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永の孤独の果てに

辺りがシンと静まり返った。

恐らく、皆下がって表の部屋の方へ移動したのだ。ここはこの宮の最奥の部屋。恐らくは、我の生まれた部屋…。

維月の気配を読むと、あちらも横になっているようだった。まるですぐ横に居るような感覚に、維心は、自分の身の下の方に思わず知らず圧力を感じた。まさか、と維心は暗闇の中己の身を探った。

間違いない。

維心は驚いていた。もちろん、婚姻に際しての身の変化は知っている。しかし、それが自分に起こる様は初めて見た。これまで、どんな薄物を身に付けただけの女を見ても、このようにはならなかった。何の感情も湧かず、ただ、鬱陶しいだけだった。もしかして、自分にはその能力がないのやもと思うことまであったのに。

それが、隣の部屋に維月が居ると思うだけで苦しいほどに身を焦がすような想いが体を駆け昇った。

維月が欲しいのだ…。

維心は思った。自分は維月が欲しい。あの身をこの腕に抱き、この身と繋いで我がものにしたいのだ。

維心は抑えようと身を縮めた。それでも溢れる想いが堰を切って流れ出し、収まる様子はなかった。

維心は身を起こした。せめてその姿だけでも見たい。さすれば少しは落ち着くのではないか…。

維心は、ソッと褥を抜け出すと、襖に手を掛けた。研ぎ澄まされた聴覚が維月の寝息を聞き取る。可能な限り静かに、起こさぬように襖を開けると、几帳の向こうに人影が見えた。

維月…。

維心は、ソッと几帳を掻き分けた。そして、息を飲んだ…そこには、維月がスヤスヤと寝息を立てて眠っていた。上布団は横に避けてしまっていて、はだけた胸元、そして、裾から見える白い脚に、維心は激情の様なものが沸き上がって来るのを感じた。

せめて…この腕に抱き寄せたい。

維心は維月の横にするりと身を横たえた。維月の甘い息が自分に掛かる。維心は、我を忘れて維月を抱き寄せた。

欲しい…!もう、我慢ならぬ…!

維心はその唇を奪いながら、腰ひもを一気に解いた。そして、いきなり深く口づけながら、自分の腰ひもも解いた。

維月が、驚いて目を開ける。それでも維心は、その唇を離さなかった。

「ん…!」

維月が小さくくぐもった声を上げた。何が起こっているのか理解したのだ。維心は何も分からず、ただ欲しいままに維月の体をまさぐった。維月の体…何と心地よく包み込むような柔らかさなのだ…。

維月は言った。

「維心様…!ダメ…!」

「維月…!」

維心は維月を抱き締めた。

「維月…主が欲しい…!この身が欲しいのだ…!」

そして、その夜、維心は維月を腕に抱いて過ごしたのだった。


日が昇っているのを感じる。

維心は、目を開けた。気が付くと維心は、維月を抱いて一人用の狭い褥の中、眠っていたのを知った。

横を見ると、几帳の向こう、昨夜自分が入って来た襖が開いたままになっている。良く見ると自分も維月も、布団以外何も着て居なかった。

ついに、我は維月をこの腕に抱いた…。維心は、高揚していた。愛する維月…維心は、たまらず維月に口づけた。

維月は目を覚まして言った。

「い、維心様…?あの…。」

維心は維月を上から眺め、髪を撫でて言った。

「我が妃よ…。何より愛おしい。維月、必ず後悔はさせぬ。我の妃になり、我が子を生め。主以外には考えられぬ…。」

維月は、頷いた。昨夜、維心が心を繋いで、記憶を見た。十六夜は、維心様の生い立ちを知って、そしてその願いを受け入れたのだ。ならば、私も維心様…あなたを幸せに…。十六夜が、許した程なのだから…。

「はい…維心様…。」

維心は、感極まって維月を抱き締めた。

「おお維月!我がどれ程に幸福か、主には分かるまい…!」

二人はしばらくそのまま抱き合っていた。お互いの温かさに、心の充足も得て、これが幸福なのだと思った。


起き出してすぐに、二人は露天風呂に入った。そしていつの間にか置いてあった新しい着物に身を包む。誰も声を掛けても姿も見せないが、どうやら何もかも知っていて邪魔をしないようにと思っているようだった。

維心は察して、言った。

「洪!おるか。我が妃のために朝食の準備をさせよ!」

途端に一体どこにこれ程というほどの侍女達が膳を持ってわらわらと現れ、洪、公李、兆加が揃って入って来て頭を下げた。

「王におかれましては、この度は妃を迎えられ、誠におめでたきことと、臣下一同お慶び申し上げまする。」

維心は、フッと表情を緩めた。

「…主ら、まんまと我をはめよったの。」三人が驚いた顔をして維心を見る。維心は手を振った。「良い。まあ主らの手柄としようぞ。我が妃、維月ぞ。これよりは部屋を我の裏側に設えさせよ。仕立ての龍に妃の衣裳を作らせよ。」

洪が深々と頭を下げる。

「は!仰せの通りに、王。」

維心は満足げに頷き、維月の肩を抱いた。もう、何の遠慮も要らぬ。我の妃なのだ…。


維心は、それから片時も維月を側から離さず置いた。

居間に居る時も隣に共に座り、庭を歩く時も必ずついて出た。そして夜も、せっかくに設えた維月のための妃の部屋へも全く帰すこともなく、毎日自分の部屋へ連れて帰って共に休んだ。

そんな様子だったので、子は回りも驚くほどすぐに宿った。臣下達はおろか、維心もたいそう喜んで、その子を待ち望んだ。

しかし、維心は思い出していた…十六夜が、ここへ来た時に言った言葉…お前の望みを叶えてやろう。跡継ぎとやらが生まれるまで一年の間譲ってやる…。

維心の懸念を余所に、維月の腹は大きくなり、ついに臨月を迎えていた。


維心は今日も、維月の肩を抱いて居間に座っていた。維月は子のためにと、小さな棒を三本使って器用に小さな靴下を編んでいた。夏に生まれる子であるが、ハイハイをし始める頃には寒いだろう。維月はそう言っていた。

維月も、別れが来ることは分かっていた。しかし、何も言わなかった。この靴下を履ける頃には、維月はもうここにはいない。子を生んで二ヶ月もすれば、恐らく十六夜が迎えに来るだろう。

維心は、己の愚かさを呪った。十六夜に最初に維月を望んだ時は、生涯共にとは言わぬと言った。ただ、自分の子を生んでもらいたいだけなのだと…。

しかし、違う。自分が望んだのはそんなことではなかった。愛する維月と共に居たい。それだけであったのに…。

維心は、維月の肩を抱く手に力を入れた。愛している…。離したくない。離れたくない…。

維月が、それに気付いて維心を見上げた。

「維心様?」

維心は、じっと維月を見つめた。どうして、我は恋などしてしまったのだろう。何も知らぬ時は、このような苦しさはなかった…。これ程に愛しているものを、手離さねばならぬ。相手は月…決して我には勝ち目のない、天上にある、あの…。

維心は涙が浮かんで来るのを感じて、視線を反らした。維月を取り上げられて、どうして生きて行けよう。もう二度と触れることも叶わなくなり、たまに見掛けるたびに想いを秘めてただ、見つめることしか出来なくなるなど…。

「維心様…?いかがなさいましたか?」

維月は気遣わしげに維心の顔を覗き込む。維月…。

「…何でもない。体調は、どうか?」

「何も問題はありませぬわ。私は人の頃から子を生んでおるのです。ご心配には及びませぬ。大丈夫でございます。」

出産の心配をしていると思ったらしい。維心は頷いた。

「ここまで何の問題もなく来たのだ。願わくば、この上更に安産であることを期待したいの。」

維心は微笑んで腹を撫でた。

「はい、早く顔が見たいこと…。私と維心様の初めてのお子…。」

そして、最後の。

維心は思った。生まれたその子だけが、維月とのたった1つの絆になる。維心は、維月に頬を寄せた。我の妃…。生涯ただ、主一人ぞ。

維心は、そうしてじっと維月を抱き締めていた。近付いて来る別れを感じ、身を裂かれるような苦しみを感じながら…。


靴下が編み上がったと維月が喜んでいたその夜半から、維月はにわかに産気づいた。宮は夜中にも関わらず大騒ぎになり、宮の者は誰一人眠らずその瞬間を待った。まさに千数百年ぶりの王族の誕生…しかも、それは皇子であることが既に分かっていた。最強の龍王の嫡子が生まれるのだ。全ての臣下は正装に身を包み、皇子に初めて目通りするその時を待っていた。

維心は、維月にずっと付き添っていた。痛みが来るたびに苦しげに顔をしかめる維月を、まるで我が事のように苦しげに見守った。手を握り、腰を擦り、水を与え、それこそ付きっきりで看護した。維月は汗にまみれたその顔で、それでも痛みの引いた時にはそんな維心を気遣った。

「維心様…大丈夫でございます。今少しですから。」

あまりにもつらそうな維心に、維月は声を掛けずにはいられなかったのだ。

「維月…我に何か出来る事はないか?水は要らぬか?我の気をもっと分けようぞ。」

維月は首を振った。

「もう充分でございますから。お心安くいらしてくださいませ。」

維月は、再び顔をしかめる。痛みが来たのだ。維心は握る手に力を入れた。

「維月…!」

我が代われるものなら。維心は思った。このようにつらい思いをさせねばならぬとは。

「お生まれになります!」

侍女の一人が叫んだ。維心はハッとしてそちらを見た。維月の手の力が弛む。途端に、盛大な泣き声が響き渡り、維心そっくりの気がその場に出現した。

命が誕生したのだ。侍女達はその赤子を用意された湯できれいに洗っている。その侍女達も正装に身を包んでいた。

「…男皇子であられますか?」

維月が言った。維心は頷いた。

「ああ、男皇子であった。大儀であった、維月。」

維心は維月の髪を撫でて頬を寄せた。維月は微笑んで思っていた。良かった…維心様があまりにおつらそうだから、早く生まなければと焦ってしまったわ…。

そして、皇子は白い布にくるまれて、恭しく維心に手渡された。維心は維月にその子を見せた。

「なんと…我に似ておるように思うが、目元は主にも似ておるの。」

維月は微笑んだ。

「まあ…維心様にそっくりだこと。はじめまして、私の赤ちゃん。」

維月は頬に触れた。維心は微笑んで、立ち上がった。

「臣下が目通りを待っておる。参る。」

皆が深々と頭を下げる中、維心は臣下達の待つ隣の部屋に出た。臣下一同がうち揃って、正装で頭を下げていた。維心は言った。

「世継ぎの子、名を将維とする!」

臣下達は頭を下げ直した。

「ははー!」

洪が、前に進み出た。

「王、将維様のご誕生、誠におめでたきことと、臣下一同お慶び申し上げまする。維月様にもご無事にお生み頂き、安堵致しますと共に一同御礼を申し上げまする。」

維心は頷いた。

「近隣の宮に布告せよ。」

維心は命じると、将維を抱いて奥へ戻った。そこでは乳母が待ち構えており、手を差し出した。

「皇子様をこれへ。維月様は、これよりお部屋の方へお移し致します。」

維心は頷き、将維を乳母に渡すと、急いで維月の所へ行った。維月はもう、着物も変えられて移動しようとしているところだった。

「我が運ぶ。」維心は維月をさっと抱き上げた。「我の部屋へ。」

侍女達が慌てて言った。

「王、ですが維月様のご様子を見に、我ら頻繁に出入り致しまする。王がお休みになれませぬ。」

維心はもう、歩き出していた。

「良い。参る!」

侍女達は仕方なく、その後をついて出たのだった。


維月が目を覚ました時、維心が目の前で気遣わしげに維月の顔を覗き込んでいた。

「維月…?気分はどうか?侍女達は主の体が見る間に元に戻って閉じてしまったと驚いておったが、大事ないか?」

維月は、維心を見て微笑んだ。

「はい。とてもすっきりとしておりまするわ。おそらく、寝ておる間に身を元に戻してしまったのでしょう。私には、月の守りがありまするから。」

維心はホッとしたように微笑んだ。

「よかったことよ。安堵したぞ。乳母が申すに将維も健やかぞ。主も案じるでないぞ。」

維月は頷いた。

「はい。また顔が見たいですわ…。」

維心は維月の髪を撫でた。

「主の体はもう良いのであるから、いつなり命じればよい。すぐにつれて参るゆえに。」

すると、声に気付いた侍女が入って来て頭を下げた。

「王、よろしければ我らが代わりまするゆえ、王は少しお休みを…。昨夜から、お休みになっておられないと引継ぎで聞いておりまする。」

維心は手を振った。

「良い。我は一夜ぐらい眠らずとも支障ないゆえ。それより、将維をこれへ。」

侍女はためらいがちに頭を下げて出て行った。維月は驚いていた…では、維心様は、ずっと私を見ていたの…?何かあってはいけないと…。

維月は、維心を見上げた。維心は他の侍女にも何やら指示をしている。維月はそれを見ていて心が痛んだ…維心は、自分をとても大切にしてくれる。人の世に居た時も、ここまで大事にされたことはなかった。子供を生んでも、病院に放って置かれて、自分で生まれた子を抱いて病院から帰った…なのに維心は、たくさん居る侍女達に任せれば済むものを、誰にも任せずずっと傍に付いて、しかも、自分の休む場所に置いて…。夜も眠らず…。

維心は維月の視線に気付いて、維月を見降ろした。

「…維月?どうした?」

維月は、維心のその深い青い瞳を見つめた。維心様…こんな私などを、そこまで大切にしてくださるなんて…。

維月は、不思議そうに維月を見つめる維心の唇にそっと口付けると、その胸に身を寄せた。維心は驚いたように維月を見た。維月からこのように身を寄せて来るなど一度もなかったのに…。

「維月…。」

維心は、維月を抱き締めて髪に唇を寄せた。愛している。我が強く乞うてここに留めた。だが、もしかして維月も我を…。

しかし、維心にはそれを問う自信がなかった。

そのまま二人は、じっと抱き合っていた。

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