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06:一宮先輩と添い遂げたい俺

【七海視点】



ベッドに寝転がりながら、サンタの人形をふにふにと触る。


「……」


ニヤけがなかなか治まらない。

思い浮かべるのは、一宮先輩の笑顔ばかりだ。


俺だけに向けられた、好きな人の屈託のない笑顔――

それがこんなにも嬉しいものだなんて、大袈裟なんかじゃなく、生まれて初めて知った。


カサ――

無造作に床に置いたエコバッグの中で、長ネギが傾いた。

今日は鴨南そばを作ろうと思ってたけど、なんかもうカップ麺でいい気がしてきた。

今はまだ、この余韻に浸っていたい。


視界の端で、本棚の上にある銀色のマウスピースが光った。

10年前に買ったもので、今はもう使っていないけど、毎日磨いているから光沢は褪せていない。


(一宮ほのかさん……)


彼女は、俺が自分の人生を"選択する"きっかけを与えてくれた人だ。



うちは野球一家だった。

父親は元プロ野球選手で、引退後は高校野球部の監督。

一番上の兄も年子の兄も、もちろん俺も幼い頃から野球ボールとバットに触れていた。


「遥斗、兄ちゃんたちの分も頑張るんだぞ」


小学6年生の時、兄たちが野球を辞めた。

全寮制の強豪校に進学した一番上の兄は、厳しい練習と周りとの実力の差に挫折。

年子の兄は、肘を故障したのが原因だった。


野球は普通に好きだったけど、それよりも興味を持っていたものがあった。

それが――楽器だ。

兄たちの大会の応援に行くと必ず吹奏楽部がいて、炎天下の中演奏していた。

その姿がかっこよくていつも見ていた。


特にトランペットの高く突き抜ける音に魅了された。練習すれば自分もこんな音が出せるんだろうかと、"こっち側"になってみたいと、何度も想像した。


でも、結局「楽器を吹いてみたい」という意思は親に伝えられなかった。




中学に進学し、友達に誘われて吹奏楽部の楽器体験会だけ行くことにした。

そこでついに、憧れのトランペットを吹くことができた。


プヘェ


初めて出した酷い音は、今でもよく憶えている。

まったく"音"になっていなかった。


「んー……」


その時対応してくれたのが、一宮先輩だった。

先輩は俺の唇をじーっと見つめたあと、「ちょっと待ってね」と言って、違うマウスピースに替えてくれた。


「!」


もう一度吹いてみると、今度はちゃんとした音が出た。

自分の吹き込んだ息が、長い管を通って楽器を鳴らす……一瞬で、その感覚の虜になった。


「やっぱり。きみの口にはこっちのマウスピースが合うみたい!」


そう言った一宮先輩は満足げに笑っていた。


「きみは、トロンボーン向きの唇だと思う」


今まで"兄たちと同じように、"野球に取り組むことが当たり前とされてきた。

エナメルバッグもスパイクもお下がりだった。


それが嫌だとは思わなかったけど、俺に"合う"もの、"向いている"ものを考えてもらえたことが、無性に嬉しかった。




結局中学では野球部に入った。

でも、楽器を吹きたいという気持ちは消えなかった。


(あ……高い音安定してきてる)


毎週水曜日と金曜日の朝には、音楽準備室からトランペットの音が聞こえていた。

吹いているのが一宮先輩だと知って、俺も水曜日と金曜日は早めに登校して走ったりボールを磨いたりするようにした。


朝練で吹くのはいつも基礎の音階だ。

決まった曜日に、同じ練習をコツコツ積み重ねていく一宮先輩を、純粋に尊敬した。

そしてどんどん上達していく姿を見て、俺も楽器を吹きたいと強く思うようになった。


「深沢、月曜日だけでいいからトロンボーン吹かせてほしい」

「え、うん。別にいいよー」


野球部を辞めはしなかったものの、部活のない月曜日の放課後は、友人のトロンボーンを吹かせてもらうことにした。

一宮先輩が俺に合うと言ってくれたトロンボーン。

スライドを動かして正確な音程を出すという、他の楽器にはない仕組みにやりがいを感じた。


いつか一宮先輩の隣で吹くことを夢見て、ひたすら基礎の音階を繰り返した。



――その頃、お小遣いを貯めて買ったマウスピースが、これだ。


寝転がったまま手に取って、口にあてる。

唇を振動させると空気が短い管を通って、マウスピース特有の高めの音が出た。


「……」


一宮先輩のことが好きだとちゃんと自覚したのは、高校1年の夏。

当時先輩には恋人がいたから想いは伝えなかった。

卒業して、大学も別だったから離れている期間の方が圧倒的に多い。


それでも、一宮先輩への想いが風化することはなかった。

トロンボーンを吹く度に、マウスピースを磨く度に、どんどん一宮先輩の存在が大きくなっていった。


(笑い方、変わってなかった)


8年ぶりに再会した一宮先輩は、俺の記憶の中の彼女とさほど変わっていなかった。

髪を茶色に染めていたり化粧を施すようになっていたり、外見は多少違っていたけど、眉を下げて口を大きく開ける笑い方はそのままだった。


一宮先輩の笑顔も声も仕草も……その全てが、8年間温めてきた俺の恋心を刺激した。


(一宮先輩と……添い遂げたい……)


長年拗らせてきた想いはもはや、"そばにいたい"とか"付き合いたい"とか、そんなことじゃ完結しない。

一宮先輩と人生を共にしたい。

そう――結婚したい。


(多分今、恋人はいない……)


テナーサックスの人との会話を聞いた限りでは、最近恋人と別れたらしい。

このタイミングを逃すわけにはいかない。


まずは俺の気持ちを少しずつ伝えていこう。

俺にとって先輩がそうであるように、先輩にとって必要不可欠な男になるんだ。

 

「……よし」


そう意気込んで勢いよく上体を起こした。

マウスピースを本棚に戻す。

その隣に寄り添うように、サンタの人形を置いた。



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