二十七話 リザルト(後編) リングの力
十分後、ジンたちはボス部屋の扉の前に立っていた。
「では行きましょう」
「お、おう」
リングは気負うこともなく両開きの扉を押していく。
ジンもその後を追って中に入った。
中は地底湖のようになっていた。
床はほとんどが水で満たされていて、奥までずっとそれが続いている。
唯一違うのは扉から一本道の繋がった、人が動き回れる程度の丸く広い岩場だ。まるで闘技場の舞台のようだった。
「さあ、始めましょうか」
リングが岩場に立つと同時、奥の水場から巨大なタコが浮上してきた。
あれが二階層のボスらしい。
「あれはデビル・オクトパス。近接武器が届かない奥に現れ、岩場の周りに触手を展開して攻撃してきます」
リングの解説通り、岩場の周りから水をかき分け柱のような大きさの触手が何本も出現する。
一本一本がキング・マーフォーク並みに大きい。
「また最初に咆哮を上げ、通常のオクトパスたちも呼び出します」
『オオオォォ——!』
デビル・オクトパスが叫ぶと周囲の水からオクトパスが現れ、岩場へと登ってきた。
「これを早めに倒さないと岩場の動ける範囲が減っていくんですね」
「いや解説してる場合か⁉ めっちゃピンチじゃねーか!」
リングは自分よりも遥かに強いのだろうとジンは考えている。なにせトップクランのリーダーだ。
モンスターハウスの巨大半魚人より弱いらしいボス相手に苦戦もしないのだろう。
しかし周囲を敵に囲まれた状態で呑気に解説を続ける姿には突っ込まずにいられなかった。
『オォォォ——!』
その時デビル・オクトパスが再び吼える。
すると全ての触手がぐん、と勢いをつけて岩場へ叩きつけるように振るわれ——その時。ジンは聞いた。そして見た。
「楽勝ですよ」
自信に溢れた言葉と——口元に浮かぶ好戦的な笑みを
同時に触手は岩場を覆うように叩きつけられ。
バチン、と。
火花の弾けるような音がした。
その瞬間、叩きつけられようとしていた触手のいくつかがずるり、とズレる。
「え……」
ジンは目を疑った。だがそれは見間違いではない。
巨大な触手は、その半数がいつの間にか半ばから断ち切られていた。
『オオオォォォ——!』
怯んだようにデビル・オクトパスは叫んでいる。
それに構わずジンはリングを凝視した。リングはまだそこに立ったままだ。何かをしたようには。
「いや、なんか……ブレてる?」
リングの輪郭は時折揺らいでいた。さらにその瞬間、バチンと青白い光が僅かに散っている。
「私のジョブは《剣士》から派生したものです」
剣を掲げてリングは語り始める。
「さっきのも基本的なスキルを進化させればできるんですよ? 例えば」
「シュルル……!」
岩場にいる通常サイズのタコたちが、足止めのためかリングへと殺到した。
その触手が当たる瞬間にまたもリングの姿は掻き消える。バチン、と弾けるような音と共に……今度は青い光の線も残して。
次に現れた時、リングは岩場の真ん中から端にまで移動していた。
「これは〈ファスト・ムーブ〉が進化したスキルです。体を雷の如く変じさせて瞬間的にAGIを爆増させる……名を〈稲妻〉」
「シュゥ、ゥ……」
語る間にタコたちが何故か塵へと変わっていく。
その体にはいつの間にか深い斬撃が刻まれていた。
「これは〈スラッシュ〉の進化ですね。〈稲妻〉と併用して使うことで不可視の斬撃となります。名を〈横雷〉」
さっきの触手もこれで斬られたらしい。
淡々と解説をするリングだが、ジンはそのスキルたちに疑問すら覚えていた。
「強すぎないか……?」
ジンも一応は高位ジョブだ。
だが《金の亡者》のスキルと比較しても、リングのスキルは威力や使い勝手がかけ離れている気がした。
「強すぎる、のが不思議でしょうか」
リングは笑う。
「ええ、その通り。このスキルは高位と比べても強い。何故なら私が就いているのは高位ジョブではなく——」
再び触手が叩きつけられようとする。
だが今度は触手が動くより早くリングの姿は掻き消え、次に現れた時には残り全ての触手が断ち切られていた。
「——最高位ジョブなのですから」
■ ■ ■
最高位ジョブ。
それは高位ジョブよりさらに困難な条件を満たしてのみ就けるもの。
現在これ以上は確認されておらず、どころか最高位に辿り着いたプレイヤーもごくわずか。
その中で最も名を轟かせるプレイヤーこそはこの少女。
効率と楽しさを併せ持つためただひたすら速度を求め。
誰より先駆けて全ての街へ辿り着き。
そして最も速く最高位へ辿り着いた。
最速、雷、最初の最高位。
二つ名は多くある。しかし多く呼ばれたのはジョブと合わせたその名前。
《雷公》リング。
■ ■ ■
『オオオォォォォォォ——!』
全ての触手を断たれたデビル・オクトパスが怒りの咆哮を上げ、水中へと勢い良く沈んだ。
「最高位ジョブには少し変わった点がありまして」
リングはすたすたと岩場の端へ移動する。
「就くと一つ、特別なスキルを覚えられます。名をグランド・スキルというんですが——それを今、見せましょう」
やがてリングの目の前が盛り上がりはじめ、デビル・オクトパスがその巨体をゆっくりと現わしていく。
ジンでも間近で見れば多少は怯むだろう風体。
それに対しリングはただ剣を両手で握り下に構え——そして宣言する。
「〈天轟・逆雷〉」
スキル名と共に剣が下から上へと振り切られた。
その瞬間、稲妻が地から天へと迸る。
間近で雷が落ちたような爆音を響き渡らせ——瞬きする間に、デビル・オクトパスの体を塵へと変えた。
断末魔を上げる間もなくデビル・オクトパスは討伐されたのだった。
敵のいなくなった舞台でリングはジンに手を振ってくる。
「どうでした私の戦いは。情報に見合ったでしょうか」
「ああ……いや、凄かった」
グランド・スキルの衝撃に半ば呆けたままジンは答える。
リングはその反応へ自慢げに頷いた。ご満悦のようだ。
「さて、それではドロップアイテムを拾って帰りましょうか」
リングは岩場の端にあるアイテムへ目を向ける。
そこには巨大なタコの触手やぶにぶにした皮など様々転がっていたが、その中でリングは碧く輝く綺麗な宝石を手に取った。
「おお、ありました!」
「なにそれ?」
「これは《紺碧結晶》といってデビル・オクトパスのレアドロップですね。実はクランメンバーから、単独行動する代わりにボスのドロップを手に入れてこいと言われてまして……これなら満足してもらえるでしょう」
「あ、一応そういう目的もあったんだな」
「これでもクランリーダーですからね!」
そうしてリングは《紺碧結晶》をしまおうとして——その瞬間、バキっと。
《紺碧結晶》が砕け散った。
「えっ」
「は?」
同時に他のドロップアイテムも全て砕け、それらはギル(・・)へと変わっていく。
「え、これ〈亡者の換金〉……」
声を上げた時には全てのギルがジンの手へと吸い込まれていった。
それを見送った後、ジンは恐る恐るリングを見る。
「………………」
リングは目を見開いてジンの手を見ている。
先ほどまでの微笑みや楽しそうな雰囲気は霧散して、ただ呆然と岩場に立ち尽くしていた。
「あ、あのー? リングさん……?」
「…………〈亡者の、換金〉は」
ギギ、とリングが口を開く。
「パーティメンバーが相手を倒した場合でも……発動するようです」
「は、はい」
「それが知れたことは私にとって収穫であり、好奇心を大いに満足させます。だから全く損はありません」
「なんか英語の翻訳みたいな喋り方してる……」
「ですが……」
リングはふ、と儚げに笑う。
「クランメンバーには……滅茶苦茶怒られます……」
そして崩れ落ちた。
「り、リングーーッ!!」
■ ■ ■
その後。
現れた帰還用の扉を二人は潜った。
出てきたのは最初に落ちた崖の上だ。辺りは既に暗くなって、月が辺りを照らしていた。
街へと帰る途中、リングはずっととぼとぼとおぼつかない足取りをしていた。
「いやぁ……有意義でしたねぇ」
「な、なんかごめん。俺のスキルが」
〈亡者の換金〉が発動したのはわざとではない。しかしジンのスキルではあるのだ。
「せめてギルは返すから……」
「いえ、大丈夫です。そうするとジンさんはレベルが下がってしまいますし」
リングはしゃきっと立ち上がった。どうやら立ち直ったようだ。
しかしジンの罪悪感は晴れない。
「でも貰いっぱなしはな。もう他に渡せるようなもんもないから」
「あれに関しては私が迂闊だっただけなので。パーティに作用するのは当然考えられた話です。それで済まないなら、貸し一つということで」
「貸しって」
「何かあったら助けてください。それで話は終わりです。ゲーム友達ですからね!」
リングは親指を立ててくる。
そこにジンを責めるような感情は一切なく、少し楽しそうだ。
「……わかった。じゃあそれで」
「はい。ちなみに〈亡者の換金〉はもうそのままにするようですが、イベントはどうされるんです?」
「あー、それな。まあ解決法はもともと考えてたから。そっちを今回は使うことにする」
ジンの言う解決法とは、NPCを雇って採取などをさせるあれだ。
今回で相当な金額を稼げたこともあり雇うお金に余裕もある。
「では参加されるんですね。ふふふ、楽しみですねぇ。ジンさんもうちのクランに入りませんか? 一緒にクエストこなしましょうよ。あ、これは貸しは関係なくですよ?」
「いやそっちトップクランだろ。駄目だろ俺なんか、てか厳しそうだし」
「そんなに厳しくないですよ。うちは基本的に自由な人が集まって作ったクランですから。それに!」
バッとリングはジンの方へ体ごと振り向いた。
「私はジンさんと、一緒に楽しみたいです」
月明りに照らされた中、銀の髪をたなびかせてリングは微笑んだ。
その光景にジンは見惚れ……やがて我に返る。
「いっ、……いや、やめとく」
「そうですか……残念です」
リングは口を尖らせて拗ねたような顔をする。
その表情に罪悪感が刺激されるが、ジンの目的はNPCとのハーレムだ。
クランに所属して目的が大々的にバレたりしたら、恥ずかしさといたたまれなさで『ランコス』を辞めてしまうかもしれない。
「そもそも俺は平日あんまり入れないだろうし」
「私も少し前までは入れませんでしたが、二週間休んでもまあ多少、それなりに、まあまあ問題があるぐらいですよ?」
「あるんじゃねーか問題! あ、ほら街つくぞ! この話やめようぜ!」
「色々教えてくれてありがとな。じゃあ、また」
「それでは五日後……金曜日からのイベント、楽しみましょうね。さようなら」
そうして二人は別れた。
■ ■ ■
宿屋への帰り道、大通りをジンは歩いていく。
その途中で前から二人組のプレイヤーが歩いてきた。
しかしジンは近くに来たその二人を見て気がつく。
一人はプレイヤーだが、一人はNPCという表記が頭上に出ている。
二人はプレイヤーとNPCの組み合わせだったのだ。
近くをすれ違う直前、二人の会話がジンの耳に聞こえてきた。
「……仲間を集め……し……」
「引き入れ……高位…………までだ」
NPCの方は「仲間を集める」などと言い。
プレイヤーの方は「高位を引き入れる」ようなことを言っていた。
かなり小声であまり聞き取れなかったが、イベントの準備だろうかと考えジンは気になって振り返る。
しかし人混みに紛れて二人の姿はもう見えなかった。
「もしかしてあの人もNPC仲間にしてる、とか?」
ただ雇っているだけかもしれないが距離感が近かったようにも思える。
「だとしたら親近感湧くな。……にしても」
ジンは二人の姿を思い返す。
二人の装備は別に変った所のないものだった。
だがその姿にあるNPCが重なったのだ。
「なんかユノを狙ってた奴らに似てるんだよな……雰囲気が」
ユノに法外な借金を背負わせた悪徳金貸し。
それを思い出したジンは嫌な顔をして、宿屋へと帰った。