6 散歩
エルネストがもう一度手紙を書いて送りたいと言うと、青年は気安く「いいよ」と了承した。
手紙をアレシュたちに間違いなく届けてくれると確信できたので、今度は丁寧に書く。
書き上げてまた青年に読むよう促すと、彼は遠慮がちに手に取った。
「ベアトリスへ、怪我は治っていて体調も回復しているので心配はない。普通の部屋を与えられて寝起きしている。爺さんだの軟弱だの、少しは言葉に慎みを持て。アレシュへ、鳥に向かって叫ぶな、やかましい。セスへ、心配かけて悪かった。ちゃんと元気にしているから泣かなくていい。エルネストより」
読みながら青年はくすくすと笑う。手紙を読んだ後のアレシュたちの反応を想像しているようだ。
「……うん、いいんじゃないかな。でも運動不足なのは本当だから、明日から散歩に行くって書き加えてくれる?」
「わかった」
エルネストは言われた通りに書いて便箋を封筒に入れ封蝋で貼りつけた。
白い鳥にそれを差し出すとぱくりとくわえる。青年が窓を開けると、鳥は雲の中へと羽ばたいていった。
「そろそろ日が暮れるけど、夜までには届けられるよ」
厚い雲のせいで時刻がわかりづらいが、今は夕方なのだろう。
鳥が見えなくなると青年は窓を閉めた。
冷たい空気が入ってきたがすぐに暖かさが戻る。暖炉もないのに不思議な部屋だ。
エルネストはさっきの青年の話を思い出した。
「散歩とは、どこへ行くんだ?」
この巨大な城の外、つまり森の中だろうか。
エルネストたちが魔王の城に着くまで数々の魔物たちを倒してきた。そのことに後悔はないが、彼が魔王なら自分の仲間を倒した怒りや恨みがあってもおかしくはないはずだ。
魔力を失ったエルネストが魔物に襲われれば、ろくに反撃もできず、なぶり殺しにされるだろう。
しかし青年はそんな様子を少しも見せず、小首を傾げながら「外はまだ寒いから中がいいかなー」とのんびり答えるのだった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
次の日、朝食を終えると約束どおりに青年が部屋に来た。
行こうか、と告げてエルネストの袖を引く。
手を引かれてつられるままに歩き出すと、青年はためらうことなく壁にまっすぐ向かっていった。
壁にぶつかりそうになりエルネストは思わず目を閉じたが、再び目を開けると長い廊下に立っていた。
「ここが部屋の外……」
薄い灰色の壁には、植物を模した豪奢な模様がびっしりと彫られていた。天井は高くアーチ状で、天窓があるため明かりをつけなくてもそこそこ明るい。
床はつやのある乳白色の石でできていて、建築に詳しくないエルネストでもかなりの費用と年月をかけて造られたとわかる。
「エルたちが通ったのとは違う廊下だよ。無駄に広いだけが取り柄なんだよね」
どんなに豪華でも青年にとってここは見慣れた場所なのだろう。
無感動な表情をしていたが、急に青年は耳まで赤くなり慌てて手を振った。
「うぁっ! いつまでも握っててごめんねっ。わざとじゃないから!」
「は?」
エルネストは自分の手を見る。そういえばさっき彼に袖を掴まれてそのまま手を繋いでいた。
「エルと手を繋げて役得……じゃないっ! なんて僕は破廉恥なことをっ」
「おい」
「はいっ?」
1人でバタバタしている青年の肩をエルネストは軽く叩いた。
「向こうへ歩けばいいのか」
「う、うん。じゃあ行こうね」
いつもの奇行のようなのでエルネストは気にせずに歩き始める。
青年も「まだバクバクするよぅ……」と胸を押さえて歩き出した。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
不可思議な廊下だった。
歩いても歩いても廊下は続いている。行き止まりもドアも現れない。
エルネストがそれを指摘すると、青年は「運動不足解消用だから」と何事もないように答えた。この無限の廊下も彼の魔法の1つと思うしかない。
「ここの壁はどこまでも装飾されているな。仲間たちと城に入ったときに進んだ場所とは全然違う」
青年の言う通り、魔王を倒しに仲間と来た時はもっと無機質でほとんど装飾のない廊下や階段を進んできた。
しかし魔王と戦った広間だけ壁や天井に同じような豪華な彫刻があった。
エルネストは話すことがなかったのでそう呟くと、「あー、それはね……」と青年が返事をする。
なぜだかバツの悪そうな顔をしていた。
「最初は同じような廊下だったんだけど、しょっちゅう壊されるから直すのが面倒になったんだ」
「壊された?」
「うん、勇者たちが魔物と戦うとねえ。仕方ないんだけど」
エルネストはぴたりと足を止めた。
青年も足を止め、きょとんとした顔でエルネストを見やる。
「魔王のいた広間は装飾されていた」
「うん、あそこに入れたのはエルネストたちが初めてだったから」
青年は、生徒を褒める教師のように嬉しそうに微笑んだ。
その表情にエルネストはどう答えていいのかわからない。
「……俺たちもかなり壊した」
「そうだね。でもあそこは綺麗に直したよ。見てみる?」
命を落としかけた場所を再び見たい人間などいるだろうか。
しかし青年は皮肉でも何でもなく、ただ無邪気に誘っているように見えた。
「いや、やめておく」
「そっか。……あ、そろそろお昼だね。けっこう歩いたし戻ろう」
青年が差し出した手をエルネストはためらいなく握った。
彼のする話も、その存在も、魔法も、理解できないことばかりだ。
それなのに出された手を警戒なく握ってしまう。そんな自分が、エルネストは最も不思議だった。