第27夜 裕子の鼻歌
孫を保育園にお迎えに行くといつもあの子が繰り返す鼻歌。とても印象的だけど何の曲かはわからない。おままごとのおもちゃを片付けながら今日も嬉しそうにふんふん歌っている。そのフレーズ、何だっけ? 私はかつてそれをたしかに聞いたことがあった。いえ、一度や二度じゃない。ある時期集中的に聞いていたはず。でもいつも思い出せずにいた。
毎日見かけるのに、その子の名前は知らなかった。今日着ていたスモックの名札に”ゆず”と書いてあるので思い切って話しかけてみた。
「ゆずちゃん、そのお歌は何?」
「お母さんのお歌。いつもおうちでお母さんが歌ってるの。お母さんはちゃんと何かを歌ってるんだけど、ゆずはわかんないからこんなふうに歌うの」
そう言ってまたふんふん歌い出した。お母さんはたしかいつも髪を後ろで結んで眼鏡をかけている人だったわよね…。ゆずちゃんの鼻歌を聞きながら孫の持ち物をまとめていると、そのお母さんがやって来た。ゆずちゃんが飛びついてお母さんを迎える。私の方を向いて何やら話しているようなので、便乗するように会釈しながら二人の元へ行く。
「ゆずちゃんがいつも鼻歌でお母さんのお好きな歌を歌ってらっしゃるのですが、私には聞き覚えがあるのですがどうしてもその曲名が思い出せなくて…」
お母さんはどの歌だろうとゆずちゃんに聞くと、ふんふん歌いだす。
「ああ、この歌は私がいつも家で歌ってるんです。ゆずも外で歌ってたんですね。曲名どころか、誰も知らないはずの歌なんですが、本当にご存じなのですか?」
「ええ、ゆずちゃんは歌詞までは歌わないのですがメロディーは間違いなく聞いてます。というより、私がまだOLだった時にこの曲のPR担当をやっていたんです。あ、正確に言うとPRをしようという直前に会社が大手に吸収されて、この曲のリリースが頓挫してしまったんです」
お母さんは少し居住いを正して、抱いていたゆずちゃんの髪をなでながら静かな調子で話し出した。
「あ、ジュピターレコードにお勤めされていらっしゃったのですね。私の父はこの歌を作曲したんです。仕事部屋のピアノから何度も聴こえてくるので、私もゆずみたいに体に染み付いちゃったんでしょうね。ついこの歌を口ずさんでいるんです」
「そうだったのですね。私は現場のアシスタントでしたから先生方にお会いすることはなかったんです。ところで、曲名は何でしたでしょうか?」
「『裕子』です」
「そうでした。ひょっとして…」
「そうです。私の名前です。遅くできた初めての子だったからずいぶん父は喜んでいたと母親が言ってました」
「だからこの歌を。メロディに反して詞は重い内容でしたよね?」
「ええ、歌詞は私が書いたんです。父が曲を作り上げた3か月後、両親の乗った車にトラックが突っ込んで…」
「そうでしたか…」
ゆずちゃんはお母さんの笑顔の消えた表情を見て、元気付けようとまた鼻歌を歌い始めた。そのメロディに合わせてお母さんが歌を重ねた。
私はお空を飛んでたの
牧場でも遊園地でも
高い高いっていいながら
お父さんは目いっぱい腕を突き上げてくれてた
私は旅をしていたの
お布団で肩のあたりをトントンしながら
毎晩いろんな国のお話しをしてくれた
お父さん疲れてたはずなずなのに
私は夢を見ていたの
お父さんに手を引かれバージンロードを歩く夢
それなのに
それなのに
ありがとうお父さん
裕子は空を飛んでます
裕子は旅をしています
いつも心の中でお父さんの手をとって




