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鎌倉千一夜  作者: Kamakura Betty
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第3夜 鶯谷のビシソワーズ

 森は眺めるより入り込んで身を置くのがいい。湿気や虫など鬱陶しいこともあるのでなるべくはからりと晴れた日を選んで向かう。そこは日が昇ってからも木陰を作り続けているためひんやりとしている。木々が夜の間光合成ではなく呼吸を行ってきたため自身が持つ成分独自の芳香を放ち、その空間に充満している。その圧倒的な包囲網に本能的に防衛心が働き、逃げ場を探すように天を仰ぐ。たくましく張り巡らされた枝葉の隙間に空を見つけまずは心が落ち着く。次第に空間に慣れてくると細部に気が至るようになる。古株に繁茂する苔に纏わりつく朝露、こちらを気にするかのように高い枝で周囲をキョロキョロする小鳥、空から遮るものなく差し込んだ一条の光に浮かび上がらされた水蒸気、森の案内人が如く目の前でホバリングする羽虫。そこでは自分も野生の動物と化すのが正しい。ただひたすらに生を求める。朝の生まれたての空気、芳香を胸いっぱい吸い込み全身に巡らせる、落ち葉を踏みしめ逍遥し血流を促す。やがて糧を求めだす。ここからは森での採取、殺生は一旦控え人知の恩恵に任せたい。

 さて妄想。空想のテーブルは八幡宮の東、東勝寺跡地にある。かつては関東十刹に数えられたこの寺も、鎌倉幕府終焉の地として新田義貞に追い詰められ800人が自害し廃された地となり、後は桃の木が林立する果樹園とされ、やがて放置地となった。兵どもの夢の跡である。この夢の野原を整備し、野原に隣接した朽ちた洋館を徹底的に磨くことですっかり様変わりさせ、南仏アヴィニオン帰りのシェフの住まい兼キュイジーヌ(台所)となっている。人が歩く地面にのみ白い砂利が敷かれ、そこに長さ10mの大きなテーブルを置き、直射日光を避けるようにほのかな木陰を作った。テーブル周辺以外の土地は風や鳥が運ぶ種子から芽生える植物をそのままにし、間に様ざまなハーブを植えたことで鑑賞と実益のあるガーデンとなった。三浦に至るまで南関東屈指の農園と相模湾が広がる鎌倉は食材の宝庫。日々季節のメニュー作りには苦労しない。その日の食材を得意の水彩スケッチにしているが独特のタッチも好評だ。今日は初夏なので今年初の冷たいスープを選んだ。関谷の契約農家から春植えのポロネギと新じゃがが出たとの連絡が届いたから、迷うことなくビシソワーズだ。今日は一日中雲ひとつない天気になるとのこと、ランチの予約もキャンセルなく、いつもの20人きっちりの仕込みに取り掛かる。まだ朝露のついたチャイヴを摘んでいると葛西が谷一帯に響く鶯の一声。それは皆がイメージする通りの完璧なものだった。今年も3月を過ぎて鶯たちが発声練習を始めたが始めは聞けたものじゃなかった。最初の「ホー」だけを繰り返すもの、全フレーズを通すが妙に尻つぼみになってしまうものなど様々。それが毎朝ルーティンとすることでこの美声に至ったのだ。さぞ、喉も酷使したことだろう。今日のビシソワーズはいつもより冷やしておくから、後で飲みにおいで!

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