龍の宮
維心の調整が終わり、維月は頭を下げた。
「維心様、本当にありがとうございました。ここまで大変お世話をお掛けしてしまいましたわ。」
維心は微笑んだ。
「維月よ、礼など無用ぞ。我も主よりいろいろな話を聞けて、楽しめたのでな。」と背伸びをし、「我の宮も退屈ぞ。誰も彼も我が見えぬのでな。人ばかりが多く、うっとおしいばかりよな。」
維月は笑った。
「またいらしてくださいませ。私もそちらへ皆を連れてお伺い致しますので。」
「主一人でもよいぞ」維心はそう言って振り返った。「主なら我も歓迎し申すがな。」
維月は困ったような顔をした。維心はそれを見て笑った。
「わかっておるよ。主とは心をつないだのだぞ。知らぬはずはあるまいて。」と戸口を振り返り、「何を窺っておるのだ。入って参れ、十六夜よ。」
黙って見ていた蒼はびっくりして振り返った。まさか、オレの力、使われてないのに?
「お前なあ、維月には手を出さねぇのじゃなかったのか。」
戸が開いて入って来たのは、黒髪に金茶の瞳の人型だった。形は以前と変わったようには見えなかったが、髪の色だけが変わっている、確かに、十六夜だった。
「オレが何度頑張っても変えられなかったのに、あの色!」
十六夜は蒼を見てフンと笑った。
「別にお前の作った体に文句はねぇが、あれじゃあ人の間で目立って仕方ねぇと思ってたんでな。」
維心が頷いた。
「我が教えたのよ。月に出来ることなど無限にある。我より多彩な能力を持っておるに、宝の持ち腐れであるゆえな。それにしても瞳は、どうあっても色が変わらず困ったものよ。」
十六夜は機嫌悪げに維心を見た。
「こら維心、質問に答えてねぇぞ。」
維心はフフンと笑ってあちらを向いた。
「そのような約束はした覚えはないぞ。隙があれば、我もわからぬわ。主はノロマが過ぎるのよ。」
シラッと言う龍神を見て、蒼は呆然とした。でも、そうか維心様は、十六夜と話してくれていたんだ。イライラとする十六夜に、維心は言った。
「さて、我も宮へ帰る。後は頼んだぞ。」そして蒼を見た。「当主、我と共に参られよ。主には話しておかねばならぬことがあるゆえな。主も聞きたいことはあるのであろうが。自らの身も、少しは構わんとな。」
蒼はハッとした。きっと龍神様は、オレの悩みのことを言っているんだ。
「オレのことまで…ご迷惑をお掛けしては…」
蒼は有難かったが、これ以上手間ばかり掛けさせるのに気兼ねした。維心様にはなんの特もないのに。
「良い。」と維月を振り返り、「当主を少しばかりお借りする。明日にはお返しするゆえにな。」
維月は頷いた。「よろしくお願い致します。」
「さあ、来られよ」維心はグイと蒼の手を掴んだ。そして十六夜を見、「それでは、我は失礼する。また我の宮にも来られよ、十六夜。」
十六夜は頷いた。
「世話になった、維心。また訪ねて行く。」
蒼はびっくりした。十六夜が神のところに訪ねて行くって?維心はクックっと笑った。
「何を驚いている。参るぞ!」
龍神は蒼を掴んで空へ舞い上がった。
残された維月は十六夜を見た。
「維心様も十六夜と呼んでおられたわ。」
十六夜は維月に近づいた。
「そうだ。あれはもうオレの名だよ。蒼から貰ったんだからな。」
「ああ月、いいえ十六夜」維月はボロボロと涙を流した。「私、もう会えないかと思って…ごめんなさい、私はあなたを苦しめたりしたくないのに、そんなことばかり…。」
十六夜は黙って維月を抱き締めた。
「もういい」そして維月の目を覗き込んだ。「お前の心がわかっただけで、オレはいいんだよ。」
維月は自分から飛びついて、十六夜に口付けた。
十六夜はそれを受けながら、しっかりと維月を抱きしめて離さなかった。
蒼は維心と共に空を飛び、滝のある龍の宮へ来ていた。
その宮は滝の裏側にあり、暗いのかと思いきや全くそんなことはなく、明るい場所だった。そこはどう見ても人の世のものではないようだ。
「当主よ、ここは神域の一部よ。人には入れぬし、見えもせぬ。」
維心はそう言うと先に立って歩き出した。心無しか、維心の声もはっきりと聞こえるようだ。何人かの人が寄ってくる。人に見えるが、きっと人ではないのだろう。
「王よ、お帰りなさいませ。お召し替えはどうなさいますか。」
「よい、我に構うな。」
維心は回りに目もくれず歩き抜けて行く。
「何をしている。当主、我について参れ。」
蒼は慌てて維心に従った。回りの者たちが、蒼にも頭を下げている。蒼も頭を下げ返しながら、必死で維心の後を追った。
やっと一番奥の部屋にたどり着いたらしく、突き当たりにはとても広い開放的な空間が広がっていて、維心は刀を外して傍の者に渡した。そこはなんだか空間自体に歓迎されているような、そんな雰囲気で蒼はくつろぐ気持ちになった。
維心は奥の、ソファではないのだがそんな感じの、ふかふかの布が大きく敷かれている箇所に腰を降ろした。すぐに他の者が出て来て、頭を下げる。
「王、何かご所望でしょうか。」
「我は何も要らん。」とぶっきらぼうに言った後、ふと蒼を見た。「当主、何か食すか?」
蒼はそう言えばそろそろ夕飯の時間だったんだと思い当たった。それで、その人に言った。
「あの、少し食べる物をいただければ。何でもよろしいので。」
その人はちょっと驚いたが嬉しそうに笑うと、頭を下げて去って行った。
「では、そこの台の前の椅子に座ると良い」維心は手を振って指した。「人とは、不便であるのな。しかし食すことは必要ぞ。」
蒼は言われた椅子に腰掛けた。柔らかくて、とても楽な椅子だ。なんだかとても気に入った。
「この椅子、とても座り心地いいですね。こんなのが家にもあればいいのに。」
維心は驚いたように目を丸くしたが、言った。
「気に入ったのなら、持ち帰れば良い。主にやろう」と傍らの者に、「あれを当主の帰る時に共に。」
その人は頭を下げる。蒼は驚いて言った。
「そんな!そこまで維心様にして頂くのは心苦しいです…。」
「ああ良いのだ。ここのものは全て、回りの召使い達が準備して揃えておるだけのもの。我が希望して置いておるのではないのよ。」
維心は大きく伸びをした。神というのは、宮の中ではこんな風なのだろうか。まるで王のようで、外に居るときの維心とは違った雰囲気がする。なんだろう、しかしどこか不機嫌であるようだ。
蒼は素直な感想を述べた。
「こちらはとても明るくて、お部屋の小物や置いてるもの一つ一つも、維心様がくつろげるようにと考えられているような気がします。微かに良い香の香りもするし。オレはとても、なんだろう、ここを作る人達…神様達かもしれないけど…の、温かい気持ちが感じられて、居心地がいいんです。」
蒼の前に盆を持って何人かの召使い達が料理を運んで来てくれていた。皆それを並べると、にっこりと笑っておじぎをした。
「ありがとう。」
蒼が言うと、相手はびっくりしたような顔をしたが、微笑して離れて行った。
維心は蒼が食べるのを見ながら、頬杖をついて言った。
「ふーん主は変わった奴よの。召使いにも礼を言うのか。」
蒼は食べたこともないようなおいしい食事に夢中であったが、答えた。
「オレの召使いではありませんので。それに、やっぱりオレが人だからかな…母さんにも、挨拶はきちんとなさい、お礼は家族にでもきちんと言いなさいって、小さい時から教えられてたし。」
維心は呟いた。
「維月がか…。」そしてフンと横を向いた。「あのような女、初めて見た。月が執心なのも分かるがな。しかし我は月のことも嫌いでないのよ。…我は…。」
維心は、言い掛けて黙った。神好きする母さんの、影響を見つつ蒼は、自分がよくぞ人として生まれたと、なんだかホッとした。神の世界はややこしそうで、どうも苦手なのだ。神の子なんてまっぴらだ。当主ってだけで変なことに巻き込まれているのに。思い出して、蒼はため息をついた。
維心はピクッとこちらを見た。
「なんだ?口に合わないものでもあったのか?」
蒼は慌てて言った。
「違います、これは今まで食べた何よりもおいしかったです。ただ、また、結婚のこととか、いろいろ問題を抱えていたのをふと、思い出してしまって。」
維心は頷いた。
「そのことぞ。主が知りたがっていたので、我も話してやらねばと思ってな。我のように寿命自体が分からぬものでも、跡継ぎは一応作った方が良いだの、妻を娶れだの、言われて鬱陶しい毎日であるのに、主のような限られた寿命の人が、それで済む訳はあるまいと思うてな。」
蒼は驚いた。寿命?
「龍神様は、死ぬということがあるのですか?」
維心は頷いた。
「命あるものは誰でも、死ぬことはある。」維心は肘をついたまま言った。「我の父は我が殺したのよ。」
蒼は絶句した。
維心は特に変わった風もなく、そこに座っていた。
蒼は言葉を失ったままだった。
維心は、そんな蒼を見て、フッと笑った。
「我は父が嫌いであったのよ。なので、我が、そうよの、人で言うと主ぐらいの時であったな。父を喰い殺した。」
蒼はなんとか理解しようとした。そう言えば昔話の神同士ってよく殺しあってたよな。親兄弟とも殺しあってたしな。その感じだろうか。
「…あの…それはどれぐらい前のことでしょう?」
維心は少し宙を見た。
「そうよな、確か千五百年以上前のことよな。よく覚えておらぬ。」そしてどうでもいいかのように手を振った。「しかし、我は別にこの地位が欲しかった訳ではない。父は力のある跡取りが欲しかった為に、人の血を混ぜることを考えて、産めば死するのを知っていながら、我が母に我を生ませたのよ。我は生まれ出でる時に母の気を全て喰らい尽くして殺した。それを後になって知ったのだ。それを知った時、我は自分の力が満るのを待ち、父を殺した。それだけのことよ。」
蒼はあまりのことに絶句した。神って大変だ…。そんなことも、なんでも無いことのように話してるし。
蒼が戸惑っているので、維心は話題を変えた。
「すまぬな、我は人と話すことに慣れておらぬのよ。それで、主は、今己れの身の振り方に迷うておるのであろう?」
蒼は頷いた。そうだった。あまりに壮絶な話を先に聞いてしまったので、すっかり飛んでしまった。でも、維心様に比べたら、自分の悩みなんて大したことじゃないんだろうか。蒼はおずおずと話し始めた。
「維心様、今オレは沙依という巫女の娘と共におります。でも、それは生涯共にいようとか、そのような決意をしてという訳ではなかったのです。普通の人の男として、居心地の良い場所を求めていた気が致します。」
維心は頷いた。
「大抵の人の男はそうよの。最初から生涯共になどとは思うものではないよの。」
蒼はホッとして続けた。
「白蛇様の談判を受けて、考えました。オレは今まで当主だとかそう言ったことは深く考えたこともなかった。そんな教育の仕方もされていないし、第一神様の世界のことも、つい最近やっと知り始めたばかりなのです。それで、里に来てからよく考えて…本当に心の底から想える人が出来た時に、決めようと思っています。つまり、その時まで、一人でいようと思っているのです。」
維心はちょっと眉を上げた。
「それは、主はその巫女とはもう別れるということか?」
蒼は頷いた。このままでは、沙依も自分も、自分の意思がどこにあるかもわからないまま、変なことに巻き込まれてしまう。
自分が甘かったのだ。心を定めて行かないと、これから先の自分の決断は、神達の間のことにまで関わって来るのだ。こと、こうなってしまった以上、心を決めて行かなければと、蒼は自覚した。
十六夜のように、ずっと心の底から想えるひとが見つかるまで、自分は、待とう。
結局はそれが、誰をも不幸にしないでおける方法なのだと、蒼は思った。
「ふうむ」維心は座り直した。「では、我が話せることは何もないな。主は己れで己れの道を見つけておるではないか。その上、我に何を聞こうと思うのか?」
蒼は口ごもった。
「それはその…見つからなかった時のことです」蒼は言った。「オレは短い寿命です。その間に見つけられなくても、オレの兄弟姉妹達が子孫を残せば、それでいいと思われますか?」
維心は迷っているようだったが、首を振った。
「我はな、自分の事もあるゆえ、それで良いと言ってやりたかったのだがな」とため息を付き、「それでは、おそらくダメであろうな。」
蒼は少しショックだった。
「なぜ?同じ血なのに。」
「同じではないのだ。我もそうであるが、主も一族の中で歴代随一の力の持ち主であろうが。そんな能力はな、そうそう出るものではない。仮に次の子がその力の半分でも受け継げば、次の世も安泰であるのよ。しかし別の兄弟姉妹では、その確率は低いゆえな。当主というものはな、その一族全てに責任を持たねばならぬ。これから先も月の力を充分に使える者を残して逝くことこそ、当主には必要であるのだ。まあ、これは我にも頭の痛い話ではあるがな。」
予想はしていたが、やっぱり重い話だった。蒼は、月の力を使うものとして、神の間では認識されているのだ。そしてこれからも、自分の子、その子、その子と…。いつかまた大きな闇が現れた時、そこに居たのが力の弱い自分の子孫だったら?十六夜はまた罪悪感を持ってその子に降り、その子の命と引き換えに、闇を封じるのだろうか…。
「真剣に考えないといけないのは、変わらないようですね。」蒼は苦笑した。「でも、いろいろ覚悟は出来ました。ありがとうございます。」
維心は手を上げた。一人の女の人が入って来る。
「お呼びでございましょうか。」
「客人の部屋へ案内を」そして蒼の方を見た。「当主・蒼よ。我の妹の、瑤姫だ。」
蒼は慌てて立ち上がった。
「蒼と申します。月の宮の当主を致しております。」
下げていた頭を上げたその女性を見て蒼は驚いた。まったく化粧の跡は見えないのに、びっくりするほど美しい。長い黒髪を結い上げ、長い着物の裾を引きずっていて、透き通るような肌に、大きな目、神というのはこれほどまでに美しいのかと、蒼は思わず見とれたほどだった。
「蒼様。瑤姫と申します。それでは、お部屋へご案内致しますわ。こちらへどうぞ。」
蒼は維心に頭を下げ、瑤姫について、その部屋を出た。
維心はその後ろ姿を、考え込んでいるような表情で見送っていた。
蒼は瑤姫と共に下へと岩場の中を降りていた。洞窟のような廊下で、さすが滝の裏といった感じだった。歩いている時に、何か話した方がいいのかと思いながら、神で、しかも女性の人とはどう接していいものやらわからなかった。
蒼が困っていると、それを見かねてか瑤姫の方から声を掛けて来た。
「蒼様は、お兄様と同じ、歴代最強のご当主と伺いました。最近では、闇を消されたとか。」
蒼はなんと答えたものかと思った。実際封じたのは十六夜なのに。確かにオレの体を使ってるけど。
「私は月の力が使えるだけで、私個人の力ではないのですよ。」蒼は答えた。「闇を消したのは、私の体に降りた月です。」
瑤姫は持っていた扇で口元を押さえた。
「月をその身に降ろされるのですか?あれは誰をも扱えぬと聞いておりまするのに。」
ああ、なんか変なこと言ったのだろうか。でも嘘は言っていないし。
「降ろすと申しても、そんな大変なことではないのですよ。体力があれば…」
蒼が言い訳のようなことを言っていると、下から悲鳴が聞こえて来た。確かに、急に下の方から暗い気の気配が這い上がって来る。これは…闇の気配だ!
蒼が下へ向かって降りて横へ曲がると、そこは広間のようになって居て、そこには、一見したら闇と見間違うほどの大きさの、大きな黒い霧の集合体が揺れながら形を変え、存在した。ここは龍の宮なのに…こんな結界の深くに、なぜこんなものが!
「早くお兄様に!」
瑤姫がそばの召使いに慌てて告げている。しかし、黒い霧の集合体は、回りの人達を飲み込こうと動き膨らんで来る。蒼は思った。維心様は間に合わない。
蒼は、瑤姫に言った。
「瑤姫様、皆をこちらへ急いで下がらせてください!私の前には絶対に出ないと約束してください。」
瑤姫は頷いて皆を下がらせた。黒い霧の集合体はこちらの方へ吸い寄せられるように近付いて来る。
蒼は手を上げて月からの力を呼んだ。ドッと力が蒼に向けて流れ込んだ。
「蒼?」
十六夜は、里で目を開けた。力が大量に引き出されていく。
「十六夜?」
維月が異変に気づいて、十六夜に呼び掛けた。十六夜は起き上がった。
「…蒼が力を使っている。しかも結構な量だ。」
蒼は龍神の宮に居るはずだ。あの場所でなぜこんなことになるのだ。
十六夜は蒼の目が見ているものを見た。大きな…確かに闇に見えるような黒い霧の集合体だ。どこかの広間に居るようだ。後ろに居るのは龍達か。
「…様子を見るか。オレが行くほどでもないようだがな。」
蒼は力をまとめて広範囲に広げ、一気に消しに掛かった。
これは闇に比べたらかなり軽いものだ。蒼が発した光に触れると、立ちどころに消え去って行く。
広く大きく広がった光は、大きくその黒い霧を包み込み、軽々とその霧は消滅し、浄化された。
なんだか呆気ないが、まあ霧なんてこんなもんだ。闇の手ごわさを経験していて良かった。それにしても、こんなものを維心様がこの宮の中に入れるはずがないのに…。
後ろから、維心の声がした。
「蒼よ、見事であった。」まるで前からそこに居たようだ。「主の力、どのようなものか見たかったのよ。」
「…やっぱり、そうですね。この宮のあなたの守りの中に、こんなものが存在するはずがないのにって思っていました。」
蒼が言うと、維心はニッと笑った。
「そうだ。我はこのようなもの、山の結界の中にすら入れぬ。主を試してみたかった為、用意させたのよ。それにしても我が手下の龍達でも、これをここへ捕らえるのに三体が闇に飲まれ、我が封じるよりなかったというに、主は事も無げに消滅させてしまった。大したものよ。」
蒼は少し腹が立った。試されたことより、その封じられた龍達のことだ。こんなことの為に、封じてしまうなんて。
「…維心様。その封じた龍達は、今どちらに。」
蒼のただ事でない様子に、維心は立ち上がった。
「…こちらだ。ついて来ると良い。」
瑤姫も後をついて来る。維心は、更に深くの洞窟へ、下へ下へと降りて行った。
かなり降りた所で、二体の龍が人型で守る扉があった。維心が近付くと、二体共頭を下げた。
「戸を開けよ。」
すぐに戸は開け放たれ、中には龍身のまま凍りつくように固まる、三体の龍が居た。黒い霧が三体共巻き付くように絡まっていて、まるで逃れようと苦悩するかのような表情のままであった。瑤姫が後ろで目を逸らした。
蒼は手を前へ出した。こんな岩場の奥深くにまで力が来るのか心配だったが、力は苦もなく蒼へ降りて来た。とにかく、この龍達に苦しみを与えないように浄化を…。蒼は念じた。
蒼から出た光は、穏やかに流れ出て龍を包んだ。ゆっくりと引きはがすように霧を消滅させて行く。龍達は、一体、また一体と開放されて地へと落ちた。表情からは、苦悶の色が消えていた。
「維心様、浄化しました。龍達を戻してやってください。」
維心は頷いて、番をしていた二体の龍に言い、蒼達を伴って上へと戻った。
「蒼よ」維心は口を開いた。「主は人であるのな。我には理解出来ぬことも多々ある。しかし、我は主が嫌いではない。」
蒼は頷いた。
「神様達のことは、オレにもわかりません。きっとお互いにそうだと思う…でも、やはりオレは人なので、人の基準で行動します。オレには、とても龍達を見捨てるなんて出来なかった。先にあの龍達の浄化を、維心様に命じて頂きたかったです。」
維心は笑った。
「我は主に命じることは出来ぬ。主は我が民ではないゆえな。」そして傍らの瑤姫を見た。「どうだ瑤姫よ。主、この蒼の子を生む気はないか。」
なんだって!?蒼はそう叫びたいのを押さえた。維心様、オレは神様なんて嫁にもらうつもりは全く…。
瑤姫はびっくりして扇で顔を隠した。が、そっと頷いた。
「我は、蒼様ならようございまする。」
ええ〜!?と思ったが、神様の間で許されるかわからないので、蒼は必死で口を結んだ。そんな蒼の気持ちを知ってか知らずか、維心は言った。
「蒼よ。我が妹瑤姫なら、主も何も縛られることはないぞ。瑤姫は人ではないゆえに、人とのことなど気にも留めぬ。もし主が他に人の女が出来ようとも、何も言わぬ。それに他の神達も、我の妹の相手となれば、誰も口出しは出来ぬ。子は、龍の力と月の力を持って生まれるであろう。主の子孫にとっても、これほど良い事はあるまい?」
蒼はなんと答えればいいのか、今度こそわからなかった。本人とその兄の神の前で、どう言えば失礼でないのか、全く検討もつかなかったのだ。
「…維心様」蒼はやっと声を絞り出した。「急なお話に面食らっておりまして、夢の中に居るかのようです。とにかく、月と母に相談して、またお話致します。」
そう答えるのが、やっとであった。
里では、十六夜が目を手で押さえた。あーアイツ、何やってんだ。
「どうしたのよ、どうなったの?」
維月が気ぜわしげに聞く。
「霧なんか蒼にとっちゃ一瞬のことだったよ。浄化もあっさり終わっちまったし問題ねぇ。」
十六夜の言葉に、維月はホッとして横になった。
「ほんとに人騒がせよね、あの子。」
十六夜はチラッと維月を見た。
「そのせいで、維心の妹を嫁にもらうことになりそうだがな。」
維月はびっくりして叫んだ。
「ええ!?なんでそういうことになるのよ?」
十六夜は、明日蒼の顔を見るのが怖かった。
家に戻った蒼は、宿題を片付けてから物思いにふけった。
戻って晩ご飯を食べる姿は魂が抜けたかのようで、有がかなり心配して十六夜に相談したらしい。
ほんの一年ちょっと前まではこんな事もなく、悩みと言えば試験ぐらいだったのに。人はわからないものだと、蒼はつくづく思った。
でも、母さんがただ一人で何もかも決めて歩き抜けて来た事なのだから、確かに自分は神が見える分ゴタゴタも増えているけど、男なんだし、兄弟姉妹も居るのだ。悩んでないで一つ一つ片付けて行こう、と蒼は思った。
《明日、そっちへ行く。》
十六夜の声が急に言った。
「何しに来るんだ?オレは大丈夫だよ、十六夜。」
蒼はベッドに横になったまま言った。
《維月も行くと言うんだ。夜になると思うがな。9時には戻っとけよ。》
「わかったよ。」
蒼が答えると十六夜の念は消えた。
明日はきっと疲れるなと、蒼は思って眠りについた。
次の日、いつも通り授業を終えた蒼は、裕馬を乗せてまず一度自分の家まで帰り、そこで裕馬を降ろして、その後、沙依の待つ駅前の公園へと引き返した。数日前は、ここで楽しく話していたのに。
蒼は心が重くなるのを感じた。
何も知らない沙依が、こちらに向けて手を振っている。蒼はそこまでたどり着くと、近くのベンチに腰掛けた。
「どうしたの?裕馬達のこと、何かわかったの?」
沙依に言われて、そうだったと蒼は思い出した。まあでも、それも今日きっちり聞いておこう。皆が集まるチャンスだし。
「裕馬達のことはまた、本人に聞くことにしたよ。」蒼は言った。「あれこれ探っててもラチあかないと思ったからさ。」
沙依は頷いた。
「そうなの。でも蒼くん、なんだか雰囲気変わったね。顔つきが違うみたい…お母さんのところに行って、何かあったの?」
蒼は頷いてじっと沙依の目を見た。
「実は、いろいろ神様達とも会ってね。沙依の所の白蛇様とも、この間行った時に話してだろ?あんな感じで、皆からひとあたり聞いて来たんだ。」
沙依は不安げに目を見開いた。
「白蛇様、やっぱり何か言ったのね。」
「いや、それだけじゃないんだ。」蒼は言った。「オレが、月の当主と呼ばれているのは知ってる?」
沙依は頷いた。
「ええ、白蛇様がいつもそう言うから。」
蒼は続けた。
「覚醒するまで全然知らなかったんだけど、オレって生まれた時から、他の神様達が守ってる巫女達の婿候補だったんだって。この間十六夜に聞いて、ほんとにびっくりしたんだけど。」
沙依は、ああやっぱり、という顔をした。蒼は構わず先へ進んだ。
「龍神様も知っていて、これは神達の間じゃ有名みたい。オレ、簡単に女子と歩き回る訳にいかなくなってしまったんだ。」
「それって…これからは出掛けたり出来ないってこと?」
沙依は顔をしかめた。蒼はちょっとムッとした。出掛けたり出来ないって?そんなレベルではないのに。しかもそれで機嫌が悪くなるんなら、やっぱり無理だったんだろうか。
「そうだな、全く出来ないと思う。どう思う?」
蒼は沙依がどう考えるか聞いてみた。試すようで嫌だったが、自分と同じ思考を持てないと、これから先絶対に神達の間で立ち回っていけない。当主として、心を鬼にしなければ…。
「…私やっと、普通の女の子みたいに、お買い物したり、デートしたり、出来るようになったの…。」沙依は涙ぐんだ。「だから、全く一緒に出掛けたり出来ないのは、嫌だな。月に一度とかでもいいから、ちょっと隠れて出るとか、出来ないかなって思う…。」
蒼は、頷いた。やっぱりダメなのか。オレにはやらなきゃならないことがあるのに…。
「…沙依、神様達には、隠れてなんて通用しないんだよ。それに、個人の感情とか、そんなものはあまり通用しない世界なんだ。神様達の間で、なんだか攻防みたいなのがあって、この家の子とこの家の子が結婚する、みたいな感じで。他は排除されてしまったりする。オレ達の意思など関係なくね。」
沙依は涙ぐんだままだった。
「え、私達も?」
「オレ達はオレ達の意思で付き合い始めたけど、これから回り次第で別れるとか、結婚するとか、そんなことになって行くことになる。オレはなんでも自分の意思で決めたいと思っているし、流されたくない。でも、誰か特定の人と付き合っていると、オレに結婚の意思ありとみなされてしまうんだ。」
「どういうこと?」沙依は驚いている。「蒼くんは私と結婚するつもりはないってこと?」
蒼はため息をついた。
「そんな話はまだ先のことだ、そうだろう?そんな事まで最初に決めて付き合いだした訳じゃない。だからオレはそんなことはまだ約束出来ないよ。口先だけって言うんなら、いくらでも言えるけどね。ましてオレは、当主だと言われて今あっちこっちから大変なことになってるんだ。それをうまく抑えるためにも、今は独り身で居たほうがいいと思ってる。」
沙依はぼろぼろと泣き出した。
「そんなの、蒼くんの都合じゃない!私は関係ない。」
「そうだな。オレの都合に巻き込みたくないから、別れたいんだよ。同じ価値観を持てないと、これから間違いなく不幸になる。お互いがね。一緒に出掛けるとか、そんな小さな枠じゃないんだよ。すごく大きな枠で見られていて、自分もその枠でものを見なきゃならないんだ。」
蒼は言った。
「どうして一緒にこれを乗り越えようとか、そんな風に考えてくれないの?」
沙依が責めた。
「一緒に乗り越えられるかどうか、質問したんだ」蒼は言った。「どう思う?て。ごめん。きっと無理だ。オレ達、意識が違いすぎてるんだよ。」
沙依は思いっきり蒼の頬を打った。予測はしていたので、蒼もよけようと思えばよけられたが、あえて受けた。
蒼は立ち上がった。
「…送るよ。」
「結構よ!」沙依は叫んだ。「どうせ、私はその程度だったんだから!」
駆け出して行く沙依を、蒼は黙って見送った。
返す言葉がなかった。
家に帰ると、先に裕馬が夕飯を食べていた。
「おう、おかえり!先に食べてる…」
裕馬は言いかけて言葉に詰まった。蒼が疲れきっていたからだ。
「…ちょっと蒼、早くご飯食べなさい。なんか死にそうな顔してるわよ。」
有が流し台の前で振り返って言う。
「なんだか疲れてさ。母さん達はまだ?」
有が首を振った。
「まだよ。9時ぐらいって言ってたしね。まだ7時じゃない。」
蒼は頷いて、二階へ上がった。先にちょっと涼と話してこよう。
「ちょっと蒼!先にご飯食べなさいって!」
有の声が追いかけて来るが、蒼はとにかく部屋へ戻った。
「蒼、左の頬っぺた真っ赤だったね。」
恒がボソリと呟いた。
蒼は、涼の部屋をノックした。
「涼、入るぞ。」
中へ入ると、涼は机に向かっていた。蒼に気付くと、眼鏡を外して振り返った。
「ああ、ご飯って言ってたわね?ごめん、すぐ行くわ。」
蒼は首を振った。
「いや、ちょっと聞きたい事があって。裕馬のことなんだけど。」
涼はえ?という顔をしたが、側の椅子を示した。
「座って。なんか顔色良くないよ。」
蒼は座って話し出した。
「この間さ、二人で駅に歩いて行くの見掛けてさ。それから気になって仕方なかったんだよ。十六夜もたまに見掛けるって言うし、なんでオレには話してくれないんだろうって。まさか涼、遊びのつもりで裕馬と…とかさ。」
涼はびっくりしたように一瞬黙ったが、すぐ笑いだした。
「やあね、蒼。あなた二人の所しか見なかったんでしょう?」涼は大笑いしている。「やめてよね、第一遊ぶにしても、あんな身内みたいな子選ばないわよ。私、かなりの面食いなの、悪いけど。」
あんまりにも母に似た反応に、蒼は焦った。コイツほんとにそっくりなんだよな。
「じゃあなんなのさ。」
「何よふて腐れないの!あれはね、友達を紹介してあげるって、この間里に行った時約束したからなのよ。ほら、沙依さんと蒼が少しでも話せるように、私、あの子連れ出したりしたでしょう?あの時よ。あんまりうるさいから、何回か友達変えて、三人でご飯とかお茶したりしたの。でも、裕馬ったらあの通りだから、私の友達すぐ帰っちゃうの。かわいそうだから私は最後まで一緒に居るし、帰りはいつも二人だったわ。さすがにこの間はもう諦めたら?って言ったけど。」
蒼はなんだか拍子抜けした。でも、嘘ではないようだ。
「だったらなんで、言わなかったんだよ!」
「あら、裕馬の名誉のためよ。」涼はサラッと言った。「あなたに一番知られたくなかったんじゃない?こんなこと。」
蒼は横を向いた。
「別にいいんじゃないか。オレ、沙依と別れて来たし。」
涼は目を見開いた。「え?!」
蒼は立ち上がった。
「別れたんだよ。オレは当主だ。そう簡単に、付き合う訳に行かないってやっと自覚したのさ。」
蒼は部屋を出て行った。涼は唖然としていた。
蒼も含めて皆が食事を終えた頃、十六夜が到着した。が、母の姿がない。
「母さん来なかったの?」
十六夜は首を振った。
「途中で白蛇につかまったんだよ。先に行けって言うから、残して来たがな。」
ドカッと側のソファに座る。
「だいたい何の話かわかるよ。」
蒼は言った。
「まあ、アイツも月だ。自分で飛べるんでな。すぐ来るだろう。」
そう言っている間に維月は戸口に到着した。げんなり、といった感じだ。
「あれじゃ蒼も疲れるわね。まああなたの決めた事だから、私はどうこう言わないけど。沙依さんがかなり説教されてて、そこがかわいそうだったから、フォローしといたけど。」
十六夜が黙って手を伸ばす。維月は隣に腰掛けた。
二人は頷き合うと、十六夜が話し始めた。
「蒼のことなんだが」いきなり用件に入るのは、神と同じだった。「今神達からひっきりなしにオファーが来てるんでぇ。人の世の常であるように、みんなまだ先だと思ってたみたいだが、白蛇んとこの沙依と付き合い出したと知れて、その上、こともあろうに白蛇が、蒼本人に嫁にもらえと直談判したと知れ渡ってしまってな。蒼はまさかの嫁探しをしていると思われた見てぇだな。オレには皆言いづれぇようで、主に維月に会いに来やがる。うっとうしくて仕方ねぇ。」
蒼以外は皆驚いて、固唾を飲んで聞いている。
十六夜は続けた。
「で、蒼だけでなく恒にまで話が来始めて、ほっとけないなとなった訳だ。」
恒は飛び上がった。
「え、オレ?まだ15なのに!」
十六夜は困ったように頷いた。
「そうなんでぇ。蒼は競争率が高いから、先に恒を押さえようって魂胆だな。みえすいてやがる。」
維月が言った。
「私達は別に、あなた達が誰を選ぼうと反対はしないつもりよ。でもあの神達は、何をするかわかったもんじゃないわ。最近通学の行き帰りに、よく見る女の子とか居るんじゃない?」
恒と蒼は顔を見合わせた。
「オレ…毎日すれ違う子に、昨日声掛けられた。」
恒が言う。遙が頷いている。
「いつも一緒だから私も見てるよ。違う学校の子。」
蒼も心当たりがあった。外で歩いてる時、何か落としたら拾ってくれたり…編入してきた女の子は、やたら黙って寄って来るから、なんだか気持ち悪いなとは思ってたけど。
「男ばかりじゃねぇぞ。有、涼、遙、お前達もだ。ちょっと気を付けたほうがいい。なんかおかしかったらすぐオレを呼べ。昼間でもオレには聞こえるから、すぐ行ってやる。」
三人は身震いした。維月と十六夜は顔を見合わせた。
「それから私達も、結婚しようと思ってるのよ。」
蒼はびっくりして言った。
「え、もうしてるんじゃないの?!」
十六夜はあきれたように手を振った。
「あのなぁ、そっちのするじゃねぇよ。オレ達は別に型にこだわらねぇし、自分達でわかってりゃいいと思ってたんだが、回りがわかってねぇのよ。ちゃんと式ってのを挙げて、知り合いの神を呼んで、お披露目とやらをしなきゃならないのだと。何をやってても関係ないのだとさ。」
維月はモウッと十六夜を見てから、先を続けた。
「そうしないと、私にまで縁談が来てしまうのよ。」
全員が退いた。
「母さんにまで?!」
「維心に言われるまで知らなかったが、月の力を使えるとは大したことらしくてな。その血が欲しいのさ。人でなくなれば神の子も産める。維月に跡取り産んでもらいたいのだそうだ。冗談じゃねぇよまったく。」
十六夜は機嫌が悪くなった。維月はまあまあ、と腕を撫でた。十六夜は言った。
「男はいい。特に蒼には誰も手を出せねぇ。力を知ってるからだ。遙も大丈夫だ。お前の守りの強さは祟り神でも生気を抜き取れないほどだ。問題は有と涼、お前達だ。女はさらわれるからな。神隠しってやつだ。まあ、お前達は人だから、神の子は産めねぇし、なんかされることはないだろう。だが、人の跡取りが居る神社とかなるとわからねぇのよ。人の世のことを考えたら、そこまではしやがらねぇと思うがな。」
蒼は呟いた。
「じゃあ今、十六夜大変だね…母さんいつさらわれるかわからないじゃん。」
十六夜はムッとしたような顔をした。維月はコラッという顔をして蒼を見た。なんか悪いこと言った?
「…そうよ、奴らはもう二度もオレの留守に来やがって」思い出したようで物凄く顔色が悪い。「二人小者を封じてやったわ。今度来たら消してやる。」
維月は慌てて言った。
「とにかく、結婚式を来週するから。この年末になんだけど。」
皆は頷いた。逆らうと、自分たちまで封じられそうだ。
維月は続けた。
「それで、式は里の神社であっさり行うわ。招待するのは、そうね、維心様だけでいいんじゃないの?」
蒼は、びっくりした。
「母さん、オレ、ほら瑤姫様と…」
「わかってる」十六夜が言う。「維心は別に無理にって言ってる訳じゃねぇし、それにな、婚約したとしても、向こうは龍の王の妹だ、今すぐ決まったとしても、準備に五年はかかると言っていた。もちろん急げと言うなら急ぐとは言っていたがな。」
そうか、神様と人じゃあ時間感覚が違うんだ…。蒼はホッとした。
「そのことなんだけど…」
維月は十六夜を見た。十六夜は頷いた。
「お前、瑤姫と婚約してみねぇか?」
蒼は顔を上げた。婚約だって?!
「…オレ、神様と結婚するの?」
「違う。まずは婚約するだけだ。蒼、考えてみろ。」十六夜は言った。「瑤姫はあの龍神の妹だ。龍神は神の中でも命を司っていて、他の神とは別格の力がある。しかも維心は歴代最強の当主と言われていて、他の神はアイツに逆らえねぇ。お前が瑤姫に決めれば、誰も口出し出来なくなるんだ。」
「オレが男に生まれたからこんなことになってるんだね。」
「それとその力を持って生まれたからだな。」十六夜は言った。「オレは神達に、基本無関心だった。だから奴らがお前達に何かしたりしない限り、オレはアイツらを封じたり干渉したりしなかった。力を持っていても、だから驚異ではなかった。だけどお前は、人でありながら歴代随一の力を持っていて、オレをその体に降ろし、ほぼオレの力を全て使える。今まで何もしてこなかったオレに対し、お前は人の世にまで干渉することが出来るんだ。どうしてもその力、欲しいと願うわな。味方につけなきゃ怖いからよ。」
蒼が迷っていると、維月が言った。
「それに、婚約したら、龍神様と親族になるから、有も涼も恒も遙も、誰も手を出せなくなるの。」
蒼はハッとした。それで、母さん達は、婚約を勧めるのか…。
皆が固唾を飲んで見守っていると、いきなり、涼が立ち上がった。
「嫌なら嫌って言いなさい、蒼。なんなら私がどこかへ嫁に行ってもいいわよ。」
「涼!」
有がなだめた。涼はそれでも続けた。
「蒼だって好きでこんな立場に生まれた訳じゃないじゃない!どうして決められなきゃならないのよ!母さんだって、同じようにしてきたのはわかってるわ。でも、私は勝手に決められたくない!」
そう言い終わると、涼は階段を駆け上がって行った。十六夜はそれを見送って、フッと笑った。
「…誰かと同じだな。」
「あの子はほんとに私にそっくりなのよ。」
「お前も結婚を決める時、同じことを言った」十六夜は言う。「好きでこんな立場に生まれた訳じゃない、勝手に決められたくないってな。」
維月は笑った。
「でも、あれからすぐ吹っ切れたのよ。いつまでも夢を見ていてはいけないってね。」
「今は夢ではないがな。」
十六夜は微笑した。維月も笑って十六夜の手を握った。
そんな二人の様子を見て、蒼は決心した。自分は誰かを愛してる訳でもない。何かに執着しているわけでもない。母さんのように、何かを諦めなきゃならない訳じゃないんだ。瑤姫様とも、ゆっくり話せば神と人だけど、何かわかりあえることがあるかもしれないし、結婚しようと思えるようになるかもしれない。何よりまだ何年も先のことなのだから、婚約しよう。
蒼は立ち上がった。
「十六夜、オレは瑤姫様と婚約するよ。」
十六夜も立ち上がった。
「わかった。じゃあオレ達の結婚式の時に、正式に婚約すると維心に伝えておこう。」
ずっと黙っていた裕馬が、やっと力を抜いて言った。
「ふえー蒼のお嫁さんは、龍のお姫様かぁ…。スケールが違うよ。」
皆は笑った。蒼も、決めてみると、なんだかホッとして肩の力が抜けていくのがわかる。
明日からは、もう少し神の世界を勉強して行こう。




