真夜中のヒルガオ 7
夕子は金曜の午後の渋谷の街にいた。サンスクリットムーンカフェで、キャラメルマキアートを飲んでいた。プライベートではなかった。
洗練された月の喫茶店、という名が相応しいかどうかは疑問だった。内装はポップで、レインボーカラーに溢れ、ヒマワリ、と思われるピンク色のテーブルが二十席、ラメに輝く星や葉っぱが空中を舞っているように天井からぶら下がっていた。
店名に似合ったものがあるとするなら、少年少女の銀箔面とクレーター面と、それから甘い匂いのコーヒーや両面焼きのケーキや表面炙りのパフェや、そういうものしかなかったことだ。思春期の汗と涙と話しと笑いと飲食物、それからそれを運ぶ女優を夢見るロボット志望らしい美人の他は、立ち入り禁止らしかった。
フルーツミックスパフェを頬張る少女がいた。カウンター席だ。ブレザーの制服姿、アシンメトリーの左前髪がちょっと長い茶髪、ウサギがニンジンの先をかじるみたいにスプーンのみかんをちょっとずつ頬張る女子中学生、山岸みなみである。
彼女を見守る業務中である、しかし、そう、夕子のような、探偵助手が一人ですべきような仕事ではない。同席中の、若手調査員、剣持一郎の担当だった。
そもそもは、彼が一人でもいいと自分から言い出した。ウサギに逃げられるようなことはあるまいと鷹をくくっていた。
しかし、夏休みになってから、みなみが渋谷の街をうろちょろするので、見失うこともしばしば、反省文を二回も、城之内に提出した。
父は弁護士、母は税理士という、山岸家の一人娘がみなみであった。なるほど、そんな令嬢が最近、不審な動向を見せていた。中学生になったばかりだが、帰りは深夜になることもあり、塾にも行ったと言いながら、塾側では来ていないということだった。
無断欠席の電話も学校から掛かってくる。
そんな娘に母はスマホを持たせていたが、先月の利用料金が破格、10万円をこえていた。
怪しくない訳なかったが、父親は彼女に関心がないようだ。問題が起こったら起こったで、自分が弁護すれば問題あるまい、という感じならしい。
依頼に来たのは母であった。
それで調査が始まったわけだが……しかし、とにかく、見失うこと3回、まともな報告もなく、依頼主の彼女にも、剣持一郎はこっぴどく、叱りつけられた。
クレームが出ているのに、新人と助手では、心もとないように思える。
が、今いる場所は、ベテランが行けるような場所ではなかったのだ。
城之内探偵事務所では、一番若い二人といえど、ここヤングワールドプラネットカフェでは、冴えない未開拓の宇宙人ということになりかねなかった。
金髪のウィッグを被って、これでもかと言わんばかりのバカでかいグラサンをつけ、しゃかりきティーンエイジャーをうそぶく夕子、恋人を装う同席の剣持は、メジャーリーグのキャップをはすに構えつつ、自称ラッパーをうそぶきたい年頃の、やんちゃ坊主のつもり――着ているTシャツのプリントのドクロは――ファックユーと、自虐的なブラックジョークをかましている。
そんな二人でさえ、怪しかった。ここにいるには、怪しかったのだ。いや、まずもって、怪しかった。同じ種類の子猫三十匹の中に、ぬいぐるみ二体が混じっているくらい分かり易い怪しさがあった。
とはいえ、もっと、ずっと怪しいやつがいた。見守り対象のみなみが、同席のオヤジをパパと、うそぶいているのだった。
それがどういうパパなのかは、ともかく、しかし、どういうわけだろう、子猫の群れにワンちゃんが堂々と現れると、もう間違い探しのゲームそのもの成立しないものらしい。この洗練されしヤングプラネットに唯一、着陸および徘徊を許されているのは、この惑星人の子の親だったら、ということらしい。
実際、母親連れの女の子だってたった今入ってきたのである。それも母親だかお姉ちゃんだか分からないイケイケらしい女であって、違和感なかった。金髪のコーンロウに、裾広がりのダメージジーンズときた。分け目がちょっとキテル七三分けの、でっぷりした怪しいたぬきの置物じゃなかった。もちろんスーツなんか着ていない。
それは本物のパパじゃない、と知っているのは、夕子、剣持の二人だけだった。
きっと今日もフルーツミックスパフェを奢って貰っているのだろうと二人の意見は一致した。
というのも、みなみが、ここ一週間、塾講師の若い男、警備員の中年男性とここで会い、渋谷の街を散歩し、そうしてカラオケルームに入っていったことが分かっている。
やがて、キャラメルマキアートが、氷に混じってグラスの底で味気なくなった。
「パパ」
と笑って、
「おいしい?」
と相手が返す。
リピート映像みたいなやり取りが映るノートパソコンの画面を見守りながら、プラスチックのストローは環境に悪い、そんなことを思いながら、夕子はズズっと残りをすすった。
なんとなくグラサンを外し、
「ちょっとトイレ」
剣持に言うと、
「オーケー」
そうして、席を立って、振り向いた時である。
奥の、黒いハートがテーブルのスタイリッシュなボックス席に、目をみはる美少女がいた、夕子はすぐに合点がいった。
別件ではあるが、S氏依頼の案件、そのキーパーソンなる、神童梨花ちゃんだ。
漆黒の揃えた前髪に大きな瞳、透き通るような肌、梨花の容姿と空気感は、彼女を知らない人にも、注目に値するものだった。左右の友達二人をきょろっと見ると、肩をすくめて、寄り目になってシェイクを飲むっておちゃらけ振りで笑わせたが、一度彼女を見たことがある人で、目に入ったのが二度目なら、見つけた感があるほどだった。
いや、犯人などではない。 ただ、友達二人と、はしゃでいる。しかし、夕子は、はっと、気がかりなものを見てしまったのだ。 それで、トイレではなく、カフェを出て、通路の奥に駆け込んだ。
そして、事務所に電話した。
なかなか出なかった。城之内が居眠りしていたからだ。出前の蕎麦を食ってから、応接間のブラインドを下ろして部屋を暗くし、昼寝する気満々で葉巻を吹かしているうち、それから二時間も寝ていたところ、
「は、へい、じょうにいちはんていじむしょ」
寝ぼけながらも、やっと電話を取った。
「所長、あの、その、今Y氏依頼の案件みなみちゃん尾行中の」
廊下の壁に背をつけ、夕子は早口に言った、声は潜めて。
「おいおい、夕子くん。何度言ったら分かるんだね」
昼寝のためにブラインドを下ろした薄暗い部屋で、
「調査員の、一人ひとりが、今どこで何をやっているか、私はちゃんと、全てを把握している」
城之内は言う。
「要件か、もしくは、結果から言いたまえ」
いかにも不機嫌そうだったから、
「いえ、失礼しました」
夕子は謝った。
「いえ、梨花ちゃんを見つけたのです。いえ、見つけたという言い方もおかしいのですが、たまたま」
「回りくどい言い方はよさんか」
「失礼しました。その、梨花ちゃんがですね、渋谷のおしゃれなカフェに」
「サンスクリットムーンカフェだろう」
「……ええ」
「私はだから、調査員がどこで」
「失礼しました。
それで、りん」
「おいおい、夕子くん、冗談だろう。りんかちゃんってどこの誰だね?
君の親戚だか友達の話をしようというんじゃあるまいね」
「いえ、失礼しました。S氏依頼の案件の、神童」
「ああ、分かった。それで?」
「ですから、サンスクリット」
「なんの話をしてるんだね、君は! いい加減にしないか。
今は夏休みじゃなかったかね? 私達は違うがね。ちゃんと学校に行っている子供たちは今が夏休みだ、違うかね?
夏休みの子供がサンスクリットムーンカフェか、それがある信じ難いほど楽しげなビルにいなくてどこにいるって言うんだ! 冗談も休み休み言いたまえ。大体の調査中の女の子たちはね、渋谷か、渋谷にある信じがたいほど楽しげなビル以外には出没しないということになっている。梨花もみなみもいておかしいということはあるまい」
「いえ、失礼しました。結果を言います。
たまたま見つけた梨花ちゃんは、なんと、今、セーラー服姿です」
「は?」
「いえ、ですから今」
「いい加減にしないか! 私服を買えないような可哀想な少女じゃない限り、夏休みに制服を着ちゃいかんというのか、君は!」
「いえ、所長、今度ばかりは、謝りませんよ」
「……」
「梨花ちゃんはまだ、小学生です」
「……」
「驚きましたか?」
「なんだって!!」
葉巻の吸い殻で葉っぱ臭いソファを城之内は飛び上がった。びっくりしたのではない、ブラインドを下ろした暗い応接室、ここにはスクリーンの光もないのに、つぶらな瞳がチャンスを見つけたみたいに内面から光ったのだ。
なるほど、ここは、南米のジャングルらしい、 城之内の瞳は二つ、キンカジューのそれである。日中は木穴でうそぶいている小動物の瞳が二つ、真夜中突然、眠ったハチでも見つけたみたいに光るのだった。
「それで、所長、どうしましょう?」
夕子はサンスクリットムーンカフェの入口を、抜かりなく見つめながら聞いた。
「なあ、もう冗談はよしたまえ、夕子くん。どうするもこうするもあるまい。私が次に言う指示通りに君は行動するんだ、いいね?」
「はい」
「Y氏依頼の案件、令嬢みなみ様はそのまま剣持君に見守るよう伝えたまえ。そして夕子くん、君はS氏依頼の案件、神童梨花様の身辺に不届きな輩が近寄らないかどうか、しっかり注意しておくんだよ」
「了解です」
なるほど、無理からぬことである。複数名調査プランにも発展しかねない怪しい動向が見つかるかも知れない。




