第二十七話 私は、この馬の肉は食べない
戦いが始まってから数時間。両軍の中翼先鋒が平原中央にて激突した。
ここで突出した槍働きを見せたのは、王国軍シェラ、解放軍のフィンである。
弓兵の援護と共に突撃した彼らは、戦列を組む歩兵陣に果敢に切り込み、思うが侭に蹂躙していった。
返り血を浴びつつも槍を振るうフィンに、副官のミラが進言する。
「大佐ッ! カルナック少佐の隊が敵騎兵に襲われていますッ! あのままでは壊滅の恐れがありますッ」
ミラが後方を指差す。戦列は見るも無残な姿となり、黒旗を掲げた騎兵達が津波のような勢いで歩兵を蹴散らしている。
カルナックはなんとか立て直そうと叱咤しているようだが、及び腰となった兵達には効果がないようだ。あのままでは、いずれ総崩れとなるだろう。
両陣営共、本隊はまだ動き出していないので、決定的な傷とはならないだろうが、相手を勢いに乗せてしまう。何としてもカルナック隊の潰走だけは防がねばならない。
フィンは王国兵の首を薙ぎ払った後、即座に決断する。
「獅子騎兵隊は転進し、後方カルナック隊を援護するッ! ミラ、後詰は任せた!」
「お任せください大佐ッ! 100騎程続けッ! 敵を誘引する!」
『応ッ!!』
「残りは私に続けっ! 今度こそ死神の首を上げるぞ!! 志半ばで死んでいった同志達への手向けとする!!」
『うおおおおおおおおおおおおおおッッ!!』
フィンの鼓舞に応えるように怒声を上げる騎兵達。精鋭が集められたこの隊の士気は解放軍でも随一である。
100騎がミラに従うと、敵兵を引き付ける様に進軍を開始。その機を逃さずフィンの本隊は後方のカルナック隊の下へと転進を開始した。王国軍コンラート隊が阻止せんと仕掛けるが、騎兵の勢いは止まらない。そのままシェラの背後に喰いかからんと猛烈な勢いで進み続ける。
一方のカルナック隊。5000の歩兵を与えられていたが、戦死者の数は既に1000を越えている。残りの兵達も半分以上が何らかの手傷を負っている状況だ。出自が違う寄せ集めとはいえ、兵達の士気は高く、決して王国軍に引けをとる筈はなかった。
だが、目の前に広がる惨状はどうだ。必死で訓練を重ねて築き上げた戦列は、完全に崩壊した。大地には赤黒い染みが至る所に流れ落ち、瀕死で動けない兵達に確実に止めをさしていく悪鬼達。
「しょ、少佐。逃げましょう! 死神に敵う訳がありませんッ!! 退却の許可を!!」
副官が泣きそうな顔で詰め寄るが、カルナックは胸倉を掴んで怒鳴りつける。
「馬鹿者がッ!! この戦いで我らの解放戦争の成否が決まるのだッ!! その先駆けたる我ら先陣が、真っ先に逃げることなど出来ると思っているのか!!」
「し、しかしッ!」
「ええい、死神シェラとて我らと同じ人間だ!! 噂に尾ひれがついて広まっただけの事ッ!! それに見よ、フィン大佐の騎兵がこちらに向かっておる!! 後もう少し持ちこたえるのだ! そうすれば挟撃の態勢となる!!」
カルナックの言に、副官が遠い前方を見据える。確かに獅子の旗をつけた一団がこちらへと駆けつけている。
だが、彼らが到着するまで、持ちこたえられるとは到底思えない。何故ならば。
「しょ、少佐、完全に囲まれましたッ!!」
「耐えろっ!! 方陣を組めッ!! 槍を並べて決して切り込ませるなッ!! 日頃の訓練を思い出せッ! 相手に隙を見せるなッ!!」
カルナックは流れ落ちる汗を乱暴に拭ったあと、得物の三尖槍を握り締める。
戦列崩壊後、シェラ隊は円を描くように周囲からカルナック隊を切り崩していた。動きを止めることなく、常に動き回りながら、血飛沫を上げ続けている。動きの止まった騎兵は脆い。シェラはそれを本能的に分かっている為、決して足を止めるなと配下の兵に厳命していた。カタリナはそれを補うように、カルナック隊を援護しようとする解放軍兵を牽制している。
黒地に白カラスの紋章は解放軍中でも既に知れ渡っている。それがこれ見よがしに旗を翻しながら惨殺劇を見せ付けているのだ。
好んで死地に飛びいろうとする者はいない。中距離から矢を射掛けるのが精一杯であった。
「……そろそろかしら」
「はっ、もう十分かと思われますッ」
「よし、敵方陣を潰すッ!! 全員私に続けッ!!」
『応ッ!!』
円の動きで蹂躙していたシェラ隊は、号令の下、矢の様な隊形を素早く取る。その完全に統率された動きは、どの精兵にも負けないものだ。引き絞られた一本の矢は、震えながら巣に篭る哀れな獲物の下へと、容赦なく放たれた。
「く、来る。し、死神が」
「い、嫌だ、俺は死にたくない」
「か、母さん、ど、どうしてこんな目に」
槍を持つ手が震え、顔を青ざめさせる兵士達。とてもではないが死神を食い止められそうもない。だが、それでも戦わなければならない。小隊長格が懸命に励まし、鼓舞をする。
「泣き言は後で言えッ、槍を構えろっ! 奴らが来るぞッ!!」
先頭を走る小柄な女が見える。鮮血が滴り落ちる鎌を掲げ、愉悦の笑みを浮かべながら襲い掛かってくる。その黒鎧は既に赤い液体で汚れきっている。視線が合ってしまった若い兵士が腰を抜かして失禁する。
「ひ、ひっ、む、無理だっ、ば、ばば、化け物ッ」
「――長槍ッ!! 繰り出せッ!!」
小隊長の号令の下、槍が繰り出される。その穂先を軽々と断ち切り、返す刃で数人の身体を引き裂いていく大鎌。
呪われた騎兵達がそこへ一気に押し寄せる。
腰を抜かしていた兵士は、馬群に踏み潰されて哀れな屍を曝した。小隊長はカタリナの剣で首を刎ね飛ばされた。
シェラ隊の数騎が槍で串刺しにされるが、気にも留めずにそのまま走り続ける。
狂ったように笑い声を上げながら、槍を振るって兵士を殺し続け、突然糸が切れた人形のように動きを止めた。まさに力尽きたと言うのが相応しい。
蹂躙し、皆殺しにしろというシェラの命令に最期まで従ったのだ。彼らはとても満足そうな表情で死んだ。
堅固な方陣は一気に崩壊し、いよいよカルナックの下に狂刃が迫っていた。副官は既に戦死している。それは幸いであったかもしれない。目の前の化け物と相対する前に死ねたのだから。それはきっと幸せな事だろう。少なくとも自分よりは。
カルナックは馬上のシェラと目を合わせないように腰を低くする。狙いは馬だ。馬を突き、死神の手元が狂ったところを討ち取る。まともに遣り合えば勝負は見えている。まずは馬を落す。
「――解放軍少佐、カルナック、参るッ!!」
「狗が偉そうに吠えるな。屑の名前なんてどうでも良いッ!!」
シェラが馬を走らせ、カルナックへと迫る。横手に大鎌が握られ、一撃で胴体を寸断するつもりである、
真正面からカルナックは構える。この一突きに全神経を集中させながら。
「――貰ったぞッ!!」
「――ッ!」
カルナックの三尖槍は、狙い通りにシェラの馬の喉を突き刺した。カルナックは馬の返り血を浴びる。
シェラはバランスを崩した為に、大鎌を振るう事が出来ない。
カルナックは槍を抜き放ち、馬が崩れ落ちる瞬間を待つ。倒れ伏せた所で、死神を討ち取るのだ。だから待つ。待つ。待ち続ける
「――な、何故崩れ落ちない?」
「…………」
「何故死なないのだッ!! 馬まで不死とでもいうのかッ!?」
「さぁ、どうしてかしら」
カルナックは呆然と馬を眺めてしまう。確かに自分の槍はこの馬の喉を食い破った。それなのに、何故この馬は死なないのだ。
どうして崩れ落ちない。そうならなければ、死神を討ち取れないではないか。
馬の虚ろな瞳が、動揺するカルナックの姿を映し出す。その瞬間、微かだが笑ったように見えた。まるで数刻後のカルナックの運命を嘲るかのように。いや、確かにこの馬は笑っている。化け物の馬は、やはり化け物なのだ。
「こ、この化け物共がッ!! 貴様らは一体何なのだッ!!」
恐慌状態に陥ったカルナックは、再び三尖槍を繰り出す。
「貴方達が付けてくれたんじゃない。『死神』って。だから、そういうこと。それじゃあ、さようなら」
「――あ」
槍ごと強引に大鎌で断ち切られたカルナック。その身体は二つに引き裂かれ、内臓が大地へとばら撒かれる。
血を喉から滴り落としながら、死神の馬はカルナックの頭部を、全体重を掛けて踏み潰した。果物を潰した時のように、脳漿が飛び散った。
「……満足できた?」
シェラが愛おしそうに馬のたてがみを撫でてやると、同意を示すように、軽く嘶く。
「大佐ッ! 後方より敵騎兵が接近中!! 獅子の旗印です!」
「今日は小手調べって言ってたし、戻りながら蹴散らすわ。
……隊列を整えろッ! シェラ騎兵隊は転進する!!」
「了解しましたッ! 全員転進ッ!!」
『転進開始ッ! 大佐に続けッ!!』
再び隊列を組みなおすと、カルナック陣から王国軍中翼へと転進を開始するシェラ隊。そうはさせじとフィン騎兵隊が襲い掛かる。その背後からはコンラートがシェラを援護しようと駆けつけている。お互いに交差して一撃するだけの刹那の戦闘となる。足を止めてはいけない。騎兵が足を止めてはその攻撃力が低下し、弓兵の的になってしまうのだから。
両隊の先頭を走るシェラとフィンが走りながら対峙する。
「死神めっ! やはりあの時討ち取っておくべきだった!! 貴様、一体何人殺せば気が済むのだっ!!」
「お前達を全員殺すまで、私は死なないわ。さっきの狗みたいに殺してやる」
「カルナックの仇だっ、我が名はフィン、獅子将フィンだ!!」
「狗が偉そうにッ!! お前達の名前なんてどうでも良いのよッ!!」
フィンの槍と、シェラの大鎌が交わる。両隊の兵士が交錯しながら得物を繰り出していく。その勢いで何騎かが落馬する。
肩口から切り裂かれて、事切れる騎兵。兜を叩き割られ、頭を抑えながら息絶える兵士。馬の下敷きになり、身動きできずに息絶える者もいる。
その間も、シェラとフィンは得物を振るい、怨敵の首を上げようと強烈な一撃を繰り出していく。動きを止めず、馬を駆りながら激しい攻撃を何度も何度も放つ。
「ハアアアアアアアアッッ!!」
「死ねッ!!!!」
頭に血が上っているシェラの、狂ったかの様な猛撃を紙一重で受け止め、鋭い突きを繰り出すフィン。攻撃の重みに歯を食いしばりながらも、何とか耐え切っている。王国軍の英雄がシェラならば、解放軍の英雄はフィンなのだ。運だけでここまで上がってきた訳ではない。
数合、数十合打ち合っても、両者共に致命傷を与えられない。シェラ、フィンの騎兵達はそれぞれが固唾を飲んで見守っている。既に交差し終わった為、本来ならば一騎打ちを止め、本隊へ戻るべきである。
が、今の両者を止めることは出来そうにない。ならば、主の勝利を信じて見守るしかない。競り合いが続く戦場の中央で、二騎だけが刃を交えるという、奇妙な空間が出来上がった。支援しようとしたコンラート隊、シェラを追撃しようとした解放軍の一隊も身動きできない。
「ハアッ、ハアッ、シェラッ! それだけの腕がありながら、何故腐りきった王国に仕えるのかッ!?」
フィンが普段の冷静さを感じさせない口調で、問い掛ける。それだけの才能があれば、解放軍でも頭角を間違いなく現していたはず。誘いを掛けて見る価値はある。フィンは実際に刃を交えてみてそう思った。この女は、確かに強い。
「お前達の方が腐っているだろうがッ!! 私の最後の食べ物を奪ったのはお前らだッ!! 絶対に、絶対に許さないッ!!」
シェラがいきり立って吐き捨てる。
「解放軍に降れっ! ここで無駄死にすることはない! 共に王国を打倒しようッ! 誰も苦しまない世の中を、アルツーラ姫ならばきっと築いてくれるッ!」
「黙れ黙れ黙れッ! 二度とその戯言を叩けないようにしてやるッ!! アルツーラもお前も殺してやるッ!」
激昂したシェラが全力を篭めた一撃を繰り出す。目を充血させ、歯を限界まで食いしばり放たれた一撃。どんな障害をも問答無用で叩き潰さんばかりの、シェラの全精力を篭めた最大の振り下ろし。大鎌が不快な唸り声を上げる。
流石のフィンもこれを受けてはまずいと判断し、咄嗟に馬を乗り捨てて回避する。
フィンの馬は大鎌の余波を受けて胴体を切り裂かれ、内臓を飛び散らしながら、痙攣した後、死んだ。
態勢を崩したフィンに止めを刺さんと、シェラが息を荒げながら近づく。
「これで止めよ。舐めた口を叩いた事を後悔しろ。お前は八つ裂きだ」
「――くっ!」
槍を手放してしまったフィンは、倒れたまま剣を抜き構える。これでは次の一撃を受けきれない。剣ごと叩き斬られる。自分は死ぬ。
フィンが覚悟を決めたその時。
「大佐をお救いしろッ!! 死神を打ち払え!!」
「弓兵構えッ!! 放てッ!!」
副官ミラの命令を受け、弓騎兵がシェラに向かって斉射する。数十本放たれた矢は、シェラの鎧と馬を射抜き、繰り出された一撃は獲物に届く前に遮られてしまった。更に矢は放たれる。致命傷は受けていないが、シェラは攻撃に回ることが出来ない。
「――ッ、雑魚共が邪魔をッ!」
「死神を討ち取れっ!! 手段を選ぶなッ!! ここで殺せッ!!」
「第二射、放てッ!! 奴の馬を狙えッ!!」
雨の様に放たれる矢を、鎌を回転させて振り払っていく。その隙を突いて、フィンは態勢を立て直して自らの兵の下へと逃げ込んでいく。シェラは舌打ちした後、矢を叩き落しながらカタリナ達の下へと戻っていく。
後一撃であの男を討ち取ることが出来た。が、あの男は最後の最後で幸運だったのだろう。
そして、自分は運が悪かった。ただそれだけの事である。
「ご無事ですか、大佐! くそっ、一騎打ちに割って入るとはッ」
指揮官同士の一騎打ちを邪魔するのは、シェラの不興を買うと自重していたカタリナ達。己の判断を誤ったと心底悔いていた。
「ええ。一騎打ちと思ってつい熱くなっちゃったのが失敗ね。これは試合じゃなくて殺し合いだもの。卑怯も糞もないわ。次は貴方達も遠慮しないように。どんどん殺しなさい」
「はっ、了解しましたっ!」
そこに引き上げの角笛が響き渡る。両陣営からだ。間もなく陽が暮れる。初日の戦いはまずは終了といったところだろう。
「それじゃあ、帰りましょうか。お腹が空いたわ。ちょっと働きすぎね」
「全員引き上げだッ! 警戒を怠るな!」
シェラが引き上げ命令を下すと、騎兵隊は指揮官を囲むように隊列を組み、行進を開始した。
ベルトゥスベルク会戦初日は、王国軍損害6000、解放軍損害8000。(死者負傷者含む)
最も激戦が繰り広げられたのは中翼であり、カルナック隊が壊滅した分、王国軍が常に優勢であった。
左翼のブルボン師団は膠着状況を作り出すことに成功、右翼のヤルダー師団は陽が暮れるのを待ち、カルナス高地へ向けて進軍を開始した。
初日から多数の死傷者を出すことになり、バルボラ、アルツーラの両指揮官は采配に苦慮していくことになる。己の命令一つで、数千、数万人の死者を生み出すことになるのだ。特に、作戦発動の機会だけは見誤ってはいけない。そして、内心の不安を顔に出すことも許されない。周囲に動揺を与え、敗北に繋がる綻びとなるかもしれない。
両者の精神を削る過酷な日々は、この戦いが終わるまで続く。その先に待つのが栄光か、破滅かはまだ分からない。
九死に一生を得たフィンは、己の幸運に感謝すると同時に、優秀な副官に礼を述べていた。
「ミラ。今日は助かりました。本当にありがとう。僕がこうしていられるのは、貴方のお蔭です」
フィンが副官の顔を見詰めながら感謝すると、顔を赤くしたミラが慌てて両手を振る。
「い、いえ。滅相もありません。大佐を討ち取られてなるものかと、必死だったものですから! それに、大佐を守るのは私の使命です!!」
「貴方の的確な判断のお蔭です。僕もつい欲が出てしまいました。あわよくば、死神をこちらに引き入れられればと。良く考えれば、馬鹿なことをしたものです。死神が人の言葉を解する訳がないのに」
あれほどまでの殺意をぶつけられたのは、フィンは初めてだった。民兵達ならば、足が竦んで動けなくなってもおかしくない。
「あの化け物、矢をあれほど受けながら平然と戻っていきました。それに、あの馬も。全く信じられません!」
「…………まさに、死神か」
頬についた傷を触りながら、フィンが呟く。先程シェラは言っていた。『食べ物を奪ったのはお前らだ』と。
解放軍の財政事情が苦しい頃、ディーナーが食料をどこからか調達していたという噂がある。
もしかしたら、死神はその復讐の為に生み出されたのではないだろうか。とすると、我々は不倶戴天の怨敵ということだ。相容れる訳がない。彼女は最期を迎えるその時まで、殺して殺して殺し尽くす為に鎌を振るうだろう。説得は決して通用しない。
ディーナーの考えは常に合理的だ。1万人助かるのならば、100人は自らの手で殺しても構わないという考えの持ち主。それは間違っていないのかもしれない。だが、100人に入ってしまった者達は、恨みを忘れることはないだろう。
地獄の業火のように燃え盛る、その恨みを。
(……考えても仕方がないことですが。こうなってはどうにもなりません。死神は殺すしかない。……出来ればですが)
一番の問題は殺せるかどうかだ。はっきり言って、一騎打ちでは分が悪かった。信じられないが、膂力はシェラの方が上回っていた。技術、槍術はフィンが上だろう。だが、殺し合いで最後に物を言うのは、力である。小手先の技術など、凄まじい腕力の前には吹き飛ばされてしまうのだから。現に、フィンは死の一歩手前まで追い詰められている。
「次は、私達も共に戦います。たとえ死神と言えども、全員で戦えばきっとなんとかなります。大義は私達にあるのです。決して死神などに負けません!」
常に前向きで馬鹿正直な副官に、苦笑するフィン。フィンは、彼女のそんな所が気に入っているのだが。
だが、その大義とやらの下に、今日は何千人の命が失われたのだろうか。
死ぬ覚悟が出来ている者は良い。だが、勢いで参加してしまった義勇兵、民兵達はどうだろうか。
遺された家族は、誰が面倒を見るのか。そもそも大義とは何なのか。フィンには分からない。
だが、それを口に出す事はしない。自分は解放軍の勝利に賭けた。そして成上がると決めたのだ。最後まで走り続ける。どれだけの血が流れようとも。それまでは絶対に死なない。死んでなるものか。必ず最後まで生き残り、英雄として名を残す。
「緒戦は相手に勢いを渡してしまいました。僕たちはこれから挽回していかなければなりません。みっともない様を見せてしまった分、明日からは更に頑張りましょう」
「はっ、我らも全力を尽くします!」
「よし、それでは兵達に休息を取らせるように。僕は一度ディーナー軍師の所に行って来る。今日の言い訳と、今後の作戦の打ち合わせをしないといけないからね」
「了解しました!」
「うん、それじゃ」
ミラの肩を軽く叩くと、フィンはディーナーの天幕へと向かう。この戦いの切り札、それをいつ投入するか。その機会を逸すれば、恐らく負けるだろう。兵数に劣り、更に勢いも相手方に奪われてしまった。相手の士気は低いとはいえ、正規兵だ。こちらは士気が高いとはいえ、基本的には寄せ集め。一度崩れれば、もう取り返しがつかないだろう。
(……ディーナー軍師の切り札か。大金はたいた牛がどの程度役立つか。悔しいけど、それに掛かっているか)
奇妙な格好で拘束されているコロン牛を一瞥した後、フィンは早足で目的地へと歩き出した。
――その夜。シェラは愛馬の近くで食事を取っていた。目を閉じ、横に伏せている愛馬を優しく撫でながら、冷たくなったスープを飲んでいる。その様子を見ていたカタリナが、遠慮がちに問い掛ける。
「……大佐」
カタリナが腰から杖を取り出す。シェラが望むなら、この死体を動かす事は不可能ではない。魔力を篭め始め、合図を待つ。
「必要ないわ。無理矢理動かしても、それはもうこの馬じゃないから。だから、この子とはここでお別れ。少し寂しいけれど、この子とはいつも一緒だから」
シェラは静かに首を横に振る。カタリナの屍術を使えば確かにこのまま一緒にいられる。
だが、それは違うと思う。魂は自分と共にある。ならば、ここにあるのはただの肉塊だ。
この肉塊を見ても食欲は湧かない、食べても満たされない。だから食べない。きっとこれは美味しくない。
「……出過ぎた事を申しました。申し訳ありません」
深く謝罪すると、カタリナはズレた眼鏡の位置を直す。
「別に良いのよ。本当は食べちゃおうかと思ったんだけど、今回は止めておくわ。何故か食欲が湧かないから。だから、この子は食べない。食事が終わったら、埋めてあげましょう。喉を突き刺されても、私をここまで運んできたんだもの。とても頑張ったと思わない?」
「……はっ!」
喉を串刺しにされ、矢を全身に浴びながら、主を味方陣まで乗せて帰ってくる。到底信じられる事ではない。だがこの馬はやってのけた。血反吐を撒き散らしながらも、己の役目を全うした。
元々は帝国軍大佐ボルールの馬だったが、シェラが飼いならしたものだ。この時まで死神を乗せて、共に激戦を潜り抜けてきた。
馬は味方陣営までたどり着くと、静かに跪き、シェラへと顔を寄せた後、全精力を使い果たしたように力尽きた。
シェラは己の矢傷を放ったまま、馬の矢を全て抜いてやった。馬体を出来る限り綺麗にしてやった後、こうして共に食事を取っている。
シェラ隊以外の人間は、それを不気味そうに眺めていた。敵兵に対しあれだけ容赦のない人間が、たかが馬に対し何故こうも丁重に扱うのか。それが理解できなかったからだ。
晒し者扱いに我慢ならなくなったシェラ隊の兵士達が野次馬を追い散らすと、この場にはシェラと馬の死体だけが残された。
「明日から乗る馬を用意しておいてくれる? 出来ればこの子みたいに丈夫な馬を。まだ戦いは続くから。カタリナ、悪いけれどお願いね」
「お任せください、最高の駿馬を準備しておきます。……それでは、私は失礼します。何かありましたらお呼び下さい。近くに1人残しておきますので」
手で合図を送ると、騎兵隊の1人を近くまで呼び寄せる。カタリナは小声で命令を下すと、兵を下がらせる。
暗に、埋葬する時は手伝うと言っている。シェラがその気になるまでそっとしておこうと、カタリナが気を遣った。やるべき事は多い。敵の夜襲がないとも言い切れない。警戒を欠かすことは出来ない。
「ええ、宜しくね。私は、もう少ししてから、戻るから」
カタリナが敬礼し、その場を後にする。
静まり返った暗闇に、死神とその愛馬が残される。シェラは気が済むまで、冷たくなったその身体を撫で続けた。
死を振りまく死神とは思えぬ表情で、乾いた血糊の付着した馬腹に寄りかかりながら。
「そういえば、貴方の名前まだ付けてなかったわね。折角だから今付けてあげる。良い名前を私が思いつくまで、もう少しだけ一緒にいましょう」
死神を乗せて戦場を駆け回った、『蒼褪めた馬』が動くことは、もう二度とない。
馬の名前は好きなものを想像してくださって結構です。
好きな名前で呼んでやって下さい。
どこかしょんぼりしているシェラさんを想像したら、妙に筆が進んでしまいましたので想定外に更新が早くなりました。不定期更新は変わりません。