思惑
「王。」
維心が宮の王の居間で座って考え込んでいると、軍神筆頭の義心が入って来て膝を付いた。維心は気だるげにしていたが、義心の顔を見ると少しはっきりした顔をした。
「義心か。どうであった。」
「は。仰せのとおり、つけて参りましたら、一行は月の社へ参り、若月と対面致しました。」
維心は頷いた。
「であろうの。それで?」
義心は頭を上げた。
「はい。月の当主は事もなげにあっさりとあの封印を解いて若月を解放致しました。どうやったのか、本人もよく分かっておらぬようでありましたが。」
維心は少し驚いたような顔をした。
「…あれは人の仙術で行われておったもの。よくぞそれを簡単に解いたものよな。まだまるで子供のような男であったものを。」
義心は、首を傾げた。
「…確かにそうでありました。それに、身は完全に人で、月の力を使える他は間違いなく人でしかない。」
維心も頷き、考え込むように宙を見た。
「…ま、何にせよお手並み拝見と行こうぞ。若月は長くあの場に繋がれた哀れな女。我もどうにも出来ずに情けを掛けて我の結界内に居ることを許して来たが、日に日に良くない気が湧いて来るようにも思っておったゆえの。あれのことをどう片付けるのか、近くで見てやろうぞ。」
維心は立ち上がった。ちょうど退屈しておった所。良い遊戯よ。月の力の限界も上手く行けば知ることが出来よう。
維心はほくそ笑んで窓の方へ向かった。ここからそうそう出ることも無かったが、これほどに興味の湧くことが起ころうとは。
「我は出掛ける。主は呼んだ時来れば良いぞ。」
義心は頭を下げた。
「は!」
維心は空に向けて飛び立った。
結局、月の社へ行った後、道の駅で昼食を取り、裕馬の望んでいたテーマパークへ行き、夕方までめいっぱい遊んだ。
滅多にはしゃぐ事のない蒼も、今日ばかりは暴れ回り過ぎて疲れ切っていた。
驚いたのは、闇に憑かれて以降、裕馬にもぼんやりとだが光や闇が見えるようになっていることだ。
今日の若月も、裕馬には到底見えないと思っていたが、あくまでもぼんやりとだが見えていたらしい。声は本当に囁く程度にしか聞こえなかったと、完全に「見える」集団に対して文句を言っていた。いや、裕馬が見えるだけでもすごいんだと蒼はなだめるのに必死だった。
「でも、めちゃかわいい子だったじゃん」裕馬は蒼と一緒にジュースを飲みながら言った。「十六夜、あの子相手にほんとそっけなかったなあ。」
蒼も頷いた。
「いつものことなんだけどさ。オレ達以外とは関わったことないって言ってたから、慣れないだけだと思ってたけど、なんかあの突っぱねぶりはそれだけでないような気がするなあ・・・。あんまり言ったら怒るから、言わない様にしてるんだけどさ。」
裕馬は回りを見た。
「で、十六夜はどこ行ったんだ?」
蒼は手を振った。
「母さん達と話してるよ。母さんが若月ときちんと話せって説得してくれてるんだと思うんだけど。でもなあ、若月と約束したのに、オレ、十六夜を説得出来る気がしなくて。」
蒼は落ち込んだ顔をしてうなだれた。
「十六夜、意地になっているように思うよ。」
裕馬も同意する。
「あれだけ、自分のこと知りたいって言ってたのに。自分がなんで月に居て、なんで存在するのか、知りたがってたんだ。ほら、気がついたら月に意識があったって言ってただろ?オレ達みたいに親が居る訳でもないし、誰も教えてくれないわけなんだ。知ってる人ももういないって言ってて、そこに若月が現れたのに、あの拒絶ぶりには、オレだって戸惑ってる。あれからずっと機嫌悪くて、参っちゃうんだよなー。」
蒼は部屋の窓から対岸の山を見た。あの辺に若月の社があったっけ。いや、もうちょっと向こうだったかな・・・。
《当主。》
若月のかわいい声が聞こえる。蒼はハッとした。裕馬も耳を澄ましている。「今なんか聞こえなかった?」
蒼は身振りで静かにしろと制した。
「若月か?」
《我をお呼びくだされてうれしゅうございます。》声が大きくなった。《ここに。》
振り返ると、若月が部屋の中に姿を現した。頭を下げている。
「若月!ここに来れたんだな。」
蒼の声に、若月は頭を上げた。
《はい。当主がそこより我に念をお送りくだされたので、もはや楔のない身ゆえに、このように。》
蒼はバツが悪そうに若月に言った。
「ごめん若月、まだ十六夜を説得出来てないんだ・・・今母さんが話してくれてるんだけど。」
若月は一瞬驚いたような顔をしたが、首を振った。
《十六夜様のことは、急いではおりませぬ。我は千年もお待ち申した。この上、何年積み重ねようと、変わらぬのです。それより、前当主にまでお手間をお掛けし、心苦しゅうございまする。》
若月はこじんまりと佇んでいる。それを見ていると、なんだか妹の遙を思い出した。確か・・・若月は、この身は人のものだと言っていたっけ。
「若月・・・」蒼は思い切って聞いてみた。「よかったらオレに、君を名付けたその子のことについて、話してみないか?」
若月はハッとして自分の体を見た。そして長く息を吐くと、コクンと頷いた。
《はい、当主。我は当主に恩ある身、隠すつもりなどございませぬ。》
そう若月が答えた瞬間、後ろの襖が勢いよく開いた。
「何をしに来た。」
十六夜だ。
開け放した襖から、部屋のドア、そして廊下を挟んで向かい側の女子部屋のドア、向こうの開け放たれた襖と奥まで見える。間違いなく十六夜があちらからこちらの気配を察して飛び込んで来たのが見て取れた。
維月がそこまで追いかけて来ていて、女子部屋の方からは遙や有、涼がこちらを窺っている。
「蒼に何かしやがったらただじゃおかねぇ。」
「違うんだよ十六夜」蒼は慌てて立ち上がって言った。「オレが呼んだんだ!若月はオレに話してくれようとしてくれてただけだよ。十六夜、神経質になり過ぎなんだよ!」
十六夜は蒼を睨みつけた。
「格好に惑わされてんじゃねぇよ。これは人の姿なんだ。中身はオレと同じような意思や念の塊なんだぞ。お前ら「人」は、見掛けに惑わされて本質を見ようとしねぇだろうが。コイツがお前の中に入れば、お前はコイツになるんだぞ。」
若月は否定した。
《当主にあだなすようなこと、我はいたしませぬ。我はこの身より出ることなど考えておりませぬ。》
「気が変わるんじゃねぇのか?蒼は力の宝庫だ。長い間お前を繋いでいた楔すら、あっさりと断ち切れる力の持ち主だからな。」
蒼はちょっとムッとした。どうして十六夜はこんなに若月を嫌うんだろう。蒼が口を開いた時、維月が先に怒鳴った。
「いい加減にしなさい!」
兄弟姉妹全員がビクッとするのを蒼は感じた。昔からそうだった。自分が悪いことをしているわけでもないのに、維月が怒っていると、ただならぬ気配に萎縮してしまう。隣りを見ると、なんと裕馬もビクビクしていた。
維月は静かになった部屋で、ため息をついた。
「とにかく、若月ちゃんはこっちにいらっしゃい。女の子なんだから、私達の所で過ごしましょう。それで!」十六夜が反論しようとしたのに、維月は睨みつけて制した。「あなたはあまりに決めつけ過ぎよ!いくら月だからってなんでもお見通しって訳でないじゃないの。いい加減になさい!」
十六夜は黙った。維月はプリプリ怒ったまま、若月を連れて部屋を出て行った。若月は蒼に軽く頭を下げると、おとなしく維月に付いて行った。
女子部屋に入って襖を閉めると、維月はふーっとため息をついた。
「全く困ったもんだわ月にも。」
若月は居心地悪げに下を向いた。
《申し訳ありませぬ。》
維月は手を振った。
「ああ、あなたも月だものね。あなたじゃないのよ、十六夜のこと。気にしないで。私と月…十六夜のことだけど…は、しょっちゅうこんなだから。」そして一人一人を指し、「有、涼、遙よ。私は維月。」
そう言うと、どっかりと奥の窓際の椅子に座った。
「あなたもその辺にお座りなさいな。」
《はい。》
若月はキョロキョロと見回した。遙が座布団を置いて示した。「ここに。」
若月は頷いてそこに座った。
《これはなんというもの?》
「座布団。」と隣に座る遙は答えた。「知らないの?」
若月はかぶりを振った。
《我が人と関わっていた頃にはこのようなもの、なかった。このように板の間でなく、全てに襖が敷かれているのも、初めて見た。》
「襖?畳のこと?…昔は寝る所にしか敷かなかったんだっけ。」
若月は回りを見た。さぞいろいろと問い詰められるのだろうと思っていたのに、維月は前に座る有相手に何やら愚痴のようなものを話しているし、涼は小さな手の中に収まるものを盛んに指で操作している。遙が言った。
「何かする?若月は遊びって何を知ってるのかな。」
若月はためらった。《遊び?…我の知るのは、貝合わせや、碁ぐらいじゃが…。》
遙はああ!と手を打った。
「碁なら恒に教わってちょっとわかるよ!ちょっと待って、恒ならきっとマグネット碁盤持って来てるはずだもん。」
遙は立ち上がると部屋をすぐに出て行って、小さな板を持って戻って来た。
「やっぱりあった。これでやろう?」
それは若月の知る碁盤とは全く異なるものであったが、なるほど打てない訳ではない。ためらいながら、彼女は遙と向き合った。
「私あんまり強くないのよね。いつも恒にこてんぱんにやられちゃうんだ。若月、教えてね。」
遙は真剣だ。若月はフフッと笑った。
《我は碁は得意じゃ。なんなりと。》
二人は何局も打ち、いつも若月が三子ほど勝って終わった。遙は若月が指導碁を打ってくれているのがわかった。まともにしたら、絶対勝てそうにない…。
若月は碁盤を触りながら言う。
《ゆえに、ここで付ければ良かったのじゃ。我は次の手に困ったであろう?》
「でも、こっちに逃げられたら?」
遙が石を動かす。若月は首を振った。
《そうするとここに隙が出来るのじゃ。遙よ、碁とは先を常に読んで打つものなのじゃ。》
「ふーん」
考え込む遙を見て、若月は思った。なんと橘に似ていることか…。
若月の視線に気付いた遙が聞いた。
「どうしたの?」
若月は、ふとため息をついて言った。
《主はの、最初に我の声を聞いた、橘と申すものにとても似ておるのじゃ。》
遙は小さなマグネット石を片付けながら聞いた。
「千年も前ならもう居ないよね。子供は居なかったの?」
若月は悲しげに首を振った。
《我の身、その橘のものと申したよの。》
遙はハッとした。そうだった。いつの間にか維月達もこちらを見ている。維月は言った。
「訳があるのね。」
若月は頷いてそちらを向いた。
《前当主よ、お話申し上げまする。》
皆がそちらを向いた。
月は高く登っていた。