タイムラグ
ユラユラと船が揺れている。船はゆっくり、ゆっくりとブロンズでできた女性の像、自由の女神へと近づいていく。
ハドソン川沿いの堤防近くのベンチで恒一は祥子とともにその様子をぼんやりと眺めていた。
自由の女神のすぐ横にはアメリカの経済都市、ニューヨークのマンハッタンの街並みが見える。
写真では何度か眼にした光景であるが、直に見るのは初めてだった。
「どう?少しは心の整理ができた?」
「・・・・・・ああ。少なくともここが本当にアメリカだということが分かったよ」
恒一は手を額にやり、弱々しく返事を返す。
「俺が生きてきた日本って一体何なんだろう・・・・・・」
ぼそりと呟いた恒一に祥子は優しく手をやった。
「そう思うのも無理ないわ。だって、恒一の世界観がまるっきり変わったんだもの・・・・・・」
『ボーーー』っと一つ、船から汽笛がなった。
「・・・・・・そういえばロスト・ユニバーサル・デイがなかったんなら俺の家族は生きているのか・・・・・・」
「・・・・・・たぶん生きているよ」
「じゃあ、今生きていたら16年経っているから幸は17歳か・・・・・・」
「それって、妹さん?」
「ああっ、先日まで死んだと思っていたけど・・・・・・生きているならそうなるな」
「じゃあ、私と同い年だね。恒一の妹さん」
すると、祥子は恒一に笑いかけた。
「祥子って17なんだ・・・・・・なら高校二年ってとこ?」
「ううん。私は大学生。飛び級で11のときに高校行ってたんだ」
「へえっ、本当にいるんだ、そういうの」
恒一は額から手を離し、ゆっくりと顔を上げ、祥子をまじまじと見る。
「日本だと珍しい?」
「うん、あんまり聞いたことないなぁ」
祥子の笑みに恒一も小さく笑みを見せる。
「でもここじゃ普通だよ。だって、実力の有るものが認められる。
建国からそういう意識の下で動いていたから」
誇らしげな祥子の様子に恒一は微笑んだ。
(やっぱり、生まれは日本でも祥子の母国はアメリカなんだな)
恒一は国というものに誇りを持つ祥子を羨ましく思った。
祥子は日本で産まれたが、学者の父と母の転勤で一歳のときにアメリカに引っ越したとのこと。
日本がどんな場所かもよく分からない祥子にとってアメリカを母国と思うのはしごく当然のように思えた。
その後も恒一は祥子と自身や身の回りのことについてあれこれと話し合った。
一時間、二時間と時はどんどんと過ぎ、気づくと夕日が出ていた。
「なんか、話しすぎちゃったね」
「ああっ、でも楽しかったよ」
フフッと笑う祥子に恒一は笑顔で答えた。
「恒一とは結構気が合うなぁ。それに、こんなに話して楽しい男の子は初めてかも・・・・・・。
だって、周りはみんな私よりずっと年上だし・・・・・・」
祥子は赤く川を照らす夕日を見つめた。何かに思いを馳せているようだった。
夕日の光で金色に染められた祥子の艶やかな黒髪、そして光り輝く黒真珠のような瞳。
恒一は夕日に照らされた祥子を素直に、綺麗だ、と思った。
しばらくすると、こちらに気付いた祥子が、どうしたの、と首をかしげて尋ねてきたことで自分が随分と祥子を見つめていたのに気づき、恒一は頬を赤く染めた。
「えっ!?あっ、・・・・・・いや、・・・・・・なんでもないよ」
恒一はあたふたしながらしどろもどろに答えた。
「何かあるなら言ってくれればいいのに」
そんな恒一の様子に祥子はクスリと笑う。
祥子のその仕草に恒一の心臓の鼓動が高鳴った。
「あっ、いや本当になんでもないよ」
恒一の言葉に、祥子は、そう、と短く答えると左手の腕時計を見る。
「あっ、そろそろパパが帰ってくる時間だわ。
行きましょ!」
祥子は立ち上がると恒一にも促した。
恒一はそれにぎこちなく答えるとゆっくりと立ち上がった。
「君が恒一君だね。娘から話は聞いてるよ。私は日本調査メンバー、通称『SEEK』のメンバーの一人の篠原裕一郎だ。よろしく」
白衣に身を包んだ三十代後半、もしくは四十代前半と思われる手を差し伸べてきた男、篠原裕一郎に恒一も手を出し、互いに握手をする。
「ふむ、早速だが本題に入ろう。君は十年前の日本から来たと言ったね」
裕一郎の問いに恒一は、ええ、と短く返す。
「君はそれをタイムスリップだと考えているようだが、実はそうではない。
君が日本にいたのは確かに君にとっては先日のことなんだ」
裕一郎の言葉に恒一は驚いた。
「どういうことですか、一体」
「私がこれから話すことを誰にも話さないかい?」
「ええ」
「なら話そう。現在、日本では私達が生きているここと大きなタイムラグが生じている。
調査では向こうはこちらの三倍ほど時の流れが遅いことが分かったんだ・・・・・・。」
「さっ、・・・・・・三倍・・・・・・」
「君はそこで六年過ごしたが、ここでは十六年が経っているんだ。
その原因は分からないが・・・・・・、私達はあの結界に時を緩慢化させる作用があるのではないかとにらんでいる」
そして、裕一郎は恒一をじっと見つめた。
「君に聞きたいんだけど、君は昨日何をしていたんだい?
どうやってここに来たんだい?」
恒一は裕一郎の真剣な眼差しに腹を決めると昨日起こった全ての出来事を話した。
「なるほど、天神高三郎とその部下。そして『神晶石』・・・・・・。
随分と興味深いな・・・・・・」
裕一郎は手を顎に添え、ぶつぶつと何かを呟く。
「僕も今の日本の総理、天神高三郎は臭いと睨んでいたんだ。彼の就任の年にあの事件が起こったからね。
君が言うロスト・ユニバーサル・デイ。
君の話からもこれを引き起こしたのは彼とみて間違いないだろう」
裕一郎の言葉に、恒一は、ええ、と頷く。
「恒一君、どうか私達に協力してくれないか?
君がいた方が調査ははかどる。
今の日本はどうなっているのか、真実を君も知りたくはないかい?」
「・・・・・・」
恒一は戸惑った。今の自分は祥子と裕一郎しかあてにできない。
だが、裕一郎の提案をそのまま受け入れたら今後自分がどの様な扱いを受けるかわからない。
「条件があります」
「何だい?」
「今、俺が頼りにできるのはあなた達だけです。ですからこれから自分を保護してください。
それと、調査での扱いは対等にしてください」
「そんなことか、なら問題ないよ。君と僕としての関係は対等だ。今後も無理な尋問はしない。
あくまでも君は調査の協力者として扱う」
「それなら引き受けます」
すると、裕一郎はぱあぁと顔をほころばせた。
「ありがとう、恒一君。そして、これからはよろしく」
「ええ、裕一郎さん」
差し伸べられた手をしっかりと握ると、恒一は裕一郎に微笑みを返した。
自分がここではどの様に居きるか
恒一は裕一郎の手の確かな感触と共にこの世界に帰属する第一歩を踏み出したのだと感じた。