四十一話 《扇動者》ホタテ
数百を越えるモンスターが丘を駆け下り始めたころ。
ジンたちがいる場所から丘一つ向こうの、高い木の上でその様子を眺める者がいた。
「やれやれ、ようやく始められた」
自身の肩を揉みながら言うのはソールズと一緒にいた男の一人。
嫌味な表情をした痩せぎすの中年だった。
中年は望遠鏡を目に当てている。
交易路のプレイヤーたちが慌てる様が拡大され、それを見た中年は満足そうに口角を吊り上げる。
「くっくく。やる気満々で武器を抜いたってのに何をぼんやりしてんだろうね。せっかくあんなに大量に連れてきたんだ。せめて面白く死んでくれ」
中年の名はホタテ。
高位ジョブ《扇動者》に就いており——数百を越えるモンスターたちを交易路へ誘導した張本人だ。
ホタテはプレイヤーたちの様子を眺めながら愚痴るように語る。
「元々はねぇ、先行や整地の部隊が打ち漏らしたモンスターを誘導する予定だったってのに。奴ら貢献度を少しでも稼ごうってほっとんど倒しやがって……」
ホタテたちが企むのは今回のイベントの妨害だ。
そのために交易路へ残っているモンスターを誘導し、最後方の部隊にあてて物資を損なわせる予定だった。
しかし先行した二つの部隊によってモンスターはほとんど倒されその策は使えなくなってしまう。
「あのままじゃ【古狼草原】からモンスターを引っ張ってくるしかなかったが……いやぁ、日ごろの行いかね。あんなものを発見できるとは」
二十分ほど前の事だ。
荷運び部隊の様子を丘から確認していたホタテは、【古狼草原】から部隊に近づくモンスターをいち早く発見した。
どうやらそのモンスターたちは、このクエストの障害として発生したらしい。
けしかけるモンスターを探していたホタテは喜んでそれを利用することにした。
「あれを全部誘導するのはほんとに大変だったもんだ。〈ムード・ハイ〉やら〈インサイト・ターゲット〉やらでターゲットを逸らして、《マネキン》に《魔寄せの忌鏡》をつけてそっちに誘導して……そこまでして十体ちょっとは逃がしちまったし」
モンスターやNPCの気分を高揚させ、行動を操りやすくする〈ムード・ハイ〉。
そしてモンスターのターゲットを使用者が指定したものへ変える〈インサイト・ターゲット〉。
モンスターの注目を集めやすい《マネキン》。
広範囲のモンスターを引き寄せる《魔寄せの忌鏡》。
《扇動者》のスキルを使いこなし、それ用の道具も山ほど使って。
続々と現れるモンスターのほとんどをホタテは誘導した。
最初は数十体だったモンスターは、さらに五分の間増え続け百体を越える数になった。
「元々今回のクエストは難易度が高かった。一番簡単な場所でもそれなりの数が攻めてくるってわけだ」
さらにホタテはそれを二度繰り返した。
さらに【古狼草原】からも引っ張ってきて、モンスターの数は数百体となる。
「ただの襲撃ならプレイヤーが二百人もいりゃどうとでもなる。最初の数十体は遠距離武器で数を減らし、タンクが止めて、その間に近接で倒せる。
追加が来る頃にはまたスキルのクールタイムも終わってるって感じだったんだろう……ただの襲撃なら、だがね」
ホタテはにやにやと笑みを浮かべる。
「それが一気に攻めてきたら絶対に対応はできない、ってね」
そろそろモンスターが接敵し始めた。
「ここにいるプレイヤーは【古狼草原】すら超えてないような奴がほとんど。それでも三対一、いや二対一なら楽に倒せるだろうがね」
ふん、とホタテは鼻で笑う。
「今回はプレイヤーが一でモンスターが二以上だ。蹴散らされる気分を味わってもらおうじゃあないか」
くっくっくと笑い声を漏らしホタテはその戦いを見物する。
モンスターが丘を駆け下りてきている頃。
プレイヤーはその数の多さに絶句していた。
モンスターの姿は長く連なっている荷馬車全てを同時に襲えるほど広範囲に広がっている。
二百を超えるプレイヤーと比べても遥かに数が多く見えた。
「お、おい。流石に多すぎないか」
「あれ突っ込んだら死ぬよな?」
今までと全く違う数に、武器を抜いた近接職たちも尻込みしている。
そんな中でジンもまた冷汗をかいていた。
いつもならモンスターの群れも喜んだだろう。スキルを使えば有利に立ち回ることも可能で、何より今は新しい武器もある。
だが。
「なんっで今なんだよ……!」
ジンはちらりと後ろを見る。
「じ、ジンさん。あれって、まずいんじゃ」
「……!」
そこにいるのはユノとアニカ。
〝祝福〟を受けた冒険者とは違うNPCである。
NPCがモンスターに襲われた時どうなるのかジンは知らない。
怪我を負うのか、瀕死状態になるだけなのか……あるいは、死ぬのか。
例えけがを負うだけだとしても試す気にはならなかった。
ジンはこの二人を守りながら戦わなければいけない。
「でもあの量は普通に無理だよな……⁉」
だが守るといってもモンスターの波は丘を埋め尽くすほどだ。
まだ距離はあるが、荷馬車まで到達すれば何もかも踏みつぶされるだろう。
「俺はモンスター誘導したり防ぐようなスキルない! 他の人たちは……!」
ジンは周りに目を向けるが、誰も彼も慌てていて前に出ようとはしない。
「くそ、《爆弾》でなんとか……いや、待てよ!」
ジンは焦る中で周りのプレイヤーを見渡す。
そして見た目的に男の数が多いことを確認した。
その後ユノの方をバッと見る。
「ユノ!」
「え、な、なんですか?」
戸惑うユノにジンは耳打ちをする。
そして思いついた作戦を伝えた後、周りのプレイヤーへと顔を向け声を張り上げた。
「なあ皆!! 少しでもいいからあいつら止められないか! スキルでもアイテムでも……荷馬車に到達されたらこのクエスト終わっちゃうぞ!」
ジンの声を聞いた周囲がざわ、と騒ぎ始める。
「ほんとじゃん。ヤバくね?」
「せっかく貢献度高いクエスト受けたのに!」
「でもあの数は無理だろ⁉」
「【古狼草原】のモンスターばっかりよなあれ。わしネクスタルついたばっかなんじゃけど」
「ぼくも普通に殺されそう……」
ここにいるプレイヤーたちは初心者に近い。
先のエリアにいるモンスターが攻めてくるという状況に、ネガティブな意見が目立ち始めてしまう。
そんな中でジンは密かにユノへとハンドサインを出した。
『今だ』と。
ユノは震えながらも一歩踏み出し叫ぶ。
「あ、あの!!」
その姿にプレイヤーたちの目が一斉に集まった。
「え? 誰……?」
「可愛い子だ」
「NPC?」
戸惑うプレイヤーたちに対しユノは声を張り上げる。
「冒険者の方々、どうか私たちを助けていただけませんか⁉」
ユノは気丈に立ちながらも震えており、その目に涙をためている。
男プレイヤーたちはその姿に見惚れていた。
「このままでは私たちはモンスターに蹂躙されてしまいます! 物資は踏みつぶされ、職人の方々も、惨たらしい最期を……!」
ユノは嗚咽をこらえるように俯く。
そして次に顔を上げた時には一筋の涙がその頬を流れている。
男プレイヤーたちはその表情へ狼狽え顔を見合わせていた。
「お願いです! 私たちを助けてください!」
ユノの叫びが終わり周囲はしんと静まった。
だが次の瞬間、全身鎧を着て大盾を装備するプレイヤーがガシャンと音を立て一歩丘の方へと踏み出した。
そのプレイヤーはユノの方を振り返り――グッ、と親指を立てる。
それを契機として他のプレイヤーも一人一人が丘の方、駆け下りてくるモンスターへ向けて踏みだし始める。
「よぉーし行くぞお前らぁ! あんな可愛い子泣かせた奴らぶっ殺しによぉ!」
「【古狼草原】だぁ⁉ それが何だって話だよねぇ⁉」
「あの涙を止めるためなら何度だって死ねる……!」
「見せてやらぁわしらの下心から来る強さを!」
「おい言うなよ台無しだろ!!」
近くにいた近接系の男プレイヤーたち十数人がモンスターへと駆けていく。
そうしてその動きは伝播する。
ユノの声が届かない程離れた場所にいるプレイヤーたちも、最初に駆け出した彼らへ釣られるようにモンスターへ突撃し始めたのだ。
その様子を見ていたジンは慄くように呟く。
「……まさかここまで上手くいくとは」
ユノが涙ながらに助けを求める。
それがジンの伝えた作戦だった。
リアルではあるがこれはゲームだ。
可愛い子が涙を流して助けてほしいと言ってくる、というシチュエーションならノリも含めてプレイヤーは動くだろう。
しかし間接的なものも含めて思ったより影響が大きかった。
「ノリのいい人ばっかりで助かった……あ、俺も行かないと!」
ジンもまたモンスターを止めるため走り出す。
その視線の先では、最初に動き出した大盾を持つプレイヤーがちょうど接敵する所だった。
モンスターにぶつかる寸前、プレイヤーは大盾を掲げてスキルを叫ぶ。
『〈ターゲット・ムーブ〉!!』
ズアッと盾から衝撃が走る。
それは前方十数体のモンスターへ直撃し……その瞬間、モンスターたちが急に立ち止まり大盾に注目した。
そして押し合いながら大盾に向けて攻撃をし始める。
大盾のプレイヤーは腰を落としてその攻撃を受け止めた。
そうして足の止まったモンスターへ、他の剣や槍を持つプレイヤーが駆け寄った。
「〈ハイ・スラッシュ〉!」
「〈乱れ突き〉!」
同じモンスターに二つのスキルが叩きこまれる。
それを受けたモンスターは断末魔を上げて光の塵へ変わっていく。
「おお……⁉ 強いな!」
ジンは辺りを見ながら驚いていた。
数百体はいそうなモンスターだが、意外にもその突撃は食い止められている。
タンクが止め、他のプレイヤーが攻撃して仕留める。
それが上手くはまっているようだ。
他の場所でも似たような光景が繰り広げられている。
防衛は上手く行っているように思えた。
だが完全に止めきれているわけではない。
数体のモンスターがタンクのスキルを受けず、飛び出してくる。
荷馬車目掛けて走ってくるそれに対し、ジンは短剣を抜いた。
「行かせるか……!」
白銀の刃を持つ短剣がヒュウ、と音を立てる。