一話 VRMMOで富豪ハーレムを目指す
ゲームショップのロゴが入った大きな袋を抱えて少年は県営住宅の階段を登っていく。
二階へ上がると二つ扉を過ぎ、『果山』と書かれた表札の前で少年、果山迅は止まり鍵を取り出す。
「ただいまー」
玄関から三歩で台所に入り、机と壁の幅を横歩きで抜けてすぐ隣にある洋室の引き戸を開けた。
そこは迅と妹の二人部屋だ。真ん中にカーテンを引いて洋室の七畳を半分に分けてある。
端に纏めてある布団を広げその中心に迅は袋と共に座り込んだ。
「買っちゃったな……」
迅は腕を組んでそれと向き合う。
袋の中にあるのはVRのヘッドマウントディスプレイが入った箱、そしてVRゲームのパッケージだ。
ゲームの名は『ランド・オブ・リコンストラクション』。
超リアルなグラフィックと、生きているかのような高性能AI、そして高い自由度で今話題のVRMMOである。
「自分でゲーム買うのなんて初めてだ。これで……」
迅の家は貧しく小学生以来ゲームを買ったことがない。
そうでありながら高いハードと共に『ランコス』を買った理由はただ一つ。
「これで可愛い子に囲まれたハーレム生活を送れる……!」
己の夢を叶えるためだった。
「現実じゃ女子とまともに話せず! 好きな子ができようが声すらかけられない! そんな俺だろうと……ゲームなら可愛いNPCとの甘酸っぱい生活ができる!」
「うるさいんだけど」
「うおおおおお⁉」
衝立側から入ったツッコミに迅は体を跳ねさせる。
振り向いた先には衝立を僅かにずらして妹が顔を出していた。
「いたのかよ!」
「いたよ」
「帰ってきた時に返事しろよ!」
「イヤホンしてたから聞こえなかった」
妹、早稀は片耳だけ外したイヤホンを摘まんで見せてくる。
「……ちなみに俺の叫びどこから聞いてた?」
「『これで可愛い子に囲まれたハーレム生活~』の辺りから」
「一番聞かれたくない所全部……!」
迅は布団にうずくまる。男友達なら笑い話にもできるが身内、それも異性に欲の詰まった願望を聞かれるのは死ぬほど恥ずかしい。
早稀は部屋に入ってきて悶える迅の傍に屈む。
「ていうかなんであんな叫んでたの。独り言多いのも珍しいし」
早稀の問いに迅はもそもそと顔を上げる。
「いや、こんなデカい買い物したの初めてだし……しかも勉強道具とか家電とかじゃなくゲーム……なんかテンション上げないと罪悪感みたいなものが……」
「自分でバイトして稼いだお金じゃん。気にしなくていいでしょ」
「わかってるんだけどなぁ。なんかなぁ」
「じゃ私にプレゼントする?」
「やだね! 絶対!」
がばっと起き上がって迅はヘッドマウントディスプレイを抱えこんだ。その様子を早稀に笑われる。
「だよね。どーせ買っちゃったんだし、テストは終わったし、明日は土曜日だし、今日ぐらいは私がごはんも作るし、バイトもないでしょ。ゆっくり楽しめば?」
「……そうだな。ありがとう」
衝立の向こうに戻っていく妹へ礼を言い、迅はヘッドマウントディスプレイと『ランド・オブ・リコンストラクション』を開封し始めた。
■ ■ ■
ヘッドマウントディスプレイの初期設定やダウンロードを経て迅は『ランコス』を起動する。
次の瞬間には雄大な自然が見渡せる丘の上に迅は立っていた。
「う、おお……」
超リアルなグラフィック。
その売り文句通り現実と遜色ない感覚が迅の五感に流れ込んでくる。
風が頬をくすぐり、草や土の香りが鼻に入ってきた。先ほどまでいた自室と感覚が違いすぎて一瞬脳が混乱するほどだ。
「すげぇ。これでゲームなのか……メニュー」
不安になってメニュー画面を開いてみるとちゃんと四角いウィンドウが目の前に現れた。ログアウトの項目もしっかりある。
一度本当にログアウトしてみれば、そこは見慣れた自身の部屋だった。
再びゲーム内に戻り迅は草原を見回してみる。
「はぁー。へぇー、ん?」
辺りを見ていた迅はすぐそばに姿見があることに気づいた。
覗き込んでみれば、姿見の中には質素な民族衣装を着た男女が浮かんでいる。
『アバターの作成』
姿見の上にそんな文字が表示される。
「これがアバターか。どうやって弄るんだ」
とりあえずと迅が姿見に触れてみる。
『性別 男/女』
すると姿見に選択肢が浮かび上がった。そういった挙動に「おおー」と毎度感心しつつ迅は男を選ぶ。
「まあここ変える意味はないな」
迅は可愛い子にモテたいのであって可愛くなりたいわけではない。
女アバターが消えて虚空を見つめる男アバターが目の前に来た。
『容姿の変更』
「見た目は……どうするかな」
基本状態のアバターも悪くはない。しかし迅の容姿とはかけ離れていて、もし鏡なんかを見たら違和感が酷くなりそうだ。
できればイケメンにしたいがジンのデザイン力は高くないし、そもそもあまりアバター調整に時間をかけたくもない。
「えー……ああ、自分モデルにもできるのか」
姿見には『簡易設定』という表示がある。その中の一つに自分をモデルにするという選択があった。
「……自分参考にするのって怖くないか?」
そんな迅の疑問を想定していたようにヘルプが出てくる。
あくまでモデルであり、アバターにはランダムに変化をかけてさらに『ランコス』内のグラフィックに合うよう調整されるらしい。
「じゃあ、やってみるか」
自分モデルを選択すると姿見の表面が何も移さない白色になる。
そして数秒後、出来上がったのは迅より少し年上で、中肉中背だが精悍な顔つきの黒髪の男だった。
「ほぉーー、いいね! イケメンだ。俺の顔とは全然違うし」
自分が不細工みたいな言い方になったな、と自分の発言で傷つきながらも迅はアバターを決定する。
すると姿見内のアバターにステータスが表示された。
■ ■ ■
NAME:なし
ジョブ:なし
▽ステータス
HP:100/100
MP:100/100
SP:50/50
STR:10
END:10
AGI:10
DEX:10
LUC:10
〈スキル〉
:なし
『所持金 1000ギル』
■ ■ ■
STR(力)やAGI(速さ)といった数値の他に《ジョブ》〈スキル〉という項目もある。
『ジョブの選択』
「まずジョブか」
『ランコス』のジョブは、ステータスの変動や習得できるスキルを決めるものだ。
迅も動画を見てそれぐらいは知っているが、具体的にどういうジョブがいいかなどは全く調べていない。
せっかく久しぶりのゲームだからと攻略に関するものは見ずに楽しもうと考えたのだ。
「うわっ、職業滅茶苦茶あるな。《剣士》とか《魔術師》とか《盗賊》とか」
最初に選べるのは基礎という下位のジョブのみ。
キャラを育てていけばもっと強いジョブや少し変わったジョブにも就くことができるようだ。
「あと《薬師》とか《鍛冶師》とか……《大工》? この辺は生産職だな」
ジョブを選択すると、アバターも剣を振ったり杖から炎や氷を放ったりと変化する。
生産職だと乳鉢と乳棒で何かをすりつぶしたり、熱された鉄を槌で打ったりしていた。
いくつも選択してはキャンセルして動きを楽しんでいた迅だが、ふとあるジョブで指が止まった。
「《富豪》?」
注目したのは単に名前が引っかかったからだ。
それまではファンタジーにありそうなものや戦闘、生産に関係がありそうだったが《富豪》というのは何をするのか。
興味のまま迅は《富豪》を選択してみる。
「……服が豪華になった」
《富豪》によって起こったアバターの変化は服装のみだった。剣も構えず金で攻撃するようなこともない。
そしてステータスの数値にも全く変化はない。スキルの欄に〈収益〉が現れたぐらいだ。
「〈収益〉の効果は……『一定時間経過で所持金が増える』。ほう」
スキルの内容に迅は興味を惹かれる。
何もせずお金が増える、それは迅にとって魅力的な内容だった。しかしせっかくのリアルなRPGならアクション系のジョブも選びたい。
「でもジョブっていつでも変えられるらしいし、それに」
ゲームを始める前の妹とのやり取りを迅は思い出す。
「ゆっくり楽しんだらって言われたしな。とりあえず《富豪》で!」
ジョブを選ぶとともにスキル、ステータスも決定された。
『プレイヤーネーム』
次に出てきたのはアバターの名前付けだ。
「ジン、と」
迅は自分の名前をカタカナにしただけのありふれたネームを打ち込んだ。
それでアバターの設定は最後となった。
『これで決定しますか? はい/いいえ』
最終確認に返事をした途端、アバターが後ろを向き姿見の中の背に迅は吸い込まれるように近づいていき――一瞬のローディングを経ると視界が少し高くなっていた。
「おおー」
目の前には姿見があり、自分の姿がさっき設定したアバターとして見えている。
手を振ったり歩いてみたりするとアバターはその通りに動いた。
『それではランド・オブ・リコンストラクションの世界へと移動します』
そうウィンドウが表示されると同時に周りの景色が光の中に消えて行き、迅の姿も光に飲み込まれていく。
『ようこそプレイヤー』
■ ■ ■
光が収まった。
瞼の裏からそれを感じそっと目を開ける。
目に入ってきたのはファンタジーの世界だった。
「……!」
今迅が立っているのは広場だった。少し高くなったその場からは周りが良く見える。
レンガ造りの建物が並び立ち、石畳の道はいくつにも分かれ、鎧や民族衣装や露出の多い衣装などを着たプレイヤー・NPCがごった返していた。
「おぉー……ゲームだねぇ」
浮足立つ心のまま迅、いやジンは歩き出した。
リアルな質感の武器が並ぶ鍛冶屋や、小瓶や薬草の並ぶ薬屋、よくわからないアイテムが売っている雑貨屋。
右に左に顔を動かし人の流れに沿っているとやがて門に辿り着いた。
「でっっか」
迅の何倍もある巨大な門は開け放たれていて、その向こうには土と石ばかりの荒れた茶色の大地があった。
流れのまま迅は外へと出る。匂いや雰囲気ががらりと変わった。
「なんか寂しい光景だな」
アバター設定時の草原とは全く違う景色だ。それもまた楽しく適当に歩き出そうとしたところで、ふと視界の端に灰色のものが写った。
それは灰色で背の低い二足歩行の生物だ。
片手に不格好な棍棒を持ち猫背で歩いている。
「あれがモンスターか」
生物の頭上にはゴブリンという名前が表示されていた。
「! ゲェッ、ゲーッ!」
ゴブリンはジンに気づいたのかしゃがれた鳴き声を上げて走り寄ってきた。
「うわいきなりか! いやまあいいか来いやぁ!」
《富豪》のジョブを選んだせいで剣も杖もジンは持っていない。
しかしここは初心者が主に活動する最も初めのエリアだ。なら素手でもどうにかなるだろう、そんな考えでジンは拳を構えた。
「ゲェェェッ!」
ゴブリンの走り方はよろけるようで速くもない。
近くに寄ってきたゴブリンは棍棒を振り上げ、わかりやすく叩きつけてこようとしていた。
「やっぱ最初のモンスターは弱く――」
これなら楽に避けられると、避けようとしたその瞬間だった。
「おぇ?」
体の動きがいきなり重くなる。
粘液の中に放り込まれたように足も手も動かない。
だがそうなっているのはジンだけでゴブリンの勢いはそのままだ。棍棒が思い切り肩に叩きつけられた。
「いってぇ⁉」
痛いと言いつつ痛覚はない。ただ強い衝撃が肩にぶつかった感覚はある。
転びそうになりたたらを踏んでジンは後ろに下がる。だがその反射的な動きですら鈍く尻もちをついてしまった。
「何⁉ なんだこれ不具合かなんか⁉」
混乱するジンに構わずゴブリンは再び棍棒を振り上げている。ジンは咄嗟に目を閉じて衝撃に備え――だが二撃目は来なかった。
「ゲッ……」
ただゴブリンの短い鳴き声と小気味いい斬撃音が近くで響いた。
「大丈夫ですか?」
直後、凛とした声が降ってくる。
目を開いたジンの前に少女が立っている。長い銀髪をたなびかせ、剣士の初心者装備を身に着けた、すらりとした美人だ。
「……あの?」
「あっ、ああ、うん。大丈夫、です」
その姿に見惚れていたジンは再び声を掛けられてようやく礼を言った。
「どうぞ」
少女は手を差し伸べてくる。少女の美貌に緊張を覚えるジンだが、これはゲームだと自身に言い聞かせその手を取り立ち上がる。
「あ、ありがとうございます」
「まだ動きは鈍いですか?」
「え? あ、そういえば」
立ち上がる時に鈍さや抵抗は感じなかった。
あれは何だったのかと首を傾げるジンを、少女は頭からつま先までじっと見てくる。
「えっとあの?」
「もしやジョブを《富豪》にされていますか」
いきなりジョブを言い当てられてジンは目を見開く。
「なんでわかったんですか」
「服装です。《富豪》のジョブを最初に選ぶとランダムに高価な服が選ばれますから」
さらに少女は続ける。
「ならさっきの動きの鈍さもわかりますね。《富豪》のジョブは戦闘が出来ないんです」
「えっ⁉」
「戦闘に限らず生産も採取なんかもできません。人に任せて利益だけ得るのがコンセプトらしく、〈収益〉のスキルでお金が増える以外何もできないのが《富豪》です。最初に選ぶとひたすら苦労しますね」
すらすらと解説される《富豪》の内容はどう考えてもハズレジョブのそれだ。
しかしジンはショックを受けるより可愛い容姿の少女から凝視されることへの緊張の方が先立っていた。
「そ、そうなんすねぇ。よ、よくご存じで」
「ふふふ、リリースされてから結構やりこんでいますから」
少女はビシッとポーズを取ってピースサインを掲げる。
だがやり込んでいると言う割に身に着けている装備はどう見ても初心者のそれだ。
「お、おお。じゃあ、その装備は……?」
「ああ、これは久しぶりに復帰しましたので鍛え直そうかと。このまま最高難易度のレベル帯まで行くんです
「え、行けるんすか」
「行くつもりで行きます!」
今度はガッツポーズでドヤ顔をしてきた。
夢中になっているその様子にジンの中で何かが重なった。
「……頑張ってください」
「はい! ところでそちらはどうされるんでしょう。《富豪》が辛いならジョブの変更方法などお教えしますが」
美少女からのお誘い、というかただの親切心、を受けたジン。
「ああ、いやー、自分でなんとかしますよ。はい」
しかしジンはそれを反射的に断っていた。
VRにもゲームにも慣れていないジンは、目の前の容姿がアバターだとわかっていてもいきなり美少女から誘われると緊張が勝るのだ。
「そうですか。では」
少女は素直に頷いて荒野を歩き出す。
ジンは内心で「なんで断ったんだ俺は!」と悶えていたが、ギリギリで去ろうとした少女に声を掛ける。
「あの!」
「はい」
振り返った少女に何を言うか考えていなかったジンは必死に頭を動かし。
「俺、ジンって言います」
自己紹介をした。
少女は一瞬固まった後にジンの方を振り向く。
「そういえば名乗っていませんでした。――私はリングと言います」
胸に手を当てて少女、リングもまた名乗る。
「では今度こそさようなら。どうかよいゲームライフを」
親指を立ててリングは荒野の向こうへと消えて行った。