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鎌倉千一夜  作者: Kamakura Betty
110/111

第110夜 燃え尽きてからの景色

 熾火が消えようとしている。盛大な焚き火に人々は集い語らい寄り添った。炎がおさまりついに発光する木々の集積になる頃、ひとりふたりと輪を離れ今は私だけが熾をつついている。このわずかな発光が終われば、あたりは闇に包まれる。 忍野村の古民家を終の住処としたのは妻が先絶ったことよりも、むしろ40年暮らした浄明寺の家に居た堪れないからだった。妻との思い出の詰まった家ではあったが、正月も土日もなく東京の職場や、業務で運営する催事の会場、そして接待のゴルフ場に通いクライアントと時を一緒にしてきたあの日々が、あの家にいることで綿々とするのだ。5時には必ず目が覚める。催事の日は4時だ。部長になろうが、常務になろうが社長になろうが変わらない。大きな催事ほど社長が立ち会うことがクライアントには刺さる。現場の頃からそれを体感してきたので、役職があがろうと社員のためにも必ず立ち会うようにしてきた。夜明け前に目が覚めると、そのまま布団の中で日経電子版を読む。ピンチを使えばiPad画面でも紙面はストレスなく読める。むしろ紙よりも文字が拡大できるので有り難かったりする。最終面の「私の履歴書」はクライアントやCM起用俳優のおいたちを知ることができるので、若い頃から欠かさず読んできた。会長の時、老舗証券会社顧問の言葉が妙に心に残り引退後の移住を決意した。「かのたき木、はひとなりぬるのち、さらに薪とならざるがごとく、人のしぬるのち、さらに生とならず」その言葉は道元の正法眼蔵にある。死して戻らずと。 かつて馬を入れた納屋の木戸は幾度となく開閉を繰り返し、角材は角が取れ、風化と共に繊維が浮き立っている。前の住人はこの辺では一般的な田畑を持っていたが、子が継がず自分の代で農を終え生を終えた。数年放置されたのち、鋤や笠や吹子や臼などが納屋に残されたまま、まるごとこの家を遺族から譲り受けた。朽ちかけたものを甦らせるには手はかかったが、固く絞った雑巾であちこちをしっかり拭き、柿渋などを施したら次第に往時が顔を出し、畳を入れ替えたら家は蘇生した。現役時、公私共に力を貸してくれていた者たちがこの空間を好いてくれ、口伝えで絶え間なくやって来てくれた。忍野の富嶽麓湧水も呑兵衛たちを充足させた。昔話に花が咲き、冬の七輪、夏の焚火は夜更けまで消されることはなかった。 6月、新名庄川へ注ぐ敷地内の小川は日暮れから蛍が行き交い始める。草木がそのシルエットを朧にし、空間の濃淡で蛍光が際立つ様が幽玄で儚い。今日は来訪者がないので、小さな火を起こして先日残ったイカの丸干しで過ごすことにする。佐渡の丸干しは文字通り獲ったまま干すことでワタが凝縮され、それが炙られ薫香を纏うことで極上の肴となる。南都留の地酒はこの風土から湧出したかのように喉を滑り、匂いにつられてやってきたいつもの三毛猫にイカの足を投げると、火に背を向け器用に両手を使い夢中に齧り付く。梅雨の雲に月の気配はないが、蛍光と熾火の煌めきで闇は華やいでいる。移住後の絶え間ない昔話は回顧こそすれ回帰は成さないが、ひとりこうしていると移ってもなお生を続ける建設的惰性を自ら讃えたくなってくる。気がつけば熾が灰を被り極僅かな灯し火となっていた。このまま消えさせることも可能だが、何故か顔を熾に近づけ灰を吹き飛ばす自分がいた。新鮮な空気に触れ、火は再び明るさを増した。

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