1 孤独感と通り魔
3月25日9:42
目が覚めたら異世界転生していた……なんて突飛な事態にも冷静沈着頭脳明晰は私は慌てない。
うそです。ベッドからずり落ちて強かに頭を打った。ただでさえ良いとは言えない頭が終わりの音を立てちゃったよ。
少しだけ記憶を遡り3月24日、約一週間後には始まる新生活──高校の入学式に私は期待と不安を膨らませながら、夕焼けを浴びながら入学に必要なあれそれを買い揃えるため出掛けていたのだが、その最中にドン!と、通り魔にやられた。
トラックとか心臓発作じゃなく通り魔だ。
マジ?って声出したと思う。ぐいって、胸に突き刺された刃物が喉元まで翻るよう上げられたから、言葉として生まれたかは怪しいけど。
「熱い」って感情のすぐあと湧いてくる痛み。
息を吸おうとするも穴の空いた喉では空気は逃げて、顔中の毛穴が開いたあの、痒みと温度を今でも覚えている。
指先で必死に穴を抑えた時の、あの、血液のぬるついた感覚が忘れられない。
地面に倒れて視界が閉じる直前、なんかキャー!とか声がして、朦朧とした私はそれが家族の声に聞こえて、頑張って目を開けようとしたけど、ダメだった。
多分というか確実に死んだと思う。死因は出血多量?知らないけど。
そんでもっていま、デジタル時計が3月25日9:42を表示する自室のベッドのすぐ下。穴の空いてない胸もとを押さえながら私は荒く呼吸をしていた。
シンプルなシルバーのデジタル時計、葉っぱの布団カバーに茶色のシーツで彩られたベッド、一緒に転がり落ちたお気に入りのタコのぬいぐるみ、鍵のかからない部屋の扉に、勉強机の上に平積みされた本達、小学生の時にイスに貼った動物のシール、春休みでだらけ切った私の遅い目覚め。
いつも通りだ。なにも変わらない。赤に染まった自分の体は、汗をかいている以外はそのまま。
それなのに異世界転生──冒頭通りのそんな言葉が出たのは、限りなく確信に近い直感だ。
自分が異物であると、寸分たりとも変わらない自室の中でどうしてかひとり、五感全体で感じ取っていた。もうどこも痛くないというのに、喉がキュッと締め上げられて声が出ない。
誰かに否定して欲しい。
夢で通り魔に襲われて、あまりにもリアルな感触に気を遣っているだけ。そうやって、慰めるでも笑うでもしてほしい。
そのとき、扉がギィと音を立てて開いた。
立って居たのは私の母親だった。
ベッド脇で呆然と辺りを見渡す私を見て、少し慌てた様子で口を開く。
「ねぇ──絢加、大丈夫?」
「………………大丈夫、変な夢みたの」
絢加、あやか。
私の記憶と寸分違わぬ母親は、おおよそこの生で一度も縁のない「他人の名前」を、私に向かって口にした。