場合ではないわ。》
月は怒るかと思ったが、考え込むような気が発せられた。
《…オレは神のことなど今まで気に掛けていなかったからな。こんなに話したのは、お前が初めてだ、龍神。》
維心はその反応に驚いた。
《…月よ、我のことは維心と呼べ。》それから、光の玉を見た。《まず主はもう少し学ばねばな。人の世のことはよく知っておるが、我らのことや自らのことはてんで知らぬであろうが。主は人型を自ら取ることは可能だ。やり方を知らぬだけよ。》
月の光は明らかに驚いたようだ。
《なんだって?オレにも出来るのか?》
維心は腰に手を当てて溜息をついた。
《我が教えよう。これからは他の神とも話してみるとよい。》
月は不機嫌そうに否定した。
《それは有り得ねぇ。お前がなんでも教えりゃ済むことだろうが、維心。》
維心は呆れたが、人型指南をしようと立ち上がった。
《…それはそうと、主の名を聞いておらぬな。》
月はしばらく黙ったが、答えた。
《…十六夜と呼んでくれ。》
《…それでは、我は参る。》維心は言った。《十六夜よ、今少し我慢せよ。維月はすぐに返してやるゆえにな。》
人型になっている黒髪の十六夜は頷いた。
《仕方ねぇ。早いとこ済ませてくれ。》
家の方へと歩きだし掛けて、維心は立ち止まった。
《十六夜、主はもしかして維月の心、信じ切れてないのでないか?》
十六夜はためらうように横を向いた。維心はフフンと笑った。
《以前の主なら教えてやるつもりは無かったが、仕方ない、教えてやろう。我は維月と意識をつないでいる。要は心をつないで、直接調整の仕方を教えて誘導しておるのよ。維月の心の中は、なんでも読み取れるわ。》と少し十六夜に近付き、《アヤツの心の中には、主しか居らぬ。しかも小さき時からな。子をたくさん成したのも主のため。自分亡きあと少しでも主に淋しい想いをさせぬようにと、必死であったのよ。実に心の強い女よ。貴子に聞かせてやりたいものよな。ゆえに、誰の入り込む隙間もありはせぬわ。我もあれでは諦めるよりほか、ないであろうが。》
呆然としている十六夜を残し、維心は笑いながら立ち去って行った。
《…ありがとうよ、維心。》
十六夜は小さく呟いた。




