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鎌倉千一夜  作者: Kamakura Betty
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第102夜 冥土の人脈

「あんた、優性劣性って名称も顕性潜性というふうにとっくに変わってるんだ。あんたみたいに物に優劣があるなんて考え方は古いんだよ」

「そんなこと言ったって優れたものも劣ったものも存在してるじゃないか。綺麗事言ってちゃダメだよう。努力して優れたんだったら文句あるまい」

「それはもちろんだがそんなことを言ってるんじゃないよ。生き物の遺伝的にあらかじめ優劣があるなんてのが違うっていうんだよ。ある性質が顕著に現れるか潜在のままかってことなんだ。努力ってのは個々の尺度で、他人と比較したらまだまだ努力が足りないなんてことはいくらでもあるだろ」

「何かに到達できたっていう尺度がなくちゃ判断できないだろ」

「それは個々人の実感でもいいんじゃないか?」

半年ごとに開かれる会社のOB会もあと何回出ることになるんだろう? いや出ることができるんだろう。毎度皆は体のことやら孫のことしか話さない会だが、この正林はいつになってもマウントスタンスが抜けない。むしろ会うたびに強まっている。現役の時はずっと営業畑一筋でその畑の取締役まで上り詰めた。人一倍数字を上げ続けていたのは正林の力量だが、得意先からはその強引なやり口に苦情が入ることが多く、しょっちゅう担当を変えられていた。それでも数字という結果を会社は無視できなかったのだ。

「おい佐川、あのときの札幌出張は楽しかったなあ」

また来たか。正林は毎回この思い出話を持ち出す。よほど会社人生での陽光だったのだろう。同期だが奴が取締役、私がシステム開発部長として札幌工場立ち上げ後の視察で出張したもののことだが、建設に関わった地元業者の手厚い接待は正林の趣味から癖までリサーチした上のものだったから、相当ご満悦だったのである。彼の好物であるカニ尽くし会席だが甲殻アレルギーの私にとっての忌避会席だと判明したのは、最初のお膳が運ばれた時で、席を取り回していた業者の課長が相当バタバタしていたのは気の毒だった。

「あの後札幌に行くこともなかったし、どこへ行ってもあんなに至れり尽くせりなもてなしは無かったよ」

それもそうだろう、50人ほどいる同期でも正林に飲みの誘いをかけるものはいなかったし、ましてや前のお得意さんからの誘いなど無いだろう。いい加減優劣上下意識など捨てないと…。


 その日のボーゲンは全席が埋まっていた。ボーゲンは駅前の喫茶店で、かれこれ50年はそのままの状態でやってるが、山荘のような三角屋根の建物から考えるとそれより20年は前に建ったものであろう。80近い老夫婦がゆっくりと経営している。ここへは娘孫が家に来るような日以外はほぼ毎日顔を出しカウンターの端を陣取り、香ばしいローストの豆で入れたブレンドで半日を過ごす。

「佐川さん、常盤の黒川さんが入院されたそうよ。検査で不整脈が引っかかったんだってさ。私らも気をつかなくちゃねえ」

「お前さんは膝は痛そうだがまだまだ大丈夫だろうよ。俺なんかいつ逝ったっておかしかない」

「あんたはいくら言ってもタバコをやめないからですよ」

この夫婦は来るたびにこんなやり取りをしているが、それがきっと長寿の秘訣なのだろう。

「そういえば、田島さん最近見かけないけど」

少なくとも20年前からカウンター越しの壁に掛かっている油絵を描いた人だ。ついこの間まで3日に一回は居合わせていたのだが。

「彼は執筆に忙しいんだろ」

「描画じゃなくて?」

「ああ、絵の傍ら小説を書いてたらしいんだけど、どうやらそっちのほうが楽しくなったそうでウチに来る暇なんかねえってぬかしやがった」

「あんた、そりゃ失礼じゃないの」

「いいや、あんだけでっけえこと言いながらケツ見せていったんだからなあ、相当な大作なんだろうよ」

「どんな小説を書いてるんですか?」

「題名は『縁側』っていうことだけは話してたけど今のなのか時代物なんだかさっぱりわからねえ」

「縁側かあ」

確かにいろんな想像が湧き出る言葉だけにむしろ内容の想像がつかない。

       

 モヤッとしたまま翌日顔を出すと、まさに話していた田島さんがカウンターにいた。

「あれれ、お久しぶりじゃないですか」

「ネタに詰まったから来たんだとさ」

マスターはあきれた感じでサイフォンを掃除しながら言う。田島さんはしばらくカウンターに突っ伏していたが、話を聞いてくれそうな相手が現れたことでむっくと起き上がり、

「そうなんですよ。200枚書いたところで登場人物が1000人に達して訳がわからなくなっちゃったんです」

「1000人! よくぞそこまで登場させたもんですね。縁側って言うから孤独な老人の回想譚かと思ってましたが、どんな小説なんですか?」

「話すと長くなるんで、かいつまんで言いますと…」

「もったいぶるんじゃないよ」

「はいはい。人類の物語なんです。私が死ぬまでの間書き続けられる題材をって思ったらそれに行き着いたんです。アフリカの洞窟に絵を描いたヴォーヴォーという男から物語は始まるんです。そこから全世界に枝分かれしていく子孫を代々くまなく書いていくんです」

大作というより退屈そうな気配が強烈に漂う。

「で、今書いているのはいつの時代なんだい?」

「それがまだキリストも生まれちゃいないんだ」

「おいおい何枚書いたって終わりゃあしないよ」

確かにマスターの言う通り、そのペースじゃあ世界文学全集クラスになりそうだ。

「なんでそんな骨の折れることを始めたんですか?」

「いえね、そこに掛かっているような絵を描いてたらね、ある時無性に孤独な気持ちに襲われたんです」

「あの絵だってきれいな雪景色じゃないですか」

「そこなんです。私が思うきれいな景色ってのは人がいなくてずっと遠くまで見渡せるものなんですが、描けば描くほど私の周囲から人がいなくなっていくんです。あ、イマジネーションの世界ですよ。そうするとね、目を閉じても人のいないことばかりが浮かんできて」

「で、1000人ですか?」

「そうなんです。じゃあせめても小説でも書いて沢山の人を登場させようって…」

「田島さんよ、で、どこで詰まったんだい?」

「それがね、目を閉じてるといくらでも人が浮かんでくるんだけど、いざ原稿に向かうとどうやっても落とし込めなくなったんです。妄想は時間軸も距離も関係なく無尽蔵なんですが、物語しようとするとSFにでもしない限り話が繋がらなくなって…」

そりゃあそうだ。欲張るからそうなるんだ、とマスターもきっと言うことだろう。

「おい田島さん。お前さんの気持ち、よーくわかるよ。俺もこの年になってよく妄想するようになった。死んだら寂しいのか? じゃあどうしたら寂しくなくなるのか? どうせ今みたいに器官はなくなっちまうわけだから、せめてこの頭の中の妄想だけは持っていけるんじゃないかってね。そうなりゃあ、たくさんの知り合いを連れて言った方がいいじゃないか」

マスターまでそんなことを言い出すなんて思ってもみなかった。

「ところで、その物語がなぜ『縁側』なんですか?」

「家の縁側じゃないんです。人との縁、つまり『えにし側』なんです。累々と連なる縁を大事にする者としない者がいると思うのですが、書きたいのはその重要性を知って大事にしていく者になろう、ということなんです」

「田島さん、あんたいいねえ。それだよそれ。現生は物質に溢れてるからどうしても奪い合いや嫉妬や優劣が生まれてしまうが、冥土ではそんなものは存在しないだろ。距離も時間もなく思うがままの世界。そんな素晴らしいところにいつかは行くんだから、今からできるだけの登場人物を作っておかなきゃな、自分の中によ」

 ふと正林のことが頭をよぎった。彼はあんなにも優劣の権化のようになって、冥土でもマウントし続けるのだろうか? 餌食をとっ捕まえようにも、相手は距離も時間も関係なくするすると逃げ回るだろう。そして誰も正林の方には近づかないだろう。不憫だ。

「佐川さん、あんたも毎日こんなところで油売ってるんじゃなくて、小説でも書いてみたらどうだい?」

「あんた、こんなところって何だい!」

「いいじゃねえか、お前こそ書けよ小説!」

夫婦の言い合いを尻目に田島さんにもう一つ聞いてみた。

「物語の終わりは決めているんですか?」

「そこまで行きつけるかは分かりませんが、さっきマスターが言っていた冥土の初日の喜びで締めたいと思ってます」

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