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鎌倉千一夜  作者: Kamakura Betty
136/139

第136夜 我が水脈

 毎日が日曜。それをサンデー毎日なんて週刊誌みたいな呼び方をする人もいる。会社人生の晩年はそれを少なからず夢見ていたが、なかなかどうして、初めの半年は良かったがやがて持て余すことが増えてきた。描いていたのは思う存分に、読書。現役の頃は晴れた日に家にいることがなかったため、陽光を見ると居ても立ってもいられずページが進まない。もうひとつは写真。現像代が要らないことをいいことに、カメラがデジタルになってからは闇雲に撮りまくってきた。定年後は山野草を心ゆくまで撮りまくろう、そう思っていたが足腰が弱るうちにそれらが咲く高地まで行くのが億劫になった。それもそうだが同じようなカットばかりが増えて新鮮味に欠けていた。

 そうしてサンデー毎日の改善計画が始まる。ネットではついつい知っている範囲のキーワードばかりを打ち込むので、既視感のあるものしか飛び込んでこない。AI頼みの完全な受動に身を許すとこのまま朽ちそうな気がして考えた末、デジタルを離れアナログな図書館に行くことにした。書店で新品の本をパリパリとほぐすようにページを開きながら立ち読みするのは昔から気が引けるし、何より図書館は設置された机を一日中自分のものにできるのがいい。数冊棚から抜いてきては乱読するちょっとした運動も、家のソファで大型テレビモニターに向き合っているのよりはかなりましだ。

 ひさしぶりに訪れた鎌倉図書館は土地柄、地元の歴史や風土などに関する書籍が充実している。写真黎明の頃の街の様子を見ることができる今昔写真集を見ていると隔世の感がある。今の桜並木の整然とした段葛はその頃は茅葺家屋の続く砂利道で何か湿っぽい。尾根状の参道は両脇が降水時の排水路となっていたのだろう。それはそうだ、舗装などないとなると冠水を避けるには水の道を掘って導く必要がある。それを川まで遠いなら溜池を備える必要がある。普段気にもしなかった下水道や遊水池などが気になってしょうがなくなった。

 数日図書館に通ううちに鎌倉の水脈が見えてきた。古地図には小川や泉や井戸そして池が散らばり、まるで葉脈のように鎌倉中心部の扇状土地を網羅し民家や寺社を潤していた。それらの今の様子が気になる、実際に見てみたい。それからはフィールドワークが始まる。端から端まで見渡せるほどの小さな街でも、くまなく照合していくと数日はゆうに必要だ。デバイスのデジタルマップに古地図上の目的地点をマーキングしていくと効率のいいルートがすぐに可視化された。

 海蔵寺へ続く道は自分で勝手にデパートの一階と名づけていた。駅側から向かうと尼寺の英勝寺、その先に源氏山に繋がる化粧坂への入り口、その奥に海蔵寺の十六井戸と続くラインナップがデパート一階に必ずある化粧品売り場を思わせるからだ。そんなふうに勝手に漠然と片付けていたその地にあえて来てみると、木々が紅葉へ向かい色づき始めてまんざら命名もズレてはいない気がして足取りは軽い。この勝手に命名した鎌倉保湿エリアは読み通りマイナスイオンが充満しているのだろう、息が上がるどころか歌い出したくなるようなほど喉のイガっぽさが解消している。体の不調や疲労さえなければ人はゆとりを持って思考できるし寛容になる。

 源氏山に降り沁みた雨水はいつものところで落ち合い、それがさらに太い流れに加わり水脈を作る。柔らかな土壌は流れに場所を譲り溝を深くし小川となる。年月の溝は不可逆的に進行し、それでいて新たな侵食を受け入れる。やがてその溝は葉脈の如く張り巡らされ、揺るぎない流れとなる。慈雨であれ暴雨であれ水脈は潤い満ち溢れ、そして先へと送り出す。囲い溜め込むことなく、惜しげなく。

 秋の気配の中、柔らかに刺す木漏れ日が私の体に陰影のまだら模様を施し、やがて私はその秩序に溶け込んでいく。手を加えることなどなくありのまま、欲張ることなくあるがまま。わずか六十年間ではあるが少しずつ多方面へと巡らせてきた意識は干上がることなく流れ続けることができたようだ。もう少しだけ続けよう、明日も明後日も。

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