四十三話 クリープ・ピラー
それはいつ、どこから現れたのか。
はっきりと見た者はいなかった。
攻めてくるモンスターの群れ、その左端へ地響きが走った。
「うおぉ⁉」
プレイヤーたちは突然の衝撃と風圧に腕で顔を覆った。
そして腕の隙間から見えたものに疑問の声を上げる。
「な、なんだこれ⁉ 柱⁉」
すぐ近くに突然太い柱が降ってきていた。
近くのプレイヤーたちがその柱を呆然と見上げる。
柱は大木を思わせる程太い。白と灰の混ざりあった石灰色をしていて、表面は大理石のようにつるつるだった。
プレイヤーたちはどこから降ってきたのかと空へ顔を向ける。
柱には定期的に切れ目のような節があり、上に行けば行くほど少しずつ細くなる。
節を三つも越えてプレイヤーたちはようやく頂点を確認し……そして気づく。
「あれ? なんか繋がってる……」
柱の頂点に丸い何かが繋がっている。
その丸い何かは柱と比べると黒く、そしてぼさっとした毛を生やしていた。
そしてその丸いものからはさらに三本柱が伸びている。よく見ると、離れた場所に一つずつ柱は立っていた。
つまりこの黒灰の毛玉を四本の柱で支えているような状態だ。
それを確認したプレイヤーの一人は声を漏らす。
「え、これ……脚?」
プレイヤーたちがそれを確認すると同時。
柱がギチチチと音を立てて曲がっていく。
そして繋がっている黒灰の毛玉がぐんと下に降りて来た。
「うわ、わっ!」
「な、なんだこれ⁉」
プレイヤーはそれが落ちてくるのかと思いその場から退避する。
盾役も近接も関係なくそこから逃げ出した。
だがその毛玉はプレイヤーの頭辺りにまで高度を下げるとぴたりと止まった。
毛玉の大きさは六畳の部屋に収まりきらないようなでかさだ。
上半分には八つの黒くつやつやとした目がついている。人の頭ほどもあるその目は無機質でどこを向いているのかわからない。
頭上には、その名が表示されている。
「クリープ・ピラー……?」
クリープ・ピラーはそのまま停止した。
その状況にプレイヤーたちは顔を見合わせる。
「お、おい。これどうすんだ……⁉」
「どうするって。た、倒すとか?」
「無理だろ⁉」
「ていうかそれよりモンスターを止めとかないと……あれ?」
モンスターの群れに目を向けた盾役のプレイヤーは首を傾げる。
モンスターたちは動いていない。
突如現れたこのクリープ・ピラーへ慄くように足を止めていた。
今この時、プレイヤーもモンスターもこの巨大な乱入者を警戒している。
だが、乱入者自身は何一つ警戒などせず無機質に動き出した。
柱のような脚がギチチと音を立てて曲がり始める
三つある節……関節を見た目から想像できないほど柔軟に扱い、クリープ・ピラーはその脚をぐぅんと持ち上げ。
そして天から槌を振り下ろすように叩きつけた。
「ひえぇ⁉」
「おあぁぁぁ⁉」
その一撃は盾役をしていたプレイヤーを押しつぶした。
HPの削れていた盾役はそれだけであっさりと光の塵となる。
同時に近くにいたモンスターも衝撃で吹き飛ばされていた。
「無理だ! こんなの倒せないって!」
「とりあえず逃げよう! こんな近くに居たら踏みつぶされるだけだ!!」
その衝撃を受けてプレイヤーは逃げ出した。
同時にモンスターたちも逃げるように前へと駆け出した。
『ギチチチチチ』
そんな狂乱の中。
関節から革を擦り合わせるような音を響かせて、クリープ・ピラーは堂々と歩いていく。
ジンはモンスターの溢れる丘を真正面に見ていた。
しかし、ふと気づく。
「あ……?」
左手の奥、ジンたちの場所からはずっと遠い端っこ。
そこに巨大なモンスターがいつの間にか現れていた。
「なんだ、あれ……? クリープ・ピラー? 名前がある、ならモンスター……だよな?」
異質な見た目のソレへジンは確認するように呟いた。
ジンから見たそれは蜘蛛のように映った。
黒灰の体が四つの脚を自在に曲げてわしゃわしゃと歩いている。
いや、わしゃわしゃなどという可愛いものではない。
クリープ・ピラーは足を高く掲げ、遠くへと振り下ろす。ズゥンと地面に叩きつけられた衝撃は離れているジンのもとまで響いてきた。
ズン、ズンと一歩ごとにそんな巨人が槌を振り下ろすような動作で歩行している。
「マジでなんなんだあれは……っ⁉」
ジンは悲鳴のような声を上げる。
二百人のプレイヤーでギリギリ拮抗していたモンスターの群れとの戦い。
そこにさらに得体の知れない巨大モンスターが出現した。
混沌とした状況にどう動けばいいのかがわからなくなる。
そうしている間にの脚にプレイヤーが二人潰された。
「これどうしたら……あぁモンスターが!」
混乱している間にも状況は悪くなる。
押しとどめていたプレイヤーがいなくなり左端のモンスターたちが堰を切ったように溢れ出した。
十数体か、数十体か。
そんな数が荷馬車へ押し寄せたのだ。
「あれは、ヤバい!」
荷馬車の近くにいるプレイヤーが弓や魔術を放つが、それだけでは止められない。
そうしてモンスターの群れは攻撃を抜けて——プレイヤーごと荷馬車を飲み込んだ。
「……!」
そこにいたNPCがどうなったのか。
それを想像してジンは背筋が寒くなる。
さらに、もしこれで呑み込まれたのがユノとアニカだったら、と最悪の考えが脳をよぎった。
「……逃げ、るか?」
ジンは呟く。
幸い前線が崩れたのは左端のみだ。
ジンたちがいるのは真ん中より少し右寄り。
ここから街まで、二人を担ぎ逃げることはできるかもしれない。
それは他のプレイヤーがモンスターを食い止めていることが前提だが。
ジンは前線と荷馬車の方を交互に見る。
前線の盾役や近接系のプレイヤーたちには《ポーション》等のフォローでお礼を言われた。
遠距離から攻撃しているプレイヤーたちともお互いに軽口をたたき合った。
「見捨てることになる。けど……」
どの道クエストは失敗だ。
そしてプレイヤーは死んでも生き返る。
しかしNPCはきっと死んだままになる。
それならば。
そうジンが決意をしかけた時。
「……さーん! ジンさーーーーん!!」
荷馬車の方から、聞き慣れた声が自分の名を叫んできた。
ジンはバッとそちらを見る。
すると荷馬車から二人の人物が走ってくるのが見えた。
それは遠距離プレイヤーの一人と。
「ユノ⁉」
戦闘などできないはずのユノが何故か道をはずれて平原にまで出てきていた。
その状況に決意など吹っ飛び、ジンはユノの目の前までダッシュで駆けた。
「わっ、速いですね⁉」
「ななな何やってんのユノ⁉ 早く馬車戻って⁉ というかあなたも何連れてきてんですか⁉」
ユノの隣にいる遠距離系のプレイヤー、弓使いの男にジンは叫ぶ。
男とは何度かやり取りをしていたため、多少言葉が気安くなっている。
弓使いの男は慌てたように首を横に振った。
「違う違う! 元々俺の方がキミに用事あって馬車離れたんだよ! そしたら勝手にこの子がついてきたの! ていうかどういう関係⁉」
「ああユノは仲間で……ていうかなんでこっち来たんだ⁉」
「心配だったからです!!」
ユノがびしっと言い切りジンは呆気にとられる。
「いくら冒険者さんが死なないって言っても心配にはなるんですよ! それに私、皆さんをモンスターたちに挑ませるようなこと言っちゃったし……」
ユノは眉尻を下げる。
どうやらジンがやらせたことでプレイヤーがモンスターに立ち向かったことについて、責任を感じているようだ。
ジンは自分の作戦でユノが心を痛めていたと気づき愕然とする。
「ご、ごめん。俺のせいで」
「い、いえ! ああしないと私たちが死んでました! それに勝手についてきたのは私ですし!」
ジンが謝ると慌てたようにユノが否定する。
そうして妙な空気になった所で。
「あのー、話いいですか?」
弓使いがおずおずと手をあげてきた。
「あ、ああ。そういえば用事があるんでしたっけ?」
「ああ、それ——」
「あ、そうです。馬車の御者の人たちと職人さんたちからクエストがあるんです!!」
「ちょっと俺のセリフ!」
弓使いの言葉に被せるようにしてユノが語り始める。
「『冒険者の方々、もう交易路の整備は失敗となるでしょう。ですのでクエストを変更します。私達を街まで無事に送り届けていただけませんか』だそうです!」
「ちくしょう! 全部言われた! 勝手についてこられるわ変な空気に巻き込まれるわセリフ奪われるわ……!!」
頭を抱える弓使いへ申し訳ない気持ちになりながら、ジンは確認する。
「街まで届ける、ってつまり撤退するってことですか?」
「お、おう。今までのクエストは失敗扱い。だけど新しく護衛クエストが始まるってことだな。モンスターを止めきるのは無理だって向こうにも判断されたんだろう」
弓使いの男は気が気でない様子で戦場の奥を見る。
そちらでは遊ぶようにクリープ・ピラーがモンスターとプレイヤー蹴散らしていた。
「実際あんなの俺らじゃ無理だしな」
「……そうですね。でも、もう少し早く撤退してたら……」
あそこにいたNPCも助かっただろう、という言葉をジンは飲み込む。
プレイヤーすら見捨てて逃げようとした自分が言うのは、どうも気まずくなったのだ。
しかし弓使いはあっけらかんと言う。
「あ、NPCが死んだって心配してるか?」
「えっ。いやだって馬車が呑み込まれて」
「大丈夫だ。もう早い段階で全員真ん中にまで避難して来てたんだよ。ちなみに真ん中なのは一番抜けてくるモンスターが少なかったから」
ざーっと早口で説明されてジンは開いた口が塞がらない。
だがすぐにはぁと疲れたような、安堵したような息を吐いた。
「そりゃよかった……」
「じゃあ、今から撤退の仕方をかいつまんで説明する。そのあとは、この撤退クエストを全員に伝えてきて欲しい! 大至急で!!」
弓使いは端から端までを指し示した。
「お、俺が?」
「キミが一番足速そうで、しかも強いからな。全員にこのこと伝えなきゃいけないから、前線近くを走り回らなきゃいけない。そしたらモンスターに襲われる確率も増える。でもキミなら一人で突破できるだろ?」
「あぁ、まあ。はい」
「じゃあ説明するぞ! 俺が! 説明するからね⁉」
「は、はい」
念を押す弓使いにユノはこくこくと頷いた。
焦っている弓使いは超スピードで説明を終え、はあはあと息を切らしていた。
「わ、わかった⁉」
「は、はい!!」
「よし! じゃあ俺は馬車に戻ってるから!」
「はい。ほらユノも早く戻って!!」
「すみません、ちょっと待ってください! もう一つ伝言が!」
弓使いの服をがしっと握ってユノは止める。
止められた弓使いはつんのめってこけそうになっていた。
ユノはジンへと向き直り、そしてちらりと荷馬車の方へ目を向ける。
「ジンさん、アニカさんから伝言です。『あたしの武器、ちゃんと役に立ってるか?』と。……直接確認するのが怖いらしいです」
その言葉を受けてジンもまた荷馬車へ目を向ける。
真ん中あたりの一角にお団子にした赤い髪が見えた。
ジンはユノへと目を戻し嘘偽りない本心を口にする。
「最高の武器だ、って伝えといてくれ」
「はい! すみませんお待たせしました!」
「よし、早く戻ろう!」
そうして弓使いとユノは荷馬車に帰っていく。
ジンは二人に背を向けて前線を維持するプレイヤーたちの下へ走った。
その途中でジンはクリープ・ピラーの巨体へと目を向ける。
——あれと戦うのか。
ぐっと短剣を握りしめてジンは限界まで速度を上げた。