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鎌倉千一夜  作者: Kamakura Betty
101/139

第101夜 玄冬の陽光

 ハイマツやミネザクラが一段と白い朝だ。その白さは雪ではなく水分の氷結なので7時40分頃に遠景の峰から朝日が差し込めば七色に輝き出す。目覚めてすぐに雨戸を開けたくなる衝動が抑えきれずにこうして暗いうちから1枚のガラス越しにこの景色を眺めている。どの家も暖房効率を考え、太陽が軒下に光を届けるまでは雨戸は閉めたままだが、サッシを少し開けて雨戸を内側から触れてみれば、金属雨戸の暖かさでその光量がわかる。それほど太陽の光は強力だ。

 私の朝の日課は50年来使い続けた南部鉄瓶に水を入れ灯油ストーブの上にかけることだ。50年のうちの40年間は蓋のすぐ下まで入れていた水は10年前から半分に減らすことになった。伴侶の死とともに。細い湯気はより早く立ち昇るようになった。それは伴侶を送り出した日の葬場の煙突のように細い。渋の着いた湯呑みに湯を注ぎ胃に温かいものが落ちていくのを感じると、玄関のフックにかけたアノラックを羽織りポストへ新聞を取りに行く。引退したにも関わらず購読するのは経済紙のまま。最終面のコラムを今更読まない理由も無いからだ。コラムでは企業の会長、人間国宝、大使、役者などの知名達が、生前の生涯を1ヶ月間30話にまとめる。大体が80数年のドラマだが、それは充分にひと月にまとまってしまう。情愛作家の若き日への懺悔は赤裸々なものであったし、欧州からの駐日大使の日本文化への造詣の深さには感服した。では私の30話は?

 定年後東京の家を売り、不在のままだった山梨の伴侶の実家に移り住んだ。建物は少しだけだが、敷地は格段に広くなった。放置されていた畑を耕し自給自足の生活は始まった。伴侶は懐かしむようにかつての位置に食卓テーブルを置き、東京では掛けることのなかったテーブルクロスを設えた。外だけでなく家の中も東京とは違う環境になっていった。が、伴侶との日々は数年に過ぎなかった。

 今こうして生まれ育ったわけでもない土地に暮らすが、かえって第二の人生を生きている感覚が持てて良かったのかもしれない。青春は故郷、朱夏から白秋は東京内を移動し、玄冬はここ山梨。生涯一大きく見える富士山は私と同じく孤高だ。庭先で鼻先を使い食べ物を探る鹿も孤独だ。思えばこれまでも私の日々は孤独だったのかもしれない。青春を捧げた競泳も、朱夏夢中になったディーリングも、白秋のコンサルタントも、常に単独行動だったのだから。

 ありし日の伴侶はいつもソファで隣に密着し私の肩に頭を乗せていた。

「定年してくれてよかったわあ。こうして一緒に居られるんだもの」

そう言いながらいつの間にか寝ていることが多かった。抗癌剤を受け止めきれなかったのだ。仕事勤めの日々は会合や出張、週末はゴルフで家にいることは少なく、伴侶にやってあげたことも記憶にないほど。それでも伴侶は居てくれて当たり前と思っていた。連れ立って40年も経っていながら伴侶の寝息は新鮮でいつまでも聞いていた。だがある日寝息すら消えまた一人になった。

 山陵の葉の落ちた木々の間からレース越しのような光が現れ、瞬く間にこの窓ガラスへスポットライト並みの明るさがもたらされると、白かった景色は全て輝き出した。

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