閑話 ある日森の中で
【豪熊の森林】の獣道を二人のプレイヤーが歩いている。
「久しぶりだなー、このリアルすぎるクオリティ」
一人は身の丈ほどもある巨大な剣を背に装備したごつい体格の男だ。
男のプレイヤーネームはゲッツー。
巨大な剣を扱うジョブ《巨剣士》、その高位ジョブである《巨刃使い》に就いている。
「いやログイン自体はしてたじゃんか」
男の隣を歩くのは杖を持つ細身の青年で、白いローブにミトラと呼ばれる司祭がつけるような帽子を被っている。
プレイヤーネームはドプリースト。
ジョブは回復系のスキルを覚える《神官》、その高位である《大神官》だ。
「でも日課だけこなしてすぐログアウトしてたからなぁ。ダンジョン挑んで、死んだら終わりだぞ? こんな緑の臭いに囲まれることなかったんだよ」
「まあダンジョンの中だとあんまり匂いはないね。だからリハビリでこんな最初のエリア選んだんだ」
「おう、まあイベントに向けての慣らしにはちょうどいいだろ。ガルレットなら一人で余裕だしな」
「じゃあ僕(回復役)いなくてもよくない?」
二人の、というよりゲッツーの目当てはボスであるガルレットとの戦闘だった。
しばらく単調な作業ばかりしていたゲッツーは、イベントに備えて体の動きを調整しようと手ごろな相手と戦いに来たのだ。
高位ジョブのレベルを最大まで上げ、スキルも多くそろえたゲッツーにとってはガルレットなどそこらの雑魚モンスターと変わらない。
ただボスだけあって体力が多いのと、必ず一対一で戦えるため慣らしには丁度いい相手だった。
ダメージを受けることはなく回復の必要もないだろう。
では何故ドプリーストがここにいるのかというと。
「だって一人で序盤エリア歩くの退屈だし」
こうして雑談をするためだった。
ただエリアを抜けるだけというのは味気ないのだ。
「ちなみになんてゲームやってたの」
「『Dance of heel』ってやつ。悪役令嬢転生ものでさ。主人公がある日前世の記憶を取り戻して、自分が前世で読んでた漫画の世界に転生したって気づくんだ。しかもみじめに敗北する悪役令嬢に」
「まあ王道な流れだね」
今では漫画やアニメでもよく見かける設定だった。
「で、敗北する悪役令嬢に感情移入してた主人公は、メインヒロインの攻略対象を奪い取るためダンスで魅了するんだよ。いやーこれが泣けるし笑えるし」
「そのごつい見た目で悪役令嬢になってたんだ……泣けるはともかく、何が笑えるの?」
「『Dance of heel』のダンスってプロレスなんだよ」
「は???」
いきなりブッこまれた情報にドプリーストは己の耳を疑った。
「ダンスが何って?」
「令嬢が男とタッグ組んでプロレスするのが『Dance of heel』世界での社交ダンスだ。ちなみにメインヒロインは可愛いし技のキレもいいし最強も最強だぞ」
「メインヒロインの技の切れがいいって何?」
「社交ダンスが(プロレス)上手いと滅茶苦茶モテる世界観だから、そんなヒロインに攻略対象たち全員ベタ惚れなんだ」
「……バカゲー?」
「いやマジで作り込まれてて面白いんだって。最初の社交界でメインヒロインに「シャルウィダンス?」って対戦仕掛けるんだよ。そしたらメインホールの真ん中にあるリングに上がるんだ」
「メインホールの真ん中にリング……???」
「そしたら第一王子とメインヒロインのタッグチーム『ロイヤル・ラブフォール』と対戦することになる」
「タッグの名前がもう恋に落ちてる……」
「で、開幕メインヒロインからめっちゃくちゃ華麗なドロップキック食らわされるんだ」
「物凄い絵面だなぁ⁉」
「何度か対戦するんだけど、最後の最後までメインヒロインがクッソ強いからな。攻略対象が惚れてるのも理解できるし俺もだいぶ好き。攻略対象全員簒奪のハーレムルートはマジで修羅の道だった」
「ちょっとやってみたくなってきたじゃないか……! ん?」
雑談をしていたドプリーストが何かに気づいた様に顔を上げる。
『……わかんねぇぇぇ‼』
どこかから叫び声が聞こえてきた。
「なんだ今の」
「うーん、初心者さんが追い詰められてるとか? この辺低レベルだと結構きついし」
「見に行ってみるか」
「まあピンチなら一声かけてヒールとかしてみようか」
二人は初心者への微笑ましさを抱きながら声のした方へと進路を変える。
やがて人の姿が見えてくる。
風格のある服装の青年プレイヤーだった。豪華な刺繍のされた黒地のチュニックに黒いブーツを履き、片手に不気味な短剣を持っている。
「ああクソっ、また行き止まりだった……! 目印とか欲しいぞこの森‼」
青年は獣道をかき分けて愚痴を言っている。
それを遠目に見た二人は一度足を止めた。
「なんか迷ってるっぽいな」
「まあここそれなりに入り組んでるからね。最初は迷ってもおかしくないけど……見た目は初心者っぽくないよね」
ドプリーストは首を傾げる。
青年の見た目はそれなりにおしゃれだ。ベイギンで買える装備にああいうものはないはずなのだが、と。
「あれ《富豪》の服っぽくないか?」
「え? ……あー、確かに。高そうだし」
《富豪》を最初に選ぶと、服装はランダムに高価なものが選ばれる。
その服装は大抵おしゃれに纏まっているものが多いのだ。
「じゃあ他に仲間がいて、はぐれたとか?」
「じゃないか。……っていや短剣装備してるな」
「あ、じゃあ違うね。《富豪》なら武器も持てないし」
二人は今までの経験から青年のジョブを推し量ろうとする。
「最初に《富豪》に就いて、その後でジョブ変えた初心者さんかな」
「かもな。だったら迷うのもわかるし」
ゲッツーとドプリーストは自分たちも最初は迷ったと苦笑する。
「最初は整備されてる道だから真っ直ぐ行けばいいんだなと思うんだけどね」
「ネクスタルに行ったことないと途中で絶対に獣道に入らされるからな」
「気づいた時にはどこから来たっけ⁉ ってなって簡単に戻れもしないから……」
二人は思い出を語りながら青年の様子を見る。
「で、どうするか」
「声かけるか迷うね。ちょっと怒ってるっぽいし」
苛立っているプレイヤーに話しかけるとお互いに良い事にならない。
それを知っている二人は声を掛けるのを迷っていた。
すると青年の横合いからモンスターが現れる。
「あ、オーク」
「初心者ならちょっと危ないかな」
オークは【豪熊の森林】では平均的な強さのモンスターだ。
しかし初心者が一人で挑むなら少々手強い相手でもある。
「もし苦戦するようなら回復しようか」
ドプリーストは杖を構えた。
しかしその予想は外れることになる。
「フゴオォ!」
「ふんっ」
オークの振るう棍棒を青年は腕で受け止め揺るぎもしない。
そして右手の短剣をオークの首元に突き立てると、ズドンと音がしてオークが断末魔を上げ光の塵となっていく。
「うわ強っ」
「短剣で一撃か。攻撃力低いはずなのにね」
「《短剣士》か《密士》のスキルじゃねーか? 音的にクリティカルっぽかったし」
「それか高位ジョブの《暗器使い》とか《暗殺者》? まあ心配しなくてもいいっぽ、い……?」
戦闘を見ていた二人は感心して考察をしていた。
だがその後の光景に目を見開く。
青年がオークのドロップアイテムに手をかけると、ドロップアイテムを握りつぶしたのだ。
そしてドロップアイテムは金の硬貨……ギルへと変わって青年の手へと吸い込まれて行く。
「次はこっちだ!」
それが終わると青年は別の道へ走って行った。
一連の光景を唖然と見ていた二人は、青年が去ってようやく口を開く。
「なんだ今の……俺がいない間にまたジョブ発見されたのか?」
「いや……僕も知らない。なんだろねアレ……ドロップアイテムがギルに変わってたよ。ジョブ特性? スキル? それともあの短剣の効果とか?」
「わかんねぇ。そういえば短剣も見たことない形だったな」
二人が驚きのままに語り合う。
その中でゲッツーが「そういえば」と何かに気づいた様に声を上げる。
「何? なんか心当たりある?」
「いや、あっちって行き止まりだったよな」
青年が走っていった方をゲッツーは指す。
ドプリーストはマップの構造を思い出してそれに思い至る。
が。
「……まあ迷いはするけど出られないってほどじゃないし」
「まあ、そうだな。いいか」
あの強さなら大丈夫だろうと二人はガルレットの下へと向かった。
■ ■ ■
「……ってことがあってさ」
ガルレット相手に慣らしをした後、ゲッツーとドプリーストは自身らが所属するクランの本拠地へと戻っていた。
今は本拠地内に設置された酒場で、知り合い数人と雑談をしている。
話題は今日見た青年のことだ。
「へぇー、あたしもそんなの見たことないよ」
「新しいジョブであるか。もし高位ジョブを発見したなら相当やり込んだプレイヤーであろうか」
「でも高位ジョブだとしたら多分《富豪》派生だよね」
「それか《商人》だな。金に関することは《商人》か《富豪》か、みたいなところあるし」
クランメンバーとそんな考察をしていると、ゲッツーたちの後ろから声が掛けられた。
「その情報、詳しくお聞きしてもいいですか?」
全員がバッとそちらを向く。
声の主は腰まで伸びる長い銀髪に銀の瞳を持ち、そしてこの場の誰よりも性能の高そうな白金の鎧を身に着けた少女だった。
「あー……団長。久しぶりっす」
彼女はゲッツーたちが所属するクランの団長だ。
ここしばらくはリアルの都合でログインしていなかったのだが、どうやら戻って来ていたらしい。
ゲッツーは緊張した面持ちで挨拶をする。
「お久しぶりです。ゲッツーさんも復帰ですか?」
「まあ、はい」
少女は別に厳しく何かを言うこともなくにこやかに挨拶を返す。
だがその目はどこか輝いているように見えた。
「それでさっきの話なんですが——新しいジョブが出たと?」
「あ、じゃああたしはちょっと用事あるから……」
「吾輩も来週のイベントの準備が……」
「僕も他のメンバーと素材集めに……」
新しいジョブ、という話題が出た瞬間にゲッツー以外の全員が席を外し始めた。
ゲッツーは最も近くにいたドプリーストの腕を逃がさんとばかりに素早く掴む。
「おい俺だけに押しつけようとすんな……!」
「い、嫌だ! 新しいジョブの話なんて何時間拘束されるか!」
「暴走させなけりゃ短く済む! 付き合え!」
ほんの数秒、小声でやり取りしてゲッツーはドプリーストを引き留めた。
やり取りの内容が聞こえなかったようで少女は首を傾げている。
「あのぅ?」
「あー、新しいジョブの話っすね。いやまぁ、今日【豪熊の森林】で慣らしをしてきたんですけど——」
今日の出来事をかいつまんでゲッツーは語る。
少女はふんふんと静かに聞き入っていた。
「なるほど、ドロップアイテムをお金に……確かに見たことがない現象ですね」
少女の様子は普通だ。
ゲッツーとドプリーストはお互いに顔を見合わせる。自分たちが暴走と呼んだようなことは起こらないのか、と。
「ふむふむ……それはつまり《富豪》に連なる……あるいは商人の……」
しかしやがて少女はぶつぶつと何事かを呟き始め、銀の瞳がらんらんと輝いていく。
あ、まずいと二人はそっとその場を離れ始めた。
その瞬間、バッと少女が二人の方を向く。
「お二人はどう思いますか? お金が関わるということは大抵の場合《商人》の派生か《富豪》の派生によるものだと……《富豪》?」
「あ、あれ?」
暴走が始まったと身を硬くした二人だが、少女はふと何かに気づいた様に言葉を止めた。
二人はその様子に困惑する。誰かが止めるでもなく少女の語りが止まった所を見たことが無かったのだ。
「《富豪》の服装をした青年……黒地のチュニックに黒いブーツ。ふむ」
少女は何かを思い返しているようだ。
そうして一つ頷き二人に向き直る。
「もしその人を見かけたら聞いてみましょうか」
「え、あ、はい。……え? 知り合いなんですか?」
「そういうわけではないですが、心当たりがありますので」
「いやでも新ジョブなんて隠したいかもしれないし……」
「マナーは守りますよ」
そう言う少女に大丈夫かなという目を二人は向ける。
基本的には礼儀正しいが、ゲームの事となると暴走しがちなのだ。
「あの人がそうなんだったら、面白いですね」
トップクラン〝全土の探索者〟団長——リングはそう言って微笑んだ。