02:相変わらずまっすぐな七海くん
私の記憶の中の七海くんは、物静かで、練習熱心な男の子だった。
できないところは妥協せずに何度も繰り返して練習し、合奏中は出番のないところでも集中力を切らさない。
「先輩、ここのCいつも高いです」
そして……先輩相手にも物怖じせずに注意する。
決して間違ったことは言っていないし、彼自身に悪意があるわけでもない。
ただ、七海くんがズバズバ言う度に場の空気は悪くなってしまっていた。
「ご、ごめん! 私も高かったよね。みんなで気をつけよう」
私は毎回冷や汗をかいてフォローしていたけど、周囲との確執は大きくなる一方だった。
私たちが通っていた高校は特に強豪校というわけでもなく、コンクールに対するモチベーションはそこまで高くはない。
和やかな雰囲気の中に突然現れた"天才"という存在は、なかなか受け入れ難かったんだと思う。
「あの子怖い……! 上手いなら強豪校行けばいいのにっ……」
「紗奈……」
特に同じトロンボーンパートの紗奈は注意されることが多く、よく泣きながら私に相談してきた。
「私、部活辞める」
そしてついに、コンクール曲のファーストを七海くんが吹くことになったのをきっかけに、紗奈は部活に来なくなってしまった。
何度か説得を試みたけど、結局彼女を連れ戻すことはできなかった。
「ほのかだって、私のこと下手くそって思ってるんでしょ」
「そんなこと……」
「否定しなかったじゃん!!」
「!」
それどころか、私の態度までもが紗奈を傷つけてしまっていたことに、この時初めて気づいた。
確かに私は七海くんの指摘を否定したことはない。
それは、彼が間違ったことを言っていないから。
そして……誰よりも熱心に練習していたから。
彼の言動の根底にあるのはいつだって、"いい演奏をしたい"という、純粋な気持ちだと思っていた。
「私の話聞いてくれたけど、味方はしてくれなかった」
だから、決して七海くんを蔑むような言葉に賛同することはできなかった。
「……ほのかはズルいよ」
涙目の紗奈に言われたこの言葉は、大人になった今でもよく思い出す。
あの時私が紗奈の味方になっていたら、彼女は部活を続けていたのだろうか――
そう考えて、答えを出せないまま思考を止めるのだ。
*
*
*
「一宮さーん!」
「!」
そんなことを考え耽っていたら、高めの声に現実に呼び戻された。
ハッと見開いた目にパソコンの画面が映る。
未読がたくさん溜まったメールボックスを見て、やろうとしていたことを思い出した。
「定時であがれそうですかぁ?」
「うん。あとメールだけ送っておしまい」
斜め後ろから私の顔を覗き込んできたのは、会社の後輩の芳野さん。
ふんわりパーマの茶髪がよく似合う、可愛らしい女の子だ。
「あのぉ、今日ご飯行きませんか?」
芳野さんは両手をもじもじと合わせて聞いてきた。
凝ったデザインのネイルに、いつもより長めの睫毛。
私はすぐにその真意を察した。
「私と二人で?」
「えへへ……田中さんも誘ってください」
「だと思った」
芳野さんは私の同期で営業部の田中くんを狙っている。
ゆるふわ系女子に見えて、恋愛はガツガツ攻める肉食系なのだ。
そのギャップがまた可愛らしいと思う。
「聞いてみるね」
「ありがとうございます!」
私が頷くと、芳野さんはパァっと花が咲いたように笑顔を浮かべた。
「……」
上機嫌で去っていく芳野さんを見送りながら、私は少しの罪悪感を感じていた。
何故なら、田中くんの好みはK川K子のようなクール系美人……つまり、芳野さんとは正反対。
それを知りながら彼女に協力していい顔をする私は、やっぱり"ズルい"奴なんだろうか。
(七海くんだったら、バッサリ断りそうだな……)
変に希望を抱かせないようにするのも、一種の優しさだと思う。
七海くんのようにズバッと言ってしまえたら、この後ろめたい気持ちもスッキリするんだろうか。
――なんて、"たられば"を考えても仕方がない。
私は無糖のレモンティーと一緒に、モヤモヤを喉の奥へと流し込んだ。
***
土曜日の夜。
(いる……)
用事が長引いて30分遅れで練習に合流すると、既に七海くんは基礎練に参加していた。
高校の時から変わらない後頭部の丸みや、楽器を吹く時のピンと伸びた背筋を横目に、自分の席に向かった。
「……」
トランペットパートの一番右端。全体の真ん中の位置――先週まで、明里さんが座っていた席が空いている。
胸がキュッとなるのを感じつつ、私はそこに荷物を下ろした。
椅子の上には、クリスマスコンサート用の新譜がずらりと並んでいた。
連なる1stの文字に少しだけ逃げたくなった、その時――
(上手い……)
まっすぐ伸びた中低音に意識を呼び戻される。
重なる音の中、緻密に音程を当て続けるトロンボーンの音に耳を澄ませながら、私は楽譜をファイルに挟んだ。




