それでも勇者を捨てた老人は夢を見る~その思いは歴史に残らずも語られる~
中々、連載のPVが伸びないので短編で息抜きをしました。
いつからだろうか、逃げるのが悪い事だと言われるようになったのは。いつからだろうか、逃げるのは心が弱いからだと馬鹿にされるようになったのは。
苦しくても辛くても無理矢理に歯を食いしばり、表向きでは気丈に振舞って。無意味な偽りで塗り固め、自分の心を蝕み続ける。
──ハラルド=メイザーもまた、その一人だった。
貴族の家系に産まれながらも、望まれる子ではなかった。一つの影に二つが入れないように、メイザーもまた、蚊帳の外で育ってきたのだ。
だからと言って、グレずに今まで来れたのは一重に認めて貰いたかったから。この一つに限る。父や母が望む子になろうと。兄のように、姉のように、求められる子になろうと。
いくら蔑視をむけられても、嘲笑されても、侮蔑の限りを尽くされても、メイザーはただただひたむきに頑張ってきた。頑張り続けてきた。
家族の愛が欲しいから。
「……もう、生きるのも疲れた」
たかだか十七年そこらしか生きていない男が、人生について絶望するのは早すぎるのかもしれない。それでも、今のメイザーにとっては、愛情──その承認欲求こそが全てだった。
だけれど施設送りが決まった今日、その全てが塵となり消え去ってしまった。
メイザーは今、くたびれた服に革靴を履いて崖の上でたつ。開けた視界にうつる壮大な景色。背丈の長い木々が靡き、野鳥が大空を飛ひ、眼下では小川が流れている。この景色の中でメイザーは、ちっぽけなパズルの一ピースにしか過ぎない。
このまま、崖から身を投げ出しても誰からも気が付かれないのだろう。
「──お前さん、死ぬのか?」
その声は視界の端から聞こえた。ここに来た時、確かに老人が一人座っていたが、メイザーは居ないものとして捉えていた。と、言うのも好き好んで他人に話し掛ける人なんか、このご時世には殆ど居ないからだ。
だが、何を思ってか。何を感じとってか。その嗄れた声はメイザーが踏み込む最後の一歩を踏みとどまらせた。
「…………」
小汚い格好をした老人は、ふちの欠けたコップで飲み物を飲むと「ふはぁ」と、息を吐き出すのと同時に肩をなでおろす。
メイザーはそんな老人に訝しげな視線を送る。長く伸びた白髪はゴワゴワとしており、伸び散らかした眉毛に髭は、清潔感が皆無だ。見るからに怪しい。とは言え、老人からしたらメイザー自身も怪しいかもしれないが。
「今日はこの後、雨が降るみたいじゃのぅ」
ボソッと零した言葉にメイザーは心で反論する。空は雲一つない快晴。どう考えたって、雨なんか降りそうにない。
「お前さんがもし死ぬ気なら、早くした方がいい。激しい雨が降れば、その全てを洗い流してくれるじゃろうて」
別に止めて欲しい訳でもなかった。でも何故だか、老人の言葉にメイザーの心は妙な引っ掛かりを覚える。それは老人が、死を悟っておきながら平然とした様子を浮かべているからか。
あるいは、メイザーの気持ちも知らずに煽るような事を言ったからか。別段悪びれた様子一つ見せずに、老人はズズズと飲み物を口に運ぶ。
「貴方こそ、目の前で死なれた後味悪いんじゃないですか??」
気がついた時、メイザーは老人に話をかけていた。
「……気にする事はない。この歳になるまで幾度となくみてきたのでな」
老人は顔色一つ変えず、それどころかメイザーと顔を合わせる事なく言った。
「…………」
「わしにゃ、計り知れないモノが他者にはある。それが、苦であろうと楽であろうと、善であろうが悪であろうが。同情なんてものは、所詮、自惚れよ。わしにできるのは、見届けるぐらいじゃ」
「死ぬのを?」
単調な問に、老人は深く息を吐いてから口を開く。
「生きるのも死ぬのも……じゃよ。じゃから、ワシは此処に居る。生き方を知る為に。生き様を見る為に。お前さんは、この先何を求める?」
老人の問にメイザーは口を固く結ぶ。この先に何を求めるか、なんて分かるはずがない。今の今まで、そこの崖から飛び降りて生涯を終えようとしていた身。この先ではなく、この前まで求めていた物がもう手に入らないのだから。
両親に媚びて、兄達をお膳立てして、必死に縋り付いて生きてきて手にしたのは──あまりにも滑稽で哀れな孤立と孤独。
手渡された数枚の金貨が、家族との手切れ金でありメイザーの価値。こんな無価値に等しい人間なんて、生きている意味なんかないだろう。
思い出し、メイザーの表情は険しさが増した。眉間には皺がより、口の端を強く噛み締め、目頭は熱くなる。
「──この先なんて……」
「昔々、勇者達が魔王討伐に勤しんでいる頃、世界は激しい戦いの傷が増すばかりで、貧困するもの達が増えていった」
老人は一人、勝手に語り始める。意図も分からないメイザーだが、立ち去るのも申し訳なく思い、その場で耳を傾けつつ、眼前に広がる景色を見ていた。
「誰しもが生きるのに必死で、助け合う人もいれば奪い合うもの達もいたんじゃ。そんな時、一人の神父が街に現れる」
感動話か。どうせ、生きていれば救いがあるだとか言いたいのだろう。
「案の定、皆が神父に救いや赦しを求めおった。神父は、万人受けする笑顔を作り、目線を同じくして他者に対し、親身によりそっておった。じゃがな、そ奴は詐欺師だったんじゃよ。お前さんみたいに、酷く傷ついたもの達を餌にする。露知らず、民は自分達の食料やお布施を渡し続けたんじゃ」
「流石にそこまで、人は馬鹿じゃないでしょ。例え、一人が騙されたとしても、他の誰かが気がつく筈」
「……お前さんは、刻印を知っておるか?」
生物にはそれぞれ、魔力回路となるものが体内に備わっており、放出された魔力と微精霊との干渉により魔法が扱える。
【刻印】
とは、魔法とは別物であり、魔力回路に術を書き込むことにより扱える物。スキル扱う事により、大きなアドバンテージになると言われている。デメリットは、魔力回路に書き込める者がそもそも、少ないと言うこと。そして、生涯で一度しか取得する事が出来ない。と、本には書かれていた。
「一応は……」
「刻印を授かれる者は、嘗て等しく勇者足りうる原石と呼ばれておった。故に、刻印を得られる者は、正義成る力を選んでいたんじゃ」
それもそのはずだろう。もし、自分も適正だったのなら家族はもっと大切に扱ってくれたのだろうか。メイザーは、老人の言葉にいつの間にか耳をしっかりとかし、聴き入りながら思っていた。
「神父もその刻印を得られる一人じゃった。──じゃが、彼は正義の為に戦う為の力……ではなく、一人で確実に生きられる為の能力を得たんじゃ」
「国の為に戦うんじゃなくて、つまりは──」
「そう。人を騙して、確実に生き抜く為の力。勇者足りうる可能性を秘めながらも、死を恐れ逃げ、我が身可愛さに姑息に生きる為の刻印」
老人は飲み物を一口飲んで続けた。
「意思疎通も出来ない魔獣には意味もなさない、無力で無意味で不必要であろう【催眠】を神父は取得したんじゃ」
「催眠??」
「そうじゃ。とある文言を話すと、それが暗示になるんじゃ」
「なるほど」
「神父は他者が疲弊していく中で、私腹を肥やしていった。じゃが、その姿を見てもなお、街の住人は神父を疑おうとはせんかったんじゃ」
「……で、何が言いたいのかな? 別に昔話なんて聞きたい訳じゃないんだけれど」
軽く語気を強め、メイザーはそう言った。別に話がつまらないとか、苛立ちを覚えたから遮った訳じゃない。ただ、聞いてる自分が嫌だった。
逃げてる気がして。話を聞いている事を言い訳にしている気がして。メイザーの気持ちを知ってか知らずか、老人は嫌な顔ひとつせずに、相槌をうつ。
「そうかそうか。お前さんは、一体誰の為に──もしくは、なんの為にその命を捨てる気なんじゃ?」
「誰の為?」
「そうじゃ。その詐欺師ですら、自分が生きる為に力を使った。お前さんは、自分が生きる為に何かをしてきたのか??」
「どう言う意味ですか?」
いいや、意味なんて事は分かってる。
「お前さんには、兄が居るじゃろ?」
「居ますけど……何故それを?」
「服を見たら分かる。そのサイズがあっていないよれた服。明らかにお下がりじゃろ」
「ええ……まあ」
メイザーは生まれてこの方、自分の服等を買ってもらった事がなかった。
「お前さんは、何を目指しておったんじゃ?」
「何を目指すって」
一切顔を合わせない二人の会話は続く。この場から立ちされば終わるにも関わらず、メイザーは何故かその場に座り、老人との対話をする選択をしていた。
「そこに自分はおったのか?」
「自分?」
「自分の時間は自分だけのものじゃ。お前さんは、自分を愛しておるか?」
老人の問はしつこくあったが、メイザーの心に突き刺さるものばかりだった。自分の愛し方なんか分からないし、寧ろ、恨んですらいる。
老人の芯を射る言葉にメイザーの喉は必然的に詰まった。
「人の為の命ではない。自分だけの命なんじゃ。もう一度聞く、お前さんは何を目指しておったんじゃ?」
「俺は……俺は」
改めて、自分には何も無い事に気がつく。空っぽだ。兄の真似をし、両親が兄に求める者になろうとし、そこに自分はいない。
「自分を可愛がる事もせずに死ぬのは無駄死にじゃよ。せめて一つ、自分にしか成せない、自分だけの道を進むんじゃ。なれば、崖の縁、その踏み出す一歩も、実に軽やかなものだったじゃろうて」
──そうだ。その通りだ。
結局、メイザーには踏み出す勇気がなかった。それを都合よく、話を掛けてくれた老人を言い訳に踏みとどまっていたに過ぎない。
「自分にしか成せないものって……なんですか?」
「そりゃあ、わからん」
老人は立ち上がると、一歩、また一歩と歩み寄り、重たい瞼を持ち上げてメイザーを見る。老人の目は、濁りながらも奥には何かを見通す何かがあるように思えた。
あるいは、メイザーの心にある闇の一端に意図も容易く触れた事による思い込みか。
老人は一呼吸置くと、メイザーの腰に手を当てて口を開く。
「じゃが……まあ、それを他人に訊ねるようでは、まだまだ自分の人生を歩めそうにないのぅ。いいか?」
老人の目を見て、メイザーは短く頷いた。
「人生とは選択じゃ。後悔もあれば満足する事もある。じゃからと言って、自分の事を否定し愚弄し嫌いになる事はない。それは、自分の道を進むからこそ得られるもの。それらを踏まえて達成感とワシは思っておる。お前さんは、まだ何も達成しておらん。そうじゃろ?」
「…………」
「誰にも左右されず、自分の道を探すんじゃ。それが、お前さんの運命。死ぬ場所はその先じゃよ。──頑張れ、若人よ」
──これは償いだ。独り善がりの身勝手な償いだ。
我が身可愛さに、世界ではなく自分を守った償いだ。勇者になるのを逃れ、死ぬのを恐れ、他人の人生を弄んだせめてもの。
レグア=カルアテラ。
レグア家は元来、王に仕える騎士の家系だった。カルアテラの父も兄も、そしてカルアテラも刻印適性者であり、一人の例外を除いては国の為に命を賭してきた。
言わば、勇者の家系。
しかし、カルアテラは勇者足りうる能力を持ちながらも拒み、家を抜け出した。当然、一文無しになれば食に困る。街に行っては、おこぼれを貰おうと家を訪ねたりしたが、このご時世、他者に配る食料なんてものはなかった。
カルアテラは生き抜く為に、人を欺き騙す道を選ぶ。取得した刻印【催眠】を用い、人の心奥底に眠る秘密を覗き、暴き、利用し洗脳した。
そんなカルアテラも人を愛する事を知る。愛した女性は農村の娘。彼女もまた、カルアテラに愛を注いでくれていた。これが真実の愛だと喜び、分かち合い、互いに求めあった。
だが、そんな平穏はいつまでも続くはずもない。
王都から離れた街を選んだ事が裏目に出たのだ。魔獣の襲撃。住人の応戦も虚しく、瞬く間に火の海と化す。人々の断末魔が人々の血飛沫が血を叩く音、崩壊の音となり鼓膜に焼き付いた。
カルアテラは恨んだ、自分自身を。戦いの術を持たず、弱きを騙し、生きる糧としてきた自分を。自分の偽りだらけの選択を。
眼前に迫る魔獣。死を覚悟した時、カルアテラの前に一つの影が伸びた。灰と血の匂いが入り交じる中で鼻腔を撫でる優しい匂い。
安堵がカルアテラに生きる衝動を与えた。彼女がいるのなら、生きなきゃならない。彼女と共に。
手首を握り、カルアテラは彼女に愛の言葉を紡ぐ。
「一緒に逃げて、一緒に生きよう。俺はお前が居てくれたなら他に何もいらない」
正真正銘の自分の心だった。偽りで塗り固めてきたカルアテラだが、彼女の前では本当の自分でいられる気がしていた。
振り向き、見上げる彼女の視線と交えて、きっと彼女も同じ気持ちなのだと、確証もない不透明な確信をもつ。
だが──
「私は貴方様の為に死にます。貴方様を守る事が、私の役目なんです」
彼女の心はすでに【催眠】により掌握されていた事に、ここで初めて気がついた。いままで求めていた愛も、カルアテラが望んでいたから、彼女は無自覚に無意識に与えていた。
そして今は、心のどこかで生き延びたいと望んだ。望んでしまったが故に、彼女はカルアテラだけが生き延びる最適解をだしたにすぎない。
自業自得が生んだ哀れな男の人生が、今も尚、彼女達の命の上に成り立っている。だからカルアテラは自分の為ではなく、人の為に残りの人生を歩もうと決めた。
「最後に名前を教えてもらってもいいですか?」
青年は、踵を返すカルアテラに初めて自分から話をかけた。
「名前……そうさな」
カルアテラは空を眺めて口を開く。
「月桂樹とでも、覚えておいてくれたらいい」
「ラウルスさん、ですか」
「……では、ワシは帰るとするさ。お前さんも、良く考えて命を使うんじゃよ。他者のために死ぬなんざ、もったいない」
「……ありがとうございます」
ラウルス──何とも不思議な老人だった。彼の言葉には妙な説得力があり、ちゃんと聞かなきゃならないって気持ちになれた。
自分の為の人生。自分がしたいこと、すべき事、成すべきこと。今はまだ分からないけれど──でも確かに、自分を捨てた両親達に絶望して死ぬのは、勿体ないのかもしれないと、メイザーは思う。
両親に選ばれなかったとしても、兄達に蔑ろにされたとしても、自分の人生にはなんの打撃も受けない。そんな事で死ぬぐらいなら、自分の人生を謳歌し成功させ、楽しく生きた方が余っ程ましだ。
メイザーは崖の縁から少し離れた場所に座り、これからの事を考える。正直、まだ何がやりたいのか分からない。赤子も当然な状況だが、でも肩の荷がおりた感じがする。
「……本当に雨が降ってきた」
ぽつりぽつりと、雨が降り大地を濡らし始める。ひんやりとした風が頭を撫で、涼しい気温が体温と共に頭を冷やす。
──まずは独り立ちからだな。
施設にもいかない。家族とも関わらない。まずは此処から始めよう。両親に好かれるために演じてきたメイザーは今日ここで死んだ。この崖から飛び降り、雨が降り激しさをました川に流され死んだ。
今日から一人、メイザーは自分だけの道を歩む。誰に否定されようが自信を持てる自分になる為に。
立ち上がり、メイザーはここに向かう道中に見かけた小屋に向かう。風邪をひいたりしたら、決意も台無しだ。
足早に向かい、たどり着くと躊躇いもせず古びた小屋のドアを開ける。直後、淡く暖かい灯りが何かを焼いている匂いと共にメイザーを出迎えた。
「なんじゃ、また会ったのう」
「す、すみません。まさか、人が住んでるとは思わずに」
「いいんじゃよ。にしても、本当に雨が降ったんじゃな。ほれ、風邪をひかぬように体をふくんじゃ」
ラウルスに促されるまま、メイザーは手渡されたタオルで頭を拭いて椅子に座る。
「ありがとうございます」
「いいんじゃ、いいんじゃ。これを飲みなされ。温まるぞ」
割れていない、比較的新しいコップに注がれた暖かいお茶を口に含み、メイザーはほっと肩をなでおろす。
「どうじゃ? うまいじゃろ」
「はい、とても。そう言えば、ラウルスさん」
真向かいに座るラウルスの目を見て、メイザーは訊ねた。
「何故、俺を止めてくれたんですか?」
ラウルスは欠けたコップで飲み物を一口、口に含み喉を鳴らすと口を開いた。
「別にお前さんではなくとも、ワシは似た様な事を言っていたじゃろう。今までもそうしてきた。少しでも、進む道が楽になれるようにと。それでも、目の前で死んでしまう者は何人もおったがな」
「なんで、他人の人生なのに?」
「人の人生だろうと、等しく命じゃ。メメント・モリ、この言葉を知っておるか?」
メイザーは首を横に振る。
「魔王を倒した勇者から聞いた言葉、意味はと言うと、死は等しくやってくる。どうせ死ぬなら、自分の道を進み後悔がない方がいいじゃろ? 人に扱われ、利用され死ぬよりかは」
ラウルスはメイザーの目を見て会話を続ける。
「じゃからワシはこの身が尽きるまで、説き続ける。この崖に終わりを求めてきた者に、この崖から見える景色と共に始まりを求める事ができるように」
メイザーはラウルスの考えがとてもカッコイイと思えた。決して歴史には残らないであろう、彼の行動。でも、その小さい行動は確実に、人を救っている。
自分もそんなふうに生きられたなら。メイザーの心の中で、一つの種が今、芽吹こうとしていた。
読んでくれた方々、本当に感謝です!!