別れと再会
この辺りは、正規ルートと同じお話しになるので、一度に投稿しています。
宮へ戻った維心は、そこに控える義心に言った。
「…月が己を殺せと言うて参ったわ。」
義心は、歩いて行く維心について歩きながら驚いて言った。
「それは…王、いったいどうしたことでありますでしょうか。」
維心は歩きながら、しばらく黙って考えているようだったが、首を振った。
「我には理解出来ぬことであるな。あれの情を掛ける相手が逝ったからよ。我はずっと見ておるだけで、祟り神と化したかつての神が、維月と申す前月の当主を殺すのに手を出さなんだ。助けようと思えば出来た…だが、人の寿命は我の預かり知らぬことであるから。月とて、いくら人を愛した所で、所詮先に逝くことには変わりないのに。」
そう、自分はあれを見殺しにした。自分の力を持ってして抑えられない神などいない。祟り神でもそれは例外ではなかった。しかし、月やその守る家系の力を見るために、傍観に徹していた。まさか、あれが月が己の命さえ投げ出そうとするほどに大切な者であったとは。
義心は黙っている。維心は居間の入り口で言った。
「何にせよ、明日決まることぞ。月が死にたいと言うのなら黄泉へ送ってやろうぞ。だが、若月の命をその人の女の黄泉がえりに使うと決めたのなら、それもしてやろう。我がここまでしてやるなど、前例のないことぞ。あやつらはそうは思うてないようであるが。」
維心はそう言い置くと、一人居間へと入って行った。
義心は思っていた…王が、これほどに他の神や人と接するとは。今まで、奥に篭って滅多に外へ出ることも、近隣の宮との付き合いさえ面倒がっていらしたかたであるのに。
義心は昇る月を見上げて、何かが変わるのかも知れないと思っていた。
十六夜はずっと黙ったままだった。
結局、その夜のうちに屋敷へ帰ることの出来た蒼は、皆に事の次第を話した。維月が助かるかもしれないと知ったことは嬉しいことであったのだが、十六夜が暗く沈んでいる。眠る母の前でじっと考え込む十六夜に、蒼は言葉を掛けた。
「何を悩むんだ?十六夜、もう一度話がしたいんだろ?」
十六夜は下を向いたまま答えた。
「オレには若月の気持ちが身につまされてわかるんだ。愛しい者に死に遅れる、と若月は言った。そのつらさは想像を絶するものだと、今回オレは知った。」と、蒼を見た。「自分の命を掛けてまで守ろうとしていたお前達が、自分より先に死んで逝くのを、維月に耐えられると思うか?」
蒼はハッとした。そうだった。若月の命をもらうということは、不死の命をもらうことになるのだ。それは月のそれであり、その苦しみは、十六夜がよく知っているはずだった。
十六夜は続けた。
「お前にわかるか?どんなに共にいたいと思っていても、先に死んでいく。不死の身だから後を追うことも出来ねぇ。どんなにつらくても、耐えるしかねぇ…オレ達は記憶が鮮明で、忘れるという事が出来ないんだ。忘却は神が人に与えた能力だと、オレは思っている。」
蒼は自分の考えが浅かったことを恥じた。十六夜は月で、忘れることがない。オレ達は母さんを忘れた訳ではないが、少しずつ気持ちが癒えて来るのは、失った瞬間のことを、鮮明だった記憶から、じわじわ遠くの記憶に置き換えて行く事が出来るからなのだ。
だから十六夜は、なるべく人と関わらないようにしていると言っていたのか。仲良くなるとその分、絶対にやってくる別れがつらくなるから・・・。
「維月に、そんな思いはさせたくねぇ。」十六夜は言った。「コイツにそれに耐えろなんてオレには言えねぇ。だがオレは、もう一度コイツに会いてぇんだよ・・・。」
十六夜は頭を抱えた。
蒼達と同じぐらい、もしかしたらそれ以上、十六夜は母さんに会いたいと願っている。でも、若月の命をもらえば、自分と同じ苦しみを味わわせることになる。しかし龍神に頼んで後を追ったところで、会えるのかもわからない…。
蒼は自分が決めなければ、と思った。母が居なくなる前からだったが、出会う人外達は皆、自分を当主、母を前当主と呼んでいた。オレがなんでも決めて、動かして行かなければならない。待っていても、誰も決めてはくれないのだ。これはオレの仕事なんだ。
「母さんには、若月の命をもらってもらう。」蒼が言い切った。「戻ってもらうことに、決める。」
十六夜が驚いて顔を上げた。
「蒼…お前…わかってるのか?維月が人でなくなるんだぞ。」
「つらくなったら、二人で龍神様に黄泉送りでもなんでもしてもらえばいいじゃないか。若月みたいにさ。オレだって、どんな形だろうと、会えるチャンスがあるなら、母さんに会いたい。」蒼はくるりと後ろを向いて歩きだした。「もう決めた。皆にも伝えておくから。」
蒼は出て行った。
十六夜は、その背中に、維月を見た気がした。
その日、迷ったが全員で夜、龍神の滝へ向かった。母は、蒼が抱いて連れて行った。
母の体は冷たいが、若月の力に守られているため、ただ眠っているかのようだ。蒼は母をそっとベンチに横たえると、待っている龍神と、若月と中将の前に出た。遙が若月をみとめて叫ぶ。
「ああ若月!中将様と会えたのね!」
安堵したようなその声に、若月は笑いかけた。
《遙!最後に主に会えてうれしい。我は主に、悲しい想いをさせてしまったの。》
遙は首を振った。
「私が悪いの…若月は何度も来るなと言っていたのに。おせっかいだったから…。」
若月はかぶりを振った。
《一時、とても楽しかった。遙、後にこちらへ来る時に、また会おうぞ。碁の腕を上げておくのじゃぞ。主には時間がまだまだあるゆえな。》
維心が蒼を見て言った。
「当主よ、前当主を連れて参ったということは、決断したのだな?」
蒼は頷いた。
「若月の命を母に。」
若月はホッとしたように言った。
《これで我も安心して逝ける。》
「用意はいいか?」
維心は刀を抜いた。蒼はびっくりした。まさかあれで刺し殺すとかじゃないよね…。回りを見たが、龍神が見えているのは自分だけなので、家族の誰も何かが始まると気付いていない。蒼は皆に解説した。
「今から龍神様が若月を送るから。刀を抜いて構えてるよ。」
皆がギョッとしたその時、月からキラッと光が落ちて、十六夜が地に降りた。
「月、遅いではないか。もう降りぬのかと思っておったに。」
維心が型を崩した。
「すまねぇな。どうするかと思ってたんだが、やはりここに居るべきだと思ってね。」
維心はまた構えた。若月と中将を見る。
「主の命、切り離すぞ若月。」
若月は頷いて目を閉じた。中将がその背を抱いている。
維心は飛び上がって若月の頭上の、オーラの辺りを切った。そして滝を振り返ると、手をかざす。そこに、光輝く入り口が開いた。
「あの道を逝くがよい。」
維心は二人に示す。二人は蒼を、十六夜を、皆を代わる代わる見て頭を下げ、道へ向かって行った。
「道は見えてる?」
蒼は傍らの有に聞いた。
「うん。龍神様は見えないんだけど。」
二人は仲良く手をつなぎ、最後に一度振り返ってから、道の向こうへ消えて行った。
「ではこちらだ。」維心の手には光の塊が握られているようだ。「本当に良いのだな?」
維心は蒼を見、次に十六夜を見た。
蒼は一瞬迷った…人でなくなるんだぞという十六夜の言葉が頭をよぎったのだ。
しかし若月が逝った今、母を守っていた力はもはや消えているのを見て、頭を振った。迷っている時間はない。
十六夜は無表情で横を向いていた。
「お願いします、龍神様。」
蒼の言葉に維心はひとつ、頷くと、手にした光を母へ投げ、何やら力を注ぎながら唱えた。母は輝いて、そして光はおさまった…。
水を打ったように静かだった。
龍神は見えなくても光が見えていた皆は、固唾を飲んで維月を見守った。
「う…。」
皆がビクッとした。蒼が皆を代表しておそるおそる側へ寄る。
「…母さん?」
「う…ゴホッゴホンッ!」維月はむせた。「ゴホゴホゴホッ!」
有が慌てて飛んできて維月の体を横にすると背をさすった。
ふと見ると、維心が眉をしかめている。
「いきなりむせ返るとは情緒のない。」腰に手を当てていた。「普通はゆっくりと目を開くものぞ。よほど急いだのだな。」
蒼は悲しげに言った。
「母はそういうタイプではないので。」
「ま、良いわ」と維心は刀を鞘に戻した。「我がそう呼ばぬ間にすぐ戻ったので楽であったわ。」
維月は有に支えられながら、半身を起こそうとしていた。
「まあ、ずいぶんな言われようね。」声はかすれて小さかったが、力はあった。「あまりに皆が頭の横で泣きわめくから、呼ばれたら早く戻らなきゃと急いだのに。」
維心は目を丸くした。
「さすがにこの当主の母よな。目覚めていきなりそのようなこと、申したのは主が初めてよ。」そして高らかに笑った。「月よ、主は変わったヤツよのお。我には分からぬなあ。」
十六夜は、近寄れずに一人離れて後ろで立っていた。それを見た維月は、十六夜に両手を伸ばした。
「月…。」
十六夜は維月に駆け寄った。だが、その前で立ち止まり、ためらっている。
「維月…。」
維心は呆れたようにため息をついた。
「…主は本当に千年生きて来たのか?」
蒼は見かねて小声で言った。
「怒った母さんと同じ方法だよ、十六夜。」
「なにそれ?」母は訝しげに眉を寄せる。「ま、いいわ。」
維月はにっこり笑って十六夜の腕を引っ張って、座ったまま十六夜の首に抱きついた。
「運んで。」
十六夜は維月を抱き上げ、石段へ向かうべく背を伸ばした。
「お世話になりました。」
蒼が維心に頭を下げた。維心は頷いた。
「また来られよ。歓迎し申す。」
十六夜も維心をチラリと振り返った。
「世話になったな。」
龍神はニヤリと笑った。
「何なりと相談に乗るぞ、月よ。さらばだ。」
皆が次々と滝の方に向かって頭を下げ、石段を登って行く。一番後ろを登りながら、維月は腕を首に回しながら、十六夜の頬に、頬をすりよせた。
「維月?」
「ねぇ、私も月になったわよ、月。」
十六夜は自分も維月に頬を寄せた。
「約束は、守る。」
三日月の下、皆に分からないよう、二人は初めて、そっと口唇を寄せた。