出勤(プロローグ)
この作品はフィクションです。
舞台となっている近畿盲導犬協会は実在しない団体です。登場する人物、団体、企業、地域、製品は参照したモデルはありますが、それぞれ作者の創作で書かれたものです。人物名、団体名・企業名、地名、製品名等は一部の地名を除き実在しておりません。
内容については公益財団法人関西盲導犬協会様にご協力を賜り、あまりに極端な間違いがないことを確認していただいて書いておりますが、関西盲導犬協会様が実際に考え、表明・活動されていることとは必ずしも一致するものではありません。
いつものように出勤してPCを立ち上げた。それを見計らったようにデスクの電話が鳴った。発信電話番号が出ている。内線だ、この番号は御手洗社長だ。
「おはよう、須田さん。いきなりで申し訳ないけど、ちょっと来てくれる?」
この『ちょっと』が怖い。
「はい、すぐ参ります。」
この人はどこから見てるんだ、と思うほど社員の動静が分かるようだ。もしかすると、PCの起動をモニターして自分の出社を待っていたのかもしれない。
トントントン。
社長室のドアをたたく。以前トントンと2回しかノックしなかった時には機嫌が悪かったので3回ノックするようになった。あとになって3回以上ノックするのがマナーだと知った。
「はい。」
「失礼します。」
「あ、早いね。そこに座ってくれる、須田さん。」
早く来なければならないのはプレッシャーがあるからなのだけど。まあ、それは置いておこう。
「はい、何か急なできごとでもありましたか。」
「急なできごとじゃないんだけど、急にお願いしなくてはいけなくなって…」
え、何言い出すんだろう。
「この間の番田自動車工業への報告で、須田さんが開発を担当してきた障害物検知のヒューマンインターフェースの件は一段落したんだよね。」
「はい。」
「それならちょっと行って欲しいところがあるんだ。」
「どこへですか?またドイツの取引先ですか?」
「いや、国内なんだ。期間は1年なんだけど。」
「え?」
それから社長の長い説明が始まった。ただ社長の長い説明はせいぜい10分。まとめると
・近畿盲導犬協会へ1年間行ってこい
・盲導犬への指示、反応を参考にしてヒューマン(対人)インターフェースを考えてみろ
とのことだった。「いや」という権利はあるけど言う度胸はなかった。
近畿盲導犬協会は名前の通り近畿地方にある。社長がなにかの集まりで気になった人を捉まえて、その捉まえた人が社長に何かを吹き込んだようだ。今働いている中部地方からは少し離れてしまう。
「出向なので、実質給料はこちらが出す。それとは別に寄付もそこそこしているので、大手を振って行ってきてください。」
そう言われて自分は送り出されてきた。
今まで自分は組み込み型のソフトを作ってきた。組み込み型ソフトというのは、機械に入れてその機械を動かすプログラムのことで、自動車会社から依頼を受けた自動運転の障害物検知プログラムの開発が一段落したところだった。だから突然盲導犬と言われても皆目検討が付かない。ただ急いで調べたところ、ラブラドール・レトリーバーやゴールデン・レトリーバーといった大型犬が盲導犬になっていて、相当な訓練をしてから視覚障害者の歩行を補助しているらしいことが分かった。会社の同僚や後輩からは「須田さん、大丈夫ですか?」と心配されたり、「ワンコに囲まれた生活ですね、いいなあ。」と犬好きの羨望のまなざしを受けたりした。概ね好意的な意見が多く、それほど悪くない出向先のように思えた。




