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鎌倉千一夜  作者: Kamakura Betty
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第57夜 愛されぬ理由

 生まれてこの方、愛を表現したことがない。いつも求愛に対して拒否を示してきた。誰かに委ねたり庇護されたりなんてもっぱらごめんだった。それでいい、人生に妥協なんてしたくないから1人でいいの。何の束縛もなく毎日を過ごすのはノーストレス。だから電車でわがままを言う子供を見るとウンザリする。

「ちゃんと親が躾けてよ、なだめてよ。パブリックな空間なんだから」

そんな気持ちを引きずったままモヤモヤして家に帰る。普通なら家族4人で住むようなマンションに1人で暮らしているから使っていない部屋がある。でも何もないのは殺風景だからグリーンルームにしている。南向きの窓際にはパキラやモンステラ、ドアの方にはカッポックやドラセナを鬱蒼とするくらい置いてアマンダリのプールサイドみたいな感じにして、コルビジュエのシェーズロングを置いて寛ぐ。でもマンションの壁はただの白いクロス貼の空間だから、何のリアリティもない。

「このグリーンルームにかけた100万円はいつ回収できるんだろ?」

誰のホームパーティに行っても心が動かない。だってどこも平凡なんだもん。次の用事があると偽って中座して家に戻ると、ジャッグジにバブルオイルを垂らして1時間ほど過ごす。気分はジュリアロバーツだけどシャンパンを持ったジョージクルーニーは来ない。

 還暦って何の祝い? 元気に60年生きてきたことを喜んでくれる親もすでにいない。兄弟もいないから完全1人。仕事も来月定年を迎え再就職する気もないから毎日何をしようか考えている。余生を30年で見ても退職金と貯蓄と年金で今の生活はほぼ維持できる。美味しいものを食べて、旅行して、流行りの洋服や化粧品を買って。それは今までの生活と何ら変わりがない。定年後に描いていた夢、思い返しても何もないのだ。今さら1人でイビサへ行こうなんて億劫、別荘を買っても年に何回行くんだろ。陶器を増やしたって女友達を呼ぶわけでもないからもういらない。

 会社に行く必要のない朝はなんだか不思議。目が覚める時間は同じだけど、ゆっくり朝食を食べていると見たことのないワイドショーが始まる。殺人事件、企業の不祥事、芸能人のゴシップ…、休日に見ている旅番組のほうがまだましだ。しばらくダイニングテーブルで残りのコーヒーを飲みながら、なんとなくワイドショーを見ていると街角ウォッチなるコーナーで鎌倉が映った。段葛の桜がもうすぐ満開なので多くの観光客が訪れる季節だが、番組ではそこから一歩入った宇都宮辻子の大佛邸あたりをロケしており、ひとりの初老の女性がインタビューされている。

「いつからこの路地のお掃除をされているんですか?」

「毎日です。昔みたいに公共のごみ箱がどこからも消えたものだから、観光客の皆さんお困りなんでしょうね。空き地があるとそっと置いていくみたいで」

この人、丁寧な表現を使っているけど、要はポイ捨てしていってるだけじゃない。

「ご自宅の前だけでもそんなに毎日掃除する必要があるんですか?」

「いえいえ、私は昔の警察署があったところからこの大佛邸の前を通って八幡宮の東門までの路地を見ています。いい運動になります」

「失礼ですがお歳はおいくつですか?」

「75になります。もうかれこれ15年はこうして毎朝動いています」

街角ウォッチは一旦ここでCMに切り替わり、後は材木座のビーチへ移った。

「15年もゴミを拾っているのか…」

 私がここへ越してきてからずっとその路地を使って駅へ向かっていたけど、確かにゴミを目にしたことはなかった。仕事をしていた新橋では朝オフィスに向かう道すがらゴミをよけながら歩くほどなのに。

「ゴミって誰かが片付けるものでしょ? では誰が? あのおばさん?」

考えるとコーヒーが喉を通らなくなった。親を離れてずっとこのかた考えてもみなかったことだからだ。そもそもこのマンションの部屋のドアを出てから、そこはただの下界でしかなかった。私に関係ない空間。私には私の空間がある。働く私、休日の私、誰にも邪魔されない私、そして私のほしいもの、私のやりたいこと、私がいいと思うこと、私、私…。自分のことしか考えていない私。自分がノーストレスならそれでいいと思う私。60年間それを貫いてきた還暦の私。

「やっぱり街角のゴミに手は伸びない。それは誰かがやることだから」



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