第45夜 聖泉の効能
やはりそうだった。そこから湧き出したものは温泉だ。ここはかつて切通しがあり通り抜けられたが、岩盤の弱さが指摘され通行止めになった。やがて草が繁茂し誰も近づかない場所になっていたのだが、前から道脇の小川が冬に湯気を立ち上らせているのが気になっていたので鎌倉図書館で古文書を漁ったら、道行く人たちに足湯を振る舞う茶店があったという記述を一つだけ見つけ確信した。私はこの切通しに隣接する山林を300坪ほど買い求め掘削することにした。住宅建築を認められない山林をわざわざ買うものはいないので鎌倉でありながら格安で購入できた。伸びるに任せた杉林は蔓植物が地表を覆っているので枯野になる12月を待ってまずはそれらを刈り取り、かつて湯気を見た小川を露出させる。指先を浸し水温を確かめながら遡る。ここは周りの雨水が集まる窪地になっているので地中だけでなく地表の雨水も集まる。しばらく遡ると流れは急に細くなり源流の様相を見せる。これだ。指先は明らかに先程より温かい心地よさを感じる。
湧出地点に達し厚い蔦を刈り取った時、私は思わず立ちすくんでしまった。明らかに祀っていたと思われる石を組み上げた祠が、まるで産み出された赤子のように顔を見せたのだ。湯は一度すり鉢ほどの窪みに溜められ、箸ほどの細い流れで小川に向かっていた。湧出量が少ないからだろう。私は周りを見渡した枯野では貴重な色彩である椿と南天を摘んで祠に供えた。
それからは毎日あの聖泉の保持方法を考えた。湯があることはわかったが、聖泉のそばを掘削したら確実にあの流れは絶えてしまうだろう。それは望まない。だがせっかくあの土地の主になったので、あの地に滞在する目的を持ちたい。私はまず祠周辺に今後蔦が蔓延らないよう根まで除去し、露呈した土の上に小川の砂利を撒いた。そしてその近くを均し、大きめで頑丈なテントを張りっぱなしにし、数日寝泊まりしてみた。噂通り繁殖した外来動物らしきものがテントの隙間を狙ってきたので何重もの対策を講じた。鎌倉は低山ではあるが、なかなかの野生を感じる。だからこそこの聖泉に有り難さを感じる。滞在中は土地の整備で1日が過ぎていく。育った杉はある程度間引くために切り倒し、薪にするために丸太にしていく。雨天以外は外の竈門で調理を行う。水道は来ていないのでポリタンクをスクーターに積んで持ってくる。外でしかも自分の山林で飲むコーヒーは格別だ。いつしか豆を焙煎することからやってみたら豆の品種までこだわりが進んでいったところで意識が水に及んだ。すると同時に聖泉から流れの音が聞こえてきた。窪みを堰き止めていた溜まりの落ち葉が動き流れ出したようだ。その時この湯に浸ることにしかなかった私の意識が舵を切った。飲んでみよう。
水質検査では思ってもいなかった結果が出た。飲用には適応したが、とりわけその成分が濃いのだ。硫酸塩泉。基本的には末梢神経障害に効果が有るそうだが、この濃さはなかなかないらしく、飲用した場合に肥満に効くらしい。定年しても飲酒の習慣は抜けず一向に体重が減らない私にはうってつけの湯だ。さっそく水を運んできたポリタンクいっぱいに溜め、飲料や調理に使用した。1週間ほど経つと、言われた通りの効果が見られた。85kgあった体重は79kgに。その落ち幅は劇的で、なにより80kgの壁をあっさり越えられたのには驚きしかない。これにより体重が負担をかけていた膝痛も治り、寝起きも清々しいものになった。
この湧出量では希望する皆にまで行き渡らせることは難しい。しかし肥満に生死を左右されるケースは極論ではない。どうにかそういう人にだけ届けたい…。私はそれから湯を集め続けた。1分500mlほど。20lポリタンクをまずは10個作り、知り合い周辺の肥満者に試してもらった。水質検査結果を見せることで信用を得ることが出来、効果も一様に発揮した。私はこの泉を独り占めしてはいけないと感じ、土地を市へ寄贈した。




