第三話 煎り豆はそこそこ美味しい
アンティグア支城、裏門。
辺りの様子を窺っていた一人の兵士が、手招きして隠れていた仲間を呼び寄せる。
警備に当たっていた門番は首を振ることで合図を送ると、鍵を取り出す。
堅く閉ざされている城門のものではない。隣に設けられている、小型だが頑丈な鉄扉。
至急の用件以外では、開放されることが禁止されている小門。その扉を、脱走しようとする兵士の為に、門を死守するべき役割を負う人間が開けたのだ。
この門番は解放軍と内通しており、士気を下げ、脱走を斡旋する工作員の任務を命じられている。何度も繰り返されたこの光景。城内の警備体制は緩みきっており、今晩も何事もなく、いつものように脱走兵を送り出すはずであった。
「……見張りに見つからないよう、しばらくは屈んで進め。北の森の奥地にある廃屋に、連絡係が待機している。そこまでの地図はこれだ。必要がなくなったら、必ず破いて処分しろ」
門番が地図を渡すと、男は受け取り、一瞥する。
「……すまない。助かる」
「それと、この書類を待機してる奴に渡してくれ」
書類の入った封筒を取り出す内通者。
「ああ、分かった」
「監視は甘いが、十分注意して――」
「そこで、何をしているの?」
「――ッ!」
書類を受け渡している最中、場に似合わぬ声が男達に掛けられる。心臓が止まりそうになりながら、門番と脱走兵達はその方向を振り返った。
「確か第11歩兵小隊の人達だったわよね。そんな荷物抱えてどこかへお出かけ? 星空を眺めに散策でもするのかしら」
「お前は……第13歩兵小隊の」
「――おい、待て。こいつなら大丈夫だ」
剣をいつでも抜ける体勢を取っていた壮年の男は、シェラの姿をみてホッと息を吐く。やりすごせそうだと安堵したからだ。
門番は警戒の視線を解いていない。大声を上げようとしたら、即座に殺すつもりでいる。騒がれたら全てが終わる。
「シェラ臨時少尉よ」
「ああ、面倒な役を押し付けられたガキだろう。臨時ってのが泣かせるじゃねぇか」
「他の小隊でも話題になってたぜ。いつまで命がもつかってな。賭けの対象にもなってたぜ」
「――そんなことより、何をしているの?」
シェラは大鎌を肩に乗せながら、笑顔で問いかける。
「決まってるだろ。この糞みたいな軍から逃げ出すんだ。誰だって勝ち馬に乗りたいだろ? 噂じゃ帝国ももうすぐ参戦するって話だ。このままじゃ、俺達は犬死にだからな」
「俺達は王都解放軍に参加する。金はたんまり貰えるって話だ。王国の為に死ぬつもりなんて、悪いが欠片もないぜ」
「隊員も全員賛成してくれた。手土産に適当な武具、食料も持ったしな。そう悪くは扱われないだろう」
小隊長らしき男が、背負った袋を手でポンと叩く。答えを聞いたシェラは、納得した様子で何度か頷いた。鎌を持つ手に力が篭められる。
「そうなの。それじゃあ、ここでお別れね」
「……お前も行くか?このままじゃ、どのみち死ぬだけだぞ」
「お、おい」
脱走兵の一人が、思わず聞き返す。余計な荷物が増えるからだ。
「このまま放っておく訳にもいかねぇ。現場を目撃されちまってるしよ。なぁ、一人増えるぐらい構わないよな?」
小隊長が門番に問いかけると、顔を顰めるが、仕方がないと首を縦に振る。
「計画にはなかったが、仕方がないだろう。流石に女子供を殺すのは、少々気が引ける。ただし、お前だけだ。今から他の隊員を呼ぶ訳にはいかない」
「――だ、そうだ。もちろん行くだろ? こんな軍に俺達雑兵は全く恩がないからな」
「……そうね。それじゃ私も行くわ。多分短い間だけど、宜しくね」
にっこりと微笑むと、シェラは同意を示す。男達はそれで良いと頷くと、扉を潜り静かに外へと抜け出した。
――脱走は重罪。軍規に照らせば問答無用の死罪である。
脱走兵達は、息を押し殺し、草に身を潜めながら森林地帯へと急ぐ。荷物が嵩張って動きづらいことこの上ないが、手ぶらで向かう訳にはいかない。
シェラも大鎌を持っている為、男達と大して変わりはなかった。
「おい、シェラ臨時少尉さんよ。その、こけおどしのでかい鎌はそろそろ捨てたらどうだ。邪魔臭くて仕方がねぇ」
「これがないと戦えないのよ」
鎌の柄を優しく撫でるシェラ。男は呆れながら小声で呟く。
「ったく、仕方ねぇな。こんな鎌持たせて何がしたかったんだか。お前みてぇなのはよ、解放軍についたらとっとと田舎に戻れ。悪いことは言わねぇからよ」
「考えておくわ」
「小隊長! あれじゃないですかね」
一人の隊員が、地図を広げて現在位置を確認しながら報告する。目印として記されている、×の切り傷がある大木。三十歩ほど離れた場所に、暗くて見えないが確かに小さな木々の中に、一本だけ目立つ大木がある。
脱走兵達は、足音を立てないよう、目標の大木目指して静かに歩き始める。
そろそろ王国兵の監視が届かないラインである。が、最後まで油断はしない。それが軍隊で唯一得ることが出来た、生き残る為の秘訣だ。
「――確かに、人間が付けたらしい切り傷があるな。これを正面に左に進むんだったか?」
「はい。多分こっちかと。獣道っぽいのがありますから」
「ここらへんだけやたらと足跡が残ってますし、こいつを辿っていけば着きそうですね」
「こんな近くまで敵の工作が行われてるってのに、全く気付かないんだからお気楽なもんだぜ。ウチのお偉いさんの頭は空っぽか?」
大木を手で撫でながら小隊長が呟くと、全員が同意の声を上げる。
「奇襲が筒抜けだったのも、納得ですね」
「逃げ出して大正解だ。俺達は最後の最後に正しい選択が出来て幸福者だ。
帰ったら星に祈るとしよう。信心深い俺達に神からの思し召しだ」
「星神さまに乾杯ですね」
「そういうことだ」
彼らには残してきた家族がいる。無駄死に、犬死にはしたくなかったのだ。裏切り者と呼ばれようとも、生き残ることが全て。その切実な思いは全員に共通していた。
シェラは少し離れた場所から、楽しそうにその光景を眺めていた。愛用の鎌を、小刻みに肩の上で弄びながら。ついでに小腹が空いたので、保存食として携帯している煎り豆を口に放り投げた。今回の豆は少しだけしょっぱかった。外れではないが、当りでもないようだ。
「よし、休憩もそろそろ良いだろう。その地図は破いて地面に埋めておけ。
約束は約束だからな。痕跡を残さないようにしろ」
「了解!」
「おいシェラ。お前も豆なんて食ってないで、少しは手伝え」
隊員の一人が、呑気に豆を齧っているシェラに愚痴を零す。返事の代わりに、大鎌の先端を叩きつけて小穴を作ってやった。
「その鎌は鍬代わりって訳か。帰ったらしっかり親の手伝いをするんだな。
生きてる内に親孝行はしておくもんだ」
シェラの方へと視線を向けながら、説教じみた口調で諭す。
地図を粉々にして、穴に入れて乱暴に土を被せる。軍靴で踏み鳴らし、痕跡が残らないように処理を行うと、隊員はこれで良いと完了の合図を送った。
「気が向いたらそうするわ」
「気が向くように今から努力しろ」
「そうね。ところで、貴方は私のお父さん?」
「家には可愛い息子が待っているんだ。残念だが、お前の親父にはなれないな。良い男は自分の手で見つけるこった」
「それは残念ね」
軽口を飛ばしながら、シェラはかつて存在した親の顔を想像してみた。が、何も思い出せなかった。別に残念だとはこれっぽっちも思っていないが。王都解放軍に対する憎しみは確かにある。村を滅ぼされた記憶も確かにある。だが、そこに居たはずの人達の顔が思い出せない。それを悲しいとは思わない。思い出すのは、悲しいほどの空腹で死にそうだった事だけ。
――そう、思い出すだけで、気が狂いそうになるほどの飢餓だったのだ。
シェラは最後の豆を、無言で口へと放り投げた。乱暴に噛み砕いたので、味は分からなかった。
解放軍諜報隊が潜む廃屋。
普段は斥候だけが利用するこの場所だが、今晩は解放軍の将の一人、ボルール大佐が敵前視察の為に訪れていた。帝国軍から援軍として送り込まれた上級士官のボルール。
体躯は長身で筋肉は隆々としており、生まれ持った武才は日頃の鍛錬で更に磨きを掛けていた。
彼の槍術は帝国の中でも有数の物として認められている。槍術師範として、解放軍副将であるアラン第2皇子の指南役を務めた事もある。質実剛健な性格は兵達から慕われ、指揮官としての能力も備わっていた。
「夜更けまでの任務、ご苦労。アンティグア支城の様子を、この目で直接確認に来た」
「大佐がいらっしゃるまでもありませんよ。あちらさんは相変わらずです。……これをどうぞ」
「借りるぞ」
斥候の一人が、ボルールに遠眼鏡を渡す。特殊なエンチャントが掛かっているこの魔道具は、レンズ越しに昼間と同じ景色を映し出すことが出来る。とある迷宮都市から発掘された技術の一つ。帝国諜報隊と限られた将校だけが持つことを許された一品である。
「こっちを油断させる罠じゃないか、と思うぐらいのザルですよ。あちらの主塔を見てください」
諜報隊員が指差した方向に遠眼鏡を向ける。城壁内部の一際目立つ主塔。敵を発見する監視塔の役割を果たしている。だが、見張りが壁に寄りかかったまま微動だにしない。
「……見張りが居眠りしているぞ。規律が乱れきっているのか?」
遠眼鏡でアンティグアの様子を確認しながら、ボルールが呆れた口調で呟く。
「真面目にやっている見張りの方が珍しいくらいですよ。こちらも緊張感を維持するのに苦労させられます」
「だが、決して油断はしないようにしろ。敵にも切れ者は必ずいる。そうでなければ、今日まで王国は存続していない」
遠眼鏡を斥候に手渡し、一応注意する。
「了解であります、ボルール大佐。……警戒網に何か引っ掛かったぞ。直ぐに確認しろ」
帝国魔道技術により開発された特殊警戒線。この廃屋周辺にまんべんなく張り巡らされている。部下の一人が遠眼鏡を使用して、その何かを特定する。
「……連絡にあった脱走兵のようです。数は10、いや11名。連絡より1人多いですね」
「以前もあったことだ。瀬戸際で決断する奴もいるからな。いつもの尋問を行った後、解放軍本拠地まで案内してやれ。工作員からの書類を受け取るのを忘れるなよ」
「了解」
「……諜報隊は、脱走兵の手引きまでしているのか?」
ボルールが顎を撫でながら尋ねる。
「はい。軍師殿からの命令で、内部崩壊を更に押し進めるようにと。脱走兵の数は既に千を超えました。我々が連絡を取っている内通者は、末端から上位の者まで存在します。……いずれ、その成果が現れる事でしょう」
王国に不満を持つものは数多くいる。それにつけこむ作業は、容易いことであった。自ら売り込みに来る者も、少なくない。
「……そうか。王国は、内部から腐り始めているのだな」
「はい。その通りであります」
外見は立派に見える大樹は完全に腐食していた。何もしなくとも惨めに枯れ落ち、倒れるのは時間の問題だ。だが、その時計を早めるのが彼ら諜報隊に命じられた任務である。
「脱走兵に内部の様子を聞いてみたいのだが、構わないか?」
「……あまり賛成はできません。彼らは姫に忠誠を誓っている訳ではありません。現状に不満があるから逃げてきたのです。万が一という事もあります」
諜報隊員が諌めるが、ボルールは心配無用と首を横に振る。
「脱走兵に騙し討ちされるようなら、私もそれまでの男だったということ。
彼らに事情を聞かせてもらうとしよう。この耳で直接な」
「……了解しました。但し、我々もご一緒させて頂きます。大佐に何かありましたら、我々が責任を問われますから」
ニヤリと隊員が笑うと、ボルールは苦笑する。
「やれやれ、責任感の強い部下を持つと、苦労するな」
「我の強い上官を持つと、色々と苦労しますよ」
ボルールが小屋を出ると、待機していた諜報隊員がその後に続いた。
彼が無意識に、愛用の長槍を手に取ったのは、何かの知らせだったのかもしれない。
「私は王都解放軍、帝国義勇大隊所属ボルール大佐だ。お前達が、アンティグアからやってきた者達か?」
「は、はい。そうであります! アルツーラ姫率いる解放軍に参加するために、城を抜け出してきました! こ、これからは王都解放軍の為、命を懸けて戦います!」
ぬけぬけと嘘をつく小隊長。
ボルールもそれは分かっているが、重々しく頷く。所詮、一兵卒の彼らにとっては覇権争いなどそんなものだ。
「……うむ。志を共にする同志の到着を心より歓迎する。今後は解放軍の下で、その力を存分に発揮して欲しい」
「はっ!」
小隊長以下、全隊員が最敬礼を行う。ボルールは彼らの顔を一つずつ眺めていく。
が、特徴のある武器を持った1人の兵士の所で、その視線を止める。
「――娘。何がそんなに楽しいのか、聞かせてもらえるか?」
「…………」
「先程から、笑みを浮かべているのは何故かと聞いている」
「――アハ、アハハッ! 何が楽しいのかですって? 全部よ全部! 面白くて仕方がないわ!」
「何?」
「だって『解放軍に参加する為に、城を抜け出してきました!』なんて、真顔で言うんだもの。本当は死にたくないから逃げ出した癖にね!」
シェラは堪えきれないといった様子で、腹を押さえながら笑い声を上げる。
控えている諜報隊員達が、眉を顰め得物に手を伸ばす。これ以上の無礼を働くようなら、直ちに処分するつもりだ。
「お、おい、失礼だぞ! シェラ!! やめないか!」
小隊長が制止しようと伸ばした手を、シェラは鋭く拒絶する。
「駄目よ。反乱軍の犬が私に触らないでくれる? もう私の味方じゃないんだから」
「――お、おいシェラ!! お前正気かっ!?」
「お前、我ら解放軍に加わりにきたのではないのか?」
ボルールが問いかける。シェラからは殺気が発せられている為、これが最後の質問だ。
槍を握り締める力を強める。
「違うに決まってるでしょう。コソコソ隠れてる、目障りな犬共を狩りに来たのよ。デカイのを狩れば、もっと早く偉くなれるでしょ」
「おいシェラ!! ち、違うんです。どうか許してやって下さい。
こ、こいつはちょっと頭が不自由でして」
小隊長が庇おうとするが、邪魔だとシェラは払いのける。
「人を馬鹿扱いしないでくれる? 犬に庇われるなんて、なんだか傷つくから」
その様子を見て、ボルールは深いため息を吐く。
「――それが答えか。軍での荒れた生活で、気が触れたようだな。今、私が楽にしてやろう」
「お止めください大佐! このような者は我々で始末します!」
「心配はいらん。せめてもの情けだ。年端もいかぬ娘を手に掛けるのは忍びないが、矯正はできまい。その姿は最早狂犬そのものだ。見るに耐えん」
手ぶりで諜報隊員を抑えると、ゆっくりとした動作で槍を構えるボルール。
数秒後、シェラは死ぬだろう。解放軍の大佐、しかもこんな大男に敵う訳がない。脱走兵たちにはもうどうすることも出来ない。巻き添えで死ぬわけにはいかない。今出来るのは固唾を呑んで、シェラの最期を見届けることだけだ。
だが、シェラは彼らの心配を他所に、楽しげにステップを踏み始める。
「フフッ、私の美味しいご飯の為に。――悪いけれど、死んでくれる?」
手にした大鎌を勢いをつけて振り回し、シェラは口元を歪めて、ボルールへとその切っ先を向けた。