避けられない失恋
牧 華純がママ友とのランチ、ショッピングを終え帰宅したとき、既に一人息子の翔太はリビングにいた。
小さな背中を華純に向け、床に座り込んでいる。
ランドセルは横に放置されていた。小学二年生の翔太にはまだまだ大きなランドセル。
「あら、早かったのね。遊びに行かなかったの?」
バッグをテーブルに置き、スマートフォンを眺めながら華純はその背中に声をかける。
「…………」
返事がない。そこで初めて華純は翔太を注視した。
小さく背中が震えている。
耳を澄ますと鼻をすする音が聞こえた。
泣いてる……!?
華純は慌てて、翔太の前に小走りで移動した。
やはり泣いている。「転んで怪我をした」みたいな泣き方ではない。
幼いながらに堪えようとしているのが伝わってくる泣き方。
ここで詰問したら息子は何も答えられなくなると、母親は知っている。
「……翔太、どうしたの? 何かあったの?」
出来る限り優しく静かに問いかける。
「きょ……、今日ね…………」
しばらく無言だった翔太がやっと口を開いた。
「真希ちゃんにね……」
華純は、翔太のクラスメイトの谷口 真希を頭に浮かべた。可愛らしい女の子。
「真希ちゃんに……? ケンカしたの?」
「ううん、……すっ、好きって言ったの」
華純は思わず「はあっ!?」と言いそうになったが、既のところで留めた。黙って翔太の次の言葉を待つ。
「そしたらね、『牧くんと結婚したら、マキマキになるからヤダ』って……」
マキマキ? ……牧真希?
華純は翔太が言っていることを理解した。
他人の母子の会話なら、なんとも微笑ましいエピソード。
しかし華純は、小さな苛立ちを感じる。
真剣に心配した分、拍子抜けした反動だろうか。
翔太を泣かされた怒りだろうか。
華純は翔太に気付かれないように深呼吸をした。
母親として泣いている息子を励まさないといけない。
――母親として。
「ほら、翔太、前は『大きくなったらママと結婚する』って言ってたじゃない? ママがお嫁さんになってあげるから大丈夫よ」
翔太から表情が消えた。しかし次の瞬間、華純は翔太から睨まれた。
「嘘だ。もう知ってる。ママはパパと結婚してるから、僕のお嫁さんにはなれないよ」
子供なりに本気で怒っていることを感じて、華純はたじろぐ。
翔太はランドセルをひったくると自室へ行ってしまった。
――――――
翌日、華純は翔太の帰宅をそわそわしながら待っていた。
昨夜、自室から出て来た翔太は明らかに怒りが収まっておらず、夕飯時も終始無言を貫いた。
華純は自分に非があると認めている。
昨日、息子の話によくわからない苛立ちを感じてしまった。
昨日、息子をいいかげんな言葉で励まそうとしてしまった。
謝らないといけない。
悪いと思ったら謝る。
それが今後の翔太のためにも、自分のためにもなるだろう。
そう思いつつも、心の片隅では何故かずっと苛立っている。
――――なんなのよ、コレは?
――――
午後二時過ぎ、翔太が帰ってきた。
「ママ! ママ!」
笑顔で走り寄ってくる。
華純は翔太の機嫌の良さに驚かされる。
「あのね! 今日ね!」
興奮し、話をまとめることも出来ずに捲したてる。翔太が伝えたいであろう内容を華純はなんとか要約した。
真希ちゃんが昨日、真希ちゃんのママに相談した。
真希ちゃんのママは「結婚してもマキマキにならない方法」を真希ちゃんに教えた。
「だから、牧くんと結婚してもいいよ」と言われた。
どうやらこのようなことらしい。
谷口 真希の母親はまだ認められていない「夫婦別姓」の説明でもしたのだろうか。
「……よけいなことを」
無意識に口にしていた。
「ママ?」
翔太が不思議そうな顔で華純を見上げる。一緒にもっと喜んでもらえると思っていたらしい。
「あ、うん。なんでもないのよ。……よかったね」
そう言いながらも華純の中では苛立ちが大きく、醜く膨れ上がっている。
もう華純自身、「昨日からの苛立ちの理由」を認めた。
諦めるように認めた。
わたしは谷口 真希に嫉妬した。
翔太は「ママが好き」とずっと言ってたのに。
それが「子供の成長」だとも分かっている。
でもね、まだちょっと早くない?
わたしにさ、もう少し続けさせなさいよ。この恋を。
ねえ、翔太?
母親は息子を抱き締めた。
「一緒に嬉しくなって抱き締めてしまった」と粧いながら。
そう、粧いながら。
――――全く嬉しくないくせに。
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