10月
10月の内容
■初日
■ボランティア・デー
■ヒノキハウス 掃除
■ヒノキハウス フード
■訓練はワン・ツーから
■月次報告(10月)
■初日
職員の人たちに紹介されたあと、別室で近畿盲導犬協会の会長、脇田さんから話があった。
「須田さん、1年間よろしく頼むね。慣れない仕事だけど、1年間あれば『ひと回り』、どんなことが行われているか見ることができる。」
「MobilityWorksの御手洗からは、とにかく行け、といった感じで詳しく説明されていないんですよ。」
「おたくの会社の社長さん、御手洗さんは面白い人だね。私も具体的に何を教えてほしいとか、全く聞いていないし、聞いても答えてくれると思えなかったよ。さっきひと回りと言ったけど、まあいろいろと体験してもらうね。来週のスポーツの日にボランティア・デーというのがあるから、その手伝いをしてくれるかな。合間にヒノキハウスの運用の手伝いをしてほしいんだ。」
事前に仕入れたWEB情報によると『ヒノキハウス』というのは本当は『陽の樹ハウス』と書く近畿盲導犬協会自慢の施設らしい。この協会の以前の建物でも他の盲導犬協会でも、たいていは人間がいる場所つまり執務スペースと、犬のいる場所、犬舎は建屋的に完全に分かれている。ところがヒノキハウスでは、これが一つの大きな屋根の下にある。つまり、事務机のすぐ横に犬を入れるサークル(犬室)があって、訓練から帰ってきた犬たちはそこで暮らしているらしい。
「山形さん、そしたら案内して下さい。」
「はい、会長。じゃ、須田さん、行きましょう。」
と訓練センター所長の山形さんがヒノキハウスへ連れて行ってくれた。
■ボランティア・デー
盲導犬は協会の職員だけではなく多くのボランティアに支えられて育てられている、何度もそのように説明を受けたがあまりピンと来ていなかった。しかし実際にボランティア・デー当日になると、ヒノキハウスで準備を進めていた時に佐渡さんが言っていた「100頭を超えるレトリーバーが集まる光景は壮観ですよ。」という言葉通りだった。近畿盲導犬協会のある鶴亀市の運動公園を会場に借りている。アマチュアチームが試合をする野球場ほどの大きさ。そこを人と犬が埋め尽くしている。犬の数も壮観さのひとつの要素だが、人の多さにも驚いた。
協会のパンフレットには「盲導犬になるのは生まれてきた仔犬たちの3~4割程度です。」と書かれている。この文章は実際の盲導犬になる犬よりも多くの犬たちが居る、しかも犬の数がおびただしく多いということを暗に示しているのだった。それにつれて関係する人も多くなる。
仔犬たちは当然母犬から生まれる。親犬は「繁殖犬」と呼ばれる。オスとメスがいる。しかしその交配関係は固定されてはいないので、普段は母犬、父犬それぞれを別々の家庭で「繁殖ボランティア」が世話をしている。生まれてきた仔犬達は生後2カ月でパピーウォーカー(PW)の家庭に引き渡される。このPWの家族もボランティアだ。一歳になると盲導犬は協会へ戻り訓練が始まる。そして2歳くらいから視覚障害者と一緒に生活し目のかわりとして働き始める。
今までの日本社会で60歳になると定年退職になったように10歳になると盲導犬は引退する。繁殖犬も7歳くらいには引退する。この引退犬を飼育するのが「引退犬ボランティア」だ。また協会には「PR犬」と呼ばれる犬たちもいる。PR犬は盲導犬の普及推進のために盲導犬協会が飼育していることが多く、この子たちも7歳で引退すると引退犬ボランティアに飼育される。
さて、今日のボランティア・デー。たいていの場合1頭に最低2人の人間が付いて来ているので、確かにごった返すわけだった。
当日は自分は受付の手伝いをしていた。普段ヒノキハウスにいる育成部の職員の人は、受付に来る人も来る犬の名前も全部覚えていた。
「佐渡さん。すごいですね。名前、全部覚えているんですね。」
「ええ、だいたい覚えていますよ。」
「ぼくには、イエローとブラックの区別しかできませんね。」
「みんな少しずつ顔が違うでしょ。頭の形、目の間隔とか、耳の形とか。ただパピーから成犬になる間に顔が変わってしまうことはありますね。訓練センターでの生活が短い犬の場合、分からない時もあります。オスの場合、去勢すると顔も体つきもずいぶんと変わります。」
そう言いつつも自分が見る限り、佐渡さんはすべての犬たちを見分けている。
背中にガムテープや養生テープを貼ったレトリーバー達が通り過ぎていく。テープには名前が書いてある。大きさといい名札として養生テープはちょうどいい。あちこちで犬と人の輪ができる。ボランティア同士の知人関係の輪もあれば、犬の血縁関係、つまり親子関係、きょうだい関係の輪もある。人間と異なってたいていリトリバー達は多頭出産。普段からあっている人・犬たちも居れば、年一回のこの日にしか会わない人・犬もいる。ボランティアをする、という気持ちがある人たちの集まりのせいか、社交性が高くいつまでも話が尽きない。
ただここには基本的に現役盲導犬はいない。
■ヒノキハウス 掃除
ボランティア・デーの前に、みっちりと犬の世話について実践をしてきた。だから、協会へ初めて足を運んだときとは違い犬についていろいろと知った。やったことは、まず掃除。食器洗い。そしてワンツー、散歩。ようやくブラッシング、シャンプー。
ヒノキハウスは大きな建物で、天井は高く南側を中心に三方には犬室が配置されている。北側は職員の事務スペースがありフリーアドレス(注.席が決まっていないレイアウト)の机が2つの島になり並んでいる。東側は水回りで、シャワー室、簡易キッチン、洗濯室などがある。ヒノキハウスとは別に事務棟があり、会議室や職員や宿泊者の食堂も事務棟側にある。
このヒノキハウスのような作り方は世界的に例がなく、来訪者見学コースのハイライトだ。世間一般の犬舎とは違い、ここには人も常駐するので犬のにおいがほとんどしないように保たれている。見学する人は通路から見るだけだが、その清潔感は建物の解放感との相乗効果でとても評判がいい。ただ清潔に保つために掃除は必須だ。
床は基本的にクッションフロア。4インチの角材が床に敷き詰められている部分は、その4インチ分高くなっていて、事務スペースと日本人の生活スタイルを再現したスペースになっている。ここには職員が休憩時に使う椅子、テーブルとしてダイニング5点セットやこたつが置かれている。
犬室スペースは、毎朝掃除機がかけられている。そのモーター音が断続的にヒノキハウス内に響く。盲導犬協会2日めはその掃除から始まった。
犬室と言われても言葉だけではイメージが湧かなかった。あとで徐々に分かったのだがそもそも犬室は犬舎の中を区切って犬が1頭ずつ入る場所のようだ。近盲(近畿盲導犬協会)の以前の犬舎では床から1.5メートルくらいの高さの壁と鉄柵の扉で囲まれている。ところがヒノキハウスでは全く違っている。技術者としての癖なので今ヒノキハウスの犬室を記述すると次のようになる。『各犬室は丸パイプの柵で3面が囲まれ、残りの1面は似たような部材で犬室出入り用のドアになっている。間口約90センチ×奥行約150センチ。』従来の犬舎の犬室よりもだいぶ狭い。『柵の高さは約100センチ。丸パイプは約10センチ間隔で縦に通っている。4面は支柱で互いに接続されているが床には固定されていない。』ヒノキハウスの犬定員は20頭。ここの犬室は簡単に移動できるのでその時々に応じてレイアウトを変え収容数も調整することができる。パイプが横に通っていないのは、初期段階の訓練犬が柵を登らないようにするためらしい。
掃除をするときは外出中の犬の犬室はそのまま掃除をし、犬がいる犬室の掃除は空いている犬室に一時的に犬を移して順番に行っていく。
「佐渡さん、床の掃除はサテナールで良かったですか。」
「ええ、0.1%に希釈して使って下さい。サテナールは環境の清掃用、バイオウォールは生体の衛生管理用です。」
「自分の家の掃除は水拭き中心ですから、清掃用に常に消毒液を使うのには感心しました。」
「須田さんもすっかり慣れましたね。ヒノキハウスは今までの犬舎と違うのでずいぶん気を使って掃除をしています。床がコンクリートの犬舎だと水道からのホースで直接水を流すこともできたのですが、普通の家と同じクッションフロアを使っているヒノキハウスでは流せませんものね。」
盲導犬の卵たちは、決められた時間にキチンと排尿・排便をするようにしつけられる。その時に「ワン、ツー」と声をかけてやる。盲導犬協会初日にヒノキハウスでその「ワン、ツー」を聞いた時に、何の合図かと思った。もともとは排尿、排便を指す言葉を指示として使っていたが、人前で何度もいうのは憚られるとのことで「ワン、ツー」と言うように変わったという。だからここでは「ワン」は排尿、「ツー」は排便を指すのだそうだ。
それはさておき、ヒノキハウスは日々掃除機がかけられ、頻繁に拭き掃除で磨き上げられている。見ていて、そこに居てとても気持ちがよい…。
■ヒノキハウス フード
ヒノキハウス2日目は、食器洗いが待っていた。
各犬は食事用、水用のステンレス製食器をそれぞれ使用する。だから20頭の犬が居れば食器の数はその倍の40ある。ほぼ同じ大きさなので重ねての保管がラクだ。
40個の食器を、食器用洗剤で洗い、水ですすぎ、タオルで拭き上げる。衛生面で非常に気を使っているのが分かった。しかしそれなりに時間がかかる。佐渡さんからは、「好きな手順で」という感じだった。そこで自分は考えた。どの順で洗うのがよいのか、いくつくらいを単位にして洗う、すすぐ、拭き上げるをしていったらよいのか。結論はこうだ。まず半数を洗い、すすぎ、水を切る。水きりをしている間に、残りの半数を洗う。洗い終ったところで、水切りしてあった食器を拭き上げる。そして拭き上がったところでその半数は片づけ、残りの食器をすすぎ、拭き上げる。40個の食器を同時に水切りできるほどスペースが広くはないので、とても合理的に思えた。「洗い終ったら、このやかんで水を配って下さい」と佐渡さん。
「はい、分かりました」
水用食器を犬室に配り、水はやかんを使って入れて回る。この日やかんで配ったあと、1頭分を犬室に入れ忘れたことに気が付き、食器に水を入れて犬室に運ぼうとした。犬用食器は犬が食べやすいように作られているのであまり深くない。このため食器の水は簡単にこぼれる。
「おっと。」
佐渡さんが、水はあとからやかんに入れて回るように説明してくれた意味がようやく分かった。
次はフードだ。水用食器は犬ごとに特に決められたものがあるわけではなく、どれを使うかは決まっていない。食事用は犬ごとに決められたものを使っている。食器には白のビニールテープが貼られていて、そこには名前、ドライフードの商品名、給餌する量がグラム単位で黒マジックで書かれている。食事用食器の約半数には、人の名前も書かれている。担当している育成職員の苗字だ。フードのテープだけでなく、薬があることを示すメモが書かれたテープが貼られた食器もある。
「知っているかもしれませんが、フードはいくつもメーカーがあって、主に支援してくれているメーカーのフードを使っています。それ以外にも、体質に合う合わないがあったり健康度合によっても使い分けるので3社くらいのフードを使います。パピー食とアダルト食があるので、そこも注意してください。最初のうちは私の方で薬を入れますので、終ったら教えて下さい。」
「はい、わかりました。ところで、この『ネイチョ』って何ですか?」
「あ、それは『Nature Chosen』というブランドです。テクダは『テクニカルダイエット』です。テクダにはプリスクリプション療法食もあるので気を付けてください。」
少してこずりながらも特に問題なく、フードを食器に分配し、佐渡さんから指示された場所に収めた。
『結構いろんなフードがあるんだな。フードもグラム単位で調整しているのか。』と関心した。それにしてもフードの量は思っていたより多い。中には200グラム近く入れる犬もいる。これを朝夕2回、一日400グラム。10キロの大きな袋があっても、ひと月持たないのか。しかしこんな事を考えたあとで自分が知ったのは、10キロの袋がどんどん消費されるということだった。そしてヒノキハウスの中の倉庫だけでなく事務棟側にも大きな食糧庫があったのだった。
さてフードが足りなくなったので、ヒノキハウスの中の倉庫スペースに取りに行こうとした。この奥にあることは佐渡さんから聞いた。扉を開けると、倉庫の中は一瞬はずかしい位華やかに見えた。小学生の女児が着るような可愛らしい色柄の服が沢山ぶら下がっている。まだ独身で子供なんて考えたこともなかったので、この服はくらくらするぐらい眩しかった。
「佐渡さんびっくりしました。あんなに可愛らしい服が沢山あるなんて。」
「色とりどりでしょ。一度着てみる? 」
「え…」
「冗談ですよ。良く見てもらうとわかるけど、みんなオーダーメード。大きさもいろいろあるし、これらは皆ボランティアさんの手作りなんです。ここで訓練している盲導犬の卵のためだけでなく、実際に障害のある方のために働いている現役盲導犬の服も作って下さっているんです。ところで須田さん、倉庫に足りないフードありました?こちらの容器に移して、残ったらよく閉めて、また倉庫に…」
「すみません、動転して持ってくるのを忘れてしまいました。」
犬を飼育してくれているボランティアさんには、ボランティア・デーの受付でかなりの人にお会いしたが、犬を飼育するのではない、お針子さんのボランティアがいることを改めて知った。
■訓練はワン・ツーから
盲導犬協会では犬へのコマンド(指示)は英語で出す。英語でコマンドを出すのには、いくつか理由がある。日本語だと方言や男女の言葉の違いなどで犬が戸惑う可能性が高い。「スワレ」と「オスワリ」を同じコマンドと認識させるのは大変だ。また多くの人が行きかい、いろいろな言葉が飛び交う中で、普通の言葉とコマンドが混ざりにくいからだとされている。そして訓練士がコマンドを出して期待通りの行動をしてくれた時にも英語で『Good』と言って褒めてあげる。これは排尿排便の際にもだ。「ワン、ツー」とコマンドを出し、コマンドに反応して排尿排便をすれば、「グッド」と褒めてあげる。
ヒノキハウスでは、朝食のあと、人間が食事をした午後1時前後、そして夕方と時間を決めて用をたすようにしつけを行う。だからこの時間になると、「ワン、ツー」「ワン、ツー」そして「グッド」という声が、あちこちから続けて聞こえてくる。盲導犬の育成課程の中では、かなり重要なのが排尿排便かと思う。そのため本格的なしつけの中では「ベルト」を用いて排泄物を確保することも含まれている。ベルトは両側にフックがついていて、その中間部にはバックルがあり分割が容易になっている。ゴムを編み込んであって幅は3センチほど。伸縮する。このベルトの両端フックに小ぶりのレジ袋(ディスポーザブル買い物袋)の持ち手の一つにひっかけ、犬のおなかにつける。レジ袋のもう一つの持ち手は、中ほどで切って、後ろ脚の間を通してしっぽにしばりつける。これでメスの犬は尿と便の両方を漏れることなく確保できる。オスの場合は尿を確保するため、もう一つレジ袋を尿専用に装着して確保する。排便所と呼ばれる屋外の専用場所で用を足させることもできるが、この方法であれば漏れる可能性は低いのでどこでも用を足させることができる。だからヒノキハウスの中では、決まった時間になると排便所以外のあちこちでも「ワン、ツー」そして「グッド」の声が聞こえるのだった。
■月次報告(10月)
御手洗社長
1カ月目の報告です。
<業務内容>
今月は次の3点を行いました。
・盲導犬育成環境の把握および飼育支援
・行事実施支援
<次月の予定>
・盲導犬基礎訓練の把握
・街頭募金活動(駅頭での実施)
・盲導犬協会財務の把握
<所感>
今までとは全く異なる環境ですが、受け入れ側がとても好意的に接してくれています。
こちらは、まだどう実業務と結び付けていけるか模索中です。アナログな、生き物に特有な感覚を人は求めていることを改めて感じています。
また犬の訓練は繰り返し行われていること、訓練士は非常に粘り強く教えていることなどに暖かみを感じています。
実施した内容の詳細日報は必要ですか?
須田
返信:第1回報告
須田さん
お疲れ様です。慣れない環境だと思いますが、1年間かけて何か仕事に役立てるものを見つけて来てください。今は慌てる必要はありません。詳細日報についてですが、多分読まないでしょう。ですから自分の管理用につけてくれている内容で構いません。しばらくはPDCAに拘らないでのびのびと生活して下さい。
御手洗
(注.PDCA 業務の進め方Plan-Do-Check-Actionからなる4つのステップの頭文字を取ったビジネス用語)




