第98夜 ラジオの晩餐
注ぎ口のついたすり鉢をもやい工芸で見つけた。直径約18cm。玄関先の鉢で育ったレモンは無農薬なので軽く洗い鉢の突起に擦り付けると芳香が漂う。雑草のように蔓延った玄関先のミントの葉をワシャワシャと摘んで投げ込み氷と白ワインで充すと、このすり鉢も新たな表情を見せる。空いたら氷と白ワインを追加して続ける。肴はしっかり焼き付けた肉塊とそのフライパンに残った油で、日中に貸畑で間引いてきた大根葉とほうれん草のソテーし添える。
ラジオから流れるバイオリニストの長寿番組は数年来欠かさず聴いているが、ラジオではなくドライブの車内でポッドキャストで聴いていた。だがポットキャストというアーカイブではなくラジオのリアルタイムで聴いてみたら編集で割愛されていた音楽がトークの合間を潤していることを知った。もちろん流れるのはこのバイオリストの曲だ。番組の印象はこれまでポッドキャストで聴いてたものとは全然違うものだった。北極とニ拠点生活していると言うゲストの冒険家のトークの合間の曲は無国籍感の印象強いメロディだった。曲の後の冒険家のトークでは数ヶ月後の帰国では妻が目を合せようとせずよそよそしいのが辛いと話すが、分からないでもない。ニ拠点生活を自分1人で行ってはいけない。拠点とは生活の基盤のことだ、パートナーとの関係で二拠点とは合意の無い場合は別居を意味する。
何言ってんだとか呟きながら番組を聴いているうち杯が進み、4杯目のワインを飲み干す頃には二人のトークに私も絡んでいく。
「(バイオリストの)二郎さん、あんたの視点は心地いいよお。"カオスがコスモスに変わる瞬間"なんて冒険家しか言い得ない言葉を"辺境ってやっぱり異次元への扉なんだね"なんて上手く解釈するよねえ。あんたこないだ同じバイリストの若い女の子には嫌味なくアドバイスしてたしねえ」
ラジオは一方的に話が展開するが、人の話はまずは聞くべしと躾られた身にとってはこのスタンスは苦にならない。むしろ心地いい。先日初めて聴いてみた外人みたいな名前の熟女の番組では、長野のチェーンスーパーマーケットのセレクトセンスの良さを熱弁していた。ゲストとはこのスーパーに何時間費やしたかが話題の中心だった。4時間が結論だった。スーパーで4時間とは驚愕だが旬のきのこだけで10種類が陳列されては確かに迷う。洋服のセレクトショップさながらの品選びをするスーパーマーケットとは驚異だ。ものが集まる東京築地の裏を行った産地直送の優位。こうしたイメージ、場合によっては妄想、それがラジオという聴覚の特徴だ。
白から切り替え赤のオーガニックワインの栓を開けた頃、チューンニングし直したラジコの地方局からジュディオングの“魅せられて“が流れる。昭和のシンプルな音構成と紀行的な歌詞。世界がまだ広い頃の異国感は新鮮だったが、令和の還暦の身には予定調和な感じが否めないが、あの頃のワクワク感が酔った身にはしっかり直撃する。次にかかった北海道出身歌手の声の高いトーンと大地のイメージは清々しいし、次のデュエットはいつでも夢をと歌っている。繰り出されるラジオからのメッセージを聴いているうちにある考えに至った。
「文豪の字間のように聴覚にもイマジネーションの荒野があると」
シニアのナレーターは夜更け前のひと時、低音の声で今日の例年外の暖かな真冬の快挙を讃えている。今日はみんな一斉に終わる。そして明日は万人同時に迎える。スピーカー中間の空間に響く声と音に今日も会話をするように対座する。こっちの声はウェビナーみたいには届かない。でも間隙なく繰り出す会話は有難い。内容に関係なく静寂を埋める会話は時には必要だ。一人の時間はうるさいしゃべくりは災害だが、計画された会話はいい友となる。
すり鉢のミントが精気を失ったので、先程開けた赤をすり鉢には注がずに直接グラスに注ぐ。もちろんだ、オーガニックなワインはそのままを味わうものだから。店のPOPで“フレッシュな無垢さを存分に“とあった。確かにまだジュースのようだが熟成したものもまた楽しみだ。




